最近のトラックバック

カテゴリー

2026年1月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

災害情報サイト・地震・台風など

行政の防災情報

無料ブログはココログ

市民サイドの防災情報

フォト

沖縄・ガザ連帯集会

2025年6月23日 (月)

80年目の沖縄の終戦記念日


 先の大戦で凄惨な地上戦が行われた沖縄。4月1日の米軍の沖縄本島上陸から、日本軍の組織的抵抗が終結した6月23日までの84日間の壮絶な戦闘で日米両軍と沖縄県民の戦没者は20万人を超えています。沖縄出身の家内によれば、「沖縄では6月23日は終戦記念日で、学校は休みだった。」と言います。

 敗戦80年談話を日本国政府はしないと言います。なんと情けない国であり、政府です。きちんと歴史と向き合い、間違いは間違いと認め、「2度と戦争にならない、戦場にしない」強い決意を日本国や日本国民は世界に対して宣言し、実行することです。
d4bcf687
 沖縄はいまだに日本国内の米軍基地の7割が狭い沖縄本島にあります。そればかりか最近では、沖縄の近隣の台湾を口実にした「台湾有事」対策と称して、八重山諸島に自衛隊のミサイル基地が次々とこしらえられています。

 今は亡き義母は「沖縄は基地が多いから怖い。敵から真っ先に攻撃されるから。」と沖縄に家族で「帰省」するたびに言われていました。1972年に沖縄は施政権が日本に返還されましたが、米軍基地と自衛隊基地は増加しています。
E982A3E8A687E7A9BAE6B8AFE8A68BE98081E3828A
 6月の初めに天皇ご一家が沖縄を訪問されました。慰霊の旅でした。愛子さんも初めて沖縄訪問をご両親とされました。上皇さんは皇太子時代から11回も沖縄への慰霊の旅をされています。その真摯で真剣な沖縄の人達と向かい合う姿勢には共感します。
okinawa1okinawa-tennouke
 日本国民も沖縄の歴史と現実に真摯に向き合う義務があります。6月23日の意味をかみしめましょう!!

2025年5月15日 (木)

沖縄返還から53年目

1972年沖縄返還式典
 1972年5月15日に沖縄がアメリカから返還され、沖縄県になりました。今年は53年目になります。

 沖縄はいまだに巨大な米軍基地が存在し、今や日本国にある米軍基地の70%が狭い沖縄本島に密集しています。
沖縄の米軍基地
 1945年4月に米軍が沖縄に上陸し、多数の沖縄の人たちを巻き込んだ凄惨な地上戦で20万人の日米両国兵士や、沖縄県民が亡くなりました。

 米軍による沖縄統治は1951年の「サンフランシスコ講和条約」で日本本土は占領統治を終了することができましたが、沖縄は日本から切り離され、米軍軍政下におかれ続けました。
サンフランシスコ講和条約
 沖縄の米軍基地が、日本本土から移転し、拡張されました。またサンフランシスコ講和条約締結時に日米安保条約も締結され、「日米地位協定」も施行されました。ひどい内容になっていて、いまだに履行されています。
日米地位協定
 また最近は独裁国中国が「富国強兵政策」が成功し、経済力と軍hン磁力を増してきています。ごく一部に「台湾有事」「台湾の有事は日本の有事」といいたてるひとたちもいます。とんでもんじゃいことです。

 そんなことをすればまたしても沖縄が戦場になります。
台湾有事に反対する記事
 かつて義母は「沖縄に基地があるから敵国から攻撃されるから怖い。」というていました。自国の軍隊があるから安全でなかった現実は沖縄の人たちが1番わかっています。

2025年5月10日 (土)

自称愛国者の人達は何故「日米地位協定の改定」を主張しないのか?

日米地位協定
 自民党の1部や野党の一部にも声高に「日本国憲法の改定」を主張する人たちがいます。その人たちに申し上げたい。「なぜ日米地域協定の改定」を米国政府に要望しないのか?全く不思議です。

 

 最近中国が「富国強兵政策」が上手くいきはじめ、造船建造力や、エレクトロニクス、宇宙開発分野でも米国を凌駕し、すぐ後ろに迫るようになりました。台湾を取り囲んで「海上封鎖の演習」もしているようです。

 

 ごく一部の自称愛国者の人達が「台湾有事は日本の有事」と声高にいいたてています。果たしてそうなのか?第1アメリカのトランプ政権はアジアに関心がない。日本を中国抑止の盾にしようしたいだけでしょう。

 

 アメリカ軍は日本の地方の飛行場や港湾も勝手に出入りし、やりたい放題をすることができます。敵性国家を勝手に攻撃して、日本の地方の飛行場に逃げ込んだりすると、アメリカの軍事基地とmきなされミサイル攻撃の標的になります。

 

 日本国憲法で交戦権が禁じられています。憲法9条は自民党のご先祖である幣原重三郎氏がこしらえたものですから。本来は自民党は護憲政党であるべきなんです。
9zixyou

 

 憲法第9条と象徴天皇制は相互リンクされています。それゆえ昭和天皇は東京裁判に被告人になりませんでした。明治天皇がこしらえた靖国神社。神社側がA級戦犯を合祀したことで、依頼天皇家は靖国神社に行かなくなりました。それは象徴天皇制と憲法9条が相互リンクしているからです。

 

1zixyouto9zixyou

 

 昭仁天皇は戦没者を供養し、大災害時に国民を慰労して駆け付けました。現天皇家にもその精神は継承されています。

 

akihitotennou

 

 日本は「戦争をしない国」としてこれからも行くべきなんです。

2024年8月15日 (木)

79回目の終戦(敗戦)記念日

hirosima806
 日本が全世界を相手に世界大戦を引き起こし、無残に敗北し、凄惨な犠牲者を出し終戦した日から79年がたちました。世界を取り巻く情勢からは、ウクライナにしても中東パレスティナ・ガザ地区や東南アジアのミャンマーなども戦火が止む気配はない。

 また日本近辺の向こう3軒にあたる隣国の中国、北朝鮮、ロシアはいずれも独裁国家であり、核兵器を所有し、軍備増強に余念のない面倒な隣国です。

 その危険な隣国に対抗すると称して、沖縄の八重山地域に自衛隊のミサイル基地をこしらえ、自衛隊員も駐屯させています。

注意しないといけないのは、「災害対策」を口実に、国に権限を集中させる「緊急事態要項」を盛り込み憲法改悪に持っていこうと自民党などは画策をつねにしています。その理由は「人助けの国際貢献」止め、より自分たちが金儲けができる「人殺しの国際貢献」をしたいがためです。絶対的な間違いです。

 日本は「災害大国です」。「人助けの技術は、官民とも世界1」なんです。日本は。「人を救う国際貢献・世界1」を目指すべきです。

 戦争は人災です。防ぐことが出来ます。戦争をやって金儲けしたい人達を政治の世界から追放すべきです。追放できれば世界は平和になりますから。

2024年8月10日 (土)

長崎市長の判断はおかしくはない


2024年8月9日の長崎原爆慰霊の日に、長崎市長はイスラエルを招待しませんでした。日本を除くG6(米・英・独・伊・仏・カナダ+EU」は、イスラエルが招待されなければ、我々は出席しない。と居丈高に騒いでいる。

長崎市長の「対応」は間違っていません。おかしいのは「ダブル・スタンダード」を平然で行うG6+EUの自称「先進国」「民主主義国」ではないのか。
彼らの言い分は「支離滅裂」ですね。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20240808-OYT1T50112/
(イスラエル大使の不招待「変更ない」、米大使不参加は残念=長崎市長)

