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2025年4月17日 (木)

「絶望の隣は 希望です」を読んで

絶望の隣は希望・やなせたかし 001
 
。やなせたかしさんと奥さんののぶさんとの夫婦の物語が、」2025年4月からNHK連続テレビ小説「あんぱん」でスタートしました。

 実話をもとにした物語なので、フィクションとわかっていても面白い。こちらも10年ぶりにやなせたかしさんの著作本を図書館で借りました。
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 その中で「絶望の隣は 希望です」(やなせたかし・著・小学館・2011年刊)を読みました。2013年10月に逝去されているので、その2年前に発刊されています。

 「本書は談話をもとに構成したものです。」とあります。やませたかしさんと編集者が何度度か対話しながら録音し、ライターが書き起こし、編集発行されています。

 ご自身の人生を振り返り、率直に話されています。
 東日本大震災の直後の座談でしたので、津波で大きな被害を受けながらも1本の松が残り、皆を励ましている姿にやなせさんは感動し、被災者の人達を励ますために「1本松の歌を」皆で作り。プロの歌手の人達とともにコンサートを現地などで行い、収益金を寄贈されたりしました。
やなせたかし著作・目次 001
 第1章から、第10章の見出しを見ても、やなせたかしさんの人生そのものです。やなせたかしさんは、大正8年2月生まれで,5月生まれの父とウナイ年ですが、早生まれなので1学年上です。

 柳瀬さんは1940年から46年まで徴兵され、6年間過酷な軍隊生活。収容所生活をされました。弟さんは戦死されていました。父も含め大正生まれの男子は多数戦死しています。それだけ生き延びた人たちは長寿です。柳瀬さんは93歳、父は99歳まで生きましたから。

 「父の病死 母の再婚」「戦争で思い知った本当の正義」の過酷な体験のなかから、「アンパンマン」が誕生してきたことが良く理解できます。

 「人生一寸先は光です」という言葉(P225)には、励まされます。 

「実際、40代から50代にかけて、僕は絶望というトンネルの中にいました。自分の歩いている道が見えない。見つからない。同期と思っていた連中が、みんな花形になって飛び立っていき、後から漫画家を目指してきた新人たちにもあっさりと追い抜かれる始末。」)(P227)
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やなせたかしさんは、マルチな才能がありながらも、「代表作」がなく、どんどん年齢を重ねていくことに焦りを感じていました。

私もスケールやレベルも違いますが、高校生時代から70歳まで「長くて暗いトンネルにいた」ことがありましたから。よくわかります。誰でもあるんですね。自分だけではないことがわかります。
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 70歳近くなって「あんぱんマン」が空前のヒットになりやなせさんは報われました。支えてくれた奥さんにもむくいることができました。

 ひるがえって「何物でもない」私は50年のトンネルから出ましたが、未だに何物でもないです。諦めず長生きして、トライを続けます。

2025年4月13日 (日)

「定年のデザイン」を読んで

定年のデザイン1 001
 3月15日(土曜日)の越前町町の喫茶ギャラリー10月のオーナーの引き合わせで、20年ぶりにお会いした里見和彦さん(展示デザイナー)。20年前はわたしがコミュニュティFM放送の番組を制作し、出演していましたが、その番組「けんちゃんのどこでもコミュニュティ」のゲスト出演していただいて以来の再会でした。

https://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/gesuto6/satomi.html
(ゲストは高知県立牧野植物園学芸職員展示デザイナーの里見和彦さんです。2005年7月)

 そしてその話を下知図書館でしたら「里見和彦さんの著作本があります。予約しましょう。」と図書館司書の方が言うのでお願いしていまして借りることになりました。「定年のデザイン」(里見和彦・著・リーブル出版・2023年11月刊)を読みました。
定年のデザイン6・4畳半の作業場 001
 里見和彦さんは、年歴はわたしより4歳年下です。偶然にも私が「4年かかって」卒業した高校の後輩にあたります。私大芸大の「早慶」と言われている武蔵野美術大学造形学部卒業。展示デザインを多数手がけ、牧野植物園の展示デザインもされています。大きな業績を上げられた人ですね。

 無芸大食で「ろくでもない人生」を高校時代から50年過ごしてきた「暗い」私の人生とは大違いです。ただ私の子供の一人が芸大へ進学し卒業後、アニメーターになり、その後ゲームの3D動画制作者になりました。分野が違いますが「アート」な人たちの感覚が無骨者の私にはわかりませんので、里見さんの文章を読んで、納得しています。

