最近のトラックバック

カテゴリー

2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

災害情報サイト・地震・台風など

行政の防災情報

無料ブログはココログ

市民サイドの防災情報

フォト

コロナ感染療養日誌

2023年8月28日 (月)

介護現場も老・老介護

介護現場も老・老介護_NEW
 日本の社会は急速に「少子・高齢化」が進展しています。日本経済新聞2023年8月24日のの記事を読みますと、介護現場でも、いわゆる「老・老介護」になっているようです。

 「老・老介護」と言えば、昨年12月19日に、母は97歳で自宅で亡くなりましたが、当時69歳の夫婦で、亡くなるまで在宅で老老介護をしていました。母は2008年から認知症でしたが、昨年1月14日に誤嚥性肺炎で緊急入院するまでは、要介護3でした。介助すれば自分の足で歩き、自分で食事も出来ました。約4か月間の入院生活後、ほぼ歩けなくなり、摂食障害もあり、全介助状態になって在宅介助していました。まさに「老・老介護」の半年間でした。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat24356291/index.html
(母春子の在宅介護日誌)

 記事を読むとプロの介護現場も高齢化が一段と進展しているようです。

「訪問介護でも「老々」拡大」

「利用者10年で2割増」

「担い手70歳以上13%」

「厚労省、施設職員活用へ」と見出しからして「深刻な」事態です。
houmonn-n
 記事を読みますと訪問介護員では「65歳以上が26・3%、70歳以上は13・5%です。」。私達夫婦がそうであったように、「老・老介護」状態に既になっています。

 「背景には人材難がある。若い世代を中心に、個人宅で高齢者と向き合うことをためらう人は多い。」

「ホームヘルパーの22年度の有効求人倍率は過去最高の15・53倍で必要な人材を確保していない。」

 やはり背景には訪問介護員の待遇改善が進展していないのでしょう。

 21年前に夫婦でホームヘルパーの研修を受講したことがありました。介護保険制度がスタートしたばかりでした。座学以外に介護施設でに研修、デイサービスでの研修、訪問介護の研修もありました。
DSCN4759
 当時訪問介護をされている人について、個人宅を訪問介護にいきました。その人が言うのには「訪問時間の在宅の1時間しか報酬はありません。例えば午前中に1時間の在宅介護が2件、午後から2件あったとします。報酬は在宅の4時間分しか頂けません。

 Aさん宅からBさん宅への移動時間の報酬や交通費はいただけません。これでは生活できないので施設介護職員になりたいです。」と当時50歳前後の女性訪問介護士さんは言われていました。
7f2665f9
 その劣悪な訪問介護士の待遇が今でも改善されなければ、「なり手」はいないのは当然です。
ただ記事でも厚労省も手をこまねいているだけでなく、24年度の介護報酬改定に合わせて対策をするようです。「これまで別の扱いにしていた訪問介護と通所介護を組み合わせた複合型のサービスを事業者が提供できるようにする方針だ。」あります。
haha3
 やはり介護業界全体の待遇改善、報酬の増加が望まれます。若い人たちが率先して訪問介護をする社会にしないといけないと思います。

2023年2月 4日 (土)

母も旅立ちの前日に「喘鳴(喘鳴)」があったと思います。

喘鳴1_NEW
 母(97歳)は昨年12月19日に旅立ちました。前日の18日は11日からり患したコロナ感染症を自宅療養で18日に克服し保健所から療養解除の連絡も行けていました。

 18日はとても調子が良く、起床時にはトイレまで介助そたら自分足で歩き、トイレで大きな普通便が出ました。朝食も昼食もペースト食を完食しました。昼食後昼寝し、午後3時過ぎにおきて、トイレへ連れて行き、その後おやつを食べました。チーズケーキを食べました。

 夕食もペースト食を食べましたが、食事後1時間過ぎてから、ゴロゴロといつもと違う症状が出ました。家内が吸出し気を使用し、」吸出ししますが上手くいきません。
喘鳴2_NEW
 結局数回しましたが治まりませんでした。今月のビックコミック・オリジナルの連載漫画「父を焼く もものこと」山本おさむ・作画)の中に喘鳴のことがでています。

