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2024年5月10日 (金)

政権交代が出来る野党に成長していただきたい!


2000年以降の自民党清和会政権で日本は国力を大幅に低下させ、情報通信分野では中国や韓国の背中も見えない「情報後進国」になり下がりました。

 清和会の政治資金パーティー疑惑や、企業団体献金による既得権益保護政策、格差社会の推進(非正規雇用の拡大。低賃金社会の拡大政策)で歴史的な円安になり自民党政権が続けばより日本は没落することは確定しました。

 では立憲民主党は「次期政権」を担えるのか?手痛い民主党政権の失敗を克服できるのかを、きちんと具体的な政策で国民に示していただきたい。そのベースは「日本国憲法の順守」であり、「日本国憲法の精神」を国民生活隅々に活かすこと、政策として実現していくことでしょう。

 それがきちんとできたら、政権交代が出来ます。日米地位協定

2024年4月19日 (金)

人殺しの国際貢献より、人助けの国際貢献を

9条
 政府与党は、次期戦闘機の開発と販売を英国とイタリアと共同開発し、他国へ販売するとか。戦闘機は「人殺しの強力な兵器」です。それを他国と共同開発し、販売までするとか。いつから日本国は「死の商人」になったのか。日本は家電をはじめ、情報産業でも負け続きで衰退しています。「人殺し兵器の開発と販売」で金もうけをしようと大手企業と政界が結託したことでしょう。


 国民経済は「個人消費が伸長」してなりたちます。30年前から円高対応を間違い、主要なモノづくりを中国や韓国に移転させることで経済はガタガタになりました。太陽光発電や地熱発電などでかつて日本は仙頭を走っていましたが、原子力産業【日立・三菱・東芝)と政界と(自民党)との過度な癒着で原子力に金をつぎ込み、地震災害大国日本で原子力発電を稼働させるという狂気の沙汰を続けています。
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 狭い日本で原発がメルトダウンしたら国民は逃げ場がありません。地震大国日本では原発は全く必要ありません。ドイツは東日本大震災以降廃炉にしたのに、日本は再稼働させています。異常です。

 また岸田首相は先日アメリカ訪問しましたが「アメリカの同盟国として日本は確固としたパートナーになります。」と宣言しアメリカ議会で喝さいを浴びたとか。アメリカ軍に隷属する「日米地位協定」を改定することなく米軍に協力するということは、自衛隊は米軍の先兵(家来)になり突撃させられるということです。岸田首相の「勇ましい発言」は「戦争をしない国」日本で敗戦後79年間貫いてきた平和主義を捨て去る発言ではないのか。大事な国是を閣議決定や与党協議だけで国会での議論なしに決めていいのだろうか?おかしいと思う。
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 「79年間自衛隊は1人の外国人兵士を殺さず、1人の自衛官も戦死しませんでした。」恥ずべきことではなく、世界に誇るべきことです。自衛隊は「災害大国日本」で真っ先に災害支援活動を行い、多くの国民の命を救い、被災地支援を国内外で行ってきました。「命を救う」自衛隊が「人殺しの国際貢献」をしなければいけない理由はありません。
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 6年前に生前退位した明仁上皇夫妻は常に国民に寄り添い、災害が起きるたびに被災地の国民に寄り添い励ましました。また国内外の戦没者の慰霊に訪問し、沖縄には皇太子時代を含め10回も慰霊にいかれました。平和を慈しむ象徴天皇として常に国民に寄り添う姿は忘れることが出来ません。その姿勢は現在の天皇皇后両陛下にも継承されています。
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 被爆地広島出身の岸田首相は米国大統領や米国議会で「核なき世界」を語ることもなく、アメリカの先槍として日本の近隣国の軍事大国の中国とロシアと北朝鮮に対峙すると宣言したようです。アメリカ本土から1万キロも離れた場所に日本はありますからアメリカは日本の支援には来ないと思います。高みの見物するでしょう。見殺しですね。

 岸田首相はアメリカの中古兵器を買いあさり、防衛費を増大させて、中国に対抗させると息巻いてうます。しかし中国は日本経済の4倍の経済力があり、今年の国防予算は34兆円です。日本の7倍です。対抗できるはずはない。難しい隣人ですがお互い仲良くしないといけない。卑屈になることではなく、先人を見習い独立は維持し毅然とした国づくりをしないといけない。
 
 日本がすべきことは「人殺しの国際貢献」ではなく、今まで以上に「人助けの国際貢献」をすべきです。そのためには国は、自治体任せ成投げしていた災害対策に本腰を入れ危機管理省を設置し、国内外の被災地支援を官民協力で行う体制づくりを今すぐ構築すべきです。

 人殺しの国際貢献なんぞより、人助けの国際貢献が遥かに世界平和に貢献できます。

2023年2月14日 (火)

防災3DAYが終わって・・・


 自分で望んでいたわけではないですが、偶然にも2023年2月10日(金)と11日(土)と12日(日)は「防災3DAY]となりました。
まず2月10日(金)は随分前に収録したNHK松山放送局制作番組「四国らしんばん」に少しだけ画面の登場しました。意外にもいていた人が多いことに驚きました。

