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2024年9月30日 (月)

要介護は突然に

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 「要介護は突然に」「隊れてからでは迷惑」との日本経済新聞2024年9月23日号の記事には衝撃を受けました。

 記事では「高齢社会白書(2021年版)によると、介護が必要になったしゅね原因は「認知症」(18・1%)「高齢による衰弱」(13.3%「脳血管疾患(脳卒中・15・0%)「骨折・転倒」(13・0%)など突発的なものが目立つ。

 一般論で言われるのは、「健康寿命と平均寿命」です。日本人の場合、男性の健康寿命は71・19歳、平均寿命は80.21歳で要介護は9.02歳です。女性の場合は健康寿命は74・21歳で、平均寿命は86・61歳であり、要介護期間は12・4年です・平均的な数字です。
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 うちの父親の場合は、健康寿命は89歳。亡くなったのは99歳でしたので、よう会議期間は10年でした。母親の場合は認知症になったのが83歳。健康寿命は83歳です。要介護期間は97歳で亡くなりましたので、14年間でした。うち10年間は両親のダブル介護期間でした。

 自分たちも年寄りになり「老老介護」「ダブル介護」状態でした。幸い私も家内も健康で、家内も在宅介護に協力的でしたので、両親は介護人生を全う出来たと思います。自営業形態であり、職場と自宅が兼用で、かつ家内他家族も協力支援していただいだきましたのでできました。

 私等家族でより深刻な問題は、「経済的な備え」の問題です。全国の有料老人ホームの初期費用は東京では900万円台。兵庫や京都は1000万円だとか。要介護になれば、家賃を含むと1人で月額20万円から35万円程度かかります。零細企業で給与を抑えてきたので、到底年金だけでは賄えません。

 私等夫婦も「老人」になり「老後の生活」の不安に苛まれる年齢になりました。高齢者に優しくない社会に日本社会もなりつつあります。

 近づく南海トラフ地震で自宅も全壊した場合など、どうやって生存していくのかを真剣に考え中れば行けないですね。大変ですね。

2023年8月28日 (月)

介護現場も老・老介護

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 日本の社会は急速に「少子・高齢化」が進展しています。日本経済新聞2023年8月24日のの記事を読みますと、介護現場でも、いわゆる「老・老介護」になっているようです。

 「老・老介護」と言えば、昨年12月19日に、母は97歳で自宅で亡くなりましたが、当時69歳の夫婦で、亡くなるまで在宅で老老介護をしていました。母は2008年から認知症でしたが、昨年1月14日に誤嚥性肺炎で緊急入院するまでは、要介護3でした。介助すれば自分の足で歩き、自分で食事も出来ました。約4か月間の入院生活後、ほぼ歩けなくなり、摂食障害もあり、全介助状態になって在宅介助していました。まさに「老・老介護」の半年間でした。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat24356291/index.html
(母春子の在宅介護日誌)

 記事を読むとプロの介護現場も高齢化が一段と進展しているようです。

「訪問介護でも「老々」拡大」

「利用者10年で2割増」

「担い手70歳以上13%」

「厚労省、施設職員活用へ」と見出しからして「深刻な」事態です。
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 記事を読みますと訪問介護員では「65歳以上が26・3%、70歳以上は13・5%です。」。私達夫婦がそうであったように、「老・老介護」状態に既になっています。

 「背景には人材難がある。若い世代を中心に、個人宅で高齢者と向き合うことをためらう人は多い。」

「ホームヘルパーの22年度の有効求人倍率は過去最高の15・53倍で必要な人材を確保していない。」

 やはり背景には訪問介護員の待遇改善が進展していないのでしょう。

 21年前に夫婦でホームヘルパーの研修を受講したことがありました。介護保険制度がスタートしたばかりでした。座学以外に介護施設でに研修、デイサービスでの研修、訪問介護の研修もありました。
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 当時訪問介護をされている人について、個人宅を訪問介護にいきました。その人が言うのには「訪問時間の在宅の1時間しか報酬はありません。例えば午前中に1時間の在宅介護が2件、午後から2件あったとします。報酬は在宅の4時間分しか頂けません。