 「展示デザイン」を注文主の要望を正確に把握し、デザインの力で表現するので、提案力の必要。里見さんは文章力もありますね。説得力があります。

 若いころに注文主から「デザインで表現するな。文章で表現して見ろ」と言われ、それをやり遂げられたとか。凄いことです。

 私生活で離婚があったり、5年ぐらい「鬱」になりデザインの仕事を離れ、地下足袋履いて5年間植物園で現場仕事をされておられたとか。それもまた「得難い体験です。

 再婚なさった奥様と毎日一緒に自宅周りを歩いておられるとか。これもとてもいいことです。
高知市の愛宕地区を仕事前に奥さんとお散歩するのは、とてもいいことです。わたしも足を延ばして、パン屋さんで「ラスク」を購入したり、以前は「整体」にも行っていました。知人も2人住んでいます。(愛宕の周辺の絵地図がとてもいいです。)
定年のデザイン3・愛宕地図詳細 001定年のデザイン愛宕地図1 001

 牧野植物園の絵地図や、植物についてのコメントも「さすが」と思います。とことん牧野富太郎さんの世界をご紹介いただいていただいています。
定年のデザイン5・愛宕商店街 001
 2023年7月に東京の練馬にある牧野記念庭園に行くこともできました。牧野家の自宅であったところを練馬区が記念庭園にしているとか。館内の展示も里見和彦さんが関わられていたとのことでした。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-0613a4.html
(牧野記念庭園 2023年7月9日)

 この時は東京の子供と家内と3人で見学させていただきました。当時は連続ドラマ「らんまん」の影響もありたくさんの来館者がおられました。
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 里見和彦さんの「定年のデザイン」を一読して「里見さんはご自身がかかわり表現した各地の展示物が「作品」として形になっています。とても羨ましいです。
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 私の場合は、そう考えると形にあるものは「何もありません。」。何も残すことなく人生終わることでしょう。私とは別物の世界を楽しませていただきました。

 なにか私も「形になるもの」を残したいと思いました。でも思いつきません。

2025年4月 5日 (土)

「あんぱん」は面白すぎますね。

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 2025年3月31日からNHK連続テレビ小説「あんぱん」が始まりました。NHKは今年が放送開始(ラジオの)100年ということで、製作者も俳優陣も実力者が揃い踏みで面白い事この上ない。前作の「おむすび」が駄作であったので、入れ込んで観るのは「虎に翼」以来ですね。

 やはりこの種のドラマは、「完全オリジナル作品」よりも実在した人物をモデルにした脚色ドラマの方が遥かに面白いですね。最近では「虎に翼」その前の「ブギ・ブギ」や「らんまん」などもそうでした。

 漫画・アニメ界の大御所のドラマは何年か前の「ゲゲゲの女房」が傑作でした。水木しげるさんの世界観、社会性もきちんと描かれていました。水木しげるさんも最後までブレない「妖怪漫画家」でした。

 ブレない天才漫画家は、「どらえもん」の藤子不二雄Fさんと「アンパンマン」のやなせたかしさんでしょう。2人とも最後まで子供たち相手の漫画家でした。最後まで大人のコミックに逃げませんでしたから。立派です。

 私の個人ブログでも2013年に93歳でご逝去されましたやなせたかしさんへの追悼文をおこがましくも書いていました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-fe1a.html
(やなせたかしさんのご冥福を祈る・2013年11月4日)

 もう12年も前にご逝去されました。やなせたかしさんは1919年2月生まれ。実はうちの父は1919年5月生まれです。早生まれでやなせさんが1学年上です。やなせさんは旧制1中(現追手前高校)に進学しましたが、父は旧制高知工業高校へ行きました。

 接点はともに徴兵されたことでした。やなせさんは中国戦線へ送り出され、戦場で戦争の不条理を思い切り体験されました。その原点こそが「あんぱんまん」の世界観になxgつていますね。

 父の場合は入隊直後の訓練中に結核になり、除隊し実家で自宅療養し、完治したらまた徴兵されましたが終戦で救われました。

 やなせたかしさんは、69歳の時にアンパンマンがアニメ化されテレビ放映されて大ヒットしました。長年連れ添った奥さんにも晴れ姿を見せることが出来ました。家内は子供時代に「NHKの漫画教室」で知ったとか。私は名曲「手のひらを太陽に」の作詞者として知っていました。子供時代です。
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 21年前の「高校生まんが甲子園」(2004年)にうちの子供たちが初出場しました。やなせさんの大後輩になりますが、厳正な審査委員長であり、本大会では勝ち抜けず、敗退しました。贔屓にはしてくれませんでしたね。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2004/08/post_5.html