 2月11日(土)は、高知市主催の「自主防災会事例発表会」があり、30分間「二葉町自主防災会の特色と限界」というテーマで30分間事例発表をしました。会場には17人来てくれました。ZOOM参加者は40人ぐらいとか。ZOOMsへの出演は初めて。とてもやりにくかったです。
会場に顔をむけるのではなく、発表中は机の上のノーtパソコンに付随しているライブカメラに向かって話します。なにせZOOM参加者の藩王がわかりませんのが辛かったです。県外から「面白かったです。」といいう電話がありました。やれやれでした。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2023/02/post-95c241.html(自主防災会事例発表会)

 15年の活動内容で資料には15ある事業を掲載しましたが、30分で話すことは難しかったですね。重点4項目を5分話す予定が6分ずつになり残り数分で11の事業の説明に追い込まれました。時間切れになりました。

 2月12日(日)は、地元小学校の「防災参観日」にあわせた防災イベントのスタッフとして朝は起震車体験の補助員していました。想定より体験者が多く来られ、休憩する時間がありませんでした。午前中は運動場では救助犬活動見学(PWJ)、消火体験・煙体験。放水体験(東消防署・下知消防分団)、電気自動車からの給電でも(日産サティオ高知)、レスキュー特殊車説明(高知県警)、起震車体験(トラック体験)と盛りだくさんでした、

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2023/02/post-a89057.html(昭和小防災オープンDAY)

 こちらは肉体的に疲れましたね。頭の方はリフレッシュできました。

 午後からは避難訓練の後に体育館で5年生の防災学習発表会がありました。段ボールベット組み立て体験と、ロープワークのワークショップが行われました。ロープワークを担当しましたが盛況で大変多忙でした。

2022年2月28日 (月)

激動日本左翼史を読んで

激動日本左翼史・池上・佐藤1_NEW
[激動日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(池上彰・佐藤優・共著・講談社現代新書・2021年12月刊)を読みました。

「いかがわしい」社会評論家と私は池上彰氏と佐藤優氏についてはそう思います。仮に彼らがそうであるとしても今回の著作は、時代考証をキチンとしながら記述されています。

「なぜ、過去の遺物と化した新左翼の思想を今読むのか。それは、自分の命を投げ打ち、時には他人を殺すことも正当化する思想の力というものを、現代に生きる読者に反省的に学んでほしいからです。
激動日本左翼史・池上・佐藤2_NEW
 危機の時代には必ず激しい思想が現れます。こういう過去があったということを知るだけで、危険な思想への免疫ができるはうです。」(P43「序章60年代前史」・佐藤優)

 佐藤優氏の言われる「自分の命を投げ打ち、時には他人を殺すことも正当化する思想の力というもの」とは一体何かという疑問をわたしは、50年前の高校生時代から考えてきました。

 高校生反戦会議(高1)、高共闘(高2)、高校生評議会(高3)と形と名称を変えながら新左翼に影響された高校生組織づくりに勉強もせずに奔走していました。惨めに敗北し、卒業も出来ず暗澹たる気分でいたところに『連合赤軍事件」が起こりました。信じていた当時の「革命思想」は崩壊しました。

「私たちが学ぶべき左翼の「失敗の本質」が見えてくるでしょう。崇高な理想から始まったのに、次第に暴力に覆われ、分裂を繰り返すうちに暴走して自滅する―。左翼がたどった歴史を反復することがないように、現代の教訓につなげていけたらと思います。」(P43池上彰)

 また歴史小説家と言われていた司馬遼太郎さんも講演集の中でこう言われていました。(引用が長くなります。)

「子供の時からお酒を飲みつけていて、お酒をしょっちゅう飲んでいるような人は、お酒が切れるとだめですね。アルコール中毒と同じで、いらいらしてしまう。

 イデオロギーもそうですね。違うお酒が必要なんです。日本人のそういう心理の中で、戦後のマルキシズムが果たした役割があります。」(「うその思想」)

 司馬遼太郎は、ヨーロッパ世界のキリスト教原理も、東アジア儒教も「飼い馴らし」の原理といった。当時日本では高く評価する向きがあった文化大革命と紅衛兵に冷静な批評的発言をし(71年)、日本人のほとんどが心情的に加担した南ベトナム民族解放戦線に対しても、「歴史や政治的正義はそこまでは崇高ではない」(「人間の集団について」-ベトナムから考える)」と言い切ったのである。73年と言う時代相を考えれば、これは果敢な発言であった。」(P402 「解説「思想嫌い」の思想」)「司馬遼太郎全講演1 1965-1974」(朝日新聞社・2003年刊)

 司馬さん流に言うと、私は中学3年生の事から高校4年間、大学4年間の9年間「極左新左翼イデオロギー」に酔っぱらっていたのでしょう。

 そのあたりは左翼も右翼も関係ないようです。閉ざされた小さな組織や集団では、より過激な意見が優勢になり、状況が見えなくなり、自滅する行動に駆り立てられ破綻していきますね。

 また幕末の頃日本国中で流行していた「尊王攘夷」という思想ですが、薄っぺらな思想であり、討幕運動の原動力になっても、新しい国づくりには全く役立たないものでした。

 そのため明治の初めに政府閣僚の主要メンバーが2年間も欧米に滞在し、先進列強の制度を研究し、アレンジして急ごしらえしたのが明治国家でした。尊王攘夷では国づくりが全く出来かったからでしょう。