「日本を除く主要7カ国(G7)各国と欧州連合(EU)は、7月19日付で長崎市に書簡を送付した。ロイターが閲覧した同書簡はイスラエル大使が招待されない可能性があることを憂慮する内容で、招待状を送らなければ同国をロシアやベラルーシと同列に扱うことになると指摘。各国ともハイレベルの参加者を式典に派遣することは難しくなるとしていた。」


イスラエルのパレスティナ・ガザ地区での戦闘行為は「ロシア以上に残忍で非人道的」であることは、健全な精神や判断力のある人が見れば理解できます。

2024年6月21日 (金)

「重信房子がいた時代」を読んで

 「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)を読みました。
重信房子がいた時代1_NEW

「集団になると、人は考え方が浅くなって非論理的になってしまう。あさま山荘事件を含む連合赤軍によるリンチ殺人から始まる一連の事件は、その典型だと思うね。

とにかく閉鎖された集団の中で、非常に強い権力性を帯びたリーダーがいて、過度のストレスを全員が持っている。こういう状況で人は判断できなくなる。あとから『なんであんなことをやってしまったのか』と後悔する。
重信房子がいた時代4_NEW
こういうことはたくさんある。日本史にも世界史にもね。そうしたことを端的に示す事件だったと思う」(映画監督・森達也氏談)NHK記事より)

 とにかく私が高校を留年した1971年2月に引き起こされた「連合赤軍・あさま山荘事件」と1972年11月に「早稲田大学構内で革マル派による一般学生川口大三郎さんへのリンチ殺人事件」から連なる際限のない内ゲバ殺人抗争が激化し、日本社会から「社会運動」「政治闘争」が、2つの「ブラックホール」に吸い込まれ消滅しました。

 私個人は「連合赤軍」や「内ゲバセクト」の渦の渦中にいたわけではなく、大きな影響(悪影響)を受けた渦の外周に居ただけの人間です。ですが渦巻は渦の外周ほど高速で回転します。強い悪影響を受けながら、鬱鬱とこだわり続け、貧弱な頭脳で1972年から52年間考え続けてきました。

考えたことは、「なぜ日本の新左翼セクトは仲間殺しをし、セクト同士で連携することなく、殺し合いを際限なくするのだろうか?中国は敵対していた共産党と国民党が連携して抗日軍をこしらえました。その動きのかけらもないのはなぜなのか?」でした。

 個人ブログで「連合赤軍と新自由主義の総括」なるタイトルをつけ、10年以上前から考え続けてきました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat21222778/index.html
(連合赤軍と新自由主義の総括)

 最近読んだ2つの著作「「彼は早稲田で死んだ」(樋田毅・著・文藝春秋刊)と「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)を読みました。すべて解決したわけでもないですが、2つの著作は私の悩んでいた52年間とリンクしています。長い長いトンネルの出口のかすかな灯のように思いました。

 「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)の読書感想文です。一読して。重信房子さんは、「普通の生活者感覚のある人」「1960年代後半から1970年代初頭の激動の時代の渦の中にいた人ですし、著者の油井さんは、重信房子さんの生い立ちから家庭環境、学生生活も丹念に描いていますので、人物像がわかりました。

 私は最近はYouTubeで重信房子さんの出演する中東情勢を解説する番組を時折も見るようになりました。

「私たちがパレスティナへいったころは、旧ソ連の支援がパレスティナにあり、パレスティナの青年は旧ソ連で高等教育を受け大学に進学し医師になる人もいました。受け入れてくれる素地はありました。」

「イスラエルがレバノンに侵攻した1982年以降は、中東に居ずらくなりました。また旧ソ連が崩壊した1989年以降は支援も少なくなりました。」

「1995年にイスラエルとパレスチナの共存を国是としたラビン首相が暗殺されました。1996年に台頭したのがパレスチナ国家を認めないネタニエフでした。これ以降は対立と分断が始まります。」

 重信房子さんはYouTubeで明瞭に解説してくれました。なるほど。という感覚でいたところ、偶然友人が「重信房子がいた時代」を貸してくれました。「家内の親戚の人が書いたノンフェクション。手元に1冊しかないのを送る。読んだら返却してほしい。」とのことでした。

 稚拙な読書感想文です。印象に残った言葉を書き出しました。

「ねえ、あなた髪型かわったわね。」

重信房子は、私にそういった。アクリルの窓越しに手と手を合わせたあと、いきなり、

「昔はもっとボーイッシュで、すごく短かったじゃない。その印象が強いの井よ、それから目も変わったわね。ほら昔はもっと細かったじゃない。」

「しわが出来て、ふかくなったんですう」

 そんなことを返しながら、重信房子も、ただの、ふつうの叔母さんじゃん、と思うと笑いがこみあげてきた。

 ほぼ40年ぶりに面と向き合って、言葉を交わす、その話題がこんなとことから始まるとは、さっきまでの気鬱は何だったのか、と力が抜けた。」(40年振りの再会 P11)

「房子がアラブに向けて出国したのは1971年。赤軍派の結成は69年8月23日だが、その前から房子は大学を離れて党派活動に専念するようになっているはずだ。そのときから、私が房子と会う機会はなくなった。

 したがって、この再会葉41年ぶりでもあった。しかも親しくしていた時期は67年から68年にかけてのわずか2年足らずである。一緒に歩いた土地も、駿河台のせいぜい半径2キロぐらいのものだ。

 同志でもない私には、共有する記憶はわずかなものだ。この空白はどう埋めたらいいのか。そもそも埋めることはできるのか。話すこともなく、会話が途切れてお互い気まずい思いをするのではないか。ドラマや小説の再開のシーンを浮かべてなぞらえようとした。

 ところがいきなり髪型の話である。(中略)41年間の空白はあまりにあっけなく消えた。その41年前の事、今のこと、年相応のしみやしわ、白髪のこと。脈路なく話は結んだりほどかれたりして、わずか10分ほどの面会時間は終わった。

 帰りの電車の中で思い出した笑顔は、40年前と変わらなかった。目も口元も、学生時代と何1つ変わらなかった.」

「ねえあなたは誰が好きなの」房子は唐突に話しかけてきた。

  中略


 あのころ、汚い研(文学研究会)のサークル室で、彼女の白い肌はきわだっていた。ピンクの口紅がよく似合っていた。おっとりした問いかけだったが、いい加減な返事を許さない強さがあった。

 文学サークルで「誰が好きなの」と問われれば、あのころは、カフカ、カミュ、吉本隆明、埴谷雄高、・・。そして大江健三郎とたいていの学生は答えた。しばらく前まで高橋和巳が明治の助教授に名を連ねていたこともあり、よく読まれていた。実際に私たちの周りでは、文庫本になったばかり「散華」手に高橋勝巳の名を連呼しているものがいた。

 そんな中で、私が「谷川俊太郎とか富岡多恵子です」と答えたものだから、房子は、一瞬とまどった。私の言った詩人を知らないのだなと私は思った。ところが彼女はすぐに人なつこい笑顔でいった。

「えっほんとに。私も詩を書いているのよ。現代詩を。今度見せてあげる。あなたもみせて。」その時たまたま部屋に行ってきた男子学生を紹介しながら、私と彼の両方にいった。