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2004/08/post_7.html
(高校生まんが甲子園2004年大会の様子)

 2004年の漫画甲子園の会場でやなせさんを見ました。エレベーターでもまじかに見ました。当時は85歳ぐらいでしたが、ジョークも飛ばし元気なお爺さんでした。

 当時高知県が「高知県高校生まんが甲子園」の資金難に陥った時に、賞金の大半をやなせさんが出してくれていたとも聞きました。「あぶさん」の新潟県と「名探偵コナン」の鳥取県が、「高知県が資金難で漫画甲子園を開催出来ないなら、わが県がやります。」とか言われていましたが、窮地をやなせたかしさんが救ってくれました。
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 文化を大事にしない高知県ですが、珍しく「まんが王国」などと言えるのは、まさにやなせたかしさんのご支援があったからです。
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 「あんぱん」は印象に残るドラマになりますね。

2025年3月10日 (月)

「日本の進む道」を読んで

日本の進む道 養老猛・藻谷 001
 下知図書館で借りて読みました。久し振りに図書館で書籍を借りて「完読」しました。最近は本を読んでいない(月に2回ビックコミック・オリジナルを購入して読むだけの生活ので、何年振りかですね。

 父(2018年5月に99歳で逝去)が、生存していて、週に1度、旭のクレッセントというゴルフ練習場に連れて行き、父が125発の球を休み休みながら打つ場合は、待っている間に本が読めました。母が残されましたが、介護度が進み、在宅介護もシビアになっていたので、本を読んだことはありません。2022年12月に母が97歳で亡くなった後は、逆に忙しくなり、昨年は眼の手術、入院、養生があり、1年間本は読めませんでしたから。

 前置きが長く成りましたが「日本の進む道 成長とはなんだのか」(養老孟t司・藻谷浩介・対談集・毎日新聞出版)を読みました。
大地震は攻めてくる 001
 完読はしたものの、仕事も珍しく忙しく、読書ノートなど取っていません。細切れな時間に読み切りました。

 昆虫採集学者の養老猛司さんは88歳。藻谷浩介さんは、元はマクロ経済優先者でしたが、自費で日本全国の都市や集落を巡回し、まち歩きをして、国政のゆがみ、経済政策の間違いを鋭くしてきしています。

 共通点は2人とも学部こそ違いますが東京大学を卒業されているところだけ。異色の対談ですね。養老さんは88歳で、8歳の時に敗戦があり、敗戦直後の日本社会を体験なさっています。

 まさに「異色な対談」。まったりした」会話で面白い。

藻谷「どこかが攻めてくるより、大地震が攻めてくる方が遥かに高い。というか前者は飛鳥時代以降は元寇だけで、後者はそれこそ数知れず起きています。」

養老「そう。大地震が来れば日本は金で買われますよ。その時ミサイルを何発持っていても意味がないでしょう。」
大切なのは地震後 001
藻谷「海外の金で日本は買い叩かれる。それを防ぐためにどうすればいいのかをかんがえなければいけないはずですが、目先のブームで防衛を言っていると票が集まると思うのか。そのことに夢中になっていますね。

 東日本震災の後にしばらく皆が口にしていた「事前防災」を少しでも進めておかなくては。正確には過疎地では目に見えていろいろやっていますが、東京では意識自体が消えかかっている。」

養老「岸田総理が防衛費の倍増を打ち出した次の日に、富士の裾野の自衛隊の東富士演習場は、ドカン、ドカンとうるさかった。祝砲を撃っていったんじゃないか。

 それにしても誰に向かって大砲を撃つつもりなんでしょうか。日本は前回の戦争でも本土で戦ったのは沖縄だけです。大砲を撃っている人たちは、どこへ向けて誰に撃つのかわかっているのか。戦車で撃つような事態に名xgつたときは、もう戦争は終わっているのです。」