 老舗左翼の体たらくと新左翼の登場

 日本の左翼運動で1番の老舗は日本共産党。今年結党100年であるとか。西欧型民主主義国で、共産党と名乗って国政や地方議会で議席を獲得しているのは日本共産党ぐらいでしょう。

 しかしその歴史は決して輝かしいものではありませんでした。戦前は特高警察などに弾圧され、最盛期でも党員数は1500人程度でした。しかも非合法。1928年頃には主要な幹部が検挙され党組織は壊滅しました。

 日中戦争や二次大戦など無謀な戦争を阻止できません江した。

 敗戦後は占領軍により刑務所から幹部が一斉に釈放されました。その時当時の共産党の指導者は致命的な間違いをしました。アメリカ主体の占領軍を「ファシズムから日本人民を解放した解放軍規定」をしてしまいました。

 1949年の中国革命の影響からか、山村工作隊などの武将闘争を展開し、さしたる成果を上げることなく壊滅しました。1955年に再建大会を行い武装闘争を廃棄しました。その後も党内で旧ソ連派と中国派が対立、路線が右往左往していました。

 その後宮本顕治氏が党の実権を掌握し、旧ソ連や中国共産党とも対峙し独自路線で党運営をするようになりました。

 旧社会党は、戦前の労働派の流れを源流に敗戦後結党され。共産党の路線争いに嫌気した人たちや、朝鮮戦争前後のえん戦気分の国民を取り込み党勢を拡大していきました。

 旧社会党の平和革命路線の内実は、旧ソ連の軍事力を背景に社会主義革命を成し遂げるということを提唱していました。

 旧ソ連がアメリカと対峙していた頃は。それなりの説得力がありましたが、旧ソ連が崩壊するとほどなく旧社会党も崩壊してしまいました。一時期は国会の衆参両議院あわせて200人を超える時期もあった日本社会党でしたが、その後は見る影なく衰退し、分裂し党名すらなくなりました。

 1959年からの三井三池闘争と1960年の安保闘争などで、新左翼の活動家たちも社会党と共闘したりしていました。共産党は党組織運営に従わない新左翼を徹底的に排除しましたから、旧社会党は一時期は「新左翼の培養器」のような役目をしていたようですね。今回この本を読んで改めて思いました。
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 ブント(共産主義者同盟)の登場は颯爽としていました。

 当時東京大学の学生であった姫岡玲治氏(本名青木昌彦・スタッフォード大学教授)の小論「民主義的言辞による資本主義への忠勤-国家独占資本主義段階における改良主義批判(1959年・ブント機関紙共産主義)は突き抜けていました。

 佐藤優氏は、P188で引用しています。出典は日本経済新聞に1か月単位で連載される「私の履歴書 人生越境ゲーム」の中で青木昌彦・著で書かれたものでした。

「論争の相手は主にソ連を盟主とする共産党正統派(日本共産党主流を含む)、(イタリア共産党の影響を受けた)共産党構造改革的改良派、第4インターであったが、私の重要な論点は次のようなことにあった。

①ソ連は官僚の特権的地位を維持する国家に変質したので、革命運動の指導者の立場にもなければ、擁護の対象にもなりえない。

②日本の資本主義は、戦中・戦前から小農などの古い要素を抱えつつも、それを利用しつつ高度の発展を遂げた。

 したがってそれはアメリカ資本主義に益々従属するというような後進性によっては特徴づけられない。

③強力な独占企業体性は国家の援助によって出現したとはいえ、それは資本主義の独自の運動法則の発展の表現である。(国家独占資本主義)。それは政府の政策の結果として生まれたものでなければ、それによって民主化されうるものでもない。」(42~43頁)

 なおそのすぐ後の箇所には、当時この姫岡国独資論に対して、日本共産党構造改革派の代表格である不破哲三が噛みついてきてきたこととその後の顛末も書かれています。

「このような20歳になったばかりの私の書いた一連のいわゆる「姫岡理論」に対して、後に共産党の党首となる不破哲三は氏は、党機関誌「前衛」1959年6月号誌上で「現代トロキズム批判-平和と社会主義に敵対する「世界革命」論を発表して、論理にならない罵詈雑言を浴びせたすえ、「もはや理論的批判の必要はない」「この反革命的反社会主義的本質を徹底的に暴露して、政治思想的に粉砕しつくすことだけが残っている」と締めくくっていた。

 しかし20年後のソ連崩壊に関して、彼は①に準じたことをいわざるを得なくなったし、②についてはやがて沈黙を守らざるを得なかった。」(43頁)佐藤優)

 池上彰氏は「本来、共産党にとっては取るに足りない弱小勢力の若者の論文に過敏に反応した。それだけ姫岡論文は影響力があったんですね。」(P189)と述べています。

 当時の20歳の大学生姫岡玲治氏の社会的影響力は、現在の将棋界を席巻し五冠を19歳で達成した藤井聡太氏のような存在でしたね。

 その後の「新左翼」の論客は姫岡氏を超えるレベルの人達は出て来ませんでした。’