 WEBで調べました

 死前喘鳴という現象だそうです。


「死前喘鳴とは、死亡直前に生じる症状の一つで、気道内分泌物の貯留により生じる喘鳴です。呼び方は「しぜんぜんめい」が一般的な様です。呼吸ごとにゼーゼーという音がするので、その持続時間が長い場合は見守るのも辛く感じます。看取り期でいくら意識レベルが低下しているといっても、それを見守る家族様は辛く感じてしまうのは当然の事だと思います。」

 母の場合は漫画同様に手がひんやりして、息を引き取りました。
苦しそうではなく、安らかに眠るように旅立ちました。自宅で看取ることが出来て今はよかったと思っています。説明のようには母は苦しんだようにはありませんでしたから。

 母が旅立った日から7日ごとにお寺で法要しました。初七日、14日、21日、28日、35日、42日と6回お寺へ通いました。早朝の6時の法要でしたが、いつも早起きしてリハビリ・ウォーキングしていますので、たいしたことではありません。

 来週は母の49日です。気持ちの上でも一区切りつけます。新たな気持ちで再スタートします。

2022年12月31日 (土)

2022年の重大ニュース

 いつもの年では12月の半ばごろに、今年の行動履歴や個人的な出来事を振り返り、あれこれ事例をだします。2022年に関しましては、それはできないですね。
 何と言いましても今年は「母に始まり、母で終わりました。」という1年でした。
 1月14日に食べ物を詰まらせて具合が悪くなり、高知医療センターへ救急搬送。典型的な誤嚥性肺炎でした。体温が30度しかなく医師も驚愕していました。
 そして3日後の17日に医師からの呼び出し。「容体が重篤で今日が峠です。コロナ禍で面談は駄目ですが特別に許可します。」と言われました。
 担当医師と看護士は「よくご家族もがんばりましたね。96歳まで介護されたのは立派です。」と言われました。特別に集中治療室で母に会いました。いくつもの管に繋がれ、酸素吸入もしていました。
 でも意識はしっかりしていました。わたしは母の手を握り、「死んだらいかん。皆まちゆうきもんてこんといかん!!」と言いました。母はうなづきました。
 帰り際に看護部長さんが「よくご家族は頑張りました。」と慰労してくれました。私は声を上げて泣きました。1月17日は気もそぞろで「1・17のミニ慰霊祭」の準備をしていました。夕方はテレビ放映もありました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-a9a00a.html
 その後は母は奇跡的に回復し退院することになりました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-ec6060.html
 2週間の入院でしたが、身体機能は格段に落ちていました。バリアアリー住宅の過酷さを味わいました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-45779f.html
 在宅介護士ながら通所しているデイサービスを再開しましたが、以前のようにはいきません。自宅で転倒したり、足が立たなくなることが頻発しました。
 また食事もペースト食。小さなスプーンでの食事。1時間以上かかりました。運動不足なのか栄養不良なのか足がむくんできました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-b06ba3.html
 そして3月21日に母は通所していたデイサービスで意識を失い再び高知医療センターへ入院しました。難しい病気になりました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-2db363.html
 その後高知医療センターに1か月、細木病院に転院して2か月、合計3か月入院しました。結果3か月と2週間。1月から6月までの間、101日間入院しました。
 長期の入院生活で母は「要介護5」の全介助になりました。在宅介護の事例は多くはないとのでした。家内が賛成してくれたし、支援もしてくれましたので、あえて挑戦することにしました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-0e681f.html
 うちは1階が会社事務所。2階が母の生活空間です。狭い住宅ですので階段昇降機も取り付けは出来ません。私が母をおんぶらっくという介護器具で背負いデイケアに通所するようにしました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-8d7cae.html
 ブログ記事の「西村春子・会議日誌」のカテゴリーを参考ください。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../cat.../index.html
 母も私たち夫婦も半年間の在宅介護でした。年末年始もやり遂げる覚悟でしたが、12月19日に突然終了になりました。残念です。
 精一杯全力投球で在宅介護したので、全く悔いはありません。
 2番目の出来事は、母も参加した2022年二葉町・若松町総合防災訓練でしょうか。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-c42c94.html
 全く総括できずに2022年もお終いです。家の片付けもなにもしていません。明日は風呂の掃除を言いつけられています。

2022年12月23日 (金)