藻谷「軍事費については、アメリカから旧来型の使えない武器を買わされて、やったふりだけするということになる気はします。」

 雑談ですが、「本質」をついた対談ですね。

 ほかには「大切なのは災後」とも養老さんは言われています。

「本当の問上からものを言ってもダメな社会 001題は災害対策ではなく、その後の復興だと思っています。どういう復興をするのか、どういう社会をつくるのか。どういうシステムを作るかを議論はしておいたほうがいい。その場しのぎでやると」間違えやすいからです。」


 私の関心事に近い事ことを言われています。感心しました。私がやろうとしている「2拠点生活」を真剣に考えたいものです。

 また「100兆円も国の予算を組んでいるのに何故個人消費が伸びないのか」についても議論していますね。
国が100兆円支出するのに何故個人消費が伸びないのか? 001
 アメリカではフロリダにリタイヤしている高齢者は生きているうちにどんどんお金を使います。それで地域経済は潤います。日本は高齢者が「老後に備えて」お金を使わず貯金するから、経済が回りませんね。

 投資がどうのではなく、「楽しくお金を使う仕組み」が上手く日本社会はできていないのでしょう。」

2025年2月12日 (水)

「老人力」赤瀬川源平・著を再読

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 ずいぶん昔に赤瀬川源平著の「老人力」(筑摩書房)を下知市民図書館で借りて読んだことがありました。

 http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-0ad4.html

 (当時の私の感想文です。個人ブログに書きました。)2010年5月18日
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「老人力という言葉そのものは,路上観察学会の中から発生した。その発生に当たってはその言葉を生み出す場の熟成があったわけで,路上の場での思考や、おこないが,次第に老人力という概念を使わざるを得ないところまで熟しきっていたのだ。」(「老人力の胎動の時期を探る」P94)

 再読しますと次の言葉が気になりました・

「力を抜くには抜く力がいるもので、老人になれば自然に老人力がついて力が抜ける。」(P46)
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 またある精神科の医師(見立病院 副院長 梅野 一男氏)は老人力を読んだ感想をこう書いていました。(病院のホームページより引用します。)

「ふつうは歳をとったとか、モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとかいうんだけど、そういう言葉の代りに、『あいつもかなり老人力がついてきたな』というふうにいうのである。そうすると何だか、歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい」というものです。」

「近年の研究で、肯定的な向老意識(老化を前向きに考える姿勢)が、実際に認知機能の低下を抑える(認知症になりにくくする)とする報告が続々と出されています。老化に対して、明るいイメージを持っている人は、そうでない人に比べて認知症を発症する可能性が低くなるのです。また、意識して老化を明るくとらえることで、元々楽観的でない人も認知機能の低下を抑えられるとの報告もあります。さらには、ポジティブな気持ちや生活態度・習慣を維持することで寿命そのものが伸びるとする研究もなされています。

 赤瀬川さんたちが唱えた「老人力」の考え方は、単に老化や認知症に対しての周囲の受け取り方の改善のみでなく、そう考えるその人本人の老化そのものを遅らせ、認知症になりにくくする可能性があるのです。」

 赤瀬川さんも病気がちで、時に暗くなることもあったとは思います。それを明るくする発想で「老人力」という言葉をひねり出したんでしょう。いまから15年前の時代にです。

 わたしも71歳の「立派な」老人になりました。つくづく感じるのは「体力がない」「すぐにつかれrが取れない」と思うことです。人生「生老病死」で必ず人は老いて、必ず死にます。それを嘆き悲しむ時間がもったいない。もっと楽しく「老い」を楽しもうという発想が今にしても凄いです。
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 今から27年も前「少子高齢化社会」がいまほどほどやかましく言われていなかった1998年の強さくだけにその「先進性」には驚くばかりです。しかも赤瀬川さんは「老人力」を提唱していた時は61歳ころだというのですから、すごいの一言です。

 私も「年寄りの冷や水」に2月11日に強風の中挑戦しました。僅か10分間の海の上でしたが、得られたものは大きいです。体力が衰えた年寄りなりに出来そうなことを発見しましたからです。次回はきっとうまくいくと思います。

2025年2月 8日 (土)

図書館で「老人力」を借りてきました。

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赤瀬川源平著作の「老人力」は13年ほど前に下知市民図書館で借りて読みました。ブログに感想文も書いています。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/.../2010/05/post-0ad4.html

(老人力を読んで)2010年
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15年も前に読んでいますね。まだまだ現役世代の56歳の頃でした。還暦前で「男の更年期」でしんどい時期ではなかったでしょうか。
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下知図書館にはなく、本館から取り寄せていただきましたが、文字が大きく、2冊になっていました。わたしも本当の「老人」になりました煮で、改めで読んでみます。
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2024年12月31日 (火)

