2014年9月7日にNHK仙台放送局が制作した番組「いま災害を生き抜くためのことば」に参加していました。音声NHKラジオ第1放送の番組で午後5時5分から6時55分ま全国放送されました。
NHK仙台放送局のスタッフの皆様とは当日まで事前に面談はしていませんが、担当者の塚原奏介さんとは事前に何度もメールでやりとりをしたり、時に電話で話をしたりしました。個人的な事を申せば、わたしは今まで一度も東北の地へ行ったこともなく、「仙台へ来られてラジオ番組へ出演しませんか」と言われましたが、私ごときでいいのでしょうか。ちゃんと他の出演者の京都大学助教の奥村与志弘さんやタレントの山口もえさんと話がかみ合うかどうか正直心配でした。
事前のNHKの事前取材録音が5本あり、そこがしっかりしていましたので、番組進行はスムーズでした。わたしの技量不足で感想を言うにとどまり、「仁淀川町と二葉町との取組」や、「徳島県美波町との交流」「神戸市長田区鷹取町内会との交流」については紹介できませんでした。
日程的にシビアでしたので、仙台市は駅から仙台放送局との間の徒歩15分と、帰りにホテルから駅まで15分の歩きで街並みを垣間見ただけでした。それでもあるキリスト教教会に「ボランティア募集」の看板があり、朝日新聞や河北新聞の記事に「震災関連」があり、やはり四国で感じていること以上に深刻であると思いました。
「いま災害を生き抜くためのことば」番組について
番組では5つの事前取材と録音にて構成されていました。
1)岩手県洋野町では、「津波の犠牲者が0」でした。その背景は?
ベテラン漁師のくらさん(77歳)は、「揺れ方がいつもと違う。これは大津波だ。」と周りの漁師や港にいた人たちを高台へ避難するように大声で呼びかける。地震後とまどいう動けなかった人たちに「スイッチ」が入り、皆が逃げることに成功し、犠牲者は出ませんでした。
凄いのは、娘さんも「きっと無事だろう」と信じて、1人で探すこともせず高台へ逃げたそうです。
「津波てんでんこ」の実践事例です。「てんでんこ」は「てんでんばらばらに」の意味で、「人にかまわず必死で逃げろ。」という意味です。「津波対策はハード、ソフト両面あるが、特にソフト面が非常に大切なことが証明された。各家庭で津波の時にどうするか、考え続けてほしい。それが集まることで真の対策となる」(岩手日報)
まさに岩手県洋野町の人達は「津波てんでんこ」を実践して助かりました。
「板子一枚の下は地獄」の世界で仕事をしている漁師さんたちは、私は「海の神様」であると思います。わたしもセーリング(ヨット)を遊びでしていますから。2度ほど冬の強風の海で漁師さんに助けていただいたことがありました。
「冬の青空で北の山へりに白い雲がへばりついていたら大風が吹くので絶対に海へ出られん」と言われました。私が自力で戻れなくなったのは、今思えばそういう気象条件でした。
ベテラン漁師のくらさん(過去津波に3回遭遇とか)が「これはただ事でねえ。偉い津波が来る。逃げろ!!と叫んだのは物凄い説得力がありました。その一言で経験の浅い若手漁師にもスイッチがはいったのですから。
家族を「探すのではなく、その場その場で、てんでんばらばらに1人1人が高台を目めざして逃げること。そのことを家族と地域のルールにして、しかも実践されたことが凄いことです。
昔の人が考案した「津波てんでんこ」は優れた言葉であると今更ながらに思いました。
四国にはそのような優れたコピーはありません。「命山」と呼ばれる小山が沿岸部にあります。
私がセーリングを年中やっている香南市夜須町。過去の南海地震の大津波で「亡所」という表現が古い記録にあるように被害がでている地域です。この地域の坪井に30メートルの高さの小山があり観音山と言われています。
言い伝えでは大津波が夜須を襲いました。ひとびとはこの山へのがれて命が助かりました。しかしそのうち何人かは山を下り、自宅へ戻り金目のものを取り出そうとして次の津波の大波にのまれ亡くなりました。
徳島県美波町(由紀)には、日本最古の「津波に注意する」石碑があります。
