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沖縄返還52年目

2026年5月 1日 (金)

4・28沖縄デー

 最近は「旧左翼」の皆様も、とんと言わなくなりました。4月28日は沖縄デーと呼ばれていました。
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 その理由は、4月28日の「沖縄デー(4・28沖縄デー)」は、1952年同日にサンフランシスコ講和条約が発効し、沖縄が日本から分離され米軍統治下に置かれた日。沖縄ではこの日を「屈辱の日」と呼び、復帰要求や基地問題に抗議する闘いの原点(5・15沖縄復帰の前段階)として位置づけられています。

 1972年に沖縄が日本に返還されるまでの20年間の間に、日本本土の米軍基地の多くが本土から沖縄に移転しました、より拡張されました。
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 いまだに米国に「隷属し」、「日米地位協定」のお陰で、米軍は治外法権的な特権を振りかざし、やりたい放題をしてきました。
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 そのなかで明仁上皇は皇太子時代から沖縄に10回も慰霊におとずれ、その伝統は今上天皇にきちんと引き継がれています。
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2025年5月10日 (土)

自称愛国者の人達は何故「日米地位協定の改定」を主張しないのか?

日米地位協定
 自民党の1部や野党の一部にも声高に「日本国憲法の改定」を主張する人たちがいます。その人たちに申し上げたい。「なぜ日米地域協定の改定」を米国政府に要望しないのか?全く不思議です。

 

 最近中国が「富国強兵政策」が上手くいきはじめ、造船建造力や、エレクトロニクス、宇宙開発分野でも米国を凌駕し、すぐ後ろに迫るようになりました。台湾を取り囲んで「海上封鎖の演習」もしているようです。

 

 ごく一部の自称愛国者の人達が「台湾有事は日本の有事」と声高にいいたてています。果たしてそうなのか?第1アメリカのトランプ政権はアジアに関心がない。日本を中国抑止の盾にしようしたいだけでしょう。

 

 アメリカ軍は日本の地方の飛行場や港湾も勝手に出入りし、やりたい放題をすることができます。敵性国家を勝手に攻撃して、日本の地方の飛行場に逃げ込んだりすると、アメリカの軍事基地とmきなされミサイル攻撃の標的になります。

 

 日本国憲法で交戦権が禁じられています。憲法9条は自民党のご先祖である幣原重三郎氏がこしらえたものですから。本来は自民党は護憲政党であるべきなんです。
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 憲法第9条と象徴天皇制は相互リンクされています。それゆえ昭和天皇は東京裁判に被告人になりませんでした。明治天皇がこしらえた靖国神社。神社側がA級戦犯を合祀したことで、依頼天皇家は靖国神社に行かなくなりました。それは象徴天皇制と憲法9条が相互リンクしているからです。

 

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 昭仁天皇は戦没者を供養し、大災害時に国民を慰労して駆け付けました。現天皇家にもその精神は継承されています。

 

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 日本は「戦争をしない国」としてこれからも行くべきなんです。

2025年5月 3日 (土)

日本国憲法の重要性

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 5月3日の祝日は「憲法記念日」。2025年の5月の連休の後半は3日の憲法記念日から6日までの4連休ですね。お天気も良さそうなので、可能ならもう1回「海の散帆」に行きたいところですが、ブームの金具が外れたので修理が可能かどうかによります。

 さて日本国憲法は、無謀な世界大戦を引き起こし、300万人の日本国民の犠牲と、1000万人とも言われている近隣アジア諸国民の犠牲を2度と繰り返さない理念を元に策定され、今年は公布されて79年目になります。
日米地位協定
 日本国憲法は、改憲する必要性は全くありませんから。むしろ改定すべきは日米地位協定です。これを読むと日本はアメリカの属国であり、植民地ですね。

 声高に「日本国憲法は占領当時アメリカに押し付けられた憲法。自主憲法を制定しないと独立国とは言えない。」というのが改憲論者の言い分。であるならば、日米安保条約が、日本国憲法より上位にあり、「日米地位協定なるものが、いかに屈辱的な内容なのか。自民党や改憲論者の皆さんはただの1度も「日米地域協定」に触れないし、しようともしない。

 日米地位協定の改定なしに、日本国憲法の改憲をしたら(特に憲法第9条の改定)したら、自衛隊は米軍の下請け軍になり、世界各地の派兵されまます。アメリカは中国と対立したガリ「台湾有事」なる虚構で自衛隊を対中国戦争の最前線に送り出そうとしています。とんでもないことです。
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 そもそも「憲法第9条・2項」の戦争放棄の条文は、自民党の先祖の保守政治家幣原重三郎氏の発案です。それを自民党はちゃんと思いだして「護憲政党」になっていただきたいですね。自民党は「護憲政党」を党是として、やり直してほしいと思いますね。

 なにやら一部の左翼政党だけが「憲法9条に固執」している「守旧派」であるとの印象操作が右翼系マスコミや右翼政党からされています。「矮小化」もいいところです。

 私の私見ですが「日本国憲法第9条(戦争放棄)と「第1条の象徴天皇制」和相互リンクしていると思います。相互リンクしていたから、昭和天皇は東京裁判の被告になりませんでした。生涯ぎこくちなく象徴天皇でありました。
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 平成時代の明人天皇は「象徴天皇」を自らの行動で体現されました。国内外の戦地跡を訪問され、災害時には現地へ駆け付け被災者に寄り添う姿勢をとり続けました。