また革共同革マル派の創業者であり教祖的存在であった黒田寛一氏も独自の理論構築を行い、当時の旧ソ連―日本共産党の理論と対峙できるだけの内容がありました。

「黒田の疎外論の特徴は,今を生きている我々1人1人が疎外された人間であり、真の問題はその自分が疎外されている状況にさえ気づけていないことなのだと指摘したこと。

 そしてその「気づく」ということはすなわち、プロレタリア的な人間になること以外ないと言い切ったことにありました。

 我々はプロレタリア的な人間になり共産主義革命を実現することによって、そこで初めてプロレタリアだの資本家だのといった階級による断絶を受けない、すべての人が手をつなぎ合えるようなような人間のあり方を回復することが出来るだろうという社会観が黒田の思想の根本にはあります。

 黒田のこの疎外論は、ルカーチからの影響を非常に強く受けていると思われますが、マルクスの考えた疎外論をヘーゲルと結び付けて捉えなおしているという点で、本当に考え抜かれたものです。」(佐藤優・174頁 「思想家黒田寛一の凄み」・第3章新左翼の理論家たち)

 革マル派は黒田の理論と旧国鉄の労組員であった松崎明氏との連動で動労という労組に確固とした組織基盤をつくりました。警察側の資料によれば現在も5500人の勢力を持っています。共産党や社会党とも別の運動体になることに成功しています。

 また社青同解放派も一時期ユニークな存在でした。それは新旧左翼を問わず「神格化」されていたロシア革命の象徴であるレーニンを徹底的に批判したことでした。

「解放派の代表的理論家の一人であり第二代議長も務めた滝口弘人(弘人)は、解放派の綱領的文章である「共産主義=革命的マルクス主義の旗を奪還する為の闘争宣言(草案)(1961年5月社青同東大班機関紙「解放」NO6掲載 のちの高見出版より刊行)で次のように書いyています。」

「レーニン主義=ボルシェゥビィズムは、プロレタリアートが階級意識=共産主義的意識を生み出すことを否定し、sレと共にこの意識を体現する自分自身の党を生み出すことを否定する。

 プロレタリアートの党は、プロレタリアート自身が生み出すのではなくて、プロレタリアートの外部から与えられる他はないとされている!

 従ってレーニンの”前衛党”は、厳密にはプロレタリア党ではない。それは社会主義的中間層の支配する党、完全に”観念とされたプロレタリア”の党である。この党は、全プロレタリアに完全に超越した党である。

 ・・・社会主義理論を純粋に護持する”理論家”がただちにプロレタリアート解放闘争の実践的「前衛」つまり「党」であであることは正しいのか?

 我々はこれには、はっきりと答えなければならない。それは共産主義=革命的マルクス主義への決定的な背反である。」(199頁 佐藤優「社青同解放派「レーニン批判の論理」

「レーニンを否定した解放派が依拠したのが戦前のドイツ共産党の指導者であり、1919年の「スパルタクス団蜂起」(ドイツ共産党がドイツ・ワイマール共和国に対して武装蜂起しベルリン各地の主要施設を占拠したものの鎮圧された事件)で民兵組織に虐殺された女性革命家ローザ・ルクセンブルグの理論でした。

 ロシア革命以前からレーニンの「前衛党」や「民主集中制」論を批判してあくまで労働者階級が主体となった、言い換えれば民衆の力を信ずる革命を志向したローザの理論に立脚することで、解放派は官僚主義的独裁を排した、より民主的な共産主義革命が実現できると考えたんです。」(201頁)

 佐藤優氏によれば、解放派のルーツは労農派の山川均であると。同じ社会主義協会の向坂逸郎氏がレーニンを賛美していましたが、山川均氏は全くしなかったそうですから。

 また「外部収奪論」は説得力がありました。資本家が労働者から収奪するだけでなく、富裕層が貧困層から、日本がアジア諸国から収奪しているということなどが資本主義の最大の悪と主張し、ブントや中核派等にも影響を与えました。

P202には興味深いやりとりがありました。

池上「大阪市立大学准教授の斎藤幸平さんが書いた2020年のベストセラー「人新世の「資本論」(集英社新書)でも外部収奪論は特に強調されている点ですね。

 その点でも解放派の思想は現代に通じる部分もありそうですね。」

佐藤「そのとうりでしょうね。ただ佐藤幸平さんがまさにそうなのですが、彼のようにヨーロッパでマルクス主義を学んでくると、基本的にレーニンは傍流で、ローザが主流なので、自然にそこに注目するようになるんです。

 日本みたいに資本主義国でありながらスターリン主義のマルクス主義が強い国は実はかなり珍しいのです。」(P202)

 連合赤軍などは、外部注入論のレーニン主義を踏襲しているし、党員は党幹部に絶対服従というレーニン主義の民主集中制の権化で暴走し、仲間殺しを行い自壊しました。

 大学時代のサークルの先輩たちが関わっていたブント(共産主義者同盟)叛旗派も「党大衆構造の止揚・変革」などと党幹部を絶対視する党運営とは無縁の様でした。叛旗派と解放派は一時期「仲良し」の時代があり相互影響し合ったかもしれないですね。

 初期のマルクスが提唱していた「疎外論」は、1960年代当時の日本共産党には抜け落ちていて、少数会派に過ぎない指導者たちの知的水準はブントにしろ革マル派にしろ社青同解放派にしろ高かったと思いました。
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 しかし佐藤優氏は、新左翼の弱点も指摘しています。