石碑には「逃げたら金目のものにとらわれず、家に戻るな。」と刻まれているそうです。この山は人々の命を救う「命山」とも呼ばれています。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_2320.html
「命山」とよばれている高台は四国に何か所かあるようです。
2)地域のリーダーの責任を考えさせられました。
山元町ではラジオの予報で津波の襲来を知ってもなかなか地域の人たちが逃げない。区長さんが懸命に説得しても逃げない。90歳のお爺さんを説得中に津波に巻き込まれ、なんとか一命を取り留めました。
番組の中で区長さんの言葉が紹介されていました。
「自分の区の犠牲者は59人。住宅団地だけで、12.3人亡くなる。近所で固まっていた人も亡くなる。他の区長は、避難を言いまわっているうちに犠牲になった方も。
自分の命は自分で守り、自分で避難するのが本当でしょう。気持ちの問題として、区長は地域のために働く。自分だけが助かろうとは思えない。
地域のために働くはずだという住民の期待も感じる。我先に逃げていいのか、悩ましい。そんなことしたら後々まで非難されるのではないか。」と。
重たい言葉です。
私の私見は「役目を持つ人の問題ですが、自主防災会は救助のプロでもないので、あくまで事前の啓発や呼びかけ、事前対策がすべてです。自分や家族の命は自分で守ることが大原則です。」
山元町の区長さんは真摯で地域の人達の動静を把握されています。緊急事態にも災害弱者と言われる地域の高齢者をなんとか助けようと奮闘されておられました。では自分はそれが出来るのかと問われれば、それは出来ないと思います。
うちにも超高齢者の要介護度1の両親がいます。家族があります。小さいながらも会社を経営しています。危機的な状況の中で、避難しようとしない地域の住民を敢えて説得する選択肢は私にはありません。やれることは事前対策がすべてです。
わたしなりに自主防災会の補償制度や保険についても調べました。
「現状では自主防災活動で怪我をしたり命を落としても補償はなにもないです。」
高知市の消防団員をしている知人に聞きました。消防団員は火災現場へ駆けつけ消火活動をしますが、その際怪我をしてもちゃんと保険が掛けられていて、死亡したら多額の見舞金が出るように聞きました。
一方地域防災の一翼を担うと期待されている自主防災会。現状では南海地震が起きて、ご近所の人達を救助しようとして怪我をしたり、死亡しても消防団員のような補償は全くありません。無保険状態なのです。
損害保険に詳しい知人に「自主防災会メンバーを対象とした傷害保険はありませんか?なければこしらえることは難しいのでしょうか?」と聞いてみました。
回答は「全国市長会市民総合賠償保障保険というものがありますよ。そのなかでおそらく自主防災会の活動もカバーされているのでは」との回答を得られました。
全国市長会市民総合賠償保障保険(奈良市の事例))
http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1244454343983/index.html
全国の市町村が加盟をしていますが、補償内容が「ボランティア活動」や、防災訓練時の事故などに限られていて、実際の地震や津波での活動は「補償対象外」と明記されているのです。
例として取り上げました奈良市の場合も「対象外」と書かれています。
■ 補償の対象とならない事故
* 該当行事等に参加するための往復途上の事故
* 給付対象者の故意
* 死亡給付金を受けとるべき者の故意
* 給付対象者の自殺行為、犯罪行為
* 給付対象者の酒酔い状態での事故、又は無資格運転による事故
* 給付対象者の脳疾患、疾病又は心神喪失によるもの
* 大気汚染、水質汚濁の環境汚染
* 地震、噴火または津波
* 医学的他覚所見のないけい部症候群(いわゆる「むちうち症」)や腰痛
---など
ではなぜ自治体は「自助」「共助」「公助」を言い「自助が7割・共助が2割・公助は1割です。」などと無責任極まりないことを言うのでしょうか?