「ねえNくん。彼女も現代詩ですって。Nくんは鮎川信夫をよくよんでいるのよ。「荒地」の詩人の井戦争体験や詩に惹かれるんですって」P14

 1967年・68年頃のブント系(社学同の影響の強かった明治大学の学生の傾向なのか、当時全共闘世代と言われた多くの学生たちの流行の読書傾向なんでしょう。

 わたしは重信さんより8歳、著者の油井さんより6歳年下です。67年・68年は田舎の中学生でした。1970年の高校2年生の時、高共闘をやっていた追手前高校の連中が吉本隆明がどうしたとか言うていました。私は田舎の高校生でしかも毛沢東主義者でしたので興味はありませんでした。
yosimoto
 1973年に大学へ入学して、入部した文科系サークルがブント系の傾向いうが強く、その時期に吉本隆明、埴谷雄高、高橋和巳、などを読みました。荒地の詩集も読みました。鮎川信夫もです。「自由闊達」という雰囲気でした。
ayukawahaniya
 1973年の夏ごろまでは、ノンセクトの学生たちの運動が、早稲田大学でもセクトである革マル派を凌駕するのではないかという勢いがありました。しかし夏休みが終わり秋になると革マル派は武装集団として「プロ化」し整然とした武装集団に変身していたようです。

「50人を超える革マル派が。背丈より長い鉄パイプを持ち、一斉に地面を叩いていた。最初は。ドン、ドンと間隔を空けてゆっくりしたテンポで次第にその間隔が短くなり、最後はドドドと地響きを立てるかのように連打した後、全員が鉄パイプを水平にして、雄たけびを上げながらスロープを駆け上がってきた。まるで戦国時代の合戦のようだった。あれほどの恐怖を感じたことはなかった。」

「革マル派の活動家達が文学部キャンパスに入ると同時に、リュックから三段~4段階の折りたたみ式の鉄パオプを取り出し、カチャカチャと音を立てながら組み立てていた。」
(P174「牙をむく暴力」彼は早稲田で死んだ」(樋田毅・著・文藝春秋刊より。

 結局組織化してきたセクト(党派)の武装集団に対抗するためには、セクトの武装集団でない対応できない時代となり、口論や論争で対立する相手をやりこめるのではなく、暴力行為で相手セクトの幹部を殺害する行為を繰り返すようになりました。

 思想の左右を問わず、「異論を排除し、時に暴力的に排除し、殺人行為もしでかしてしますことが常態化する。」異常さが52年前の日本の新左翼党派(セクト)にありました。これでは問題意識を持ち、デモや集会に参加しただけの学生一般は、ついていけるはずもなく、必然的に政治闘争、社会運動は日本社会から衰退し、広く支持を得ることが難しくなりました。「政治」に無関心な市民が増大し、「改革」を標榜する自民党清和会政治を容認し、格差社会を拡大することに結果として加担するようになりました。

 油井りょう子さんは、重信房子さんのご家族(両親や兄弟)や生い立ちなども丹念に記述されています。お父さんは若かりし頃、極右団体血盟団のメンバーでありました。15歳も年が離れた奥さんと結婚し、敗戦後は夫婦で食料品店を世田谷で開業し、懸命に家族力を合わせて生きていました。

 重信家の兄弟姉妹は皆成績優秀で大学進学をしたかったようでしたが、商業高校や工業高校に進学し、卒業し大手企業へ就職しました。重信房子さんも商業高校卒業後は、大手食品メーカーのキッコーマン醤油に就職しています。

 高校時代に文芸部に入部しました。自作の小説を書くだけでなく行動力もあったようです。

「高校時代には、武者小路実篤の「友情」を読み、その作家に会いに行った。そこで、作家に向かって「ヒロインの杉子は民主的ではない」などと面と向かって批判した。

 大作家は、台所でお茶の用意をいしている妻に聞こえるように、笑いながら大きな声で言った。「おい、杉子は民主的ではない、とここにいるお嬢さんがいっているよ」
 杉子という女性は、その頃の作家の妻がモデルだったからだ。批判したお嬢さん、房子のために大作家は色紙まで書いてサービスまでしてくれたという。」(文豪に会いに行く P41)

 単なる文学少女だけでなく、物おじしない行動力も備えていたようですね。感心しました。

 また重信房子さんの兄弟姉妹は地域社会の現実と真摯に向かい合っていました。

「先にもふれたが、房子の家の近所に朝鮮人の部落があった。近所の大人は,子供たちにそこへは「近づくな」とあからさまにいった。1950年6月から53年7月迄の朝鮮戦争の影響もあった。
重信房子がいた時代2_NEW
 しかし、房子の長兄が自転車に乗っていてチンピラに因縁をつけられたとき、一家を守ってくれたのは、この集落の人々であった。好奇心旺盛な房子達きょうだいは、関心を持って集落の人々の暮らしや、自分たちと違う風習を見つめた。

 春、桜の季節になると、集落の人々が、馬事公苑に繰り出すのです。そして、太鼓を鳴らし、手拍子をとって」にぎやかに歌い、踊っていました。華やかな服装とにぎやかな踊りと、ふだんの暗くくすんだような暮らしとの差が、あまりに大きいので、毎年、驚いてみていました。と房子は振り返る。」(P44「戦後民主主義の申し子」)

 わたしも小学校低学年時代に大阪にいました。経済格差がある地域でした。上流の家庭は、母親は女子大卒で専業主婦。子供にが大学生の家庭教師をつける環境。そのお母さんたちが「あそこへは行かれん」と言っていたのは地域内の朝鮮人集落でした。私は転校生でしたので両方の地域で友人がいました。

 朝鮮人集落のご両親は共働き家庭。母親は在宅せず、アパートの鍵を子供に持たせていました。「かぎっ子」という言葉を初めて知りました。うちの母も土地らの地域の子供も差別せず、おやつを出していました。重信家も健全な過程であったと思いますね。

子云う高3年生の時は「小さな親切運動」を夏休み返上で懸命にボランティアをしているところを新聞に取材され、記事になっていたそうです。

「このころの房子の活動は、あくまでもけなげな正義感からホームルームでリーダーシップをとるという範囲でしかなかった。外へ向かって行動し、発言しても、だれひとり傷つけるわけでもなく、自分も傷つかず、大人たちからも好意を持たれ、優等生のお嬢さんが、勉強と両立できる健全な活動の範囲だった。

 こんな生徒はどのクラスにもひとりはいたはずだ。こうしたかつどうがのちの「国際テロリスト」の萌芽と見ることは誰にもできないだろう。むしろ、戦後の民主教育が理想とした、貧しさに負けず、いわれなき差別に挑み、真っすぐ明るく頑張る女学生の姿そのものではないだろうか。」(P47[戦後民主主義の申し子」

 重信房子さんは1964年の高校を卒業し、キッコーマン醤油に入社されました。そして翌年「教師になりたい」夢をかなえる目的で1965年明治大学2部(夜間)文学部に入学されました。

 昼間は会社勤務。夕方は夜間の大学生。いろんな職種の学生がいて刺激になったようです。その後1960年代後半のうねりのような社会運動が世界的に先進国で起きましたが、サークル活動や自治会活動、社会運動の大波が到達してきて重信房子さんも影響を受けて、思想信条も変化して行きました。
重信房子がいた時代3_NEW
 1965年の日韓闘争、学費値上げ反対闘争、1966年の各大学での全共闘運動やベトナム反戦闘争、1967年、1968年頃には、社学同(ブント系)の運動に影響されていきました。

「集会やデモに房子は参加していた。しかし房子は表には立たず、つねに「救対」であった。応急処置をする包帯や赤チンの入った救急箱を手にして、セクトを超えて救援に(救護)対策にはしりまわっていたのである。デモの後ろにいて、傷ついた学生や労働者を手当てする。それは明治の学内や関係者に限らなかった。」(「救対の重信」P86)

