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神戸市長田区鷹取との交流

2017年1月18日 (水)

読売新聞高知版に掲載されました


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 昨日早朝午前5時半過ぎから、高知市青柳公園で、阪神大震災22年慰霊の集いを、下知地区減災連絡会有志でおこないました。 2017年1月18日の読売新聞高知版に、記事が掲載されています。

 僅か8人の参加でした。私たち以外に高知県内で、追悼の動きはなかったようです。見出しにありますように、参加した各人は「自主防災の強化を誓い。」ました。

高知新聞夕刊に「追悼式」が掲載されました


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 2017年1月17日午前5時46分。22年前の阪神大震災が起きた時刻に、参加した下知地区減災連絡会(森宏会長)の有志8人が、青柳公園で黙とうしました。高知新聞夕刊に掲載(早崎康之・記者)されていることは坂本茂雄さんのFBで知りました。

 震災当時兵庫県在住で金融機関に勤務されていた皆本隆章さん(青柳末広町防災会長・下知地区減災連絡会副会長〉が、当時の体験を参加者皆に話していただきました。「どうすることもできませんでした。」と言われていました。

 2年前の2015年1月17日に有志が集まり始まりました。昨年は岡﨑修一さん(南金田自主防災会会長〉が、竹を加工しろうそくをセットしたキャンドルを作成していただきました。

 今回は細々した追悼式でした。かつては中央公園でも大きな追悼式が開催されyていました。追悼はイベントではありません。規模の大小ではなく「追悼する気持ち」「命がけで伝えていただいた神戸の想い」を共有する場でもあります。高知でも追悼式をしたのは私たちだけでした。

 今年は昭和南海地震から71年目です。両親の世代は体験者です。高知もいつ南海地震が起きるのかわかりません。事前の準備と対策をまず自分たちが行い、生きのびることが大事です。

2017年1月17日 (火)

阪神大震災から22年目の追悼


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 2017年1月17日は、午前5時10分過ぎから、高知市青柳公園へ行きました。岡﨑修一さんが制作していただいた竹製のキャンドルとろうそくを持って行きました。坂本茂雄さんの呼びかけで2年前から追悼の集いを始めました。

 「1・17」とろうそくを立て、下知地区減災連絡会の有志8人が集まり阪神大震災から22年目の慰霊をしました。未災地の高知ですが、71年前の昭和南海地震では下知地域は壊滅的な地震による被害を受け、堤防決壊で海水が地域に流れ込み、長期浸水状態となりました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-7f5a.html

 岡村眞高知大学特任教授によれば、過去6500年の間に大きな南海地震は16回も起きています。100年に1度の規模の地震。300年に1度の地震、1000年に1度の地震が起きていました。
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 災害に備えることにはきりがありません。まだまだやりつくしてはいません。今年は少しでも個人的に、地域的にも減災になるような活動をしていきたいと思います。.
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 高知県内には追悼の行事はないようです。報道関係ではテレビ高知・読売新聞・高知新聞など寒い中取材に来られていました。参加者の中で22年前に阪神大震災を体験された皆本さんが個別取材をされておられました。

2017年1月15日 (日)

1月17日阪神大震災・22年目の追悼

 下知地区減災連絡会事務局長の坂本茂雄さんの呼びかけで、今年(2017年)1月17日も、高知市青柳公園集合で、「阪神大震災22年目の追悼」を有志で行います。

(日時) 2017年1月17日 午前5時半集合

(場所) 高知市青柳公園北詰

*追悼のろうそくと竹筒は岡﨑修一さんが作成していたきました。昨年よりわたしが保管していました。

*着火マンがないので、各自持参ください。

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 昨年の様子です。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-1afc.html

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 1昨年の2015年には、西田政雄さんと一緒に交流のある神戸市長田区鷹取東地区へ「20年慰霊祭」に出席しておりました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-ed22.html

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2016年6月22日 (水)