母・春子が旅立ちました

haruko .kennisi
 2022年12月19日(月曜日)に西村春子(97歳)は旅立ちました。1人息子の私にとりましては、かげがえのない母でした。

 12月11日(日曜)の未明の24時過ぎに通所していたショートスティ先から「お母さんが高熱(38・2度)を出し検査したらコロナ陽性との連絡がありました。

 翌日の12月12日(月)に私たち夫婦も抗原検査キットで検査しますと2人とも陽性でした。発熱外来を予約し医師の診察と、自宅療養の注意点を言われました。
DSCN3550
 そして12日の夕方に母がショートスティ先から戻りました。母もコロナ陽性、介護する私たち夫婦も陽性です。保健所からの指示で朝夕に3人の体温を測定、酸素濃度も測定し、記録しました。保健所から連絡があり、3人とも平熱で異常がないことを言いました。

 母のコロナへの感染報告は、訪問医師の南先生に報告しました。12日帰宅当日の夕方に訪問看護師さんが自宅へ来てくれました。その折母用に、酸素濃度測定器と酸素吸入器を貸与頂きました。

 また飲み薬の抗ウィルス剤が投与されました。薬はすぐに毎食後5日間は飲みました。コロナの療養期間は家内が16日まで、母が18日まで、私が19日まででした。3人とも5回コロナワクチン接種は済ませています。インフルエンザの予防接種もしていました。

 療養期間中は3人とも、体温は平熱でした。順調に体調は回復し、家内は16日、母は18日、私は19日に保健所から療養期間終了の連絡がありました。

 12月18日は、母は元気そのものでした

 療養したこともあり、母の体調もよく起床してすぐにトイレへ連れて行きましたが、介助したらゆっくりとトイレまで行きました。そして普通便の大きな便が出ました。体温も酸素濃度も申し分ありません。

 朝食もゆっくりとペースト食を完食しました。昼食も完食しました。昼寝をして16時頃起こし、おやつを食べました。プリンが好きなので、息子の嫁が差し入れしてくれました。全部食べました。

 夕食は少し食欲が落ちていました。焦らず時間をかけてゆっくり食べました。お粥半分残しました。わたしは少しでもサッカーW杯の決勝戦を見たいので早寝wしたいと言いました。

 吸出しをしました。歯磨き後、母を寝かしつけました。がくっと足が崩れ落ちました。椅子を持って来てもらい。座らせました。5分程度休息し介護ベットへ運びました。

 母はベットに腰かけて座れない状態でした。ショートへ行く前は座れてていました。体幹が弱っています。寝かしつけました。それでわたしは寝ました。

 家内は母がゼロゼロと言っていたので、夜中に2度吸出ししたそうです。24時と1時半過ぎにしたそうです.効果はなかったとのこと。

 午前3時過ぎまでスマホでABEMATVにしてW杯決勝をラジオで聞いていましたが、延長・PK戦になりましたのエ、家内と交代しました。午前3時半に、母を見ました。指に挟むと酸素濃度は95% 脈拍は88でした。

 それで安心してPK戦を見て、アルゼンチンの優勝を確認。その後の表彰式までだらだらと見ていました。その間朝食を準備していました。そして食べながらその様子をみていました。

 午前7時過ぎになり、確認すると母が冷たい感じでした。家内が起床してから確認しようとさほど気しませんした。午前7時半に母を再測定しました。そしたらずっと酸素吸入しているのに酸素濃度が0%と表示され、脈拍も0になっていました。

 さすがにこれはおかしいと思い指の場所を変え、別の指でも添いましたが、結果は同じです。あわてて訪問医師の南先生の病院に電話しました。当直の看護師さんにその様子を伝えました。ほどなく南先生から折り返しの電話がありました。「準備していきますので。30分以内に到着します。」とのことでした。

 8時過ぎに来ていただきました。そして診察していただきました。母は既にこと切れていました。先生と話をして死亡時刻は2022年12月19日(月)の午前7時半になりました。
葬式看板
 死亡診断書の死因は「誤嚥性肺炎」でした。コロナの影響もありとの記述もありました。コロナは療養中は発熱もなく平穏でした。18日には母は保健所からコロナ療養無事に終了と言われていました。

 療養はしたものの母は97歳という超高齢者なので、19日からの1週間は自宅療養にして、21日(水曜日)に南先生の診察を受けて、問題がなければ、翌週の26日(月)から各種介護サービスを再開する予定でした。

 それなのに母は旅立ちました。とても残念です。でも前日に大好きなプリンも食べました。母が覚えている唱歌の「もしもしカメよ」を一緒に歌いました。苦しんだ様子は様子はみじんもなく、安らかな寝顔です。
葬式1