 Aさん宅からBさん宅への移動時間の報酬や交通費はいただけません。これでは生活できないので施設介護職員になりたいです。」と当時50歳前後の女性訪問介護士さんは言われていました。
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 その劣悪な訪問介護士の待遇が今でも改善されなければ、「なり手」はいないのは当然です。
ただ記事でも厚労省も手をこまねいているだけでなく、24年度の介護報酬改定に合わせて対策をするようです。「これまで別の扱いにしていた訪問介護と通所介護を組み合わせた複合型のサービスを事業者が提供できるようにする方針だ。」あります。
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 やはり介護業界全体の待遇改善、報酬の増加が望まれます。若い人たちが率先して訪問介護をする社会にしないといけないと思います。

2023年7月27日 (木)

細木病院副院長・広井三紀さん

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 2023年7月21日の高知新聞記事「県内初介護部門出の副院長」「細木病院・広井さん全国でもまれ」の記事はとても嬉しいです。的確な人事であると細木病院を評価します。

 実は昨年12月19日に母は自宅で亡くなりました。4月14日から6月15日まで母は細木病院に入院していました。そして6月15日から12月19日まで私ら夫婦で母の在宅介護をしました。

 母は1月14日に誤嚥性肺炎で高知医療センターに緊急入院しました。危険な状態を脱して2週間で「奇跡の生還」をしました。しかし摂食嚥下障害になった母は、ペースト食主体の食事で栄養補給が難しく、バランスを崩し、自宅での転倒を繰り返しました。

 下肢蜂巣炎という難病になり再び高知医療センターに再入院。1か月近く入院しました。転院先には強く細木病院を希望しました。それは広井三紀さんの存在があったからです。広井さんは防災士でもあります。高知市防災士会の役員で交流がありました。当時から「在宅部長」であり在宅介護部門の統括者でした。母が退院したら自宅で介護するつもりでした。母は認知症で、要介護5、摂食嚥下障害で、ろくに歩けない状態でした。
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 コロナ禍でもあり、母より先に亡くなられた叔母2人は、特養と老健施設で亡くなりましたが、臨終時も家族ですら面会できない状態でした。それがあったので、「母は在宅介護したい。自宅で可能なら看取り迄したい。」という私の強い願望を何より家内が支持し支援していただいたことが大きい。

 6月15日から在宅介護が始まりましたが、在宅看護師と在宅のST(言語聴覚士)をそれぞれ週に1回細木病院は派遣していただきました。2人の訪問看護師が交代で来てくれました。STさんには「母は仲良しになっていました。

別途南「在宅クリニックの南先生が月に2回自宅で診察していただき、お風呂とリハビリはデイケアを老健施設のあいおいに週に3回通所しました。その折は母をわたしがおんぶラックで背負い2回の介護部屋から1階に下ろし車椅子に載せて通所しました。
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 記事では広井さんが在宅部職員148人を統括している大変さがわかります。「孤立防ぐ取り組み必要」との見出しに象徴されるような、高齢者を取り巻く状況には深刻な事態があるようです。

 在宅での防災啓発にも力を入れられています。そのあたりはとても立派です。

「介護事業所だからこそできる防災がある。というのも訪問間技師やホームヘルパー、ケアマネージャー他在宅を支える職種は、その日tの家の中の状況をみることができるからだ。

 自分を含め職員15人が防災士の資格を取得。別途の近くにたんすがあればその危険性を伝え、津波が来るところであればハザードマップを渡してひな場所を教えている。地域に担い手が不足する中、介護事業所の職員も地域を守る一員として活動している」と記事にありました。

 昨年10月29日の下知コミュニュティ・センターで「二葉町・若松町総合防災訓練」を行いました。ご多忙の中広井さんも視察に来ていただきました、当時在宅介護していた母(97歳)も参加しましたので。
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http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2022/11/post-c42c94.html


 高知県にとってはとてもいいことです。細木病院はよき人材を育て登用しました。素晴らしいですね。

2023年7月 1日 (土)

素晴らしいひまわりとろみミルク

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 高知新聞2023年6月27日の記事「とろみ牛乳で誤嚥防げ」「ヒマワリ乳業で来月発売」「医療介護現場も歓迎」と見出しにありました。

 

 牛乳は完全栄養食品と言われ、たんぱく質やカルシウムが多い。高齢者も飲んだら栄養補給になります。ですが高齢者は嚥下機能が低下し、飲み込む力が弱く、誤嚥性肺炎のリスクが高い。私の母も元はと言えば誤嚥性肺炎になり、極端に体力が落ち、昨年97歳で亡くなりました。他人事とは思えません。