池上「たしかにあの当時の学生運動のリーダーたちの知的水準は今考えると驚くほど高かったですね。さきほど言ったように60年代末期は大学の大衆化の始まりのじきではありましたが、そうはいっても今とは全然違い、大学生は紛れもなく知的エリートでした。」

佐藤「末端の方は継承できるだけの知力がありませんから次第に殺しの話しかしなくなってしまったかもしれないけれど、それでもやはり運動を始めた人たちは非常に賢かった。ですからなおのこと、これほど多くの知的な人たちが運動を指導した半世紀後の日本がこうなっていることが不思議です。

 もはや社会で交わされる言葉に思想性もなんて欠片もありません。

 だから左翼というのは始まりの時点では非常に知的でありながらも、ある地点まで行ってしまうと思考が止まる仕組みがどこかに内包されていると思います。そしてその仕組みは、リベラルではなく、左翼の思想のどこかにあるはずなのす。」

[私の考えでは、その核心部分は左翼が理性で世の中を組み立てらっると思っているところにあります。理想だけでは世の中は動かないし、理屈だけでは割り切ることもできない。

 人間には理屈では割り切れないドロドロした部分が絶対にあるのに、それらをすべて捨象しても社会は構築できると考えてしまうこと、そしてその不完全さを自覚出来ないことが左翼の弱さの根本部分だと思うのです。」(P209)


 欧米とは異なり政治に何も残せなかった新左翼

 わたしは中学生時代から政治に興味があり、総選挙などでは各政党の選挙事務所を訪問して話を聞いたり、資料をいただいたりしていました。

 人生の多感な時代、1番楽しい時代、いゆゆる青春時代U15からU23までは時代の影響もあり。政治活動や社会運動に打ち込んでいました。しかし成果が出たことは殆どなく、惨めな敗北体験しかありません。

 佐藤優氏は新左翼の政治への影響力については、「まるでなかった。」と突き放しています。

「哲学・思想の面で新左翼に優れたものがあったのは間違いありません。しかし、政治的には全く無意味な運動であったと言わざるを得ないでしょうね。

 革命を成就させられなかっただけでなく、その後の日本社会に何らかのポジティブな影響を及ぼしたわけではありませんでした。

 正義感と知的能力に優れた多くの若者たちが必死に取り組んだけれども、その結果として彼らは相互に殺し合い、生き残った者の大半も人生を棒に振った。

 だから彼らと同形態の異議申し立ては今後決して繰り返してはならない、ということに尽きると思います。」

 同時期のフランス5月革命も挫折はしましたが、社会的な成果はたくさんありました。女性の社会参加、男女平等がその後フランス社会では各段に進展したそうですから。

 ドイツなどでも環境保護を唱える「緑の党」などは国政へ進出し今や連立政権で閣僚も輩出しています。かつての英国首相のブレアや米国のクリントン元大統領も学生時代はベトナムは寝ん運動をしていました。日本だけは「なにもない」状況を作り出し、政治に無関心な層を大量に生み出しました。

{日本の新左翼も暴力に走らなければ、あるいは暴力に走ったとしても権力に対する暴力にとどめておれば一定の存在感を残せていた可能性もあったのでしょうが、内部での殺し合いに走ったことが致命的でしたね。
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 あるいは日本の新左翼運動が残したものは、島耕作型のサラリーマンを大量生産したことかもしれません。

 個としての自立にはこだわるけれど、目の前の利益にだけ執着するという生き方です。
島耕作は社内の派閥には属さないけれど仕事はでき、出世のチャンスは逃さないという男でしょう。

 新左翼の連中は信頼していた仲間に裏切られ、党も何も信用できず頼れるのは自分だけ、という局面を程度の差こそあれ経験しているから、運動から身を引いた後にこのタイプのサラリーマンになった人たちは多かったとはずです。

 もうひとつは「最後に信用できるのは家族だけ」という意識から発する生活保守主義です。政治など社会の問題に対して、自分たちと地続きの問題として真剣に捉えず、多摩に話題にすることがあっても居酒屋論議レベルの無責任な議論しかしない。

 「政治」や「社会」と、自分たちの「生活」だけ大事にし、後は自分のキャリアアップの為だけに頑張る。そういう新自由主義の母体をつくったという意味では新左翼運動の影響は大いにあったと思います。」(P248)

 その後「しらけ世代」や「政治に無関心層を大量に生み出してしまったことも新左翼運動の悪しき影響であると思います。
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 また代議民主主義制度を「戦後民主主義の否定」と当時の新左翼党派は主張していました。私なども影響を受けました。では代議制民主主義、議会制民主主義(間接民主主義)を否定すならば、どのような仕組みで民意を集約し、国政を動かすのかという仕組みの提案も結局新左翼は出来ずじまいでした。

 佐藤優氏が70年代後半に同志社大学である教授から言われた以下の言葉が、とても印象に残りました。長いですが引用します。

「佐藤君、政治には「大人の政治」と「子供の政治」がある。私は、君たち学生が学友会(ブントが握る同志社の学生組織)で活動することも、神学部自治会がアナーキズム運動をやることも全くかまわない。君等は怒るかもしれないがそれは「子供の政治」だからだ。