2024年の重要な出来事


 正月明けから両眼の手術・入院・療養から始まり、師走12月の仕事納め直前の感染症への罹患。体調不良の1年でした。
医師の説明
①両眼の網膜前膜と白内障からの生還

 昨年11月に眼科医から「両眼に穴が開いている。すぐに手術をしないと近い将来失明の危険性がある。12月は予定が一杯。正月明けの1月4日と25日に手術します。」と恐ろしい宣告。拒否する選択はないので身を任せました。結果は成功しました。老眼は不要になり、運転用の眼鏡を新たにこしらえました。海用のサングラス(紫外線カット)のヨット用の眼鏡も作りました。

②仁淀川町へ広域避難訓練(1月)の実施と、防災キャンプの中止(8月)
広域避難訓練
泉川多目的施設
 高知県初の広域避難訓練は下知地区の25人の出席にて実施。より深化し、実践を生み出すための『防災キャンプ」は台風10号の大雨で無念の中止。

③令和5年度高知県南海トラフ地震対策優良取組事業所認定制度・認定書交付式
優良事業所認定
 2024年3月27日ですが、高知城ホールにて、高知県危機管理部何回地震対策課主催の「令和5年度高知県南海トラフ地震対策優良取組事業所認定制度・認定書交付式」が行われました。

 ちなみにうちの会社の授賞理由は「南海トラフ地震に対する取り組み方針では「L2想定地震が発生すれば、二葉町は2M地盤が沈下し長期浸水する。その状況下でも事業継続は行う。」という悲壮な決意表明を行っています。なんと「5つ星」に認定となりました。

④父・吉正(享年99歳)の7回忌と母・春子(享年3回忌)が行われました。
お墓
 父は2018年5月12日が命日。母は2022年12月19日が命日。2008年から父は10年、母は14年の在宅介護生活でした。

⑤延期された2024年総合防災訓練は大盛況でした。
総合防災訓練
 予定していた10月27日が突然衆議院選挙になり、12月1日の総合防災訓練は150人が参加し大盛況でした。

⑥介護研修講座を受講しました
介護研修講座
 両親の在宅介護を2年前に終了・卒業し、今度は自分たち夫婦が「高齢者」になりました。4日間の介護研修講座を、私自身は22年ぶりに受講しました。最終日は「基本的な介護の方法」ということで、口腔ケア、排泄介助、着脱介助、入浴介助、清潔保持、家事支援などを、実際に介護現場で身体介護をされている人の体験を聴講しました。


⑦徳島総合防災訓練に参加しました。
徳島総合防災訓練
 弊社は「悪路用手押し台車(キャタピラー台車)と津波避難タワー用防錆塗料「カーボマスチック15」(亜鉛メッキ面、さび面、旧塗膜面に強固に付着し防錆する)を展示予定です。


➇右手薬指の大怪我
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 6月に不注意で窓の金具で指を挟み込み「意外な重症」に結果は「全治3週間」の意外な重症。
「指が切れているだけでなく、中の組織も飛び出しています。処置後縫わないといけないので3週間位は完治にかかります。」とか。完治に1か月かかりました。その後は疲れからか9月に帯状疱疹。10月にすずめ蜂に刺され、12月下旬の年末に出張のあと5年ぶりに風邪ひきました。
 体調不良が続いた2024年でした。

⑨長い長いトンネルの闇から脱出しました。
早稲田で死んだ
 高校生時代からの思想的な破綻、運動体の消滅から社会運動から引き、以後50年以上1人でうじうじ悩んでいました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat21222778/index.html
(連合赤軍と新自由主義の総括)

個人ブログでもしんどさを吐露してきました。2冊のドキュメンタリー作品が私を救ってくれました。1つ目は樋田毅さんお著作です。

 1973年の早稲田大学でのリンチ殺人事件のドキュメンタリー「彼は早稲田で死んだ」(樋田毅・著)

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-87abde.html
(8月18日は映画「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」を見に行きます。)
重信房子がいた時代
 2つ目は梅原隆司さんがお貸しいただいた「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)を読みました。淡々と自然体で書かれた2つの著作を読むうちに長年私を悩ましてきた「モヤモヤ」が晴れました。

 要するに「人生なるようになる」しかありません。うじうじ50年以上悩んできたおかげで、高校生は70過ぎのお爺さんになりました。日本や世界の政治状況も混とんとしています。