 

 記事では牛乳にとろみをつけるには、市販の粉末状のとろみでは難しいとあります。

 

「牛乳はたんぱく質が多いためとろみをつけぬくい。飲ませるたびに軽量する手間が生じ、粘度が高くなりすぎても飲み込みづらくなる。」とか。なかなか難しい。

 

 ひまわり乳業の吉沢文治郎社長は、一昨年に取引先を通じて医療現場の悩みをキャッチされたようです。ご両親もお父さんが誤嚥性肺炎で亡くなり、お母さんも食事時によくむせ込んでいたそうです。」

 

「高齢化社会が求める食品。地方の乳業メーカーが取り組む意義を感じた。」とか。吉沢さんは企業人としての社会的使命を感じたのでしょう。
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 吉沢さんの毎日更新の個人ブログでも書かれています。

 

 

https://www.himawarimilk.co.jp/diary/ (見るくが違う〔7378〕2023/06/28)

 

 「生乳に大豆やとうもろこし由来の増粘剤を加え、加熱してとろみ具合を調整。言語聴覚士や管理栄養士からののど越しに意見をもらって思索を重ねた。1億3千万をかけて充填機も導入し、1年半かけて「とろみひまわりミルク」と「とろみひまわりコーヒー」を完成させた。」
  と記事にありますので、真摯に取り組まれた様子がわかります。

 

 試飲会の評判は上々とか。管理栄養士も施設の人達にも歓迎されています。とても大きなことですね。「年を重ねても慣れ親しんだものをおいしく飲める社会にしたい。」という吉沢さんの発言には感動します。

 

 私は子供時代から牛乳大好き人間でした。父は小柄でしたが、私は中学生時代に自宅に3本牛乳を宅配でとってもらい飲んでいて、学校給食の脱脂ミルクを級友たちが飲まないので5杯ぐらい飲んでいました。

 

 おかげで胴長短足ながら身長は178・5cmになりました。息子も牛乳大好きなので183cmになり、私と異なり今風に足が長い。ひまわり乳業さんのお陰で、高齢者になってもとろみ牛乳が飲めることがうれしいですね。

2023年6月25日 (日)

深刻極まりない日本の介護問題

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 日本経済新聞6月19日の特集記事・1億人の未来図を読んで唖然としました。

 

「400万人の「介護難民」

 

「支え手 120万人不足」

 

「老々家族介護・AI/外国人が頼み」

 

「制度持続へ、1年単位で改革を」と見出しにあります。仰々しいですが、大問題です。

 

 

 防衛費の青天井の拡大どころではない。そんな馬鹿げたことに予算を使う必要などまるでない。日本国民が等しく介護が受けられ、余生を過ごし、「日本人に生まれて良かった」と思い安らかに旅立つことは、不可能であるとの試算が出ていましたから。
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 見込みでは2050年に「要介護」「要支援」の高齢者は941万と試算され、2020年度の1・4倍に増えます。介護職員数は「今の就労構造を前提にすると180万人しか確保出来ず、122万院足りない。

 

 つまり2050年では400万人の高齢者が介護を受けられないことになります。

 

 私があと30年生存したら100歳になります。健康を維持し、介護不要な健康爺さんでいたいと思いますが、はたしてどうなるのか。同年配の家内も介護を受けなくていい超高齢者で過ごせるのか、わずか30年先の話ですから。

 

 2050年未来の介護では記事では、ロボットが介助し入浴や、食事まで世話してくれるとか。マイナンバーカードすらまともにシステム稼働できない日本のIT企業では無理ではないのだろうか。

 

 記事では「人手不足が駄目押し。若い人は高齢者と1対1で向き合うのも嫌がる」とあります。群馬県県内のある社協は訪問介護を取りやめ、デイサービスが中心とか。

 

 学識者の吉川洋氏(東京大学名誉教授)は、こう言います。

 

「ロボットやIT(情報技術)の導入が1つの解だが、活用法は明確ではない。
全国のいくつかの施設が先進的な取り組みをしていても、介護現場の人は忙しくてけんがくにいけない。」

 

「介護はメリハリのある制度設計が不十分。1年単位で改革しないと間に合わない。」

 