 その「子供の政治」を経験しながら、様々に試行錯誤していくのは学生にとって必要なことだし、同志社は元々そういう経験を許容する空間だった。

 政治の世界で起きることはパターンとしては全部同じだから、人をまとめるのがどれほど大変で、どんなところから諍いが起きるか小宇宙での体験を通じて知っておけば、卒業後に大きな政治に遭遇したときに、それが保守系であろうが革新系であろうが、あるいは企業内の政治であろうが過度に戸惑わずに済むからだ。

 ただし民青や中核派、あるいは統一教会は違う。これは「大人の政治」、大人が自分たちの組織的目的のために子供たちを利用する政治だ。

 我々は教育的観点で、そうした「大人の政治」から君たちを守る義務がある。というんです。(P258)

 寛容な管理者が多様な価値観を認め「小宇宙空間」をこしらえているところは羨ましいと思いました。卒業後に「小宇宙」を体験したリーダーたちは、民間企業やアカデミズム、ジャーナリスト,教会、政界などで活躍しています。

池上「閉ざされた空間、人間関係の中で同じ理論集団が議論していれば、より過激なことを言うやつが勝つに決まっている。」


 不毛な議論、不毛な仲間同士の殺し合いを防ぐための処方性の1つは、佐藤優氏は「だら幹(堕落した幹部)を作っておき、その現実主義を認めることであるです。(P261)

 仲間殺し際限のない不毛な内ゲバの負のスパイラルになってしまう大きな原因の1つが「戦前共産党の社民打撃論に由来しているようだ」と佐藤優氏は言います。

「革命を成就させるためには、自分たち「真の革命勢力」の周辺にいる革命を装っている連中を殲滅して革命の隊列を1本化しなばいけないと考えた戦前の日本共産党の理論と体質。

 これを新左翼が断ち切ろうとせず、無自覚に継承しまったことによる過ちです。ですから内ゲバの入り口としての社民打撃論を学び、その上でこれを克服することは、現代でも社会変革を目指す人にとっては非常に重要だと思います。」(P261(過激化する新左翼)

 私個人のテーマである『連合赤軍と新自由主義の総括」ですが、今年も総括はできませんでした。連合赤軍事件から今年は50年目。総括こそ出来ませんでしたが、なんらかの足がかりを得たように思います。

 共産主義運動におけるレーニン主義の悪弊は新旧左翼全般に浸透しています。「外部注入論」:「民主集中制による党運営」、「社民打撃論」による独善主義への転落。

 日本の新左翼運動が大量の白け世代を生み出し、政治への無関心層を生み出してしまいました。

 私個人としては53年前の高校1年生の4月に高知大学へ高知県下の30人を超える高校生たちと集まり高校生反戦会議に参加しました。高校生運動や社会運動に関わり、50年前の1972年3月に県立高校を卒業できなくなりました。

 翌年だだ1人で留年し、やっとこさ卒業し関東の大学へ進学しました。そこで大学闘争(学費値上げ反対闘争)に関わりました。しかしほどなく凄惨な内ゲバの時代になりました。

 私はどの党派にも属しませんでしたが、本来なら仲間である人達が殺し合いをし、現実に知り合いの先輩が対立党派の襲撃で亡くなりました。なんとも悲しくおぞましい出来事でした。

 2022年になりロシアが兄弟国であるウクライナに対して軍事力で侵攻しています。なにやら日本でも「勇ましい議論」がされています。

 でも頭を冷やしましょう。コロナ感染症対策も満足できない体たらくの日本が戦争へ参加するんぞ出来るはずありません。
天安門1986年
 専制国家中国は短期間で100万人の市民のPCR検査が出来ます。日本は全くできません。すでに国力の差が大きく中国に引き反されています。こと軍事論に関しては「感情的な議論」はすべきではありません。

 今の国政の与野党では、コロナ禍にも、近隣国との適切なお付き合いも難しいと思います。きちんとした活動をしてきちんとした政治を行うためには、国民1人1人が政治に関心を持ち、多様な意見早を言い合い、押し切るのではなく、地道に合意形成を図るべきです。つくづくそう思いました。

2021年10月24日 (日)

防災・減災に関心が薄い総選挙

高知新聞・声・広場1021投稿掲載分_NEW
 珍しく地元紙の高知新聞読者投稿欄である「声・ひろば」に私の投稿文が掲載されました。表題は「災害対策と政治」です。

 そのなかで二葉町自主防災会は2008年の発足以来懸命に、海に隣接する海抜0Mの市街地の恐怖を高知市や高知県庁に訴え、高台移転や地域の嵩上げや、水没状態が長期化するので「疎開を前提とした地域間交流」も実践してきました。

 しかしながら市役所や県庁の反応は極めて鈍く、13年間「0回答」でした。本当に「やる気」のひとかけらもないとしか思えません。

 その理由は投稿文にも書きましたが「大きな災害が起き、住民がたくさん犠牲になったら、国は多額の支出をして復興工事をします。事後復興です。事前の対策はほとんどしません。被害が出ることが分かっているのに、なにもしないのは行政の不作為です。」

 先日も阿蘇山が噴火しました。また全国各地で地震が頻繁に起きています。日本は「災害大国」です。自民党や経団連は原子力発電所を稼働させると言いますが、直下型地震や大津波で原子力施設に被害が出る可能性は極めて高いです。

