以下の文章は4年前に書いたものです。現在(2019年)も事態はなにも変わっていません。高知市下知地域は「災害危険密集地」であり「津波避難困難地域」です。
よく台風や大雨の罹災地で、現地の避難所の公民館などに被災者の人達が駈け込んで、不安そうに座敷でテレビを見ている画面が、テレビのニュースに出ますね。でもそれは地方の公民館や集会所であり、そこは宿泊も可能であり、炊き出しなどの施設も整っています。都市部はこうはいけないですね。
高知市下知地域南部の唯一の避難収容施設の下知コミュニティ・センターは、寝具もなければ、台所もろくにありません。新しい建物で部屋があるだけです。皆そのあたりを勘違いしている市民がとても多い。テレビ・ニュースでより増幅しますね。
南海地震対策での下知コミュニティ・センターは、「一次避難所」に過ぎません。一次避難所ですので、長期間の生活は前提にしていません。せいぜい3日凌げば上等と言う発想でしかありません。
防災倉庫の備蓄は衛生用品や簡易トイレ、携帯コンロや毛布などがあるだけ。地域の要求で屋上に災害時LPガス・ユニットがあるだけです。
では一体いつ救助隊が最寄りの津波避難ビルへ来て、ドライエリアへ連れて行っていただけるのか?現在県や高知市に問い合わせをしていますが、明確な回答は、県からも高知市からもありません。
ということは狭いビルの中で何日も籠城できる筈はありません。前回の昭和南海地震(1946年)のときに遭遇された人は、「昭和小学校に水が引くまで3か月いました。食料と水は進駐軍が船で持って来てくれました。辛い日々でした。」と語ってくれました。
青柳橋が無事であれば、五台山へ渡り、山を駆けのぼって、その地を2次避難所とします。五台山には湧水があります。自生する山菜も季節では採れます。また山ですが平地もあります。樹木が多いので避難生活のストレスもたまりません。このあたりは、最近毎日五台山を散策し、詳細に詳しい横田政道さんのFBをご覧ください。
下知地域の町内会単位で避難し、長期間避難生活をすることは、五台山では可能ですね。罹災した自宅も近いので、毎日のように様子を見に徒歩で行けますから。防犯上も良いことであると思います。
3次避難は、「空き家」を借用して、生活をしていきます。極力避難収容所での生活や、応急仮設住宅で生活することはしたくはありませんから。うちの超高齢のわがままな両親は、避難収容所や応急仮設住宅での生活など出来ません。命はすぐになくなるでしょう。震災関連死ということが言われますが、まずその対象となります。
高知県は人口が毎年5000人づつ減少しています。たくさん空き家があるはずです。その有効活用ができれば、家主にも避難民にも両者が「お得な」話になると思います。行政にしても、いずれ取り壊す仮設住宅の建設が必要なくなります。
4次避難は、「復興・復旧」計画の策定と地域の再生です。そこまでのロードマップをこしらえないと、南海トラフ巨大地震後の復旧・復興はできないと私は思います。
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