「外国人の働き手はもっと受け入れる方向に変わらざるを得ない。日本語や介護の能力が少しでも規定に満たないと帰国させるようでは、選んでもらえない。
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 子供の教育環境なども含め、外国人労働者に来てもらえる国にししなければならない。」

 

 
 私は両親在宅介護を積極的にやってきた。専門職の人達(訪問医師・訪問看護師・ケアマネージャー・デイサービス。デイケア施設など)。しかし30年後に100歳になったわたしは満足に介護が受けられない可能背が高い。

 

 30年以内には南海トラフ巨大地震だって来る可能性も高い。前向きに生きたいと思います。まずは健康でなければいけない。病気南下している暇などない。

2023年2月 4日 (土)

母も旅立ちの前日に「喘鳴(喘鳴)」があったと思います。

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 母(97歳)は昨年12月19日に旅立ちました。前日の18日は11日からり患したコロナ感染症を自宅療養で18日に克服し保健所から療養解除の連絡も行けていました。

 18日はとても調子が良く、起床時にはトイレまで介助そたら自分足で歩き、トイレで大きな普通便が出ました。朝食も昼食もペースト食を完食しました。昼食後昼寝し、午後3時過ぎにおきて、トイレへ連れて行き、その後おやつを食べました。チーズケーキを食べました。

 夕食もペースト食を食べましたが、食事後1時間過ぎてから、ゴロゴロといつもと違う症状が出ました。家内が吸出し気を使用し、」吸出ししますが上手くいきません。
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 結局数回しましたが治まりませんでした。今月のビックコミック・オリジナルの連載漫画「父を焼く もものこと」山本おさむ・作画)の中に喘鳴のことがでています。

 WEBで調べました

 死前喘鳴という現象だそうです。


「死前喘鳴とは、死亡直前に生じる症状の一つで、気道内分泌物の貯留により生じる喘鳴です。呼び方は「しぜんぜんめい」が一般的な様です。呼吸ごとにゼーゼーという音がするので、その持続時間が長い場合は見守るのも辛く感じます。看取り期でいくら意識レベルが低下しているといっても、それを見守る家族様は辛く感じてしまうのは当然の事だと思います。」

 母の場合は漫画同様に手がひんやりして、息を引き取りました。
苦しそうではなく、安らかに眠るように旅立ちました。自宅で看取ることが出来て今はよかったと思っています。説明のようには母は苦しんだようにはありませんでしたから。

 母が旅立った日から7日ごとにお寺で法要しました。初七日、14日、21日、28日、35日、42日と6回お寺へ通いました。早朝の6時の法要でしたが、いつも早起きしてリハビリ・ウォーキングしていますので、たいしたことではありません。

 来週は母の49日です。気持ちの上でも一区切りつけます。新たな気持ちで再スタートします。

2023年1月19日 (木)

医療・介護の関係者へお礼状を書きました。


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 2023年1月17日は。日中は医療施設(訪問診察・訪問看護)や介護施設(デイケア施設・ショートスティ受け入れ施設)などで使用料金を支払いに周り、母を担当いただいた職員の皆さんに御礼を申し上げ、お礼状をお渡ししました。

拙い文章ですが、書きました。
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「皆様には、母春子が大変お世話になりました。」


昨年12月19日午前7時半に母は自宅で旅立ちました。南先生(訪問診察医師)に臨終の確認をしていただきました。97歳と1か月の生涯でした。

 昨年6月15日から要介護5になった全介助の母を在宅介護しながら、在宅勤務をし、合間に地域防災活動もしていました。当初こそ慣れませんでしたが、次第に慣れました。それも皆様のサポートがあればこそでした。
自宅へ訪問診察や・看護に来ていただき、体調を確認いただきました。心強いご支援でした。また嚥下機能回復のリハビリもご指導いただきました。

 母はコロナワクチン接種も5回行い、インフルエンザワクチン接種も10月に南先生に接種していただきました。考えられる備えはしていました。
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 12月11日にコロナ感染が判明、南先生に報告し、即対処していただきました。酸素供給機の貸与や、訪問看護師さんによるバイタルチェック、抗ウイルス薬(飲み薬)の供与などです。12日に私たち夫婦も抗原検査キットで陽性と判明し、図南病院の発熱外来を受診しました。家族全員が陽性になり、1週間の養生をしながら母の在宅介護もしました。