公助(行政)の2倍も(共助)が担うべきであると行政側は日頃公言するのに、防災活動をする自主防災会の構成員の「身の安全」「傷害保険」については何の手立てもしていません。全く無責任極まりない。社会的なケアする仕組みづくりが大事なのではないか。この件に関しては掛け声だけでなにもしないのが行政当局です。
ちゃんと補償があると言うなら、具体的にそのしくみを解説いただきたいものであります。
3)洋野町の消防団員は「率先して逃げる」ことをルール化していて住民も熟知している。
時間を決めておられ「何分経過した。これ以上は危険。消防団は率先避難する。」と消防自動車をともないサイレンを鳴らしながら高台へ避難された。それを見ていた住民各位は「消防団が避難しているぐらいだから大変な津波が迫っている。ただちに何を置いても高台へ逃げなくてはいけない。」というメッセージにつながりました。
これは良いルールであると思いました。消防団はボランティ組織とは言え、行政組織と末端で繋がっています。災害罹災情報は行政から逐次無線で送られてきます。危機が迫っていることをいち早く知ることが出来ます。
それゆえ知りえた危機的な状況を、的確に住民各位にすみやかに伝達することが消防団には求められます。地域の自主防災会は残念ながら現状では、行政側の情報を提供される立場にはありません。無線も繋がっていませんから。
4)桂島では若手住民が高齢者を優先的に車を活用して高台に避難させ、避難が完了した後、津波が押し寄せましたが皆が助かりました。
聞いていまして、とくにルール化していなかったようですが、島の人たち同士が顔見知りで島で1番弱い人たちが誰なのか、どこに住んでいるのか熟知しておられました。それゆえ自分ができることはなんなのか。短い時間の間に何をするのかが理解し、行動して成功された数少ない事例でしょう。
都市部で町内会さえ入らない身勝手な住民が多い今日この頃。地域全体が顔見知りにはなかなかなりにくい。でも工夫して地域コミュニティを再生することが、防災・防犯ン・見守りにつながることではないかと思いました。
5)避難先で待ち受けた苦難。大勢の避難者で混乱している避難者では、傷害を持たれた人や慢性疾患を持たれた人や、乳幼児などへの対応がとても難しい。
レポートでは視覚障碍者の方が、なんとか高台の避難所へ避難したものの、勝手がわからず苦労され、ついには体調を崩されてしまったとの報告がされました。
ではどうすればいいのか?二葉町自主防災会では、既に1つの答えを出しています。それは町内住民全員を対象とした防災世帯調査の実施です。
7年ぶりに行われた二葉町防災調査。今回も前回同様に、世帯構成や、緊急時連絡先、病歴。介護歴などを自己申告制で記入いただきました。更に今回は「資格」保有者の申告もお願いしました。
特筆すべきは、「医療・介護」分野の有資格者が複数二葉町内におられるということです。
看護師は元されていた人も含めて7人おられました。医師も2人おられます。介護士の資格保有者は6人います。助産婦の資格保有者もおられました。理学療法士などもおられます。
美容師も5人おられます。アマチェア無線保有者も複数おられます。建築士も複数おられます。手話通訳の資格保有者の方や、調理師の方もおられました。高圧ガスの取扱者や危険物取扱者も複数町内におられます。
大災害直後は、行政機関の速やかな支援は期待できません。「共助」力を高めるために、大変有益な調査であったと思います。
取りまとめをされまし荒木三芳二葉町自主防災会副会長に感謝申し上げます。
全世帯を対象とした「防災世帯調査」を二葉町は実施しました。町内のデータはももっています。しかし周辺の町内はまだ実施していません。それとは別に各個人が携帯カード式で「SOSカード」を下知地域の全世帯に配布したいと検討しています。「わたしは●●に障害があります。」とカードの表に表記し、裏には保険書番号や病歴・介護歴を記述し、薬手帳も携帯する方式。避難所ですぐに手が打てます。自主防災会では予算がないので、社会福祉協議会に要請しています。
やれること、できそうなことはどんどん提案しています。
二葉町内の津波一時避難(退避)場所への避難行動と、下知コミュニティ・センター(避難収容所)との携帯トランシーバーを活用した情報伝達訓練を実施しました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-ba99.html
(検討している課題について)
「みなし仮設住宅」として、中山間部にある空き家が活用できないか。改装する費用や、維持費用の支援はなんとか取り付けられないだろうかと検討しています。
1)昨年仁淀川町側より「疎開保険」の提案がされました。1人年間1000円の会費を二葉町契約者が払う。もしもの時に宝来荘に宿泊し、空き家探しを行うことが出来る。その間宝来荘を安く利用できるなどの特典が提案されています。まだ検討協議中です。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-7d0a.html