第5回下知地区減災連絡会


 2016年度下知地区減災連絡会第5回総会が、2016年6月21日午後6時半から、下知コミュニティ・センター多目的室にて開催されました。定数48人中37人が出席。委任状出席が5人で、総会は成立しました。
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http://www.bousai.go.jp/kyoiku/chikubousai/160312forum.html

 来賓で高知市地域防災推進課の猪野課長補佐、山中係長、山本・中山課員が出席されました。
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 総会前に、西村副会長が、3月12日の仙台にて行われました内閣府の「地区防災計画フォーラム」の報告をしました。「下知では防災・減災をたしなみや文化とする」ことで地域住民の命は救われると発言しました。
 
 続いて地域防災推進課の山本美咲氏が「地区防災計画策定支援業務」について説明されました。「希望ある未来に向けた事前復興計画を作り、生活と街を再建するためには住民の命を失わないことを最優先し、そのための個別計画(1・命を守る。2・命をつなぐ。3・生活を立ち上げる」を策定し実践することです。」と言われました。

 総会は2015年度事業計画・決算、2016年度事業計画、事業予算、役員人事もすべて承認されました。地区防災計画=事前復興計画=下知が幸せになる物語が、下知地区減災連絡会の核の1つです。高知市の地域防災計画に反映させる具体性をもった地区防災計画にしなければなりません。

 オブザーバーで来られていた弥生南防災会が下知地区減災連絡会に参加することになりました。
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2015年6月21日 (日)

単線型災害復旧のありかたの変革を


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 大災害時には、日本の場合「災害救助法」とかの法律があります。それによりますと、災害で自宅など住居を失った被災者は、避難所へ収容され、それから応急仮設住宅へ収容されます。おおむね2年で、自宅の再建か、出来なければ復興住宅へ移ります。
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1995年の阪神大震災時ではごく1部でしたが、被災者が自ら借用した民間賃貸アパートの家賃を行政側が補償する「みなし仮設住宅」も東日本大震災では多く見られたそうです。

 しかしながら現在の行政側のルールでは、応急仮設住宅の床面積は9坪弱となっています。大半がプレハブの住宅です。


応急仮設住宅の面積

  単 身 用 : 19.8 ㎡程度(6型:6坪相当)
  小家族用(2~3人) : 29.7 ㎡程度(9型:9坪相当)
  大家族用(4人以上) : 39.6 ㎡程度(12型:12坪相当)
  応急仮設住宅の1戸当たりの規模は、平均 29.7 ㎡(9坪相当)を基準とします。

 「応急仮設住宅」の名称からして、あくまで短期間の被災者の収容施設(最長2年)とされていますが、東日本大震災のように、土地そのものが大津波で流出したりしています。高台を造成したり、元の地域をかさ上げし造成した後に住宅を建設する段取りになるので、早くて数年後、時間がかかれもより長期間仮設住宅に居住せざるを得ません。

 阪神大震災で全半壊家屋は24万戸。東日本大震災で40万戸。南海トラフ大地震での予想では164万戸とされています。到底応急仮設住宅建設は、災害罹災後2か月後の入居など不可能でしょう。

 まして高知県は県土の84%が山間森林部であり、居住可能な平野が低地で高知市下知地域のような海抜0メートル地帯に、15万人が居住しています。地震で地盤が沈下したら、地盤そのものをかさ上げし、耐震補強してその上に住宅を建築するとなると一体何年先になるのか見当もつきません。

 そこで4年前から二葉町が行っている仁淀川町との「災害時に疎開を前提とした交流」の意義目的は、「空き家や休眠施設などの有効活用できないか」と言うことです。お互いの地域が顔見知りになり、コミュニティの維持をしながらの長期避難対策(3次避難9を想定しています。

 県や高知市の反応は冷淡であり、「いいね」とは言いますが何の支援もしません。従来型の発想の行政主導の災害復旧対策は、この事例からもわかるように「地域コミュニティを維持する活動への支援」には極めて冷淡です。これでは南海地震が起きた後に、住民が奮起して自力再建は極めて難しい状況となるでしょう。