 案外自分が悩んできたことが、混沌の答えを見つけることになるやもしれません。

⑩毎日のリハビリ・ウォーキングで健康になりました。
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 2019年のある整形外科医師から「あなたは脊椎管狭窄症(3か所)とすべり症、椎間板ヘルニアを併発しています。ほどなく歩けなくなるでしょう。手術で治すことも出来ません。」と宣告されました。

 程なくコロナ禍も始まり。スポーツジムもヨットハーバーも閉鎖されました。体へのリスクが少なく、毎日継続できる運動法としてリハビリウォーキングを2020年2月から始めました。

 当時は母を在宅介護を家内と2人でしながら、仕事もしていました。おかげで足腰が丈夫になり、腰痛も起こらなくなりました。母を背負い階段昇降が出来るようになりました。4年10か月継続しています。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/11/post-cc7716.html
(リハビリウォーキングの効用)

リハビリ・ウォーキングの先駆者はFBの友人でもあり、JCでもお世話になりました芝藤倫朗さんでした。「ウォーキングはすぐには効果は出ませんが、続けていれば必ず効果がありますから。」と励ましていただきました。

 毎日1時間歩くと寿命が11年伸びるとか

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-462b27.html

 最長30年の寿命が11年伸びて41年になれば「やりたいことが出来ます。」ね。楽しい人生が送れそうです。

 その他にもたくさんありますが、超長文になりますので、10項目にしぼりました。

2024年10月20日 (日)

2024年衆議院選挙はどうなる?

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 サンデー毎日(毎日新聞社)の調査では、「石破自民24減少、単独過半数割れぎりぎり」「野党1本化進まず1区対決は与党の25勝22敗」とか。

 予想獲得議席は、自民党234議席(マイナス24議席)公明30議席(マイナス2議席)で与党合計で264議席と予想。

 野党は立憲民主党が112議席(プラス14議席)、維新43議席(プラス2議席)。共産党10議席(プラスマイナス0)。国民民主党12議席(プラス5議席)、令和5議席(プラス2議席)。日本保守党1議席という予想でした。
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 一方で週刊誌系の予想(週刊ポストなど)の予想は全く異なります。
自民党205議席(マイナス53議席)」、公明党25議席(マイナス7議席)で、与党全体で60議席のマイナス。

 野党は立憲民主党が大躍進して151議席で、プラス53議席。維新は45議席で4議席+です。国民民主党は10議席でプラス3議席です。「保守系」や3党で60議席増です。

 233議席が過半数ですので、与党は自公合わせて230議席。過半数に3議席足りません。一方で保守系野党3党は立憲・維新、国、合わせて206議席です。過半数には27議席足りません。

 週刊誌の予測で与党が大敗しても3議席なんとか無所属議員やらを「追加公認」すれば過半数は維持できるし、「政権交代」など起こりません。

 わたしはサンデー毎日の予測に近い結果になると思いますので、261議席の絶対安定多数を与党が獲得するとは思えませんが、250議席近くはとるような気がします。

 野党側は「まとまらず」与党のオウンゴールを活かせず、「口先だけの政権交代」で終わると思いますね。とても残念です。

2024年8月16日 (金)

8月18日は映画「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」を見に行きます。

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 2024年8月18日に高知市自由民権記念館で、映画「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」と「映画監督代治長彦さんと原作者樋田毅さんのトークイベント」があります。
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 私は中学生時代から「早熟な政治少年」でした。国政選挙があれば田舎町から高知市内の各政党の選挙事務所を訪ね、チラシをもらったり、事務所に人に政治活動の話を聞きました。

 1966年4月から1969年3月迄が、中学生時代。1969年4月から1973年3月迄が4年間の高校時代でした。1973年4月から1977年3月迄が大学生時代でした。この11年間は私らより数歳上の「団塊の世代」が世界的に突出して大学で反戦運動や学園闘争,街頭へ繰り出して警察権力とミニ市街戦を展開していました。

 またビートルズやローリングストーンズらのカウンターカルチャーの時代でもありました。それまでの時代とは変化する節目であり、今風の社会風俗の大半はこの時代に登場し流布していきました。

 わたしは彼らから数年おくれて青少年時代(疾風怒濤の時代)になりますが、ノンセクトの全共闘運動は、私らの高校時代から衰退期になっていて、その代わりにプロ集団(セクト各派)がはびこってきて、社会運動の「おおらかさ」が消え去りました。