 また闘争は思い付きで始まる。「1968年6月21日で社学同の委員長のMがパリのカルチェラタンのようなものだ。やれるのはやはり明治だろう。中央では社学同集会やって呼応させるから」

 明治大学の学館から長い机を運び出し、御茶ノ水駅から駿河台へ通じる明大と売りに並べてバリケードを築こうというのだ。車の往来の激しいそのとうりの真ん中に机を置くのだ。

 中略

 またたく間に開放空間が出来上がりました。早速「解放区」「反安保・反戦の砦。神田カルチェラタン解放中」などの立看板を御茶ノ水近くの道真ん中に立てました。」(神田カルチェラタン P104)

 記述されている文字をなぞっていても楽しい。ほんのわずかな時間でも「解放区」が出来たことが楽しいです。社会運動や闘争は明るく他の良くないといけない。

油井さんはこう記述しています。「房子が熱い思いで振り返った神田カルチェラタン闘争。社学同が掲げ、現思研がリードし、市民を巻き込んだ、この戦いの熱気はいったいなんだったろうか。あの時代の闘争の1つだったのだろうか、それともまぼろしだったのか。あの時代に、あのキャンパスにいた一人として、私は、遠い日の物語であり,やはりまぼろしだったのだとしか思えない。」(P104)

 幻であれ何であれ、「解放区」を日本で大学構内ではなく、神田の路上で体験したことは羨ましいです。そういう体験を私はしたかったです。後にも先にもそういう「解放区」は日本史ではなかったと思います。

また重信房子さんの父親の重信末夫さんは、青年時代血盟団の筋金入りの右翼青年でした。1967年の羽田闘争の顛末を家族に熱く語る房子さんに末夫さんはこう言われたとか。

「房子本気で革命をやるなら、あのようにやってはいかん」

 中略

「本気で革命をやるなら、まず民心を重んじなければならぬ。民族の心を知らぬ者が世界革命を唱えても、それはコスモポリタンにすぎぬ。
 井上日召は1人1殺主義と言われているが、そうではなく、1殺多生は1人ではできぬ。」(「父よ娘の革命」P113)

「革命とは死ぬことを見つけたり」と思っているんだ。革命の途中で死ぬのはやむをえない。同志の死は革命の捨て石ですよ。捨て石がなければ革命なんかできないのいだから。
 
一般市民の死、負傷はやむをえないことである。革命をやる以上犠牲者はでるのはしかたがない。

 ただし、内ゲバをやるような下衆な根性では革命が出来るのか。出来や市内四・そんなもの」と吐き捨てている。」(PO1269

 やはり本物の革命戦士には、内ゲバは堕落であり、排すべきものであるという真摯な心意気があります。本物ですね。

 大学では1969年は全共闘運動が退潮し、学生運動が変質し始めた時期だったようです。油井さんによりますと重信房子さんは、キッコーマンは1年半ぐらいで活動と両立は難しいということで退社されましたが、サークルに活動、学生運動、アルバイトの多忙な日々でありながら大学は4年で卒業、しかも教職課程も取得していました。更に政経学部3年に学士入学しています。それは専従のプロのセクトの活動家ではないと大学当局が判断したからでしょうと油井さんは記述しています。

 教師になりたかった重信房子さんですが、取り巻く状況はそれを許さないようになっていったようです。1969年に全共闘運動の衰退もあり、ブントのなかで「武装闘争」を主張する関西派が台頭し赤軍派を結成します。

 1969年11月に武装訓練をすると大菩薩峠の福ちゃん荘に集結していた赤軍派主力部隊50数名が全員逮捕されました。

 1970年3月に田宮など9人の赤軍派がよど号をハイジャックし北朝鮮に飛びました。本当の目的はキューバでしたが北朝鮮は寄り道でした。「俺たちは明日のジョーになる」という漫画的な事件でした。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-647d.html
(個人ブログ「われわれは明日のジョーである」2009年5月4日)

 1971年2月に赤軍派の1部と毛沢東主義者の京浜安保共闘が合体した連合赤軍があさま山荘事件を引き起こし、無残な仲間殺しが露呈されました。重信房子さんと明大二部文学部で親友だった遠山美枝子さんは惨殺されました。

 重信房子さんは1971年3月に中東のベイルートに到着されていました。


WIKIPEDIAで検索しますと「日本赤軍」の活動履歴が出てきます。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B5%A4%E8%BB%8D#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B5%A4%E8%BB%8D%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8F%8D%E6%84%9F%E3%81%A8%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%81%AE%E5%85%88%E7%B4%B0%E3%82%8A

 記述は不確かな部分もありますが、「活動年表」的なものがないと、なにせ50年から40年前の出来事なので、こちらも記憶が定かではないので、事実誤認は避けたいので、検索してみました。

 1969年頃からノンセクトの広範な社会運動(全共闘運動)が退潮傾向になり、70年安保闘争はセクト主導になりつつありました、革共同中核派、革マル派、社青同解放派、ブント(共産主義者同盟)は分裂し、戦旗派、叛旗派、ML派、赤軍派などに分れつしていきました。

 記憶が正しければ赤軍派は「前段階武装論」とか「国際根拠地論」にもとづいた武装闘争優先の党派でした。ですが主力部隊と幹部の大半が1969年の大菩薩峠のふくちゃん荘の合宿所で逮捕されました。

 1970年の「残党の」田宮ら9人がよど号をハイジャックして北朝鮮経由でキューバへ行く予定でした。「国際根拠地論」に戻付いて行動であったgと思います。

 国内に残された赤軍派の中堅幹部の森恒夫は、思想信条の全く異なる毛沢東主義者集団の京浜安保共闘と結託し、連合赤軍を結成し、「国内山岳アジト」で、日本国内での武装闘争を仕掛けようといしていました。

 最高幹部絶対主義と些細な主張の違いを許さず「総括」と称して、仲間にリンチを加え殺害する行為を繰り返していきました。「神田カルチェラタン」のおおらかさなどみじんもない、息苦しい閉ざされた閉鎖組織になってしましました。重信房子さんの明大時代同じサークルで親友だった遠山美枝子さんはそのなかで惨殺されました。

 1971年3月に重信房子さんたちは「国際根拠地」を求めて少数の仲間たちと中東ベイルートに居ました。1970年代は、ハイジャックや武装闘争など「日本赤軍」は活動を激化させた時代がありました。

 何故アラブなのかは油井さんも含め文研や明治大学の仲間たちもさっぱりわかりませんでした。その理由を油井さんはこう書かれていました。

「なぜが、少しずつわかるようになったのは、04年の房子の公判を通じてだ。房子は、1月27日の第40回公判で述べている。

「(よど号事件に関連して)逮捕されて出てきた後、実際には、もう自分にやれることは余りないな、やめようかなということで、迷惑ばかりかけて力になれないから、もう1回学校へ戻ろうかと思ったんですけど、もっとひどいというか、誰もいなくなってる状態でだったんで、ぜひ国際部を引き受けてほしいと、国際部のキャップに言われまして、それを手伝うという形で協力しましyた。」(P147「国際根拠地づくり」)

 中略

「そしてなぜアラブだったのかと弁護人に重ねて問われて、房子はベトナムと比較して答える。ベトナムは陣地もあり。国家という後ろ盾もある戦いであり、義勇兵として参加を希望したものに対しては、自国の帝国主義と闘ってくださいという立場をとっていて、それは1国の革命解放で完結していく戦いであった。