 母も私たちも体温は平熱であり、体調不良はなく1週間過ごしました。そして18日に保健所から療養終了の連絡がありました。18日も母は朝から元気であり、普通便も出て快調でした。朝食と昼食も食べました。昼寝をし、午後3時過ぎに起こしました。おやつも食べました。大好きなプリンとチーズケーキを食べました。

 そして翌日の19日に旅立ちました。母はコロナは確かにやっつけたのですが、体が疲れたのであると思います。やはり超高齢者にとりましては基礎疾患(臓器の病気や悪性腫瘍)以外では、誤嚥性肺炎とコロナは命を奪う疾患ですね。
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 もしもの話ではありますが、母がコロナにり患していなければ、生きていたようにも思えます。でもそれを言ってもしょうがありません。

 母も懸命に生きたと思いますし、私ら夫婦も懸命に介護したとおもいます。皆様方も多大なご支援をいただきました。半年間の在宅介護でしたが、本当にお世話になりました。

 心より皆様にはお礼申し上げます。

                     


       2023年1月16日  西村健一

2022年12月31日 (土)

2022年の重大ニュース

 いつもの年では12月の半ばごろに、今年の行動履歴や個人的な出来事を振り返り、あれこれ事例をだします。2022年に関しましては、それはできないですね。
 何と言いましても今年は「母に始まり、母で終わりました。」という1年でした。
 1月14日に食べ物を詰まらせて具合が悪くなり、高知医療センターへ救急搬送。典型的な誤嚥性肺炎でした。体温が30度しかなく医師も驚愕していました。
 そして3日後の17日に医師からの呼び出し。「容体が重篤で今日が峠です。コロナ禍で面談は駄目ですが特別に許可します。」と言われました。
 担当医師と看護士は「よくご家族もがんばりましたね。96歳まで介護されたのは立派です。」と言われました。特別に集中治療室で母に会いました。いくつもの管に繋がれ、酸素吸入もしていました。
 でも意識はしっかりしていました。わたしは母の手を握り、「死んだらいかん。皆まちゆうきもんてこんといかん!!」と言いました。母はうなづきました。
 帰り際に看護部長さんが「よくご家族は頑張りました。」と慰労してくれました。私は声を上げて泣きました。1月17日は気もそぞろで「1・17のミニ慰霊祭」の準備をしていました。夕方はテレビ放映もありました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-a9a00a.html
 その後は母は奇跡的に回復し退院することになりました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-ec6060.html
 2週間の入院でしたが、身体機能は格段に落ちていました。バリアアリー住宅の過酷さを味わいました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-45779f.html
 在宅介護士ながら通所しているデイサービスを再開しましたが、以前のようにはいきません。自宅で転倒したり、足が立たなくなることが頻発しました。
 また食事もペースト食。小さなスプーンでの食事。1時間以上かかりました。運動不足なのか栄養不良なのか足がむくんできました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-b06ba3.html
 そして3月21日に母は通所していたデイサービスで意識を失い再び高知医療センターへ入院しました。難しい病気になりました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-2db363.html
 その後高知医療センターに1か月、細木病院に転院して2か月、合計3か月入院しました。結果3か月と2週間。1月から6月までの間、101日間入院しました。
 長期の入院生活で母は「要介護5」の全介助になりました。在宅介護の事例は多くはないとのでした。家内が賛成してくれたし、支援もしてくれましたので、あえて挑戦することにしました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-0e681f.html
 うちは1階が会社事務所。2階が母の生活空間です。狭い住宅ですので階段昇降機も取り付けは出来ません。私が母をおんぶらっくという介護器具で背負いデイケアに通所するようにしました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-8d7cae.html
 ブログ記事の「西村春子・会議日誌」のカテゴリーを参考ください。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../cat.../index.html
 母も私たち夫婦も半年間の在宅介護でした。年末年始もやり遂げる覚悟でしたが、12月19日に突然終了になりました。残念です。
 精一杯全力投球で在宅介護したので、全く悔いはありません。
 2番目の出来事は、母も参加した2022年二葉町・若松町総合防災訓練でしょうか。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/.../post-c42c94.html
 全く総括できずに2022年もお終いです。家の片付けもなにもしていません。明日は風呂の掃除を言いつけられています。

2022年12月30日 (金)

