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母春子の祈祷

2023年9月17日 (日)

両親の眠るお墓の掃除に行きました

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 2023年9月16日(土曜9ですが、朝1番で両親の眠るお墓掃除に家内と行きました。墓地公園は何処でもそうでしょうが、墓石が林立する場所は日影がありません。

 舗装道と墓石ですから、とにかく暑い。蝉迄鳴いていました。9月も半ばというのに真夏の暑さです。
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 敷石が赤茶けていましたので、水洗いをしました。30分懸命にやりましたが、半分ぐらいは落ちましたが、これ以上は暑さで無理でした。墓石も水洗いしました。
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 作業終了後体をタオルで汗を拭き、シャツを着替えました。行ったことのない佐川町のまきのさんの道の駅へ行きました。

 珍しいものがありました。展示を上手くしていました。午前中から結構な人でした。

 外食して戻ると通販で2品目の注文。荷造りして宅配便センターに持ち込みました。

2023年7月21日 (金)

両親の墓参りに行きました。


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今朝は曇で雨が降りそうで降らない状態。家内と2人で両親の眠る墓地に行きました。お墓の周りを掃除して落ち葉などを回収しました。

確かに今日あたりはお墓参りの人はいませんね。私等以外には2組いたでしょか?帰り際に1組とすれ違いました。
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両親には近況報告しました。母の弟嫁のおばさんが先月亡くなり葬儀に行ったこと.先週の終末は家内と2人で東京へ行き娘に会ったことも報告しました。
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墓の敷石が茶色になっているので掃除用具を持っていきます。涼しくないと作業は無理ですね。墓地は日影がなく無機質の石造りなので暑いからですね。
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2023年6月19日 (月)

母(春子)の月命日

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 2023年6月19日は、母春子(享年97歳)の月命日です。2022年12月19日に母は自宅で旅立ちました。旅立ってから半年になりました。

 お寺さんには「月命日にはお寺に来るように」と言われていましたが、わたしは現生の仕事業務と、地域防災活動の仕込みに追われ、今まで行くことはできませんでした。今日も無理です。
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 それというのも母が亡くなった後もせわしい日々でした。昨年12月19日の旅立ち、21日が通夜、22日が葬儀と火葬場、23日と24日は高知市で大雪。26日から28日まで母の死亡届と戸籍の取得など手続きに追われていました。

 12月27日に「高知市自主防災組織事例発表会」の要請があり、2月11日にしました。3月2日に高知県教育委員会学校安全対策課から「高知県高校生津波サミット学習会(6月18日)」の依頼がありました。6月18日に「出演」しました。
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 その後高知県立大学から「地域学概論」ということで7月24日の予定で講演依頼がありました。今も資料作りに追われています。仕事の方はメーカーの方がまたしても「値上げの見積書」を持参してきました。指名活動の仕込み作業も佳境です。ぼんやりしている時間は全くありません。

 母が「落ちこんだらいかん。人生は短い。精一杯頑張って生きろ」ということで励ましてくれていると思います。「社会のリクエスト」は母のお陰であると思います。

 1人息子故、両親には大事に育てていただいたと思います。子供時代にはいい思い出しかありません。高校時代は「疾風怒濤の時期」もありましたが、母が世間体を気にせず、しっかりと支援してくれました。あの時の母の支援があったから今日の小市民の私の生活があります。
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 50年経過しましたが忘れられない母の支援です。母の伴園に親孝行の真似事が出来ました。自宅で看取ることが出来ました。でもそれは家内の支援と協力があ連ばこそでした。今後も「社会からのリクエスト」には可能なら応えます。無理なことはしません。でも少しは無理します。

 春子ロスは依然として続いていますが、これも無理せず自然体で対処します。

2023年5月30日 (火)