 しかしパレスティナ問題というのは知れば知るほどい、世界革命なしでは解決できない。で、世界党、世界赤軍、世界革命戦線というように主張してきた赤軍としては、まさにパレスティナの戦場を戦いの根拠として、世界は新しくうまれかわるんではないかと、そういう非常に大きなインパクトを持ったイメージに受け止めました。」(P149)

 結果的に赤軍派の「国際根拠地論」を「まがりなりにも」「見える化」できたのは、重信房子さんが国際部をしぶしぶ引き受けたからであったと思います。

 「あとがき」で重信房子さんはこう述べています。

「読みながら思いました。面会でもそうだけど、40年の断絶を経て会う旧友たちとは一瞬にして時間を飛び越えてしまいます。何10年経っても人と人との関係の在り方は変わらないな、と。

 姉からみたらわたしはいつも妹であり、大学時代の仲間からすれば、私は世話好きの女学生の枠を出ていません。上級生から見れば、ひたむきなあぶなっかしい下級生であり、下級生だった旧友かられば、楽しくくっついて行ったら、とんでもない目に遭わせた先輩です。

 「出所したら文句を言わないといけないから、みんなお互いにいきていこうぜ!」などといって、「土曜会」をつくって、この10年、わたしを支えてくれています。未来やこれからを語るときは一緒に並んでいるのイに、過去も今も関係性は、そのままです。それが居心地がよくて超えられないし、また超えるきもないのですけれど。」(あとがき P234)

 1974年に主パンした本の前書きで重信房子さんはこう書かれていました。
「普通に生きている女の子が、妥協しないで自分に忠実に正しいと思ったことを追いかけてきたらここ(アラブ)に来た。
 自分に忠実である事であることが”青春”なら、”青春”とは権力者に言わせれば”犯罪”のことになったしまう。

 死ぬまで”青春”を堅持する私は、だから”犯罪者”だ。死ぬまで”革命”を堅持する私の意思は、”犯罪”なのだ。」

 読後感は「爽やか」でした。世話好きな女の子が、精一杯奮闘しているうちに、国際根拠地づくりでアラブの地へ行っていたという実話ですね。活動家時代も殆どが裏方であり「救対の重信」でした。セクトの上層部や幹部が誰もいなくなり、自分が引き受けてセクトの「国際根拠地」づくりを実際にアラブの地で「見える化」しました。

 実際にはテロ行為やハイジャックなどの罪を問われ、懲役20年の実刑を受け、2022年5月28日に出所されています。

 素晴らしいのはかつての学生時代のお仲間たちが「土曜会」というグループをつくりなにかと重信房子さんを支えてきたこいですね。「出所したら文句を言わないといけないから、みんなお互いにいきていこうぜ!」という趣旨はすばらしいです。暗さのみじんもない。


 本を貸していただき送付までしていただきました梅原孝司さんに御礼を申し上げます。高校生時代から52年間鬱鬱グズグズ考えてきた「連合赤軍と内ゲバの克服する処方箋」が、ようやく「見つかった」きがします。ありがとうございました。

 また筆者の油井りょう子さんにもお礼を申し上げます。わたしは外周にいた渦の外側で悪影響を受けた1人ですが52年間悩んできました。「土曜会」の皆さんのように明るく、言いたいことを言えるような仲間が大事である。家族も地域社会も大事であると思います。

2024年5月30日 (木)

沖縄・ガザ問題講演会と討論会

gazokinawa
 2024年5月26日ですが、高知市真剣啓発センターで開催されました「沖縄・ガザ問題講演会と討論会」(主催パレスティナと沖縄連帯集会実行委員会)へ家内と2人で行きました。発言者は具志堅隆松さん(沖縄戦の遺骨収集「ガマフヤーの会」代表と、岡真理さん(早稲田大学教授・現代アラブ文学)でした。

 母の在宅介護とコロナ禍もあり、この種の集まりに参加したのは数年ぶりではないでしょうか。アウエ-感満載の講演会でしたが、沖縄出身の家内と聴講しました。印象に残った発言を記述します。
kenpouakuyson
「那覇市南部からも先の大戦の犠牲者の遺骨が大量に収集しました。ヘルメット姿の頭蓋骨もあります。辺野古の埋め立て土砂に使わないでほしい。と6月18日に政府に要望します。使わないことを確約してから6月23日の沖縄慰霊の日に岸田首相は来ていただきたい。」

「沖縄の現実は明日の日本全体。高知県でも3つの港湾を自衛隊が使用するとか。そこは攻撃対象になります。自覚していただきたい。」

「防衛局が米軍をガードしています。邪魔ばかりしています。」

「玉城沖縄県知事は中国を訪問し、沖縄のミサイル基地は中国に対するものではないと説明しました。政府も熱心に説明すべき。」
「周りの不条理を正さないと自分の不条理も正せない。」と具志堅さん。
DSCN4872
 岡真理さんは
「イスラエルがしていることは大量虐殺であり、民族浄化であり、アパルトヘイトであり、文化の破壊です。ガザにも4000年おい歴史があり、歴史遺跡も破壊しています。」

「ガザの人達は長年経済封鎖され、生きながらの死を強要されています。

「国際社会はイスラエルの非道に有効な手が打てない。そればかりかアメリカや欧州諸国の多くはイスラエルを支援している。」

「アメリカの学生たちがイスラエルの非道さに怒り、自国政府と企業を批判し、おおきなうねりをおこしています。期待が持てます。」
DSCN4879
「声を大きくして行動しないとけいけない。何も知らない知る努力をしないと自分たちも加害者側になります。」

「ガザの復興工事の請け負いをイスラエルがやるというのは間違いではないか。」という指摘もされました。
 事前にYouTubeで重信房子さんのガザ問題のお話を聞き予習していました。複雑怪奇な問題ですね。勉強になりました。主催者の皆様ご苦労様でした。
DSCN4883