 コロナはやっつけましたが、力尽きたようでした。それが母の寿命なのでしょうか。自宅で看取ることも出来ました。苦しんだ様子は全くありませんでした。私も家内も懸命に母の在宅介護をしました。悔いは全くありません。

 でも悲しい。家内は「お母さんはお元気なのであと5年は生きるでしょう。私らの方が先に壊れるね。」とか言っていましたのに。

 当日母の死去が確定したところに息子夫婦が出勤してきました。嫁の実家が葬祭会社をしているとか。そこへ依頼していただきました。

 19日は葬儀の段取りや、日程調整しました。時節柄ノーマルな葬儀は無理ということです、家族葬形態にして、事前の新聞広告や得意先への連絡はしない。親戚と地域のごく限られた人にお伝えしました。少人数で母を見送ります。東京の娘も帰ってくることになりました。

 21日に通夜、22日の朝に告別式を家族葬形態でします。そして23日に地元紙に葬儀のご報告の告知広告を出します。そのあとにWEBでも情報伝達します。
DSCN9717
 19日に逝去してから自宅に母はいました。いつものように介護ベットに寝ています。19日の午後に訪問看護師さんが2人で来られ、母を奇麗に身体を拭いていただき、お気に入りの服に着かえていただきました。ありがたかったです。

 19日、20日と母は家にいました。21日に葬儀屋さんが寝台車で母を2階から下ろし葬儀場へ連れて行きました。21日は雨の中での通夜式でした。20人ほどが参列していただきほのぼのとした通夜式でした。


 22日は朝10時からの告別式。高知市斎場の都合です。冬になり亡くなる人が激増中とか。その時間帯になりました。ごく内輪の親類を中心にしたコンパクトな葬儀でした。それもいいですね。親戚とは久しぶりに話が弾みました。

 母は社交的な人でしたので、いろんな人たちにお見送りをしていただきたかったのですが、コロナ禍第8波の最中です、無理は出来ません。爽やかに母は旅立ちました。きっと極楽浄土へ行くことでしょう。合掌。

 FBでも母に関して暖かいコメントをいただき感謝しています。私たちは懸命に母の在宅介護をしました。コロナになっても手を抜かずしました。予想より早く母は屋日だちましたが、悔いはありません。

 お通夜も葬儀もごく少人数で執り行いました。連絡したくても出来ない人が多く申し訳ないと思いました。コロナ禍ですので御容赦下さい・

 高知斎場で母の骨を拾いました。頭蓋骨や大腿骨、骨盤や歯型などがしっかり残っていました。骨太の母でした。母の息子であったことを誇りに思います。

2022年12月22日 (木)

コロナ後遺症?

 2022年12月12日にコロナ陽性と判定。発熱外来を受診し、正式にコロナ陽性者に保健所から認定されました。私の場合コロナワクチン5回とインフルエンザワクチン予防接種もしています。

 幸い軽症で12月19日で自宅療養期間は終了。保健所のヒアリングは19日で終わりました。のどの痛みと鼻水がコロナ罹患後3日程度あったぐらいで、体温は36・2度前後。酸素飽和度は98%でした。

 療養期間は過ぎで「自由の身」となりましたが、なんだか「だるい」し、「前向きな気持ち」になれません。これが「コロナ後遺症」なのでしょうか?

 「復帰初日」は、3000通を超えるメールの仕分け作業に時とられられました。うちの会社は「防錆屋」というホームページを開設していて「錆対策相談」に対応しています。防錆塗装で解決できることと、できないことがあります。

 電話で相談してくる人も多いですが、メールで問い合わせされてくる人も多い。ですが「迷惑メール」のなかに埋もれています。1件1件丁寧に見ています。20日はその作業に3時間かかりました。

 結構難しく専門的な質問がありました。とても勉強になりました。メールでのやりとり、電話中のやり取りは、コロナ療養中でも可能でした。


 療養している間に気が付けば12月も下旬です、2022年もせわしくて「飛んで」行きました。

2022年12月19日 (月)

12月18日の母の体調

320387906_417878970466739_2986913312769031160_n
 2022年12月18日の日曜日です。母(97歳)は7時50分起床、トイレ介助をしました。大きな普通便が出ました。