まだまだ続く「春子ロス」

コロッケ屋
 昨年12月19日に97歳で旅立った母・春子。19日は5か月目の月命日になります。なにかまだ本調子になりません。

 なにが本調子ではないと言いますと、「お酒を全く飲みたいとは思わなくなりました。」ということです。5月23日は下知コミュニュティ・センター運営委員会の総会と懇親会でした。わたしは懇親会の司会進行役でした。司会者でありながらお酒は結局1滴も飲みませんでした。
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http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2023/05/post-446df6.html
(下知コミュニティセンター運営委員会総会 懇親会)


 昔と違い、お酒を飲まない人間にお酒を飲めと強要する「酔狂」な人間は今では皆無でしたが、皆この3年間のコロナ禍でお酒を飲んで懇親することがなかっただけに、観察していますと酒量も進み、皆楽しげに飲酒をしていました。

 私はノンアルコールビールでお付き合いをしていました。高知の酒席の料理全般はお酒を飲まない人間が食べても美味しく感じません。そのあたりが高知の宴会文化の欠点でしょうね。

 みながみな酒飲みではないのに、お酒を飲むこと飲めることが「文化」と勘違いする人達が高知では未だに多いようです。「土佐のお客」とかいうおかし気なイベントがそうです。お酒を飲まない人、飲めない人には「土佐のお客」面白くもなんともないと思います。

 いい加減に「酒文化中心が高知だ」とかいう間違った思い込みを払拭していただきたいものです。「春子ロス」でお酒を飲まなくなったので余計にそう思います。
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 量をたくさん飲めませんが、お酒は嫌いなわけではありません。ビールは好きで毎日飲んでいましたから。ですが今は飲みたくはありません。それがいつまで続くのかわかりません。

 7月に東京で5年ぶりに大学時代のサークル仲間の同窓会へ行くことにしています。家内も参加します。その時にはお酒が飲めるかもしれないです。でも飲めないかもしれない。

 お酒をDSCN3550飲みたくないことは「病気」ではないので気にはしません。

 5年前父が他界した時は、全く「ロス感」はありませんでした。むしろ気が引き締まり公私ともに気張りました。

 同じ1人息子の知り合いの人は「母親が亡くなり、立ち直るまでに8年かかりました。」と言われていました。それほど母親は大きな存在なのかもしれないです。こればかりは自然体でいくしかないですね。(挿入写真は年月日はまちまちですが、在りし日の母・春子です。)
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2023年4月12日 (水)

”春子ロス”と寿命30年の焦り

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 昨年12月19日に97歳で旅だった母・春子(97歳)。4月19日が月命日ですが、4か月経過するのに、私はまだ立ち直れていません。

 

 生前母が医療センターに緊急入院した昨年1月14日より飲酒していません。というか最近は「飲みたくはありません。」たまに懇親会で知り合いと同席しても、私はお酒は飲みたくないので、もっぱらノンアルコールビールです。

 

 5年前に他界した父の時は、まったくそんな気持ちや、「お酒を飲みたくない」現象はありませんでした。母の存在がいかに大きいか、影響を受けているかを思い知らされています。

 

 49日の供養も終わり、くよくよするなと言われそうですが、やはり「ロス」と思う心は癒えません。ある知人は「母親の死から立ち直るまでに8年かった。」ということを言われました。それぐらいかかるのかもしれません。

 

 父は99歳で他界し、母は97歳でした。「100歳の壁」がある様です。私も健康に注意し、運動もして、事故に遭わない生活を心がけたとしても、最長100歳まででしょうか。そうなると「30年の人生」しかありません。

 

 30年なんて短いものです。今年は4年通学した高校を卒業して50年、大学へ入学して50年。家内と付き合いだして50年です。「あっという間の50年」でした。

 

「些細な違いを認めず殺し合いばかりしていた50年前の社会運動。連合赤軍や内ゲバを総括できず、何もなすことなく気が付けば50年経過しました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat21222778/index.html

 

 

 「30年以内に南海トラフ地震と首都圏直下型地震は起きる」とも言われています。その対策も「避難困難地区から脱出」できないので十分にできていません。

 