その他のカテゴリー

120%の体力 2013年参議院選挙 2015年昭和秋の感謝祭「 2016安芸市合同防災研修会 2016年参議院選挙 2016昭和秋の感謝祭 2017衆議院選挙 2018年昭和秋の感謝祭 2018年高知県県知事選挙 2019年参議院選挙 2019年高知市長選挙 2019年高知県知事選挙 2019年高知県議会議員選挙 2019高知市議会選挙 2022年サッカーW杯 2022年参議院選挙 2022年沖縄県知事選挙 2023年二葉町総合防災訓練 2023年参議院補欠選挙 2023年高知市長選挙 2023自民党政治資金疑惑 2024nen 2024健康診断 2024兵庫県知事選挙 2024年の備忘録 2024年は猛暑? 2024年東京都爺選挙 2024年東京都知事選挙 2024年米国大統領選挙 2024年総合防災訓練 2024年衆議院議員選挙 2024総合防災訓練 2024能登半島地震 2024自民党総裁選挙 2025下知文化展 2025仁淀川町防災キャンプ 2025参議院選挙 2025大阪万博の防災対策 2025総合防災訓練 2025自民党総裁選挙 2025防災人づくり塾 2026W杯アジア最終予選 30年以内に起きる事故や災害の確率 3・11ミニ慰霊祭 52年目の覚醒 70歳代の大人の遠足・同窓会 79回目の原爆慰霊日 AI作成の迷惑メール? AI覇権は電力次第 BCP(事業再構築計画)推進 BMI 22 DMATの役割の変化 DUKE50周年記念コンサート EVのけん引役は軽 EVは環境にやさしくない? EV自動車 EV車が環境に負荷? EV車の未来は? EV車は普及しない JICA下知地区研修 JICA研修生の皆さんとの意見交換会 monnbasu2024 NHK南海地震対策特集番組 NHK高知放送局 NPO高知減災ネットワーク会議 SNS禁止法案 SOSカード SUP体験日誌 tyosimasa U23アジア杯優勝2024年 USAIDの閉鎖は罪悪だ W杯カタール大会2022 W11の不便さ あんぱんのロケ地 あんぱん・戦争編の重苦しさ いの町水害・土砂ハザードマップ おくだけトイレ おすすめサイト おぞましい極右政権 おんぶらっく おんぶらっく大人用 お金をほしがる有権者がいる? なでしこジャパン まちづくり条例見守り委員会 むなしさの味わい方 やなせたかしさんの功労 やなせたかしさんの功績 やなせたかしさんの文学的影響力 やなせたかしさん・著作本 やなせたかしさん高知での実績 よさこい祭り アジアサッカーの地殻変動 アナフィラキシーショック アマノ製無人駐車場の故障 アメリカの世紀の終焉 アメリカの衰退と世界不況の到来 アメリカ帝国の没落 アメリカ政治の異常さ アンパンマンミュージアムと詩とメルヘン館 イスラエルVSイラン戦争 インド映画 ウクライナ問題 エアーバック式担架 オアシス再結成 カップヌードルミュージアム カツオが不足気味とか カツオ不足の影響 カラー・ユニバーサルデザイン カンボジアはIT先進国 クーリングシェルター グダグダ政治のG7 ゲバルトの杜・彼は早稲田で死んだ コミュニケーション能力 コロナ感染療養日誌 ゴミの不法投棄対策 サイエンスカフェ サイバー対策で取引先選別 サイバー攻撃対策 サッカー観戦日誌 サッチャー2世の運命 サポート詐欺 サンリオ・ビューランド シニアは労働力 シネマネコ スフィアの現実化 スフィア基準 スマホの機種変更 スマホビジネス スマホ依存症は危険 スマホ活用防災講座 スマホ活用防災講座2024 スマホ活用防災講座2025 スマホDEリレー スマホSOS通信 スランプ セーリングは脳幹トレーニングに最適 タモリステーション南海地震対策特集番組 ダブルスタンダード チョ・ホンリさんの被災地支援活動 テトラ投入は津波には無力 デジタル全体主義 デジタル防災無線 トイレ対策 トカラ列島群発地震 トラック物流問題 トランプ関税 トランプ関税の弊害 トランプ関税への各国の対応 トンボ自然王国 ドン・キホーテ出店問題 ニュース ハイパーレスキュー艇・シーレックス バリアアリー住宅 パソコンの臨終とデータのコピー パソコン・インターネット ヒト型ロボット100億台 ヒューマンネットワーク ビートルズ世代 ピアフロート(浮体物) ピースウィンズ・ジャパン ファクトリーチェック フードバンク プレゼンの方法 ペット ボブディランの映画 マンション防災会の防災訓練 メガネの走行テスト モバイルバッテリー ユニバーサルな防災・減災対策 ヨットと人生 ヨットは脳幹トレーニングに最適 リハビリ・ウォーキング レッド・ツェッペリン レトルト玄米長期保存食 ロック音楽の元祖 ロープワーク ロープワーク2025 三好市との交流 下知コミュニティ・センター防災部会 下知中小零細企業BCP研究会 下知交番だより 下知交番との協働 下知図書館建て替え問題 下知地区防災計画 下知地区防災計画・ブロック会 下知地域コミュニュティ交流事業 下知地域内連係協議会 下知市民図書館改築問題 下知排水ポンプ場 下知文化展・コンサート 下知減災女性部会 下知減災弥右衛門部会 下知減災連絡会 下知町内会連合会 下知防災紙芝居 下知CC水防対策 不当要求責任者講習会 不燃物・仕分けステーション 不燃物・資源仕分けステーション 世界1の自動車大国・中国 両下肢蜂巣炎 両親の供養 両親の墓参り 中国製造業の躍進 中土佐町との交流 中宝永町自主防災会 中宝永町防災キャンプ2025 中村哲さんの偉大さを示す映画 中道改革連合 事前復興まちづくり計画 事前復興・防災講演会 事前復興対策ランキング 事前復興計画に策定作業 事業継続力強化計画 事業継続力強化計画セミナー 事業継続力強化計画支援セミナー 事業緑強化計画支援セミナー 二居住生活の現実化 二液型エポキシ塗料の硬化剤の選定条件 二葉町のごみ問題 二葉町ゆかりの巨匠 二葉町内防火対策 二葉町町内会 二葉町町内会お花見慰安会 二葉町町内会・防虫・清掃 二葉町町内会防虫・ごみ拾い 二葉町総合防災訓練2020年 二葉町総合防災訓練2013年 二葉町総合防災訓練2019年 二葉町総合防災訓練2021年 二葉町総合防災訓練2022年 二葉町総合防災訓練2023年 二葉町自主防災会行事 二葉町自主防災会2024年事業計画 二葉町資源・不燃物スターションの設置 二葉町防災マップ 二葉町防災世帯調査 五台山・市民農園 五台山2次避難所構想 五台山2次避難構想 人助けの国際貢献 人助けの国際貢献を! 