 その平和と国民を慈しむ姿勢は今の天皇にも継承されています。靖国神社にもA級戦犯が祭られて以来、天皇家一族は誰1人靖国神社には参拝しませんでした。立派なことであると思います。

 特にアメリカが「自爆」し、近隣国の中国の存在が大きくなっています。中国とはうまく付き合わないといけないと思います。まことに身勝手でめんどくさい国です。今やアメリカまでそうなりました。
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 混乱している今だからこそ、日本国憲法を国民各位は大事にしなければならないと、私は思います。

2025年4月29日 (火)

4・28沖縄デー

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 最近はとんと聞かれなくなりました。4月28日はその昔は「4・28沖縄デー」と言われていました。

 ネットで検索しますと「対日講和条約(サンフランシスコ条約、1951年9月締結)が発効した1952(昭和27)年4月28日は「沖縄デー」と呼ばれて、沖縄が本土とは異なる行政体制をしくこととなった日として人々に記憶されています。」

 つまりは、日本国は占領政策が終了し、「独立」した形になりました。沖縄は切り離され、米国統治が続きます。1972年の施政権返還まで続きます。」結果本土の米軍基地の大半が、この20年の間に沖縄本土に過度の集中(米軍基地との7割が沖縄に集中)という事態になりました。
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 忘れてはいけないのは、サンフランシスコ講和条約締結の折に、日米安保条約も締結されていることです。日本国憲法の「上位に」日米安保条約があることを忘れてはいけません。「日米地域協定」がいかに屈辱的なのか。自民党や憲法改正論者は「まずに日米地位協定を改定」することを主張すべきです。
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 「日米地位協定による米軍の権利」を見ると日本の現実が見えますね。

「米軍関係者は日本国内にパスポートなしに入国できる」とあります。また

「基地の管理権は米軍にある」とあります。大統領専用機は横田米軍基地に着陸可能なんです。大統領は米軍4軍の最高司令官ですから。

「米軍機は日本国内を好きなように飛ぶことが出来る」とあります。
 横田基地から米軍ヘリで都内の米軍施設へ飛ぶことは全く自由にできるのです。」

また不良米軍兵士を守りぬく条項までありますね。

「公務中の犯罪は米軍に裁判権がある。」

「米兵が重罪を犯しても裁判の対象から外すことが出来る。」

「米軍が罰せられても補償金を日本に払わせることができる」のです。

 これほど「屈辱的な」地位協定があるんです。あらためて驚きました。

 米軍兵士が日本人の家屋に押し入り乱暴し、物を盗んでも、米軍基地へ逃げ込めば免罪され」米国本国へ逃亡することもできます。

 つまり米軍犯罪に関して日本は警察権も裁判権もないのです。こんな屈辱的な状態なのに、自民党政府はアメリカに申し入れをしえて「日米地位協定の改定」を要望したことが1度もないと聞きました。

 米国に関しては何とも「腰抜け」の政府自民党です。日本国民として恥ずかしい。
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 最近は自民党の1部の人達が「台湾有事」なり用語を多用し、沖縄県の八重山群島に自衛隊のミサイル迎撃基地を「あっという間にこしらえました。

 アメリカは最近、中国をライバル視し、増大化する前に叩きたい意図が露骨です。それで日本を「アメリカ防衛の盾」に使い捨てにするつもりで「圧力を」かけています。
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 沖縄は1972年に日本になりました。米軍基地の占有は未だに継続しています。

 いい加減にしていただきたいものです。

2024年9月22日 (日)

映画「戦雲(いくさふむ)を見ました。

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 2024年9月21日ですが、家内の提案でドキュメンタリー映画「戦雲(いくさふむ)」(三上智恵・監督作品)を鑑賞しました。沖縄出身の家内は沖縄を舞台にした映画には関心があります。

 三上智恵監督作品としては、同じく沖縄を舞台にした「標的の村」「沖縄スパイ戦史」を見たことがありました。

 映画「沖縄スパイ戦史」

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-a59a50.html

 今回の映画の舞台は、沖縄本島、与那国島、宮古島、石垣島、奄美大島です。自衛隊が沖縄に配備されていることは知っていましたが、詳細までは知りませんでした。驚いたところがいくつかありました。

 最初こそ「島民を守るための自衛隊配備」の名目で自衛隊基地ができました。しかしいつの間にか「ミサイル部隊の配備」「弾薬庫の建設」「基地の地下化(自衛隊のための避難シェルター)「全島避難計画の発表」(九州各県への島民の避難)などが矢継ぎ早に進みました。

 2022年には日米両国政府が「台湾有事」を想定した日米共同軍事訓練が行われました。これは沖縄の島を主戦場とし、米軍と自衛隊は各島を転戦する。住民は置き去りにし、避難シェルターも用意されていなくて、「当初の島民を守る」ための自衛隊駐留は大ウソでした。その事実や経緯を知りませんでした。
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 住宅地に隣接し自衛隊基地が造られ、射撃訓練の大騒音は午後11時過ぎまでありました。
 漁業で暮らしていた島。牛の飼育で暮らしていた島。仲良く暮らしていた島民同士が対立することもありました。諦めモードの中でも基地前で反対運動をする住民。

 島の若者たちが、賛成も反対もふくめて住民投票を集める署名を短期間で集めたもののの議会は否決し、住民投票条例を廃止する暴挙に出ました。許されない暴挙ですね。丁寧に住民合意を集めた若者たちの真摯な民主主義をち日宇議会や町長が破壊してしまいました。大きな禍根を残しました。

 沖縄県うるま市では住宅密集地に隣接していたゴルフ場を自衛隊が買収し、沖縄の離島にある事態対基地の統合指令機能を持つ施設建設をするとのことで、事前の説明もなかったこともあり、大問題になりました。

 話は沖縄にとどまらず日本全国に「自衛隊が平時から民間空港・港湾を活用する「特定利用空港・港湾」があり、高知県では「高知港・宿毛港。須崎港」の選定に同意しました。将来禍根を残さないような対応は県は必要ですね。

2024年9月 3日 (火)

村上誠一郎さんはどうしている?