 「残りの人生30年を無駄にしたくはない。」という木本はありますね。ですので焦りもあります。無駄な人生をしたくはない。病気になる暇はない。なすべきことをなさないで人生を終わりたくないのですから。

 

 要介護5の全介助の母の在宅介護が終われば、暇になるだろうと思いきや、余計にせわしくなりました、毎日毎日時間が後ろに飛んでいきますね。

2023年3月28日 (火)

両親のお墓参り

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2023年3月26日(日曜)にようやく家内と2人で両親の墓参りに行きました。

今年は、お彼岸に行けませんでしたので、家内と2人で両親の墓参りに雨の中行っておりました。息子夫婦がお彼岸に行ってくれていましたので、お花も新しい。周囲のお墓も皆花が新しい。
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私らの様にお彼岸に行けなかったのか数台車が停車していました。生憎の雨ですので長くいることは出来ず、早々にお暇しました。帰りにスーパーで買い物をしました。
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2023年2月 8日 (水)

気が抜けたようで集中できません


 昨年6月15日からの母の在宅介護の強度が上がり、12月19日まで懸命に家内と2人でやりました。母が97歳で12月19日に旅立ちました。それから後が大変で、相互の段取り、その後の核y須届け出と手続きで年末は終わりました。

 寺の僧侶が初七日以降7日ごとに法要に来てほしいというので、母の位牌を持って14日、21日、28日、35日、42日と行きました。そして2月5日の49日の法要と納骨を済ませました。

 その間仕事もせわしく、悲しみに暮れる暇がありませんでした。49日で一区切りし、また仕事も値上げ通知のお陰で、暇になりました。ぼうとしている時間が出来ました。

 なんか「やる気」がみなぎることがないです。母が着用していた服や靴なども整理しました。なんだか寂しい気分になりました。

 父が亡くなった時は全くそんな気分はありませんでした。「介護ロス」なのかどうか知りませんが、気分が乗りませんね。

 回復には時間がかかると思います。成り行きに任せます。

2023年2月 7日 (火)

両親は仲良く納骨されました。

西村家・墓標2023年
2023年2月5日に母・春子(97歳没)の49日を行い、納骨をしました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2023/02/post-32ab25.html
(母の49日が終わりました。)


 その折叔母が「昔の写真がうちにありましたので、持参しました。」と言われ、大昔の白黒写真をいただきました。
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 若い両親と子供時代の私が写っています。私が誕生直後には祖父母と母と叔母が一緒に写っています。皆私以外は鬼籍に入りました。
祖父・私・母・叔母・祖母_NEW
 納骨時に墓標には、父100歳没、母98歳没と刻まれていました。なんだか母の強度の在宅介護があり、12月に旅立ちがあり、葬儀や各種手続きで年末年始になり、大雪もあり、値上げラッシュで対応に追われ、通販のHPも価格訂正をしました。

 すべて値段を改定し、お客さ若き両親と私・六甲山_NEWんに見積もりもすべて渡しました。公私ともに多忙から解放されました。
そしたら「気が抜けた」と言うのが、やる気が起こりませんね。遠い昔の写真を眺めています。当時は両親も若かったです。

あらためて家族写真から当時の社会の様子がわかりますね。
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2023年2月 6日 (月)

母の49日が終りました

高蓮寺
 昨年12月19日に97歳で旅立った母の49日の法要を高蓮寺にておこないました。母の兄弟姉妹で唯一生存している叔父(81歳)も高齢をおして叔母と息子さんと3人で来てくれました。母方の従兄弟2人と、父方の従兄弟夫婦と従兄弟2人の4人が来てくれました。
高レンジ祭壇
 皆それぞれ忙しいのに来ていただいて良かったです。母も喜んでいるでしょう。僧侶の読経も浄土真宗ですが、比較的わかりやすい。広く大衆に受け入れられた理由がわかるような気がします。


 