 私たちの主張には根拠があります。高知県は県人口が毎年5000人減少しています。空き家率が全国でも高率です。であるならば「空き家」を事前に有効活用して、被災者対策に出来ないか。そう思います。

 その構想についてはおいおいに記述したいと思います。

2015年6月 6日 (土)

石井弘利さんの想いをわたしたちは継承します。

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 2015年6月2日にご逝去されました神戸市長田区鷹取東地区の石井弘利さん。1995年1月17日の阪神大震災以来、鷹取東地区の地域コミュニティの再建に尽力されました。

 私たちは石井弘利さんの想いを継承し、高知市の市も地域の街づくりをしていくことを、ライフワークにします。

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2015年6月 5日 (金)

石井弘利さんのご冥福をお祈りします

 神戸市長田区鷹取東地区で、阪神大震災以降、地域の住民主体の松づくりや住民本位の復興・復旧の先頭に立たれておられた石井弘利さんが、ご逝去されました。心よりお悔やみ申し上げます。

 想えば2008年8月24日の事前調査、10月5日の二葉町自主防災会メンバーと鷹取地区住民との意見交換会で、石井さんにはお世話になりました。
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「行政側を全面的にあてにしたらとんでもないことになる。住民で団結して行政と交渉しないと。そのためには住民同士の助け合いと連携がなにより大事です。」

「震災後の区画整理で住民は平均9%減歩されている。地元住民側として地蔵盆をやる場所を要求した。」

「全国からの震災義捐金を神戸市は半分しか住民に交付していない。住民側には1世帯15万程度しか支給されていない。震災後10年間ちびちび交付し、残り半分は一般会計に神戸市は繰り入れた。だから行政は常に住民が厳しく監視しないといけない。」

http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_2076.html

神戸市長田鷹取地域を事前訪問しました

 「わしらはまさか神戸に地震が来るなど思ったことはなかった。だから軍手1つ持っていなかった。地震の後は3日間というもの救援物資も来なかった。本当に着の身着のまま放り出されたようだった。」
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http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-cbe7.html

http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-c8a4.html

 また2013年11月8日には、高知市下知コミュニティ・センターへ講演に石井弘利さんは駆けつけていただきました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/2-4326.html
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「高知市下知地域。海抜0メートル。すぐに水が来る。津波が来る。そのことが話題の中心になっているようですが、家の中からまず安全に避難することも皆が真剣に考えないといけないのではないでしょうか。」

「地震当日は5時46分に地震があり、6時にはもう火事になっていました。神戸市のコンピューターシステムが誤作動し、消火栓にホースをつないでも水が出ませんでした。おかげて地域は全焼。100人以上が犠牲になりました。」

「犠牲者の大半は高齢者と子供です。避難計画を立てる場合は、その高齢者と子供の安全をどう確保するのかも検討しないといけないと思います。」

「地震当時もそうでしたが、地域の中学生・高校生たちが大活躍しました。日頃から地域との交流を深めていくことは大事であると思います。」

「さて地域の再建・復興の話ですが、当初区画整理事業というもにが皆理解できませんでした。神戸市が一方的に「平均9%の減歩」を言って来ました。我々は勉強して神戸市と交渉し「上限9%の減歩」にさせました。

 とにかく区画整理事業や都市計画事業を懸命に勉強し、神戸市当局と掛け合い、国とも掛け合いをして少しでも地域の要望や要求を実現させていきました。

 当時の建設省へも乗り込み、長田の窮状を訴えました。そうすると翌日から神戸市の態度が急変しました。行政の言いなりになるのではなく、住民側も言うべきことは言うべきです。」

「行政は例外がないから出来んと言う。それもしつこく言い続けるとそれは実現する。役所と対抗するには勉強しないといけない。まちづくり協議会などの住民の広範な組織で議論して、勉強して行政側と対峙しないといけない。」
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「長田では市役所主導の再開発ビルが建ちました。家賃や管理費が高いので店舗が埋まりません。震災後住民とくに借家人が地域から多く出て行き人口も減りました。住民側の意向と市役所の再開発プランとの隔たりが大きいのです。」