母の介護用品一式を返却

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 2022年12月28日でしたが、母が介護のためにレンタルしていた備品(介護ベット・車椅子2つ(屋外用と屋内用)と、つかまり立ち棒、スループ、移送式机、吸出し機械、段差是正用具、マットレス、などをレンタル業者がすべて回収しました。
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 要介護5で認知症、摂食障害の母の自宅での在宅介護生活は6ヶ月で終了しました。介護機器がなにもかにもがなくなると「母の在宅介護は母の死によって終了した。」ということが実感し、寂しくなります。

 私も家内も年末年始は、母の在宅介護をやるつもりで準備していました。状況が一変し戸惑っています。病院や施設での逝去ではなく、自宅でみとりができましたので、悔いはありません。毎日母には会っていましたし、動作で立ち上がるごとに「抱擁」をくりかえしていましたから。
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 欲をい言えば、もっと元気で生きてほしかったです。でも在宅介護はシビアでしたから、正直私たちの限界であったかもしれません。
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 「もうういよ。お父さんのところ(4年前に父は他界)へいくから。惠子さんともどもよくしてくれてありがとう。」とは認知症の母はいいませんでしたが、安らかな寝顔を見て、爽やかな気分になりましたね。


 母の在宅介護を中心に6月から全力投球していただけに、急に他の事が出来ません。心身の疲れも出て来るとは思います。お正月も家の掃除や片付けしながら、母との日々を振りかえり、来年はどうするのか決めていきたいと思います。
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 大それたことは出来ません。同伴していただいた家内を大切にして、生きていきたいと思います。

2022年12月23日 (金)

母・春子が旅立ちました

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 2022年12月19日(月曜日)に西村春子(97歳)は旅立ちました。1人息子の私にとりましては、かげがえのない母でした。

 12月11日(日曜)の未明の24時過ぎに通所していたショートスティ先から「お母さんが高熱(38・2度)を出し検査したらコロナ陽性との連絡がありました。

 翌日の12月12日(月)に私たち夫婦も抗原検査キットで検査しますと2人とも陽性でした。発熱外来を予約し医師の診察と、自宅療養の注意点を言われました。
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 そして12日の夕方に母がショートスティ先から戻りました。母もコロナ陽性、介護する私たち夫婦も陽性です。保健所からの指示で朝夕に3人の体温を測定、酸素濃度も測定し、記録しました。保健所から連絡があり、3人とも平熱で異常がないことを言いました。

 母のコロナへの感染報告は、訪問医師の南先生に報告しました。12日帰宅当日の夕方に訪問看護師さんが自宅へ来てくれました。その折母用に、酸素濃度測定器と酸素吸入器を貸与頂きました。

 また飲み薬の抗ウィルス剤が投与されました。薬はすぐに毎食後5日間は飲みました。コロナの療養期間は家内が16日まで、母が18日まで、私が19日まででした。3人とも5回コロナワクチン接種は済ませています。インフルエンザの予防接種もしていました。

 療養期間中は3人とも、体温は平熱でした。順調に体調は回復し、家内は16日、母は18日、私は19日に保健所から療養期間終了の連絡がありました。

 12月18日は、母は元気そのものでした

 療養したこともあり、母の体調もよく起床してすぐにトイレへ連れて行きましたが、介助したらゆっくりとトイレまで行きました。そして普通便の大きな便が出ました。体温も酸素濃度も申し分ありません。

 朝食もゆっくりとペースト食を完食しました。昼食も完食しました。昼寝をして16時頃起こし、おやつを食べました。プリンが好きなので、息子の嫁が差し入れしてくれました。全部食べました。

 夕食は少し食欲が落ちていました。焦らず時間をかけてゆっくり食べました。お粥半分残しました。わたしは少しでもサッカーW杯の決勝戦を見たいので早寝wしたいと言いました。

 吸出しをしました。歯磨き後、母を寝かしつけました。がくっと足が崩れ落ちました。椅子を持って来てもらい。座らせました。5分程度休息し介護ベットへ運びました。

 母はベットに腰かけて座れない状態でした。ショートへ行く前は座れてていました。体幹が弱っています。寝かしつけました。それでわたしは寝ました。

 家内は母がゼロゼロと言っていたので、夜中に2度吸出ししたそうです。24時と1時半過ぎにしたそうです.効果はなかったとのこと。

 午前3時過ぎまでスマホでABEMATVにしてW杯決勝をラジオで聞いていましたが、延長・PK戦になりましたのエ、家内と交代しました。午前3時半に、母を見ました。指に挟むと酸素濃度は95% 脈拍は88でした。