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 かつての「自由闊達」な党の雰囲気が失われ、「自由民主党」の看板倒れが酷い自民党。長く続いていた安倍政権時代に、「自由な議論が出来ない」全体主義政党に堕落したんでしょう。

 2022年10月に「国葬」になった故安倍晋三氏の葬儀に参列しなかった村上誠一郎さん。安倍晋三首相の政策「安保3関連法案」「敵基地反撃能力」「大失敗のアベノミクス経済政策」を自民党党内から批判する気骨ある人物でした。

https://sei-murakami.jp/
(村上誠一郎・公式ホームページ)

 「国賊」発言をあろうことが旧安倍派議員が騒ぎ立て、村上誠一郎さんを1年間の役職停止処分をしてしまいました。

 しかし旧安倍派の議員たちにその資格があるのでしょうか?村上誠一郎さんの処分を騒ぎ立てた連中は「裏金議員」であり、「統一教会関連議員」ばかりではないか。彼らは何の「おとがめ」もなく、偉そうに自民党総裁選挙の投票権までであるというではないか。おかしい。

 自民党が本気で政治改革をする政党であるならば、「裏金議員」「統一教会関連議員」は、すべて党員資格停止処分し、当然総裁選の投票権ははく奪すべきでしょう。それをしないから「本気度は」0ですね。

 現職議員で自民党総裁にふさわしい人物は、村上誠一郎さんを置いてはないと私は思います。

 今騒いでいる名乗りを上げている人たちは、国のリーダーになる資格は全くありません。自民党は本気で党改革をするならば、村上誠一郎さんをリーダーにすべきです。

2024年8月31日 (土)

日米政治リーダーの表現力の差


 今年は日本もアメリカも政治のリーダーが変わります。
アメリカは「大統領制度」であり、日本は「議院内閣制度」です。同じ民主主義を標榜する国ではありますが、政治形態は異なっています。

 民主党の党大会はお祭りかコンサートのようであり、皆、応援演説に立って演説する人たちは、プレゼンテーションが上手い。映像は編集されているとは思いますが、聴衆をひきつける演説をしています。

 対比して日本国のリーダー選びの自民党総裁選挙前哨戦。テレビの映像も「政局報道」ばかりで丸xで中身がなく、この人は特に何を主張し、何がやりたいのかが全く分からない。

 一次選挙は地方の自民党員の投票で地方でカウンとした票が出ます。2人に絞られた決選投票では、結局は自民党の国会議員票が帰趨を決めます。これでは、日本国民には選択権がなく、面白くもなんともない「見世物」

 第1野党の立憲民主党の代表選挙も3人から5人くらいになるようですが、自民党のミニ版ではないか。政策論争もないもない。自民党をどう違いのかを明確に明らかにしてほしい。それが見えぬくい。

 だらだらと15日間も「特定の政党の」総裁選挙報道は、いい加減にしてほしいと思います。皆プレゼンテーションが下手だし、横柄な態度の人達ばかり。

 短い時間できちんと、わかりやすく政策を説明できる人は日本ではリーダーとして出て来そうもありません。

2024年8月10日 (土)

長崎市長の判断はおかしくはない


2024年8月9日の長崎原爆慰霊の日に、長崎市長はイスラエルを招待しませんでした。日本を除くG6(米・英・独・伊・仏・カナダ+EU」は、イスラエルが招待されなければ、我々は出席しない。と居丈高に騒いでいる。

長崎市長の「対応」は間違っていません。おかしいのは「ダブル・スタンダード」を平然で行うG6+EUの自称「先進国」「民主主義国」ではないのか。
彼らの言い分は「支離滅裂」ですね。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20240808-OYT1T50112/
(イスラエル大使の不招待「変更ない」、米大使不参加は残念=長崎市長)

「日本を除く主要7カ国(G7)各国と欧州連合(EU)は、7月19日付で長崎市に書簡を送付した。ロイターが閲覧した同書簡はイスラエル大使が招待されない可能性があることを憂慮する内容で、招待状を送らなければ同国をロシアやベラルーシと同列に扱うことになると指摘。各国ともハイレベルの参加者を式典に派遣することは難しくなるとしていた。」


イスラエルのパレスティナ・ガザ地区での戦闘行為は「ロシア以上に残忍で非人道的」であることは、健全な精神や判断力のある人が見れば理解できます。

2024年6月21日 (金)

「重信房子がいた時代」を読んで

 「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)を読みました。
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「集団になると、人は考え方が浅くなって非論理的になってしまう。あさま山荘事件を含む連合赤軍によるリンチ殺人から始まる一連の事件は、その典型だと思うね。

とにかく閉鎖された集団の中で、非常に強い権力性を帯びたリーダーがいて、過度のストレスを全員が持っている。こういう状況で人は判断できなくなる。あとから『なんであんなことをやってしまったのか』と後悔する。
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こういうことはたくさんある。日本史にも世界史にもね。そうしたことを端的に示す事件だったと思う」(映画監督・森達也氏談)NHK記事より)