石井弘利さんは、自転車販売業の傍ら、鷹取商店街振興組合理事長や、地域の連合意町内会長も歴任され、地域コミュニティの復興に尽力された人でした。

 今年1月17日に西田政雄さんのお誘いで、阪神大震災20年の追悼式に参列し、意見交換会へ参加したのが最後にお会いしたお姿でした。
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http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat60291529/index.html

 石井弘利さんと一緒に活動されていたチョ・ホンリさんの追悼文を掲載させていただきます。

 長田鷹取東地区の自治会長であった石井弘利氏(74歳)が昨日死去した。
阪神大震災で街が消失し、多くの犠牲者を出したこの地区で生まれ、育った石井さん。仕事は自転車屋さん。
 被災した地域をもう一度復興させ、再び元の街に甦らせるとの20年の闘いであり、いつもの口癖は「行政はなにもしない、地域住民が声をあげ提案すること」。が復興の基本であると、当時の神戸市の復興計画に対して多くの矛盾点を追及したひとであった。
 また、この地域の区画整理事業、街づくりに積極的にかかわり、地域のコミュニティの復活を強く呼びかけ、町内の人たちのきずなを取り戻す活動に終始することを生涯の目標であり、亡くなった人たちの追悼を継承させていきたいとの強い思いが、かなり厳しい病状でありながらも、約2年近く、病気と闘いながら、「阪神20年までは」。との強い思いで本年を迎えた。

 これまで地域のまちづくりとともに全国の地震被災地へ支援にも駆けつけ、阪神の被災体験を無駄にさせないとのことで、講演を行うなど積極的に「阪神の失敗をさせない」。との思いがそこにあったように思える。

 亡くなる3日前に自宅に訪問したときに、石井さんは言った。
「復旧は急いでいいが、復興は急ぎ過ぎるとよくない」。と言ったのが今も心に残る。石井さんの半生はまさに地域の復興にかけたといえる。
 20年の大きな節目を確かめて、旅立ったような思いがする。やり残したことはないでしょう大変お疲れ様でしたと言いたい。
ご冥福をお祈りいたします。

  6月3日 午後6時 通夜
  6月4日 午前10時30分 告別式
  於 長田区若松町10丁目 旭若松公会堂

 心よりご冥福をお祈り申し上げます。石井さんやチョ・ホンリさんたち長田区鷹取の人達が素晴らしいのは、自分たちが被災者であるにもかかわらず、9年後の新潟県中越地震の時には山古志村を訪問し、激励し支援をされました。16年後の東日本大震災時には、南相馬市を訪ね激励し、支援されました。

 私たち高知市の下知地域は、市民本位のまちづくり、地域コミュニティの再興に障害をかけられた石井弘利さんの意志を継承し、下知地域の事前復興プランや地区防災計画の策定をめざしていきたいと思います。

2015年2月 7日 (土)

復興<災害>を読んで


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 「復興<災害>―阪神・淡路大震災と東日本大震災」(塩崎賢明・著・岩波新書・2014年12月刊)を読みました。実は、1月17日に神戸市長田区鷹取東地区の20年」慰霊祭に行く前に新刊本で購入していました。一応行く前に積読はしていたものの、震災から20年経過した長田の現実に打ちのめされ、ようやく読書ノートが書けるようになりました。

震災から20年が経過していても、借金の返済をされている人たちや、長年続けてきたご商売をやむなく廃業されている商店主も多いと聞きました。鉄人28号(作者の横山光輝氏が神戸の出身)の巨大な像のある新長田駅前から鷹取東地区を歩きました。思いは複雑でした。