仁淀川整備計画の変更説明会 仁淀川町への広域避難訓練 仁淀川町への疎開(広域避難訓練)が全国報道 仁淀川町ー二葉町との交流事業 仁淀川町防災キャンプ 仁淀川町防災キャンプ2025 今年はヨット40年目 今治市防災士会・連合防災部会との交流 今野清喜さん講演会 介護入門講座 介護研修講座2024 令和5年度高知県南海トラフ地震対策優良取組事業所認定制度・認定書交付式 企業BCP 企業の災害対策 企業の社会貢献 企業版ふるさと納税 企業BCPs悪 企業BCP策定講座 伝える力の重要性 低レベルの日本IT産業 低温火傷 住宅着工戸数と空き家の戸数 体力ドックという仕組みはいい 体成分分析 何でも言える同窓会は宝物 保存食・保存食材 保育所のミスマッチ 保護貿易時代の経済 個人ブログの意義目的 偉大な日本人・中村哲さんの映画 健康寿命 健康寿命の延伸 健康寿命の延長 健康維持には散歩は最高 傷害のある方たちとの協働 先祖供養の大事さと困難さ 先駆者の逝去 免許の更新 公共 公共インフラの維持管理 公共交通のありかたについて 公共避難施設の食料備蓄 公明党の連立離脱 共感経済という概念 兵庫県立大学青田良介先生 内臓脂肪レベルの低下 内閣府・地区防災計画フォーラムIN仙台 内閣府地区防災計画 分譲マンション建て替え問題 副市長人事案件2023年 加山雄三さんは凄い 劣悪な日本の避難所事情 北海道地震(仮称) 医療・介護情報の共有化の必要性 南海トラフ地震臨時情報 南海トラフ巨大地震新想定 南海トラフ巨大地震注意 南海トラフ巨大地震臨時情報・注意 南海地震情報 南海地震特集番組 南海地震関係 危機管理の意識 危険な大型雑貨店 原子力災害 原爆慰霊の日 参政党の躍進の分析 参議院徳島・高知合区補欠選挙2023年 反米から親米への転換策 受援力向上セミナー 受援力(支援を受ける力) 口腔ケアの重要性 古家の解体 台湾と中国の関係性 台湾は防災対策の先進国 台湾問題 台湾問題の悩ましさ 台湾有事問題 台湾気象庁職員の方が来訪 台風・大雨対策 台風対策 台風情報 右手薬指の裂傷 吉正7回忌 名取市閖上地区との交流 名古屋大学・室井研二准教授 名古屋市南区・白水・星崎地区 名物店イトエが亡くなりました。 嚥下障害改善食 四国巡業 国政との関連 国民政党自民党の終焉 国語力・読解力の向上 国際信号旗 在日外国人の虐殺事件 在日外国人問題 地区防災計画学会・高知大会2018 地域コミュニュティの確認 地域コミュニュティ紙閖上だより 地域学概論 地域警察との連携 地方紙の衰退を憂う 地震での基礎杭の折れ 地震で傾く基礎のリスク 地震保険 坂本茂雄さん県政かわら版 坂本茂雄・県政かわら版 坂本茂雄県議県政かわら版 城東中吹奏楽部演奏会 堀川浮桟橋 堀川浮桟橋の修繕 堀川浮桟橋の滑り止め対策 報道関係 夏休みラジオ体操 外国人との共生社会の実現を 外国人との明るい共生社会 多様性を許容する社会 夜須沖からの津波避難 大の字泳法 大成功の仁淀川町防災キャンプ 大相撲の面白さ 大都市部の不思議な慣習 大阪の衰退 大阪万博の問題点 大阪北部地震2018 天安門事件から35年 天皇家と靖国神社 天皇皇后夫妻の動向 太陽灯LED照明 失われた30年 女性の視点(生活者)の視点 女性リーダーのありかた 女性部会の必要性 学生運動・社会運動の効用 学識者・大学関係者 學校安全対策課 安芸市合同防災研究会 安芸市防災連合会との合同研修会 安野光雅の世界 安青錦の活躍は励み 実践的な防災講演会 室井研二先生 宮沢和史コンサート 家具転倒防止対策 家具転倒防止対策支援事業 家具転倒防止講習会 家屋の手入れ 容量オーバーを嘆く 富裕層向けホテル 対面高速道路の恐怖 岡本正弁護士著作物 岡本正弁護士講演会 岡村眞先生・江ノ口講演会 岡村眞先生・講演会 岡村眞先生講演会 岸田文雄首相の退陣宣言2024 左翼の衰退はなぜ? 巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体 差し込み型移転 市民と作る防災フォーラム2025 市民目線での減災対策 帯状疱疹 平和を堅持する天皇家 平和大使としての天皇家 平成28年度下知地区防災計画 年に1度の健康診断 年末年始のごみ対策 年賀状終いについて 広域地域間連携 広域疎開への執着 広域避難生活の困難さを伝える記事 広域避難訓練 広報下知交番 広報下知減災 広報下知減災36号 広島への原爆投下80年 廃校後の活用法 弥右衛門公園の防災機能? 弥右衛門公園防災フェア 彼は早稲田で死んだ 復旧・復興は簡単ではない 復旧・復興対策 徳島県総合防災訓練2024 徳島県美波町との交流 心と体 心身のリラックス 性加害問題 怪人・渡辺恒雄氏の逝去 恵比寿堂は3つの神様が同居 悪路走行可能なキャタピラー台車 悪路走行可能な台車 情報セキュリティ対策 情報伝達手段 情報伝達訓練 情報班 感染症対策 戦争災害 戦後80年談話 戸籍年齢・身体年齢・精神年齢 手結福島・南地区自主防災会 折りたたみ式ベットとエアーベット 折りたたみ式ベット7台設置 排泄(排尿・排便)ケアの必要性 揺れ対策 損保会社の動向 携帯・デジカメ 摂食嚥下障害 放射線測定器 政治の金のシビアな問題 政治家の妄言 政治家の学歴詐称問題 政治資金問題 救命艇エアーボート 救急救命法 敗戦後80年に思う 教え子を戦場に送るな!! 散歩の効果 散歩の効用 文化・芸術 文藝春秋6月号 新しい生活習慣(その2) 新型コロナウィルス感染症 新帝国主義時代? 新潟中越地震の教訓 旅行・地域 日本の向こう3軒・両隣 日本の裁判官 日本も連立政権時代に 日本国憲法の再評価 日本国憲法の重要性 日本政治のカオス 日本政治はカオス 日本経済新聞コラム 日清食品・完全メシ 日米地位協定の改定 日米地位協定の改定を 日経のコラムは面白い 日記・コラム・つぶやき 日銀・新紙幣発行の意義目的は? 日韓親善 明仁天皇と平和主義 映画「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」 映画「スープとイデオロギー」 映画「宝島」のパワー 映画「戦雲(いくさふむ)」 映画ボレロ永遠の旋律 映画・テレビ 映画・福田村事件 春子ロス 昭和南海地震 昭和南海地震の記録 昭和南海地震79年 昭和小学校の防災学習 昭和小学校の防災教育 昭和小津波避難ビル巡り 昭和小津波避難ビル巡り2025 昭和小防災オープンディ 昭和校区地域内連係協議会準備研究会 暑熱順化 暴力追放運動 書籍・雑誌 木製歩道のメンテ 本調子の出ない日々 東京五輪・パラリンピック2021 東京五輪・パリ五輪のあり方 東京近辺見聞録2014年(1) 東北被災地交流ツアー 東日本大震災の罹災地から学ぶ 東日本大震災の震災遺構 核融合発電 極右政権はNG 横浜市の風景 横紋筋融解症 橋本笙子さん講演会 正院町の実践に学ぶ 歯の健康維持 母を支援いただいた皆様へのお礼 母ショートスティ 母デイケア 母・春子の供養 母・春子健康情報 母・春子在宅介護日誌 母・春子3回忌 母・細木病院入院 母春子の祈祷 母春子の1周忌 母西村春子・介護日誌 毛様体筋 気象庁情報の正確な伝達 気骨の自民党議員・村上誠一郎さん 水上温泉雪景色 水道管凍結防止対策 水難救助訓練 江戸時代の識字率 沖縄の貧困 沖縄・ガザ連帯集会 沖縄基地問題 沖縄返還50年 沖縄返還52年目 沖縄返還53年 河瀬聡一郎氏講演会 治す介護の推進を 津波浸水仮想救助訓練 津波避難ビル 津波避難ビル巡り2023 津波避難施設について 津波避難訓練 浦戸湾三重防護整備異業 浦戸湾1周ウォーキング 海からの受援を 海からの高台避難 海での防災対策 海の散帆 海の散帆の効用 海上都市構想 海鮮・串揚げの店・火の鳥 浸水対策備品 浸水時救命艇 深層地熱発電システム 温暖化と異常気象 滑る堀川浮桟橋問題 漫画甲子園 火葬と土葬の共存 災害に強い熱源としてのLPガス 