 それで安心してPK戦を見て、アルゼンチンの優勝を確認。その後の表彰式までだらだらと見ていました。その間朝食を準備していました。そして食べながらその様子をみていました。

 午前7時過ぎになり、確認すると母が冷たい感じでした。家内が起床してから確認しようとさほど気しませんした。午前7時半に母を再測定しました。そしたらずっと酸素吸入しているのに酸素濃度が0%と表示され、脈拍も0になっていました。

 さすがにこれはおかしいと思い指の場所を変え、別の指でも添いましたが、結果は同じです。あわてて訪問医師の南先生の病院に電話しました。当直の看護師さんにその様子を伝えました。ほどなく南先生から折り返しの電話がありました。「準備していきますので。30分以内に到着します。」とのことでした。

 8時過ぎに来ていただきました。そして診察していただきました。母は既にこと切れていました。先生と話をして死亡時刻は2022年12月19日(月)の午前7時半になりました。
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 死亡診断書の死因は「誤嚥性肺炎」でした。コロナの影響もありとの記述もありました。コロナは療養中は発熱もなく平穏でした。18日には母は保健所からコロナ療養無事に終了と言われていました。

 療養はしたものの母は97歳という超高齢者なので、19日からの1週間は自宅療養にして、21日(水曜日)に南先生の診察を受けて、問題がなければ、翌週の26日(月)から各種介護サービスを再開する予定でした。

 それなのに母は旅立ちました。とても残念です。でも前日に大好きなプリンも食べました。母が覚えている唱歌の「もしもしカメよ」を一緒に歌いました。苦しんだ様子は様子はみじんもなく、安らかな寝顔です。
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 コロナはやっつけましたが、力尽きたようでした。それが母の寿命なのでしょうか。自宅で看取ることも出来ました。苦しんだ様子は全くありませんでした。私も家内も懸命に母の在宅介護をしました。悔いは全くありません。

 でも悲しい。家内は「お母さんはお元気なのであと5年は生きるでしょう。私らの方が先に壊れるね。」とか言っていましたのに。

 当日母の死去が確定したところに息子夫婦が出勤してきました。嫁の実家が葬祭会社をしているとか。そこへ依頼していただきました。

 19日は葬儀の段取りや、日程調整しました。時節柄ノーマルな葬儀は無理ということです、家族葬形態にして、事前の新聞広告や得意先への連絡はしない。親戚と地域のごく限られた人にお伝えしました。少人数で母を見送ります。東京の娘も帰ってくることになりました。

 21日に通夜、22日の朝に告別式を家族葬形態でします。そして23日に地元紙に葬儀のご報告の告知広告を出します。そのあとにWEBでも情報伝達します。
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 19日に逝去してから自宅に母はいました。いつものように介護ベットに寝ています。19日の午後に訪問看護師さんが2人で来られ、母を奇麗に身体を拭いていただき、お気に入りの服に着かえていただきました。ありがたかったです。

 19日、20日と母は家にいました。21日に葬儀屋さんが寝台車で母を2階から下ろし葬儀場へ連れて行きました。21日は雨の中での通夜式でした。20人ほどが参列していただきほのぼのとした通夜式でした。


 22日は朝10時からの告別式。高知市斎場の都合です。冬になり亡くなる人が激増中とか。その時間帯になりました。ごく内輪の親類を中心にしたコンパクトな葬儀でした。それもいいですね。親戚とは久しぶりに話が弾みました。

 母は社交的な人でしたので、いろんな人たちにお見送りをしていただきたかったのですが、コロナ禍第8波の最中です、無理は出来ません。爽やかに母は旅立ちました。きっと極楽浄土へ行くことでしょう。合掌。

 FBでも母に関して暖かいコメントをいただき感謝しています。私たちは懸命に母の在宅介護をしました。コロナになっても手を抜かずしました。予想より早く母は屋日だちましたが、悔いはありません。

 お通夜も葬儀もごく少人数で執り行いました。連絡したくても出来ない人が多く申し訳ないと思いました。コロナ禍ですので御容赦下さい・

 高知斎場で母の骨を拾いました。頭蓋骨や大腿骨、骨盤や歯型などがしっかり残っていました。骨太の母でした。母の息子であったことを誇りに思います。

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