2)仁淀川町の家屋を所有している知人から昨年借ることにしました。しかし6年位住んでいないために廃屋状態に。手入れさえすれば居住は可能ですが、その費用が出ません。「みなし仮設住宅扱い」を行政側がしてくれて、支援を戴ければ、」二葉町は独自に町民用の避難住宅をいくつか仁淀川町内に確保することが出来ます。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-b57b.html
(構想としては大きく長期的に取り組んでいく課題)
1)高密度発泡体を活用した浮体構造物での浸水対策
南海地震発生と同時に液状化が始まり、地盤が沈下し、浸水が始まります。津波一時避難(退避)場所や、津波避難ビルは階段で垂直避難しなければならない。歩けない人たちは介助が必要。高齢化している地域ではとても難しい課題です。
元橋梁技術者である小谷鐡穂さんに「高密度発泡体を活用した浮体構造物」を考案していただきました。「高密度発泡体を活用した浮体構造物」は船ではありません。筏のようなものです。低地の被害者は水平移動で「高密度発泡体を活用した浮体構造物」が埋め込まれている公園や空き地へ急ぎます。安全に退避できます。浸水が始まれば浮き上がります。定員の制限はありません。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-ce44.html
2)モンゴル民族の知恵 ゲルを仮設住宅に
モンゴル民族は移動式の家屋で大草原を駆け巡っています。基礎工事などが不要なゲルは、家具一式が揃っており、雑魚寝であれば20人は収容できます。学校の校庭、公園やゴルフ場などに簡便に設置でき、簡便に現状回復ができます。モンゴルと交易している友人によれば、20組をモンゴル本国からコンテナーで運び、組み立て指導まで入れて約700万円程度とか。雑魚寝でいくと400人分の仮設住宅。家族で行くと20家族分の住居が建ちます。そういう柔軟な発想も必要です。
3)立体換地による下知地域の防災都市整備事業の展開
地域の合意形成が確率してから、区域を更地にして、耐震地盤をこしらえ、整備地域を10m嵩上げします。その上に耐震高層の建物を建築し、再開発します。住居と部屋を立体換地する。商業店舗や公共施設も誘致する。高知市内中心部にほど近い下知地域が安全・安心な市街地になれば、高知市の価値も上がります。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-55c0.html
4)住民によるまちづくり協議会の発足
下知地域の団体、グループ、個人などが集まり下知地域内連係協議会をこしらえます。10月には結成できると思います。その地域内のコミュニティ組織を元にして「まちづくり協議会」を近い将来発足させ、事前の震災復興計画を検討するようにします。「立体換地」か「集団移転」かしかこの地域の復興はありえませんから。
内閣府も市民の動きに注視しているやに聞きます。コンタクトをとり真意を確かめてみたいと思います。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-e800.html
1995年の阪神大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区鷹取東地区。石井会長が昨年高知市で講演会をしていただいたときに「こちらの地域は近い将来南海地震が起きることわかっているんなら、自分らのまちをそうやって再建するのかを、地震が起きる前から市役所と一緒に協議会をこしらえ研究・検討会をつくるべきだ。」と助言をいただきました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/2-4326.html
5)太陽光パネルによるLED照明灯の設置
真摯な民間企業2社が資金を提供し、避難所、津波避難ビル、避難路、津波一時避難(退避)場所に設置する事業計画。先行モデルは東北3県でJS・Fundationが300灯以上立てています。
今後来るであろう南海地震対策として実施しようとしています。種々難しい問題もあり、現在行政側と折衝中です。
http://www.js-foundation.com/
ともすれば行政主導の防災・減災対策は、「悪平等主義」に取りつかれ、「とりあえず防災」になりがちで効果が上がりにくいものです。市民の目線での減災対策をいくつか実施したいと思っています。
荒唐無稽な発想もあるでしょうが、低地に住む高知市下知地域全体の住民が「生きのびる」ことは簡単なことではありません。「とりあえず防災」を言い訳にする行政任せでは、命も暮らしも守れないことは確かですから。やれることを「面白く」やることをし続けたいのです。
「2015年は石巻市訪問交流研修ツアーを実施しようと思っています」