 体温は35.2度、酸素濃度は95%でした。9時半に高知市保健所から電話があり、母の体調の確認をしてきました。

「今日で療養期間は終わりですが、お母さんは超高齢者ですので、脱水に気をつけてください。感染予防対策をお願いいたします。」
319990818_832254921221775_3230439072285120817_n
 コロナ療養とw杯感染で約一ヶ月ろくに歩いていません。今朝は起床時に腰痛になりました。

 人に会わないコースを少しだけ散歩します。食事はすべてペースト食です。大企業が作成しているので味はいいようです。値段は結構高いです。むせこまない様に食べさせるためには、今日の朝食は1時間半かかりました。
320381508_3313838258881371_1046257668704095951_n319997175_691152509226216_2718295538804733568_n
 要介護5で誤嚥性肺炎の後遺症で、ペースト食しか食べられない母を受け入れていただける特養なのはなs麻生ですね。どの施設も人手不足です。今までお世話になっていた特養のしぃーとステイもお断りしました。何故か母と「相性が悪い」ですので。

2022年12月15日 (木)

コロナ感染者の自宅待機の期間


 コロナの養生機関について_NEW
 母(97歳)がショートスティ先で11日(日曜日)の夜中の12時に施設からの電話があり母がコロナに感染していることがわかりました。「施設では対応できない煮で引き取ってほしい」とのことでした。

 母は要介護5であり、車いす対応の車でないと対応できません。施設側が「対応できないの1点張りでした。ショートスティへ送り出したのは9日(金曜)でした。体温測定では平熱。施設での感染は明らかでした。

 もしやと思い12日(月曜日)に薬局で抗原検査キッドを購入し、測定したところm何t家内も私もコロナ陽性の判定となりました。そこで発熱外来に電話しまくり、近くの図南病院が診察してくれました。問診後、保健所へ届けるとのころでした。私m家内も母も感染者数に入れられました。13日に保健所から電話があり、いろいろと聞かれましたので、13日のコロナ感染者になりました。

 医師に渡された「陽性で療養する方の発症日と療養解除予定日」を渡されました。それによると、私の場合は発症日は132月12日なので、復帰可能なのは8日目の20日ということになります。最低8日間の自宅療養ということです。

 鼻水やのどが痛い、時折咳が出るという「症状がある」ので、8日間の自宅りょうようであるとのこと。その後は医療機関は関与しないようですね。

 体調悪化時の連絡先は、電話連絡があった保健所と夜間休日はファーストドクターの電話番号に連絡します。

 母(97歳)の場合は、訪問医師のコントールの元、こまめに相談に乗っていただけますので助かったいます。母には抗ウイルス薬も処方され、酸素供給機もレンタルしていただきました。

 やはり風邪の症状が出ていて、しんどいです。

2022年12月14日 (水)

コロナ罹患目3日目の母

haha1213
2022年12月11日(日)にショートステイ先でコロナ感染症にり患した母ですが、自宅へ12日に戻り、今日は起床時から元気です。97歳と超高齢者で認知症で要介護5の母です。

です。私たち夫婦(69歳)も昨日’(12日)抗原検査でコロナ陽性者になり、発熱外来で認定されました。コロナ陽性者が、コロナ陽性者を在宅介護する事態に。非常事態です。

そんな中夕方訪問看護師さんが防護服着用で来てくれました。母のバイタルチェックしていただきました。体温は36・7度、血液は126-70,酸素濃度96%で元気です。自宅へ戻り元気になりました。