 そして社会運動が後退局面に入るや否や、1972年2月に「浅間山荘・連合赤軍事件」がありました。当時毛沢東思想を信仰していた私は、思想的に崩壊してしまいました。なぜ仲間をリンチして殺害するのか。その原理が理解できませんでした。

 同じ年の11月8日に早稲田大学構内で一般学生の川口大三郎さんが、早稲田大学を当時支配し統制していたセクトの革マル派の活動家に執拗にリンチされ殺害されました。ノンセクトの学生が革マル派に対抗して決起し大騒動になりました。しかし早稲田大学の自治会を支配していた革マル派は豊富な資金と武装集団を組織化し、ノンセクトの学生たちを駆逐し、リーダー格の学生にはリンチを加え再支配をしました。
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 翌年1973年4月にわたしは首都圏にある専修大学に入学しました。早稲田大学での騒動は周辺の大学にも波及していました。ですが。すでに党派(セク)同士の対立構造になっていました。

 「セクトに対抗するにはセクトに入るしかない」状態になり、いつしかセクト(党派)の対立が言論ではなく、先鋭化した暴力行為、テロ行為(相手側セクトの幹部の下宿を襲撃し殺害する。)事態になり、「救殺隊」なるプロの殺人集団まであるセクトに現れました。

 相手セクトの幹部のマンションなどの居場所をつきとめ、電話線を切断し、警察に連絡出来ないようにして、屋上から縄梯子とロープで降りてきて窓ガラスをバールでたたき割り侵入し、容赦なく鉄パイプで頭部を乱打し殺害する事件などが多発しました。

 知り合いの同じ大学の先輩はあるセクトの人でしたが、自分のアパートで対立セクトの襲撃に逢い、鉄パイプで頭をかち割られて亡くなったと聞きました・

 銃火器はもってはいませんが、まるで幕末時代の天誅組や新選組のような殺人専門集団を各セクトは作り上げ、対立セクトの構成員を殺害すべく活動をしていました。1回のテロ襲撃で100万円ぐらいコストがかかったようです。

 こうなると本来国家権力中枢部を打倒すべきところが、刃がひたすら「対立セクトに向いて行きます。そうなれば学生集会に参加することも襲われる危険があります。社会運動や学生運動は衰退していきました。何故仲間殺しをしたり、議論ではなくお互い殺人集団を差し向け合い無限ループで内ゲバをやり続けるのか?その答えや解決策を私は見つけることができませんでした。

 アメリカの大学生はエリートです。その彼らがパレスチナの旗を振り、残虐なガザ市民への虐殺を繰り返すイスラエルと支援するアメリカ政府や企業を糾弾して行動をおこしています。アメリカでは日本のような陰惨な内ゲバ殺人は起きなかったんでしょう。だから健全な学生運動や社会運動が残存しています。日本ではほとんど絶滅してしまいました。

 コロンビア大学では50数年前の「イチゴ白書」の時代を見ているようです。現実です。アメリカ社会の健全性を垣間見ました。日本はどうなのか。自民党が驕り高ぶり政治資金疑惑で滅茶苦茶しているのに、街頭で抗議活動される人はごく少数にとどまっています。

 日本に政治運動や社会運動を忌避する風潮はこの50年間ありました。私が52年間うじうじしていましたが、多くの人も声を出しませんでしたが思いは同じでした。
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 「彼は早稲田で死んだ」の著者の樋田毅さんは、当時ノンセクト学生で革マル派と対峙し、リンチを受け重傷を負っています。その後卒業されて新聞記者となり退職後に当時の仲間たちを取材し、また当時対立していた革マル派の元幹部とも意見交換しています。そのレポートに感動しました。

 映画を鑑賞し、トークイベントを傾聴して、私の「暗いうじうじした52年間」の課題を振り返ってみたいと思います。

2024年6月19日 (水)

52年間の悩みが解決するかも


 「長い長い出口のない暗闇に52年間いました。最近前方にかすかに光がみえました。それは最近「彼は早稲田で死んだ」(樋田毅・著・文藝春秋刊)と、「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)を読んだからでした。

 私は中学生時代から「早熟な政治少年」でした。国政選挙があれば田舎町から高知市内の各政党の選挙事務所を訪ね、チラシをもらったり、事務所に人に政治活動の話を聞きました。