 住宅は新しくなってはいますが、ところどころに空地もありました。3階建てが多いですが、住民の方に聞きますと、区画整理事業で減歩され道路に土地を提供したので敷地が狭くなり3階建てにされた家屋が目立ちます。
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 たしかに長田には、震災遺構はありません。JR新長田駅前は高層マンションが林立し、駅前商店街の商業ビルも立派でした。しかし活気があるか、発展しているのかと言われますと、(高知とは比較できない大都市神戸市ではありますが)どこか違和感を感じていました。
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「筆者が「復興災害」という言葉を初めて使ったのは、阪神・淡路大震災から10年が過ぎた2006年のことである。大震災の被災状況調査や避難所、仮設住宅、復興公営住宅、区画整理事業や再開発と言う復興まちづくりに関わるなかで、いつまでも孤独死がなくならず、まちづくりで苦闘する人たちを見て、これは災害の後の復興政策や事業が間違っているのではないかと思うようになった。」

「震災で一命をとりとめたのにもかかわらず、復興途上で亡くなったり、健康を害して、苦しんだりする人々が大勢いる。その被害は個人の責任だけに帰することはできないと思えた。この復興による災厄は「復興災害」と呼ぶ以外にはあるまい。これは自然の猛威ではなく、社会の仕組みによって引き起こされる人災であり、本来防ぐことが可能な災害である。」

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「実は、現在の防災・減災対策の中で、復興施策はほとんど位置づけられていない。命さえ助かればあとは自分で、という形になっているといっても過言ではない、しかしそれでは多くの被災者は生きて行けず、生活再建はできない。そこに復興災害が発生する根本原因がある。

 復興の事業の多くは公共施策として行われるが、その内容は貧弱で、被災者の実情に合っていないことが多い。」(P3)

 筆者は震災後20年が経過しても、阪神・淡路大震災の被災地では「復興災害」にさいなまれている人たちが存在していると指摘されています。それが2011年の東日本大震災での復興事業に活かされているとは言い難い現実があるとも言われています。

 日々いつ起きるかもしれない南海トラフ巨大地震の恐怖で毎日日にち海抜0メートル地帯に住んでいる私たち高知市下知地域住民の想いや、考え方は、高知県庁や高知市役所の言う「減災対策」にはまず活用されないし、意見の聴取をすることもありませんでした。
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 いつ開催され、だれが委員であるのかも不明な県・市による「南海地震長期浸水対策検討委員会」なども該当地域住民抜きで「勝手に」審議され対策が検討されているようです。そして検討会の意見がまとまってから(住民の意見は全く聞くことなく)、住民側にやおら事後報告するとされています。呆れますね。そしてその検討案を押し付けてくるのですから。

  http://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/010201/choukishinsui.html

 南海トラフ巨大地震が起きる前からこの有様で、極めて貧弱な事前対策しかなされていません。実際に甚大な被害がでたならば、高知市低地に住む13万人の市民の避難、生活再建は極めて難しいいばらの道であることは想像が出来ます。

 著作の中で新長田駅南地区の再開発事業の記述がありました。

「東日本大震災の被災者らが、阪神・淡路大震災の復興に学ぼうと神戸を訪れ、予想に反して衝撃を受けるのが、新長田の再開発事業である。そこでは震災後20年を迎えても事業は完了せず(現時点のめどは2017年とされている)、それどころか出来上がった再開発ビルの中はシャッターだらけで、多くの商店主が日々苦しんでいる。巨大再開発と言う復興施策がもたらした「復興災害」がいまなお進行中なのである。」

「神戸市長田区の新長田駅南地区再開発事業(面積20ヘクタール)は、阪神・淡路大震災の復興都市計画事業のなかでも最大のものであり、他の事業が完了する中で今も大きな困難をかかえている。

 新長田地区は。ケミカルシューズの工場や卸売店舗が多く、商店街が縦横に張り付いた住宅・商業・工業の混合地域であった。建物の多くは2階建て以下の木造で、無数の路地で構成された神戸の代表的な下町である。震災では市街地大火によって壊滅状態となった。