家内は回復基調ですが、私は体温は36・7度と平熱ですが、のどが痛く鼻水が出て辛いです。昨日より辛いです。

在宅介護とコロナ療養はまだまだ続きますね。

その他のカテゴリー

2013年参議院選挙 2015年昭和秋の感謝祭「 2016年参議院選挙 2016昭和秋の感謝祭 2017衆議院選挙 2018年昭和秋の感謝祭 2018年高知県県知事選挙 2019年参議院選挙 2019年高知市長選挙 2019年高知県知事選挙 2019年高知県議会議員選挙 2019高知市議会選挙 2022年サッカーW杯 2022年参議院選挙 2022年沖縄県知事選挙 2023年二葉町総合防災訓練 2023年参議院補欠選挙 2023年高知市長選挙 BCP(事業再構築計画)推進 BMI 22 EV自動車 JICA研修生の皆さんとの意見交換会 NPO高知減災ネットワーク会議 SOSカード W杯カタール大会2022 おすすめサイト おんぶらっく おんぶらっく大人用 なでしこジャパン まちづくり条例見守り委員会 インド映画 ウクライナ問題 カップヌードルミュージアム カラー・ユニバーサルデザイン コロナ感染療養日誌 シニアは労働力 スマホ依存症は危険 スマホ活用防災講座 スマホDEリレー スマホSOS通信 ダブルスタンダード テトラ投入は津波には無力 デジタル全体主義 デジタル防災無線 トイレ対策 トラック物流問題 ニュース ハイパーレスキュー艇・シーレックス バリアアリー住宅 パソコン・インターネット ヒューマンネットワーク ピースウィンズ・ジャパン ファクトリーチェック ペット ユニバーサルな防災・減災対策 リハビリ・ウォーキング レトルト玄米長期保存食 ロープワーク 三好市との交流 下知コミュニティ・センター防災部会 下知中小零細企業BCP研究会 下知交番だより 下知交番との協働 下知図書館建て替え問題 下知地区防災計画 下知地区防災計画・ブロック会 下知地域内連係協議会 下知市民図書館改築問題 下知減災連絡会 下知町内会連合会 下知防災紙芝居 不燃物・仕分けステーション 両下肢蜂巣炎 中土佐町との交流 事前復興まちづくり計画 事前復興計画に策定作業 事業継続力強化計画 事業継続力強化計画支援セミナー 事業緑強化計画支援セミナー 二葉町のごみ問題 二葉町ゆかりの巨匠 二葉町内防火対策 二葉町町内会 二葉町町内会・防虫・清掃 二葉町総合防災訓練2020年 二葉町総合防災訓練2013年 二葉町総合防災訓練2019年 二葉町総合防災訓練2021年 二葉町総合防災訓練2022年 二葉町総合防災訓練2023年 二葉町自主防災会行事 二葉町防災世帯調査 五台山・市民農園 五台山2次避難所構想 五台山2次避難構想 仁淀川町ー二葉町との交流事業 今治市防災士会・連合防災部会との交流 今野清喜さん講演会 企業BCP 企業の災害対策 企業の社会貢献 企業版ふるさと納税 企業BCP策定講座 伝える力の重要性 低温火傷 体成分分析 保存食・保存食材 傷害のある方たちとの協働 公共 公共インフラの維持管理 公共交通のありかたについて 内閣府・地区防災計画フォーラムIN仙台 内閣府地区防災計画 分譲マンション建て替え問題 北海道地震(仮称) 医療・介護情報の共有化の必要性 南海地震情報 南海地震関係 危機管理の意識 原子力災害 参議院徳島・高知合区補欠選挙2023年 受援力向上セミナー 受援力(支援を受ける力) 口腔ケアの重要性 台風・大雨対策 台風対策 台風情報 名古屋大学・室井研二准教授 名古屋市南区・白水・星崎地区 嚥下障害改善食 国政との関連 国語力・読解力の向上 国際信号旗 在日外国人問題 地区防災計画学会・高知大会2018 地域学概論 地震保険 坂本茂雄・県政かわら版 報道関係 多様性を許容する社会 夜須沖からの津波避難 大阪万博の問題点 大阪北部地震2018 太陽灯LED照明 女性の視点(生活者)の視点 学識者・大学関係者 家具転倒防止対策 家具転倒防止講習会 家屋の手入れ 岡村眞先生講演会 巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体 市民目線での減災対策 平成28年度下知地区防災計画 広域地域間連携 広域避難訓練 復旧・復興対策 徳島県美波町との交流 心と体 性加害問題 悪路走行可能な台車 情報伝達手段 情報伝達訓練 情報班 感染症対策 戦争災害 