 1966年4月から1969年3月迄が、中学生時代。1969年4月から1973年3月迄が4年間の高校時代でした。1973年4月から1977年3月迄が大学生時代でした。この11年間は私らより数歳上の「団塊の世代」が世界的に突出して大学で反戦運動や学園闘争,街頭へ繰り出して警察権力とミニ市街戦を展開していました。

 またビートルズやローリングストーンズらのカウンターカルチャーの時代でもありました。それまでの時代とは変化するふしめであり、今風の社会風俗の大半はこの時代に登場し流布していきました。

 わたしは彼らから数年おくれて青少年時代(疾風怒濤の時代)になりますが、ノンセクトの全共闘運動は、私らの高校時代から衰退期になっていて、その代わりにプロ集団(セクト各派)がはびこってきて、社会運動の「おおらかさ」が消え去りました。

 そして社会運動が後退局面に入るや否や、1072年2月に「浅間山荘・連合赤軍事件」がありました。毛沢東思想を信仰していた私は、思想的に崩壊してしまいました。なぜ仲間をリンチして殺害するのか。その原理が理解できませんでした。

 同じ年の11月に早稲田大学構内で一般学生の川口大三郎さんが、早稲田大学を当時支配し統制していたセクトの革マル派の活動家に執拗にリンチされ殺害されました。ノンセクトの学生が革マル派に対抗して決起し大騒動になりました。しかし自治会を支配していた革マル派は豊富な資金と武装集団を組織化し、ノンセクトの学生たちを駆逐し、リーダー格の学生にはリンチを加え再支配をしました。

 「セクトに対抗するにはセクトに入るしかない」状態になり、いつしかセクト(党派)の対立が言論ではなく、先鋭化した暴力行為、テロ行為(相手側セクトの幹部の下宿を襲撃し殺害する。)事態になり、「救殺隊」なるプロの殺人集団まであるセクトに現れました。

 相手セクトの幹部のマンションなどの居場所をつきとめ、電話線を切断し、警察に出来ないようにして、屋上から縄梯子とロープで降りてきて窓ガラスをバールでたたき割り侵入し、容赦なく鉄パイプで頭部を乱打し殺害する事件が多発しました。

 銃火器はもってはいませんが、まるで幕末時代の天誅組や新選組のような殺人専門集団を各セクトは作り上げ、対立セクトの構成員を殺害すべくかつどうをしていました。1回のテロ襲撃で100万円ぐらいコストがかかったようです。

 こうなると本来国家権力中枢部を打倒すべきところが、刃がひたすら「対立セクト委に向いて行きます。そうなれば学生集会に参加することも襲われる危険があります。社会運動や学生運動は衰退していきました。何故仲間殺しをしたり、議論ではなくお互い殺人集団を差し向け合い無限ループで内ゲバをやり続けるのか?その答えや解決策は見つけることができませんでした。

 アメリカの大学生はエリートです。その彼らがパレスチナの旗を振り、残虐なガザ市民への虐殺を繰り返すイスラエルと支援するアメリカ政府や企業を糾弾して行動をおこしています。

 コロンビア大学では50数年前の「イチゴ白書」の時代を見ているようです。現実です。アメリカ社会の健全性を垣間見ました。日本はどうなのか。自民党が驕り高ぶり政治資金疑惑で滅茶苦茶しているのに、街頭で抗議活動さうる人はごく少数にとどまっています。

 政治運動や社会運動を忌避する風潮はこの50年間ありました。私が52年間うじうじしていましたが、多くの人も声を出しませんでしたが思いは同じでした。

 「彼は早稲田で死んだ」の著者の樋田毅さんは、当時ノンセクト学生で革マル派と対峙し、リンチを受け重傷を負っています。その後卒業されて新聞記者となり退職後に当時の仲間たちを取材し、また当時対立していた革マル派の元幹部とも意見交換しています。そのレポートに感動しました。

 「重信房子がいた時代」の著者油井りょう子さんは、当時明治大学で滋野井部房子さんと一緒に活動し、身近に観察されています。生い立ちからご両親やご兄弟のことも詳細に記述されています。

「「重信房子は救対でした。対立党派のけが人にも赤チンを塗り病院へつれていきましたよ。」、マスコミで流布されたテロリストの幹部ではない。

 じっくり読んで、自分の「うじうじ」と面を付き合いわせて考えます。出口が見えるようになりましたから。

 最大あと30年の命です。無駄にせず生き抜いてみます。

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