 従前の世帯数は1600世帯、人口4600人で、権利者数は2162人であった。

 新長田の再開発事業は、いわゆる第2種再開発事業で、管理処分方式をとっており、神戸市が地区内のすべての土地を買収し、44棟のビルを建設する計画である(総事業費2710億円)。2014年6月に37棟が完成し、1棟が建設中、6棟が着工予定である。」

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「再開発ビルの分譲住宅の価格は、688万円(27・24平方メートル)から、4675万円(124・23平方メートル)で、ほとんどの場合、従前権利の評価額より分譲住宅の価格の方が高い。

 追加的な資金を持たない人は、わずかな補償額を手に転出するか、受け皿住宅に入るしかなく、震災前の住民の45%は地区外に出たという(日本経済新聞 2009年1月13日)。筆者らの初期の調査でも、分譲住宅の入居者の76%は地区外から来た新住民で、従前の住民は24%であった。」(P42「新長田駅南地区再開発」)

 商業者や事業者には復興には大変な困難が伴いました。

「一般に、市街地再開発事業では、従前の居住者・権利者が地区に留まることは難しく、大半が転出することが多い。商業者・中小零細事業者の営業を確保し発展させることは、当事者にとって死活的な問題であると同時に、地域の活性化という点からもきわめて重要な問題がある。

 しかし、従前の商店・事業所が営業を再開するのは大きな壁がある。主なものは以下の3点である。

第1に、従前資産の評価に比べ権利床価格が高いために、入居できないことである。

第2は、共益費、管理費などのランニングコストである。床の買い取り価格に加えて、巨大なビルを維持するための共益費、管理費など、以前はなかった負担が新たに増える。

第3は、再開発によって生み出される商業床が過大な事である。神戸阪神間ではすでに商業施設が過集積しており、大規模な商業床は競争を激化させ、営業にとって困難をもたらす。

 商業床の大部分を「新長田まちづくり株式会社」に賃貸契約しているため、形式上は契約済みになっているのであろうが、各ビルの1階部分では賑わってる店舗もあるものの、2階や地下ではシャッターが閉まったままの区画が目立つ。」(P439)

 確かに2015年1月17日に地元のチョ・ホンリさんに案内していただき、新長田駅周辺の商店街である新長田1番街商店街、大正街商店街、六間道商店街、西神戸センター街などを歩きましたが、著作で指摘されているような現実を見ました。
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 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-39d2.html

 確かに大阪近辺は梅田駅周辺も大規模な再開発され、商業集積が進みました。また超高層ビルの商業施設であるあべのハルカスなども開業しています。同じ神戸市の三宮周辺との競合もあるでしょう。

 職住・商工混合の下町の風情は失われ、巨大な高層ビル群と、商業ビルには活気のない現状を見ると、神戸市の大規模な長田の再開発事業は完全に失敗していると思いました。

 やはり当事者である住民不在の再開発計画であったことが失敗の大きな原因であったと思います。神戸市都市計画部局の思い上がりと市民軽視の開発手法が破たんの原因でしょうね。
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 また現在東日本大震災の復興事業も、地元の意向が無視する形で進展しているようですね。                                   

「多くの市町村では、震災前よりも高い防潮堤を建設し、道路や鉄道敷を盛り上げて堤防替り(2線堤という)とし、浸水を防ぐ計画になっている。また、今回津波で浸水した市街地を大規模に盛土する計画も多い。しかし、それらの計画に対する疑問も少なくない。
 高い防潮堤については、景観上の問題や、海との関係の段絶、津波避難がかえって遅れるといった点や、海岸の環境破壊なども指摘されている。

 城壁で囲まれたようなまち、海の見えないまちになって、将来の街の発展があるのかといった危惧がすでに住民から出されている。また、数百キロメートルにわたって三陸沿岸を巨大防潮堤が覆う事業は、海岸地区の自然を著しく破壊するという指摘もなされている。本来であれば、十分な環境アセスメントがされなくてはならない大事業である。十分な検討もないままに、予算がかくほされたからといって巨大事業が展開され、人々の生活が戻らない街になってしまっては、本当の意味で復興とは言えない。」(P130「住宅復興とまちづくり」)