 とにかく私が高校を留年した1971年2月に引き起こされた「連合赤軍・あさま山荘事件」と1972年11月に「早稲田大学構内で革マル派による一般学生川口大三郎さんへのリンチ殺人事件」から連なる際限のない内ゲバ殺人抗争が激化し、日本社会から「社会運動」「政治闘争」が、2つの「ブラックホール」に吸い込まれ消滅しました。

 私個人は「連合赤軍」や「内ゲバセクト」の渦の渦中にいたわけではなく、大きな影響(悪影響)を受けた渦の外周に居ただけの人間です。ですが渦巻は渦の外周ほど高速で回転します。強い悪影響を受けながら、鬱鬱とこだわり続け、貧弱な頭脳で1972年から52年間考え続けてきました。

考えたことは、「なぜ日本の新左翼セクトは仲間殺しをし、セクト同士で連携することなく、殺し合いを際限なくするのだろうか?中国は敵対していた共産党と国民党が連携して抗日軍をこしらえました。その動きのかけらもないのはなぜなのか?」でした。

 個人ブログで「連合赤軍と新自由主義の総括」なるタイトルをつけ、10年以上前から考え続けてきました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat21222778/index.html
(連合赤軍と新自由主義の総括)

 最近読んだ2つの著作「「彼は早稲田で死んだ」(樋田毅・著・文藝春秋刊)と「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)を読みました。すべて解決したわけでもないですが、2つの著作は私の悩んでいた52年間とリンクしています。長い長いトンネルの出口のかすかな灯のように思いました。

 「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)の読書感想文です。一読して。重信房子さんは、「普通の生活者感覚のある人」「1960年代後半から1970年代初頭の激動の時代の渦の中にいた人ですし、著者の油井さんは、重信房子さんの生い立ちから家庭環境、学生生活も丹念に描いていますので、人物像がわかりました。

 私は最近はYouTubeで重信房子さんの出演する中東情勢を解説する番組を時折も見るようになりました。

「私たちがパレスティナへいったころは、旧ソ連の支援がパレスティナにあり、パレスティナの青年は旧ソ連で高等教育を受け大学に進学し医師になる人もいました。受け入れてくれる素地はありました。」

「イスラエルがレバノンに侵攻した1982年以降は、中東に居ずらくなりました。また旧ソ連が崩壊した1989年以降は支援も少なくなりました。」

「1995年にイスラエルとパレスチナの共存を国是としたラビン首相が暗殺されました。1996年に台頭したのがパレスチナ国家を認めないネタニエフでした。これ以降は対立と分断が始まります。」

 重信房子さんはYouTubeで明瞭に解説してくれました。なるほど。という感覚でいたところ、偶然友人が「重信房子がいた時代」を貸してくれました。「家内の親戚の人が書いたノンフェクション。手元に1冊しかないのを送る。読んだら返却してほしい。」とのことでした。

 稚拙な読書感想文です。印象に残った言葉を書き出しました。

「ねえ、あなた髪型かわったわね。」

重信房子は、私にそういった。アクリルの窓越しに手と手を合わせたあと、いきなり、

「昔はもっとボーイッシュで、すごく短かったじゃない。その印象が強いの井よ、それから目も変わったわね。ほら昔はもっと細かったじゃない。」

「しわが出来て、ふかくなったんですう」

 そんなことを返しながら、重信房子も、ただの、ふつうの叔母さんじゃん、と思うと笑いがこみあげてきた。

 ほぼ40年ぶりに面と向き合って、言葉を交わす、その話題がこんなとことから始まるとは、さっきまでの気鬱は何だったのか、と力が抜けた。」(40年振りの再会 P11)

「房子がアラブに向けて出国したのは1971年。赤軍派の結成は69年8月23日だが、その前から房子は大学を離れて党派活動に専念するようになっているはずだ。そのときから、私が房子と会う機会はなくなった。

 したがって、この再会葉41年ぶりでもあった。しかも親しくしていた時期は67年から68年にかけてのわずか2年足らずである。一緒に歩いた土地も、駿河台のせいぜい半径2キロぐらいのものだ。

 同志でもない私には、共有する記憶はわずかなものだ。この空白はどう埋めたらいいのか。そもそも埋めることはできるのか。話すこともなく、会話が途切れてお互い気まずい思いをするのではないか。ドラマや小説の再開のシーンを浮かべてなぞらえようとした。

 ところがいきなり髪型の話である。(中略)41年間の空白はあまりにあっけなく消えた。その41年前の事、今のこと、年相応のしみやしわ、白髪のこと。脈路なく話は結んだりほどかれたりして、わずか10分ほどの面会時間は終わった。

 帰りの電車の中で思い出した笑顔は、40年前と変わらなかった。目も口元も、学生時代と何1つ変わらなかった.」

「ねえあなたは誰が好きなの」房子は唐突に話しかけてきた。

  中略


 あのころ、汚い研(文学研究会)のサークル室で、彼女の白い肌はきわだっていた。ピンクの口紅がよく似合っていた。おっとりした問いかけだったが、いい加減な返事を許さない強さがあった。