「高知市下知地域は驚くほど石巻市に似ていますね。」と言われましたのは、今年1月に講演いただきました河北新報社編集局報道部記者の土屋聡史さんです。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-4759.html
来年5月以降有志で石巻市を訪問し、地元の皆様と交流し、現地を見学し、復興・復旧の課題問題点を見つけたいと思っています。それ一度の訪問にとどまらず、可能であれば継続的な交流ができるようにしたいと思っています。
2008年に阪神大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区鷹取東地区を二葉町自主防災会有志は訪問しました。住民同士の話し合いはとても有益でした。
http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/cat31916625/index.html
2013年には「長田復興から学ぶ!下知復興への備え」という表題で、鷹取東地区のリーダーである石井弘利さんに講演いただきました。
「「住民側は集まって、まちづくり協議会をこしらえて、地域の要望を役所に言うことや。言わないと何も始まらん。それをせんと文句ばかり言っても何も変わらん。
住民側も勉強せんといかん。役所に対抗するには勉強が必要や。地域の絆を強めて、地域からの要求を聞いてもらうことや。それにはメンバーには役所の人にも入ってもらい、一緒に地域づくりをやっていたらえいと思う。
いずれにしろこの地域は南海地震が来るのだから、。その時に困らないように、地域の地盤のかさ上げをするとか、耐震地盤をこしらえるとか、耐震高層住宅を建てるとか地域の要求を行政側に出すことや。それを地道にやっていくことです。」
下知地域の文化や歴史を掘り起こすことも必要でしょう。
市民と行政の協働で、準備段階から慎重に真摯に協力し合いながら、とりあえず「地域連携協議会の研究会」をこしらえたいと思います。それが熟成したところで「準備会」をこしらえます。それから発足に向けた事業計画を出し、可能なら今年中にこしらえたいと思います。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-9e88.html
NPOや企業やグループも参画できる仕組みにしていきたいと考えています。10月に「地域内連係協議会」は発足することになっています。
偶然見たNHKのTV番組で「復興するチカラ in アメリカ」が印象に残りました。
東日本大震災で大きな被害を受けた東北3軒(宮城・岩手・福島出身の大学生3人が、アメリカのニューオーリンズとサンフランシスコを大学準教授とともに訪問し討議する番組でした。
ニューオーリンズと言えば2005年位にハリケーン・カトリーナが直撃し、大きな被害を受けた街です。全く当時から復興していない街があると思えば、ベトナム系移民の多い街では、住民自らが知恵と労力とお金を出し、コミュニティを復興させていました。
カトリック教会の牧師がリーダーで住民同士で討議しまつづくりをやっていました。
またニューオーリンズは災害以降に「起業家」が爆発的に増えたそうです。起業家をサポートするNPO法人まであり、学生たちは訪問し理事長との懇談。日本ではともすれば大企業を誘致しよいうとか他力本願的な発想ですが、ここでは「やって見なはれ」の世界。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-26b6.html
失敗したらまたトライすることやの理事長は頼もしい。
サンフランシスコでは面白い市職員が登場。しきりに「レジりエンス」という言葉を使用していました。「災害に負けない力」とでもいうのでしょうか、しなやかに地域を街を復興させるということです。
地域コミュニティの再興をめざしているとか。市の職員は「サンフランシスコは全米でも人気の高い復興明媚な街・しかしこの10年で住民の6割が入れ替わった。そういう状態では災害時に弱い。コミュ二ティを再興しないといけない。」とのこと。
「住民一人一人が立ち上がる レジリエンスで復興を加速せよ」
「街づくりが復興力を高める 全員が町のオーナーだ!」が番組のキーワードでした。
高知市下知地域においてもこれから「地域内連係協議会」が誕生することになっています。やはりそれは地域コミュニティの再興であり、「おもしろい街」になることです。
「レジリエンス」という言葉も初めて聞きましたが、地域のしなやかな復興力と言うものでしょう。やはりそのためには地域の住民同士のつながりが必要であるし、地域を元気にする「お祭り」も必要だし、「企業の力」も必要です。
今回仙台放送局制作のラジオ番組に参加し、また戻ってきて考えたことをまとめてみました。
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