 東日本大震災後の復興事業でもまたしても阪神・淡路大震災の「復興災害」の教訓が生かされていないように思います。巨大なコンクリート護岸の背後の街には誰もすまないような現実になるのではないでしょうか。

 また筆者は原子力発電所の稼働をさせないことが、重要な防災対策であると言い切っています。
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「原発に「世界最高水準」の安全性を求めるといった議論があるが、ほとんど無意味と思われる。一体、何をもって「世界最高」というのか。世界第2位と比べてどれほど安全になるのか。地震や活火山が多く、狭い国土に55基の原発(もんじゅも含む)が存在する日本は、世界的に見てもけた違いに危険な状態にある。」

「大地震の回数[最近100年間発生した死者1000人以上に地震)と原発の個数を、国土面積あたりで比較してみれば、日本の(地震×原発)指数は、38・09で、世界のどの国よりも数百倍ないし無限大の危険性を抱えている。」

「仮に原発が1基になったとしても、指数は0・69で、第2位のパキスタンの7・7倍あり、世界1危険であることに変りはない。狭い国土で地震が多いこの国では、国土を安全で強靭にするには原発をゼロにするしかないのである。」(P185「大災害時代の幕開け」)
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 塩崎賢明氏は「次なる震災復興の備え」として住宅復興の観点から提起をされています。

①避難所生活の改善

②複線的な総合プログラムの作成

*応急仮設住宅の質の向上

*自力仮設の認容

*みなし仮設の制度改善

*家賃補助制度の導入

*被災者生活再建支援金制度の改善

③住宅再建・生活再建と整合性のある災害復興まちづくり制度

④防災・復興省の創設

 「それらの提案事項を「阪神・淡路大震災の経験と東日本大震災の復興の現実から真摯に学び、既存の制度や悪しき慣習にとらわれず、1人でも多くの命を救い  中略

 大胆に法律・制度や仕組みを改革することが、一刻の猶予もなく求められている。」と言われています。

 南海トラフ巨大地震の恐怖に毎日苛まれています。既に私たち海抜0メートルの高知市の下知住民は被災者になっていると思います。既に地域の地価は暴落し、誰も買い手がつかない状態になっているからです。よほど資産がないと地域外への移転もままならないのです。

 南海トラフ巨大地震は近づいて来ています。なんとか困難な地域に住んでいますが、生きのびたいと思っています。本気で活動をしなければいけないと思いました。


 

2015年1月23日 (金)

阪神大震災の震源地・野島断層を見学しました


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 長田区鷹取東の皆さんと早朝からの交流を終え、山古志、南相馬の皆様と別れを告げて帰路になりました。幸運なことに高知から来られた甲藤雄司さんと山本雅幸さんの十乗用車に便乗させていただきました。帰路のバスをキャンセル。それで長距離バスでは見学することのできない淡路島にある北淡震災記念公園へ行くことになりました。

 阪神・淡路大震災の震源地と言われる淡路島の野島断層。地上にむき出しになった断層が大きな建物で保存されています。野島断層は国の「天然記念物」だそうです。

 最初に見た場所は、道路が地震で隆起し、側溝が折れ曲がっている姿でした。断層が100メートル建物のなかで保存されていました。壁のようになった断層では、粘度質の土と砂状の異質の土がずれていますので、断層の状態が良くわかります。
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 昔図鑑で断層を絵で見ましたが、現実の断層は初めて目撃しました。
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 野島断層記念館横にあるメモリアルハウス。当時あった民家がそのままの状態で保存されていました。台所も水屋が倒れ、食器が散乱した状態でした。電池切れになり撮影できませんでしたが、コンクリート製の塀も地震で折れ曲がっていました。
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 震度7を体験できる部屋もありました。なにより天然の断層を屋内保存しているところが凄いと思いました。直下型地震の怖さを思い知らされた施設でありました。

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