 また「敵基地攻撃能力だ」とか得意げに発言する政治家がいますが、原子力施設の防衛が敵性国家やテロリストからできるのか極めて怪しいですね。破壊されたら日本国はお終いです。

 とにかく総選挙で与野党の主張を丹念に見聞していますが、目先の経済対策への言及が多く、コロナ感染症対策や災害対策に関する言及がとてもすくないので失望しています。

 国政が災害対策に積極性がないと、県や市の自治体は動きません。国政を担う代議士の皆さんは、災害対策第1で動いていただきたいと切に思います。

2021年6月21日 (月)

感染症対策(公衆衛生)と集客装置・都市の形成

 私は学識者や研究者ではないので、自分の考え方の「出展元」や「著作の何ページに書かれていた。」という記述をすることが出来ません。ですので昔読んでいた本の内容を自分が取りこんで、自分の言葉で「感染症対策(公衆衛生)と集客装置・都市の形成」という題目で雑文を書いています。


 


 30年ほど前に個人的に「都市再開発問題」に興味を持ち、当時所属していた高知青年会議所で3年間「都市再開発セミナー」という連続講座を開催したりしていました。当時はバブル全盛時代で、アメリカで開発された再開発の商業施設や店舗や「集客装置」に興味を持ち、専門外の1市民が書籍を読んだり、専門家の話を聴講したりしていました。


 


 19世紀の欧州では内乱と階級闘争と革命の最中に疫病も流行し、公衆衛生の概念が成立し(公衆衛生法1848年)都市の衛生環境が劇的に改善されました。


 


 エンゲルスの著作「イギリスにおける労働者階級の状態」のなかで、当時の労働者の藤堂形態は過酷そのもので、住宅の衛生環境も劣悪であった。家族の汚物を道路にまき散らしたりしていたとか。


 


 当時の公衆衛生を記述した本(なんだか忘れました)は、産業資本家は郊外の環境のいい場所に庭のある住宅に住んでいた。工場のある町の工業地区へ行く途中に劣悪な労働者住宅があり、衛生環境も劣悪。いつしか疫病が労働者間で流行し、資本家階級にまで感染する事態になりました。


 


 それで国は公衆衛生法を制定し、労働者住宅の衛生環境の改善、公共下水道の整備や水道の整備など、公衆衛生の改善事業を英国やフランスでも莫大な事業費で行いました。怪盗ルパンが逃げる公共下水道もパリの公衆衛生の改善に大いに役立ちました。


 


 公衆衛生の確立が出来て初めて、今風の都市形成が可能になりました。百貨店や映画館、劇場、サッカースタジアム、商店街、動物園、遊園地、鉄道駅舎、港湾設備などは「集客装置」と呼ばれています。


 


 公衆衛生が確立したから、人々が安心して集まり、密になり、観覧し、買い物し、飲食する楽しい都市空間が誕生しました。19世紀から20世紀にかけて出来上がった都市はたくさんの「集客装置」が集積しています。


 


 都市は「社会サービス・システム」とも言われ、形を変えながら、人々を魅了し、多くの人口を都市部に吸収してきました。


 


 21世紀の疫病である新型コロナウィルス感染症は、19世紀から20世紀をかけて確立してきた都市の「集客装置」を全否定する存在でした。多くの都市では都市閉鎖し、集客装置を閉鎖し、利用禁止にし、人間同士の交流を禁止しました。


 


 解決策は多くの感染症と同様に、予防するためにワクチン開発と特効薬の開発以外はありません。


 


 事態は始まったばかりであり、今後都市がどう変化するのか、疫病は収まるのか。難しい課題は延々と続くことでしょう。


 


 19世紀は公衆衛生事業が解決しました。21世紀はどのような事業が疫病を抑え込むことができるのか?興味深いです。

2021年6月 4日 (金)

コロナ禍対策と憲法改正は全く別問題

陸前高田市長発言・記事
「やたら国家統制を言い立てる人たちは、防災の現実を知らない人が多い。」と私はそう思います。家業と在宅介護している母(95歳)がいますので、自宅まわりの地域防災活動しか出来ない私です。


 


 今回のコロナ禍でも「日本は諸外国のように強権で国民の権利を抑制できないから、人流を抑えられないし、飲食店の営業停止措置まで踏み込めないからダメなんだ。」「個人の権利を抑制するためには憲法の改正が必要」と言い立てる人たちがいます。


 


 その人達は実際の地域防災活動や、現場で被災地支援活動などには全く関心がなく、実際にやったことのない人たちであると私は思います。急逝された元復興副大臣の長島忠美さん(元新潟県山古志村村長・新潟5区自民党代議士)はそうした考えはしない人でした。自民党も惜しい人材をなくしました。日本国にとっても大きな損失でした。


 


 災害対策と憲法改正問題とはなんら関係ないものです。現行法でも現場の自治体の首長や議会、国でも内閣や国会がしっかりしておれば、コロナ対策はいくらでも危機対応が出来たと私は思います。それを殆どしませんでした。


 


 東日本大震災後でも同じようなことが言われていました。岩手県陸前高田市戸羽太市長(自民党系)は「大災害時に内閣の権限を集中させるのは、被災現場を抱える私たち(基礎自治体)」とは逆の考え方だ。人命救助や、その次の復興をスムーズに進めるため、主導的な権限は被災した自治体が持つべきだ」と発言されています。