 文学サークルで「誰が好きなの」と問われれば、あのころは、カフカ、カミュ、吉本隆明、埴谷雄高、・・。そして大江健三郎とたいていの学生は答えた。しばらく前まで高橋和巳が明治の助教授に名を連ねていたこともあり、よく読まれていた。実際に私たちの周りでは、文庫本になったばかり「散華」手に高橋勝巳の名を連呼しているものがいた。

 そんな中で、私が「谷川俊太郎とか富岡多恵子です」と答えたものだから、房子は、一瞬とまどった。私の言った詩人を知らないのだなと私は思った。ところが彼女はすぐに人なつこい笑顔でいった。

「えっほんとに。私も詩を書いているのよ。現代詩を。今度見せてあげる。あなたもみせて。」その時たまたま部屋に行ってきた男子学生を紹介しながら、私と彼の両方にいった。

「ねえNくん。彼女も現代詩ですって。Nくんは鮎川信夫をよくよんでいるのよ。「荒地」の詩人の井戦争体験や詩に惹かれるんですって」P14

 1967年・68年頃のブント系(社学同の影響の強かった明治大学の学生の傾向なのか、当時全共闘世代と言われた多くの学生たちの流行の読書傾向なんでしょう。

 わたしは重信さんより8歳、著者の油井さんより6歳年下です。67年・68年は田舎の中学生でした。1970年の高校2年生の時、高共闘をやっていた追手前高校の連中が吉本隆明がどうしたとか言うていました。私は田舎の高校生でしかも毛沢東主義者でしたので興味はありませんでした。
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 1973年に大学へ入学して、入部した文科系サークルがブント系の傾向いうが強く、その時期に吉本隆明、埴谷雄高、高橋和巳、などを読みました。荒地の詩集も読みました。鮎川信夫もです。「自由闊達」という雰囲気でした。
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 1973年の夏ごろまでは、ノンセクトの学生たちの運動が、早稲田大学でもセクトである革マル派を凌駕するのではないかという勢いがありました。しかし夏休みが終わり秋になると革マル派は武装集団として「プロ化」し整然とした武装集団に変身していたようです。

「50人を超える革マル派が。背丈より長い鉄パイプを持ち、一斉に地面を叩いていた。最初は。ドン、ドンと間隔を空けてゆっくりしたテンポで次第にその間隔が短くなり、最後はドドドと地響きを立てるかのように連打した後、全員が鉄パイプを水平にして、雄たけびを上げながらスロープを駆け上がってきた。まるで戦国時代の合戦のようだった。あれほどの恐怖を感じたことはなかった。」

「革マル派の活動家達が文学部キャンパスに入ると同時に、リュックから三段~4段階の折りたたみ式の鉄パオプを取り出し、カチャカチャと音を立てながら組み立てていた。」
(P174「牙をむく暴力」彼は早稲田で死んだ」(樋田毅・著・文藝春秋刊より。

 結局組織化してきたセクト(党派)の武装集団に対抗するためには、セクトの武装集団でない対応できない時代となり、口論や論争で対立する相手をやりこめるのではなく、暴力行為で相手セクトの幹部を殺害する行為を繰り返すようになりました。

 思想の左右を問わず、「異論を排除し、時に暴力的に排除し、殺人行為もしでかしてしますことが常態化する。」異常さが52年前の日本の新左翼党派(セクト)にありました。これでは問題意識を持ち、デモや集会に参加しただけの学生一般は、ついていけるはずもなく、必然的に政治闘争、社会運動は日本社会から衰退し、広く支持を得ることが難しくなりました。「政治」に無関心な市民が増大し、「改革」を標榜する自民党清和会政治を容認し、格差社会を拡大することに結果として加担するようになりました。

 油井りょう子さんは、重信房子さんのご家族(両親や兄弟)や生い立ちなども丹念に記述されています。お父さんは若かりし頃、極右団体血盟団のメンバーでありました。15歳も年が離れた奥さんと結婚し、敗戦後は夫婦で食料品店を世田谷で開業し、懸命に家族力を合わせて生きていました。

 重信家の兄弟姉妹は皆成績優秀で大学進学をしたかったようでしたが、商業高校や工業高校に進学し、卒業し大手企業へ就職しました。重信房子さんも商業高校卒業後は、大手食品メーカーのキッコーマン醤油に就職しています。

 高校時代に文芸部に入部しました。自作の小説を書くだけでなく行動力もあったようです。

「高校時代には、武者小路実篤の「友情」を読み、その作家に会いに行った。そこで、作家に向かって「ヒロインの杉子は民主的ではない」などと面と向かって批判した。

 大作家は、台所でお茶の用意をいしている妻に聞こえるように、笑いながら大きな声で言った。「おい、杉子は民主的ではない、とここにいるお嬢さんがいっているよ」
 杉子という女性は、その頃の作家の妻がモデルだったからだ。批判したお嬢さん、房子のために大作家は色紙まで書いてサービスまでしてくれたという。」(文豪に会いに行く P41)

 単なる文学少女だけでなく、物おじしない行動力も備えていたようですね。感心しました。

 また重信房子さんの兄弟姉妹は地域社会の現実と真摯に向かい合っていました。

「先にもふれたが、房子の家の近所に朝鮮人の部落があった。近所の大人は,子供たちにそこへは「近づくな」とあからさまにいった。1950年6月から53年7月迄の朝鮮戦争の影響もあった。
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 しかし、房子の長兄が自転車に乗っていてチンピラに因縁をつけられたとき、一家を守ってくれたのは、この集落の人々であった。好奇心旺盛な房子達きょうだいは、関心を持って集落の人々の暮らしや、自分たちと違う風習を見つめた。