手結福島・南地区自主防災会 排泄(排尿・排便)ケアの必要性 損保会社の動向 携帯・デジカメ 摂食嚥下障害 放射線測定器 救命艇エアーボート 救急救命法 文化・芸術 新型コロナウィルス感染症 新潟中越地震の教訓 旅行・地域 日本の裁判官 日記・コラム・つぶやき 映画「スープとイデオロギー」 映画・テレビ 映画・福田村事件 春子ロス 昭和南海地震 昭和小学校の防災学習 昭和小学校の防災教育 昭和校区地域内連係協議会準備研究会 書籍・雑誌 東京五輪・パラリンピック2021 東京五輪・パリ五輪のあり方 東北被災地交流ツアー 東日本大震災の罹災地から学ぶ 東日本大震災の震災遺構 核融合発電 横紋筋融解症 歯の健康維持 母を支援いただいた皆様へのお礼 母ショートスティ 母デイケア 母・春子の供養 母・春子健康情報 母・春子在宅介護日誌 母・細木病院入院 母春子の祈祷 母西村春子・介護日誌 気象庁情報の正確な伝達 水道管凍結防止対策 沖縄の貧困 沖縄基地問題 沖縄返還50年 河瀬聡一郎氏講演会 津波浸水仮想救助訓練 津波避難ビル 津波避難ビル巡り2023 津波避難施設について 津波避難訓練 浦戸湾三重防護整備異業 海からの受援を 海からの高台避難 海での防災対策 浸水対策備品 浸水時救命艇 災害に強い熱源としてのLPガス 災害ボランティアセンター 災害大国・日本 災害後の速やかな対応 災害時の医療支援のありかた 災害時の食料確保 災害時国際貢献・支援 災害食とカップヌードル 熊本地震関連2016年 牧野富太郎と植物 牧野富太郎の偉大さ 献血の検査結果 献血定年 略奪文化財の返還 疎開保険 発泡スチロール板 目のメンテナンス 県内大学防災サークル 県教育委員会学校安全対策課 県立大学地域学概論 真備町関係者との交流 研修会・講習会 神戸市長田区鷹取との交流 神戸市長田区鷹取東地区との交流 福祉事業所との防災連携 禿鷹大手資本の高知進出 私の腰痛 窓ガラス飛散防止講習会 立体換地 紙媒体・二葉町防災新聞 紙媒体二葉町防災新聞 経済・政治・国際 統一教会問題 老木倒壊の危険性 耐震護岸工事 耐震貯水槽活用問題 聴覚障碍者との情報共有 育児 脂質異常症 脱水症対策 脳ドック診断・脳トレ 脳幹トレーニング 臨時情報 自主防災会の交流事業 自主防災会同士の交流 自然災害と企業の法的責任 自然高台津波避難場所 自衛隊の救助訓練 蓄光塗料 西村吉正・春子服薬情報 西村春子逝去 要支援者用食材 観天望気・日常の観察と天気予報 訪問看護 認知機能検査 認知症症候群関連 誤嚥性肺炎対策 超高齢化社会の問題 超高齢者の事前減災対策 近江商人の先見性 過脂肪体質 遠地津波 避難所の食事問題 長期浸水救助救出計画 閖上だより 関東大震災から100年 関東大震災時の朝鮮人虐殺 防災マップづくり 防災世帯調査 防災備品の管理 防災備品整理棚 防災啓発懇談会 防災啓発用 防災啓発用映画 防災啓発番組 防災士 防災炊き出し訓練 防災用品展示会 防災紙芝居 防災紙芝居プロジェクト 防錆対策・防錆塗装 阿部晃成さん講演会 陸上自衛隊手漕ぎボート 雪道・凍結道・高知自動車道路対策 電源の確保 震災語り部管野和夫さん 非常備蓄用ミキサー粥 靴底消毒 音楽 音楽文化 音楽業界 食事情報 飲料水の備蓄 香南市手結・福島・南地区 高知大学との協働事業 高知大学防災すけっと隊 高知市みどり課 高知市地域コミュニティ推進課 高知市地域防災推進課 高知市政 高知市津波SOSアプリ 高知市社会福祉協議会 高知市自主防災組織連絡協議会 高知市議会 高知市長との意見交換会 高知市長との意見交換会資料2015年 高知市防災士会連絡協議会 高知市防災政策課 高知県危機管理部 高知県土木部 高知県地産・地消課 高知県政 高知県看護協会 高知県立大学との協働 高知県議会 高知県高校生津波サミット学習会 高知県高校生津波サミット2023 高知警察署下知交番 高知HOTARUプロジェクト 高知JC70s融年 高齢者・認知症対策 2013年SUP同窓会 2015年統一地方選挙・県議・市議 2016年熊本地震 2016年熊本地震関係 2021年衆議院議員選挙 2023年東京見聞録 2023年県議会議員選挙 2023年高知市議選 2023年高知市長選挙 70歳のスタート 8月14日の自己責任の失火について A型RHマイナス型血液 AIが作る未来 AIが作る社会 NPO高知市民会議(防災)