 


 コロナ禍に対する収拾するための戦略が何もない現政府に強大な権限を持たしても何の解決策にはなりません。むしろ迷惑だし、危険極まりない。


 


 憲法の改正よりも、「危機管理省」のような危機管理の専門家を終結させるせんもん部署が必要でしょう。災害大国日本です。また中国・ロシア・北朝鮮のような核兵器を保有している専制強権国家に日本は隣接していますから。


 


 想定される危機は災害だけではありません。実務で真剣に解決策を議論し実行すべきです。

2020年5月18日 (月)

やれることはお互い精一杯やります

日本経済新聞四国版5月14日・コロナと避難所運営・高知市

 日本経済新聞四国版に「高知のコロナ感染症対策を含めた避難所運営対策」の記事がありました。
 こういう時節でありますので、下地区減災連絡会の副会長と事務局長、高知市地域防災推進課の係長と下知地区担当職員との意見交換を行いました。

 そしてお互いの努力目標をすり合わせしました。

「サーモ体温計は避難所に必要です。ただ時節柄依頼はしていますが、入所できていません。」

「マスクも手洗い消毒液も必要なので支給するようにします。」

「避難所運営も床に寝ることはコロナ蔓延時には危険ですね。段ボールベットは何らかの形でとりいれてみたいですね。」

「脇に挟む式の体温計も入手が難しい。それも配布するようにします。」

「避難所開設・運営訓練でも感染症対策も含めた訓練が必要ですね。」

「消防関係者も防火関係者ではなく、下知地域は浸水地域なので、下知防災関係者が集めてきたカヌーやボードを市の管理している避難所に置かせていただきたい。冷静な意見交換を望みたい・。」

 ということになりました。

2020年5月 6日 (水)

減災に協力する企業は好ましい

公益を追求する企業活動へ
企業は公益を狙ってこそ・日経記事_NEW
 日本経済新聞2020年5月3日号の記事は良い記事でした。
「コロナと資本主義」というテーマの連載記事の1つでした。

「ステークホルダーと歩む」

「求められる配慮」

「プラダが防護服」

「企業、公益狙ってこそ」という小見出しの記事で理解できます。

 まず「ステークホルダー」というのは利害関係者のこと。国家や社会、従業員など幅広い利害関係者に配慮した企業姿勢が昨今求められています。

 従来は「株主至上主義」の経営でした。株主への配当を主体の経営姿勢は、経営をゆがめ、近視眼的な経営に陥り、結局は企業も成長しないことになる。

 イタリアの高級ブランドのプラダが医療用防護服とマスクの生産をしています。またフランスのルイビトンが香水の生産ラインを変更し、消毒液を作り始めているとか。

 リーマン危機の時に多数の人達が解雇され、職や持ち家を奪われました。金融機関は多額の公的資金がつぎ込まれ救われる一方、経営者は法外の多額の退職金を得たことで人々に資本主義への嫌悪が一気に広まりました。

 「経済」は「経世済民」と昔から言われてきました。「三方よし」とも言われてきました。「売りよし、買いよし、すべてよし」とか。

 近年は「自分さえよければすべてよし」の「得手勝手資本主義」が幅を利かせてきました。効率と経営資源の一極集中を行い、世界的な分業の促進でコストの削減を追求してきました。

 「コロナ感染症」はその「得手勝手資本主義」の全てを否定しているようにも思えます。

 そういえば1929年の世界大恐慌の時代に、NYのエンパイア・ステイとビルやSFの金門橋が出来ました。スイパーマーケットも大恐慌時代に登場した商業形態です。

 今回の「コロナ大不況」でも新しい商業形態が登場することでしょう。企業経営者も利益追求だけでなく「公益」を意識した経営が求められる時代であると日本経済新聞は言い切っていました。納得しました。

2020年3月11日 (水)

東日本大震災から9年目となりました。

 2020年3月11日。未曾有の大震災・大津波で甚大な被害をもたらせた東日本大震災から丸9年が経過しました。形の上では高台整備や盛り土整備がほぼ終了し、新しい震災後のまちづくりがスタートしていると思われます。

 しかし被災地から人口が2割流出したと言われていて、少子高齢化の波もあり必ずしも順調に復興しているわけでもないと報道されています。被災直後や避難所生活。仮設住宅での生活よりも、復興へ至る道の方が長く困難であると言われています。

 命がけで東北の皆さまが教えていただいた教訓を糧に「事前復興計画」を高知市下知地区では掲げましたが、必ずしも順調に進展はしていません。

 ただ今年はテーマを明確にし成果を上げていきたいと思っています。それは「中小零細企業BCP研究会(仮称)の立ち上げと活動」、「SOSカード(災害時避難カード)の活用の調査」、「防災紙芝居」(紙媒体での)作成を目標にしています。

 仕事もせわしいし、地域的な課題も多く、いささか「リタイヤ世代」(年齢的には)には荷が重たいが、現役時代より遥かに重要な課題に取り組んでいるので身が引き締まります。

 東北の皆様の命がけの教訓は、私たちが来るべき南海トラフ巨大地震で生き延び、生活を再建していくことにならなければいけないと思います。そのために気を引き締め、心身の体調を整え頑張ります。

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