 春、桜の季節になると、集落の人々が、馬事公苑に繰り出すのです。そして、太鼓を鳴らし、手拍子をとって」にぎやかに歌い、踊っていました。華やかな服装とにぎやかな踊りと、ふだんの暗くくすんだような暮らしとの差が、あまりに大きいので、毎年、驚いてみていました。と房子は振り返る。」(P44「戦後民主主義の申し子」)

 わたしも小学校低学年時代に大阪にいました。経済格差がある地域でした。上流の家庭は、母親は女子大卒で専業主婦。子供にが大学生の家庭教師をつける環境。そのお母さんたちが「あそこへは行かれん」と言っていたのは地域内の朝鮮人集落でした。私は転校生でしたので両方の地域で友人がいました。

 朝鮮人集落のご両親は共働き家庭。母親は在宅せず、アパートの鍵を子供に持たせていました。「かぎっ子」という言葉を初めて知りました。うちの母も土地らの地域の子供も差別せず、おやつを出していました。重信家も健全な過程であったと思いますね。

子云う高3年生の時は「小さな親切運動」を夏休み返上で懸命にボランティアをしているところを新聞に取材され、記事になっていたそうです。

「このころの房子の活動は、あくまでもけなげな正義感からホームルームでリーダーシップをとるという範囲でしかなかった。外へ向かって行動し、発言しても、だれひとり傷つけるわけでもなく、自分も傷つかず、大人たちからも好意を持たれ、優等生のお嬢さんが、勉強と両立できる健全な活動の範囲だった。

 こんな生徒はどのクラスにもひとりはいたはずだ。こうしたかつどうがのちの「国際テロリスト」の萌芽と見ることは誰にもできないだろう。むしろ、戦後の民主教育が理想とした、貧しさに負けず、いわれなき差別に挑み、真っすぐ明るく頑張る女学生の姿そのものではないだろうか。」(P47[戦後民主主義の申し子」

 重信房子さんは1964年の高校を卒業し、キッコーマン醤油に入社されました。そして翌年「教師になりたい」夢をかなえる目的で1965年明治大学2部(夜間)文学部に入学されました。

 昼間は会社勤務。夕方は夜間の大学生。いろんな職種の学生がいて刺激になったようです。その後1960年代後半のうねりのような社会運動が世界的に先進国で起きましたが、サークル活動や自治会活動、社会運動の大波が到達してきて重信房子さんも影響を受けて、思想信条も変化して行きました。
重信房子がいた時代3_NEW
 1965年の日韓闘争、学費値上げ反対闘争、1966年の各大学での全共闘運動やベトナム反戦闘争、1967年、1968年頃には、社学同(ブント系)の運動に影響されていきました。

「集会やデモに房子は参加していた。しかし房子は表には立たず、つねに「救対」であった。応急処置をする包帯や赤チンの入った救急箱を手にして、セクトを超えて救援に(救護)対策にはしりまわっていたのである。デモの後ろにいて、傷ついた学生や労働者を手当てする。それは明治の学内や関係者に限らなかった。」(「救対の重信」P86)

 また闘争は思い付きで始まる。「1968年6月21日で社学同の委員長のMがパリのカルチェラタンのようなものだ。やれるのはやはり明治だろう。中央では社学同集会やって呼応させるから」

 明治大学の学館から長い机を運び出し、御茶ノ水駅から駿河台へ通じる明大と売りに並べてバリケードを築こうというのだ。車の往来の激しいそのとうりの真ん中に机を置くのだ。

 中略

 またたく間に開放空間が出来上がりました。早速「解放区」「反安保・反戦の砦。神田カルチェラタン解放中」などの立看板を御茶ノ水近くの道真ん中に立てました。」(神田カルチェラタン P104)

 記述されている文字をなぞっていても楽しい。ほんのわずかな時間でも「解放区」が出来たことが楽しいです。社会運動や闘争は明るく他の良くないといけない。

油井さんはこう記述しています。「房子が熱い思いで振り返った神田カルチェラタン闘争。社学同が掲げ、現思研がリードし、市民を巻き込んだ、この戦いの熱気はいったいなんだったろうか。あの時代の闘争の1つだったのだろうか、それともまぼろしだったのか。あの時代に、あのキャンパスにいた一人として、私は、遠い日の物語であり,やはりまぼろしだったのだとしか思えない。」(P104)

 幻であれ何であれ、「解放区」を日本で大学構内ではなく、神田の路上で体験したことは羨ましいです。そういう体験を私はしたかったです。後にも先にもそういう「解放区」は日本史ではなかったと思います。

また重信房子さんの父親の重信末夫さんは、青年時代血盟団の筋金入りの右翼青年でした。1967年の羽田闘争の顛末を家族に熱く語る房子さんに末夫さんはこう言われたとか。

「房子本気で革命をやるなら、あのようにやってはいかん」

 中略

「本気で革命をやるなら、まず民心を重んじなければならぬ。民族の心を知らぬ者が世界革命を唱えても、それはコスモポリタンにすぎぬ。
 井上日召は1人1殺主義と言われているが、そうではなく、1殺多生は1人ではできぬ。」(「父よ娘の革命」P113)