 49日の意味を調べてみました。

仏教では、亡くなってから四十九日までの間、七日ごとに七回の法要があります。 一般的には初七日を除く法要は遺族だけで行なわれますが、49日目にあたる日を「満中陰」と呼び、この四十九日の法要をもって忌明けとされます。
読経
法要後は納骨のためにいの町の墓地へ行きました。お寺に来ていただいた親類は皆墓地まで行ってくれました。


 


僧侶の指示で読経前に納骨をしました。5年前に他界した父と仲良く納骨しました。納骨室の石の扉は重い。息子に開けてもらいました。お線香に火をつけた焼香していただきました。
納骨
 兄弟のいない私は親族が少ないので、ありがたいことです。ほのぼのした49日でした。今日は天気も温暖で風がなく寒く無くて何よりでした。墓地も寒くはありませんでした。
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 母に関する行事はとりあえず終わりました。なにか気が抜けたようになりました。戻ってから歩いて買い物に行きました。今日は14171歩でした。
墓標

2022年12月31日 (土)

2022年の重大ニュース

 いつもの年では12月の半ばごろに、今年の行動履歴や個人的な出来事を振り返り、あれこれ事例をだします。2022年に関しましては、それはできないですね。
 何と言いましても今年は「母に始まり、母で終わりました。」という1年でした。
 1月14日に食べ物を詰まらせて具合が悪くなり、高知医療センターへ救急搬送。典型的な誤嚥性肺炎でした。体温が30度しかなく医師も驚愕していました。
 そして3日後の17日に医師からの呼び出し。「容体が重篤で今日が峠です。コロナ禍で面談は駄目ですが特別に許可します。」と言われました。
 担当医師と看護士は「よくご家族もがんばりましたね。96歳まで介護されたのは立派です。」と言われました。特別に集中治療室で母に会いました。いくつもの管に繋がれ、酸素吸入もしていました。
 でも意識はしっかりしていました。わたしは母の手を握り、「死んだらいかん。皆まちゆうきもんてこんといかん!!」と言いました。母はうなづきました。
 帰り際に看護部長さんが「よくご家族は頑張りました。」と慰労してくれました。私は声を上げて泣きました。1月17日は気もそぞろで「1・17のミニ慰霊祭」の準備をしていました。夕方はテレビ放映もありました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-a9a00a.html
 その後は母は奇跡的に回復し退院することになりました。
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 2週間の入院でしたが、身体機能は格段に落ちていました。バリアアリー住宅の過酷さを味わいました。
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 在宅介護士ながら通所しているデイサービスを再開しましたが、以前のようにはいきません。自宅で転倒したり、足が立たなくなることが頻発しました。
 また食事もペースト食。小さなスプーンでの食事。1時間以上かかりました。運動不足なのか栄養不良なのか足がむくんできました。
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 そして3月21日に母は通所していたデイサービスで意識を失い再び高知医療センターへ入院しました。難しい病気になりました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-2db363.html
 その後高知医療センターに1か月、細木病院に転院して2か月、合計3か月入院しました。結果3か月と2週間。1月から6月までの間、101日間入院しました。
 長期の入院生活で母は「要介護5」の全介助になりました。在宅介護の事例は多くはないとのでした。家内が賛成してくれたし、支援もしてくれましたので、あえて挑戦することにしました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-0e681f.html
 うちは1階が会社事務所。2階が母の生活空間です。狭い住宅ですので階段昇降機も取り付けは出来ません。私が母をおんぶらっくという介護器具で背負いデイケアに通所するようにしました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-8d7cae.html
 ブログ記事の「西村春子・会議日誌」のカテゴリーを参考ください。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../cat.../index.html
 母も私たち夫婦も半年間の在宅介護でした。年末年始もやり遂げる覚悟でしたが、12月19日に突然終了になりました。残念です。
 精一杯全力投球で在宅介護したので、全く悔いはありません。
 2番目の出来事は、母も参加した2022年二葉町・若松町総合防災訓練でしょうか。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-c42c94.html
 全く総括できずに2022年もお終いです。家の片付けもなにもしていません。明日は風呂の掃除を言いつけられています。

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