災害ケースマネジメント 災害ボランティアセンター 災害大国・日本 災害対策に損保の活用 災害後の住宅再建 災害後の速やかな対応 災害時の医療支援のありかた 災害時の食料確保 災害時の食糧支援事業 災害時国際貢献・支援 災害用伝言板 災害食とカップヌードル 無人精算機の故障が改善 無責任企業アマノの無人精算機 熊本地震関連2016年 燃料デブリの取り出し 父吉正の7回忌 爽やかな経営者 牧野富太郎と植物 牧野富太郎の偉大さ 犠牲者0を目指す黒潮町の地震・津波対策 献血の検査結果 献血定年 現地調査・表敬訪問 生活を再建する活動 生活習慣病予防健康診断 生涯現役の先人 産経新聞の印象操作記事 町内会と街路灯 町内全世帯配布 略奪文化財 略奪文化財の返還 疎開保険 発泡スチロール板 白内障と目の病気 目のメンテナンス 目指せYA体 県内大学防災サークル 県教職員友の会作品展 県教育委員会学校安全対策課 県東部巡回 県立大学地域学概論 真備合同研修会1210 真備町関係者との交流 眼の療養と社会復帰 眼鏡がいらない生活? 眼鏡による視力調整 眼鏡の調整は難しい 石像と石碑 石破VSトランプ会談 研修会・講習会 硝子体切除術 社会性を持たせてしゃべる 神戸市長田区鷹取との交流 神戸市長田区鷹取東地区との交流 福祉事業所との防災連携 福祉防災を学ぶ 禿鷹大手資本の高知進出 私の腰痛 科学で説明できない人間の体 窓ガラス飛散防止講習会 立体換地 立憲民主党代表選挙2024年 精神分析の基本 紙媒体 紙媒体・二葉町防災新聞 紙媒体二葉町防災新聞 紙媒体二葉町防災新聞10月号 終活セミナー2024 終活セミナー2025 経済・政治・国際 経済低迷の打開策 統一教会問題 総合防災訓練の課題と希望 総合防災訓練2025 美波町自主防災会連合会 美貌と人生 老人力 老木倒壊の危険性 老舗飲食店の閉店は悲しい 耐震護岸工事 耐震貯水槽活用問題 聴覚障碍者との情報共有 育児 能登半島地震 脂質異常症 脱水症対策 脳が浸疲れる。脳が追われる。 脳ドック診断・脳トレ 脳幹トレーニング 臨時情報 自主防災会の交流事業 自主防災会同士の交流 自民党の常識・社会の非常識 自民党の常識・社会の非常識2025 自民党の自壊現象 自民党支持者の悩み 自民党総裁選挙2025 自民党裏金問題 自治体との協働 自然災害と企業の法的責任 自然高台津波避難場所 自衛隊の救助訓練 芸術の鑑賞 若いアーティストの台頭 苫小牧不燃資源ステーション 蓄光塗料 藤子不二雄・Fは大天才 藻谷浩介さん講演会 藻谷浩介著作集 蜂に刺された 被災者支援ソーシャルワーク研修 西山謹吾氏講演会 西日本豪雨災害・真備町 西村吉正・春子服薬情報 西村春子逝去 西森酒店の閉店2025 要介護は突然に 要支援者用食材 親しい人の葬儀は辛い 観天望気・日常の観察と天気予報 訪問看護 認知機能検査 認知症の早期発見・早期治療 認知症の早期発見対策 認知症症候群関連 誤嚥性肺炎対策 警察広報 豊後水道地震 象徴天皇制 財政破綻は国の滅亡 起震車体験 超高齢化社会の問題 超高齢者の事前減災対策 身近な野菜で防災食 車椅子利用者の参加 軍拡と平和 転ばぬ先の介護 輪島朝市とゆりあげ朝市との交流 輪島朝市・ゆりあげ朝市の連携 近江商人の先見性 進化する学校防災教育 過脂肪体質 過脂肪症 道路の段差問題 遠地津波 遠地津波への対応 避難人形の展示 避難所の改善 避難所の食事問題 酷い物忘れ 里見和彦・著「定年のデザイン」 重信房子がいた時代 鍵谷一先生事前復興・講演会 長嶋茂雄さんご逝去 長期浸水救助救出計画 長者キャンドルナイト 長者キャンドルナイト2025 閖上だより 閖上だより21号 閖上だより22号 関係人口 関東大震災から100年 関東大震災時の朝鮮人虐殺 阪神大震災30年の集いと慰霊祭 防災サロン10月 防災マップづくり 防災世帯調査 防災備品の管理 防災備品整理棚 防災啓発懇談会 防災啓発用 防災啓発用映画 防災啓発番組 防災士 防災対策予算減額 防災対策先進地黒潮町 防災専門職の行政配置 防災庁の設置 防災庁の設置問題 防災炊き出し体験訓練 防災炊き出し訓練 防災用品展示会 防災省構想 防災紙芝居 防災紙芝居プロジェクト 防衛費GDP5%増は無理筋 防錆対策・防錆塗装 防錆管理士の視点 阿部晃成さん講演会 陸上自衛隊手漕ぎボート 雄良運転手50年 雛人形の展示 雨合羽と散歩 雪道・凍結道・高知自動車道路対策 電源の確保 電話を恐れる若者 震災語り部管野和夫さん 靖国神社を考える 非常備蓄用ミキサー粥 靴底消毒 音楽 音楽文化 音楽文化の殿堂 音楽業界 食事情報 飲料水の備蓄 養老・藻谷対談 首筋の激痛対策 首筋療養対策ベット 香南市手結・福島・南地区 高学歴のインドネシアの若者 高市発言による経済損失 高市発言の家紋 高松市1万人アリーナ開所 高知HOTARUプロジェクト 高知の結婚披露宴 高知の製パン事情 高知の観光資源? 高知大学との協働事業 高知大学防災すけっと隊 高知市みどり課 高知市事前復興計画案 高知市地域コミュニティ推進課 高知市地域防災推進課 高知市政 高知市津波SOSアプリ 高知市社会福祉協議会 高知市総合防災訓練 高知市自主防災組織連絡協議会 高知市議会 高知市長との意見交換会 高知市長との意見交換会資料2015年 高知市防災士会連絡協議会 高知市防災政策課 高知新聞・声ひろば投稿文 高知県の中山間部 高知県下の自治体の「広域避難」 高知県初の疎開(広域避難)訓練 高知県危機管理部 高知県土木部 高知県地産・地消課 高知県政 高知県看護協会 高知県立大学との協働 高知県議会 高知県高校生津波サミット学習会 高知県高校生津波サミット2023 高知県高校生防災サミット 高知警察署下知交番 高知HOTARUプロジェクト 高知JC70s融年 高齢者は成り行きではだめ 高齢者・認知症対策 高齢者運転免許講習会 黒潮町の事前復興まちづくり計画 黒潮町合同研修会2025 1・17ミニ慰霊祭 1票の格差是正で地方は消滅に 2地域居住の推進の手引き 2拠点居住 2013年SUP同窓会 2015年統一地方選挙・県議・市議 2016W杯アジア最終予選 2016年の決意表明 2016年熊本地震 2016年熊本地震関係 2021年衆議院議員選挙 2023年東京見聞録 2023年県議会議員選挙 2023年高知市議選 2023年高知市長選挙 2024年アメリカ大統領選挙 2024年二葉町総合防災訓練 2024年防災キャンプの中止 2024種議員選挙の予測 2024総合防災訓練・参加者分析表 2024能登半島災害 2024韓国の戒厳令騒ぎ 2025仁淀川町防災キャンプ 2025参議院選挙 2025年サッカーW杯アジア予選 2025年・決意表明 2025年南海トラフ巨大地震被害想定 2025年重大な出来事 2025総合防災訓練 2025自民党総裁選挙の意義目的は? 2026年衆議院選挙 24時間型資源・不燃物ステーション 50年続くサークルの交流 70歳のスタート 8大会連続のW杯出場 8月14日の自己責任の失火について 80年目の沖縄終戦記念日 84年前の日米開戦 A型RHマイナス型血液 AIが作る未来 AIが作る社会 NPO高知市民会議(防災)