「革命とは死ぬことを見つけたり」と思っているんだ。革命の途中で死ぬのはやむをえない。同志の死は革命の捨て石ですよ。捨て石がなければ革命なんかできないのいだから。
 
一般市民の死、負傷はやむをえないことである。革命をやる以上犠牲者はでるのはしかたがない。

 ただし、内ゲバをやるような下衆な根性では革命が出来るのか。出来や市内四・そんなもの」と吐き捨てている。」(PO1269

 やはり本物の革命戦士には、内ゲバは堕落であり、排すべきものであるという真摯な心意気があります。本物ですね。

 大学では1969年は全共闘運動が退潮し、学生運動が変質し始めた時期だったようです。油井さんによりますと重信房子さんは、キッコーマンは1年半ぐらいで活動と両立は難しいということで退社されましたが、サークルに活動、学生運動、アルバイトの多忙な日々でありながら大学は4年で卒業、しかも教職課程も取得していました。更に政経学部3年に学士入学しています。それは専従のプロのセクトの活動家ではないと大学当局が判断したからでしょうと油井さんは記述しています。

 教師になりたかった重信房子さんですが、取り巻く状況はそれを許さないようになっていったようです。1969年に全共闘運動の衰退もあり、ブントのなかで「武装闘争」を主張する関西派が台頭し赤軍派を結成します。

 1969年11月に武装訓練をすると大菩薩峠の福ちゃん荘に集結していた赤軍派主力部隊50数名が全員逮捕されました。

 1970年3月に田宮など9人の赤軍派がよど号をハイジャックし北朝鮮に飛びました。本当の目的はキューバでしたが北朝鮮は寄り道でした。「俺たちは明日のジョーになる」という漫画的な事件でした。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-647d.html
(個人ブログ「われわれは明日のジョーである」2009年5月4日)

 1971年2月に赤軍派の1部と毛沢東主義者の京浜安保共闘が合体した連合赤軍があさま山荘事件を引き起こし、無残な仲間殺しが露呈されました。重信房子さんと明大二部文学部で親友だった遠山美枝子さんは惨殺されました。

 重信房子さんは1971年3月に中東のベイルートに到着されていました。


WIKIPEDIAで検索しますと「日本赤軍」の活動履歴が出てきます。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B5%A4%E8%BB%8D#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B5%A4%E8%BB%8D%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8F%8D%E6%84%9F%E3%81%A8%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%81%AE%E5%85%88%E7%B4%B0%E3%82%8A

 記述は不確かな部分もありますが、「活動年表」的なものがないと、なにせ50年から40年前の出来事なので、こちらも記憶が定かではないので、事実誤認は避けたいので、検索してみました。

 1969年頃からノンセクトの広範な社会運動(全共闘運動)が退潮傾向になり、70年安保闘争はセクト主導になりつつありました、革共同中核派、革マル派、社青同解放派、ブント(共産主義者同盟)は分裂し、戦旗派、叛旗派、ML派、赤軍派などに分れつしていきました。

 記憶が正しければ赤軍派は「前段階武装論」とか「国際根拠地論」にもとづいた武装闘争優先の党派でした。ですが主力部隊と幹部の大半が1969年の大菩薩峠のふくちゃん荘の合宿所で逮捕されました。

 1970年の「残党の」田宮ら9人がよど号をハイジャックして北朝鮮経由でキューバへ行く予定でした。「国際根拠地論」に戻付いて行動であったgと思います。

 国内に残された赤軍派の中堅幹部の森恒夫は、思想信条の全く異なる毛沢東主義者集団の京浜安保共闘と結託し、連合赤軍を結成し、「国内山岳アジト」で、日本国内での武装闘争を仕掛けようといしていました。

 最高幹部絶対主義と些細な主張の違いを許さず「総括」と称して、仲間にリンチを加え殺害する行為を繰り返していきました。「神田カルチェラタン」のおおらかさなどみじんもない、息苦しい閉ざされた閉鎖組織になってしましました。重信房子さんの明大時代同じサークルで親友だった遠山美枝子さんはそのなかで惨殺されました。

 1971年3月に重信房子さんたちは「国際根拠地」を求めて少数の仲間たちと中東ベイルートに居ました。1970年代は、ハイジャックや武装闘争など「日本赤軍」は活動を激化させた時代がありました。

 何故アラブなのかは油井さんも含め文研や明治大学の仲間たちもさっぱりわかりませんでした。その理由を油井さんはこう書かれていました。

「なぜが、少しずつわかるようになったのは、04年の房子の公判を通じてだ。房子は、1月27日の第40回公判で述べている。

「(よど号事件に関連して)逮捕されて出てきた後、実際には、もう自分にやれることは余りないな、やめようかなということで、迷惑ばかりかけて力になれないから、もう1回学校へ戻ろうかと思ったんですけど、もっとひどいというか、誰もいなくなってる状態でだったんで、ぜひ国際部を引き受けてほしいと、国際部のキャップに言われまして、それを手伝うという形で協力しましyた。」(P147「国際根拠地づくり」)

 中略

「そしてなぜアラブだったのかと弁護人に重ねて問われて、房子はベトナムと比較して答える。ベトナムは陣地もあり。国家という後ろ盾もある戦いであり、義勇兵として参加を希望したものに対しては、自国の帝国主義と闘ってくださいという立場をとっていて、それは1国の革命解放で完結していく戦いであった。

 しかしパレスティナ問題というのは知れば知るほどい、世界革命なしでは解決できない。で、世界党、世界赤軍、世界革命戦線というように主張してきた赤軍としては、まさにパレスティナの戦場を戦いの根拠として、世界は新しくうまれかわるんではないかと、そういう非常に大きなインパクトを持ったイメージに受け止めました。」(P149)

 結果的に赤軍派の「国際根拠地論」を「まがりなりにも」「見える化」できたのは、重信房子さんが国際部をしぶしぶ引き受けたからであったと思います。

 「あとがき」で重信房子さんはこう述べています。

「読みながら思いました。面会でもそうだけど、40年の断絶を経て会う旧友たちとは一瞬にして時間を飛び越えてしまいます。何10年経っても人と人との関係の在り方は変わらないな、と。

 姉からみたらわたしはいつも妹であり、大学時代の仲間からすれば、私は世話好きの女学生の枠を出ていません。上級生から見れば、ひたむきなあぶなっかしい下級生であり、下級生だった旧友かられば、楽しくくっついて行ったら、とんでもない目に遭わせた先輩です。

 「出所したら文句を言わないといけないから、みんなお互いにいきていこうぜ!」などといって、「土曜会」をつくって、この10年、わたしを支えてくれています。未来やこれからを語るときは一緒に並んでいるのイに、過去も今も関係性は、そのままです。それが居心地がよくて超えられないし、また超えるきもないのですけれど。」(あとがき P234)

 1974年に主パンした本の前書きで重信房子さんはこう書かれていました。
「普通に生きている女の子が、妥協しないで自分に忠実に正しいと思ったことを追いかけてきたらここ(アラブ)に来た。
 自分に忠実である事であることが”青春”なら、”青春”とは権力者に言わせれば”犯罪”のことになったしまう。

 死ぬまで”青春”を堅持する私は、だから”犯罪者”だ。死ぬまで”革命”を堅持する私の意思は、”犯罪”なのだ。」

 読後感は「爽やか」でした。世話好きな女の子が、精一杯奮闘しているうちに、国際根拠地づくりでアラブの地へ行っていたという実話ですね。活動家時代も殆どが裏方であり「救対の重信」でした。セクトの上層部や幹部が誰もいなくなり、自分が引き受けてセクトの「国際根拠地」づくりを実際にアラブの地で「見える化」しました。

 実際にはテロ行為やハイジャックなどの罪を問われ、懲役20年の実刑を受け、2022年5月28日に出所されています。

 素晴らしいのはかつての学生時代のお仲間たちが「土曜会」というグループをつくりなにかと重信房子さんを支えてきたこいですね。「出所したら文句を言わないといけないから、みんなお互いにいきていこうぜ!」という趣旨はすばらしいです。暗さのみじんもない。


 本を貸していただき送付までしていただきました梅原孝司さんに御礼を申し上げます。高校生時代から52年間鬱鬱グズグズ考えてきた「連合赤軍と内ゲバの克服する処方箋」が、ようやく「見つかった」きがします。ありがとうございました。

 また筆者の油井りょう子さんにもお礼を申し上げます。わたしは外周にいた渦の外側で悪影響を受けた1人ですが52年間悩んできました。「土曜会」の皆さんのように明るく、言いたいことを言えるような仲間が大事である。家族も地域社会も大事であると思います。

2024年5月30日 (木)

沖縄・ガザ問題講演会と討論会

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 2024年5月26日ですが、高知市真剣啓発センターで開催されました「沖縄・ガザ問題講演会と討論会」(主催パレスティナと沖縄連帯集会実行委員会)へ家内と2人で行きました。発言者は具志堅隆松さん(沖縄戦の遺骨収集「ガマフヤーの会」代表と、岡真理さん(早稲田大学教授・現代アラブ文学)でした。

 母の在宅介護とコロナ禍もあり、この種の集まりに参加したのは数年ぶりではないでしょうか。アウエ-感満載の講演会でしたが、沖縄出身の家内と聴講しました。印象に残った発言を記述します。
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「那覇市南部からも先の大戦の犠牲者の遺骨が大量に収集しました。ヘルメット姿の頭蓋骨もあります。辺野古の埋め立て土砂に使わないでほしい。と6月18日に政府に要望します。使わないことを確約してから6月23日の沖縄慰霊の日に岸田首相は来ていただきたい。」

「沖縄の現実は明日の日本全体。高知県でも3つの港湾を自衛隊が使用するとか。そこは攻撃対象になります。自覚していただきたい。」

「防衛局が米軍をガードしています。邪魔ばかりしています。」

「玉城沖縄県知事は中国を訪問し、沖縄のミサイル基地は中国に対するものではないと説明しました。政府も熱心に説明すべき。」
「周りの不条理を正さないと自分の不条理も正せない。」と具志堅さん。
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 岡真理さんは
「イスラエルがしていることは大量虐殺であり、民族浄化であり、アパルトヘイトであり、文化の破壊です。ガザにも4000年おい歴史があり、歴史遺跡も破壊しています。」

「ガザの人達は長年経済封鎖され、生きながらの死を強要されています。

「国際社会はイスラエルの非道に有効な手が打てない。そればかりかアメリカや欧州諸国の多くはイスラエルを支援している。」

「アメリカの学生たちがイスラエルの非道さに怒り、自国政府と企業を批判し、おおきなうねりをおこしています。期待が持てます。」
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「声を大きくして行動しないとけいけない。何も知らない知る努力をしないと自分たちも加害者側になります。」

「ガザの復興工事の請け負いをイスラエルがやるというのは間違いではないか。」という指摘もされました。
 事前にYouTubeで重信房子さんのガザ問題のお話を聞き予習していました。複雑怪奇な問題ですね。勉強になりました。主催者の皆様ご苦労様でした。
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