最近のトラックバック

カテゴリー

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

災害情報サイト・地震・台風など

行政の防災情報

無料ブログはココログ

市民サイドの防災情報

フォト

書籍・雑誌

2019年4月28日 (日)

防災対策にも「戦略的思考」は必要です。

「戦略の世界史」を拾い読み

DSCN1514
 2週間前に家内がオーテピアという高知県と高知市の合築図書館へ行ってみたいというので、歩いていきました。私にすれば2回目。家内が本を借る間館内をぶらついていると社会科学のコーナーで「戦略の世界史」(ローレンス・フリードマン・著・貫井佳子・訳・日本経済新聞出版社・2018年)を借りてもらいました。

 分厚い書籍で上下2巻。1冊で557pもある大作です。著者は英国人。さすがはかつて世界帝国を運営していたことがある英国だけに世界史的な視点で書いています。
DSCN1515
 軍事や戦争、政治、社会運動や社会思想など幅が広いし壮大。古代ギリシャ時代から、孫子やマキァベリ、ナポレオン、クラウゼヴィッツ、モルトケ、チャーチル、毛沢東、マルクス、バクーニン、レーニン、ローザ・ルクセンブルク、マックス・ウェーバーなどが登場します。

 丁度仕事が忙しい時期と重なり、「拾い読み」しただけ。なるほどと思ったのは、欧米人は「戦略」に長けているといわれていますが、それは歴史をよく勉強し、そこから学び、教訓を引き出していることはよくわかりました。拾い読みでもよくわかります。
DSCN1516
 返却時期が来ましたので、拾い読みでしかありませんでしたが、壮大さ、力強さを感じました。この種の書籍をじっくり精読できる時間をこしらえたいと思いました。

2017年3月19日 (日)

「君と僕との防災」特集は秀作

Bc_r_new_r


 ビックコミック・スピリッツ(小学館)15号は、「総力特集・君と僕との防災」です。付録に「永久携帯版・防災MINI BOOK」が、2冊」ついています。

 グラビアページには、AKB48メンバーの舞木香純さん。中学1年生の時に福島で被災。やがて原発避難で住んでいた街に住めなくなり疎開されたとか。「AKB48が被災地訪問に来てくれて、わたしも勇気づけられた1人。震災を経験したものとして次の世代に伝えて行きたいです。」
Akb_r_new_r

 同じくAKBメンバーの佐藤七海さんは「東日本大震災の時仙台にいて小学6年生でした。授業中、校舎の4階でひどく揺れて・・。窓から外を見ると黒いものがワーっときて、「なんだろうあれは」と思ったら津波でした。

 停電してガスも水道もダメになって、避難所の小学校の教室や体育館に逃げてきた人が溢れてたのを良く覚えています。その経験があるので、防災については家族みんなで考えてて、家具に突っ張り棒をするのは当たり前、いつ地震が起きても大丈夫なように水や非常食を車に積んでいます。付録の「防災ミニブック」はわたしみたいに震災を経験した人ではなく、どれほど怖いものか知らない人に、渡したいと思いますね。」
_r_2

 若い人達は防災に無関心であると良く言われますが、そんなことはありません。アイドルだって被災するし、災害に遭遇するのです。
_r_3

 そういえば昨年7月のビックコミック・スピリッツは「丸ごと日本入ってます。」ということで、「日本国憲法の特集」をしていました。放送メディアや大新聞社が、政府に取り込まれ、「権力の番犬化」していく時流に抗して「自由な精神」を発露していましたね。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-4481.html

(スピリッツは日本国憲法特集でした 2-16年7月)

 東日本大震災から6年が経過し、防災に関する関心が薄くなっています。次世代を担う若い人たちに防災に関心をもってほしい。スピリッツ編集部の高い志を感じました。

 付録の「防災MINI BOOK」は優れものですね。是非購入してください。お薦めの雑誌です。
Book2_new_r


Book3_new_r

2016年6月 1日 (水)

超高齢者の親をどう守ればいいのか?


Sg611

 週刊現代6月11日号の特集記事「寝たきり・重病・歩けない まもなくやってくる大地震・あなたの老親 どう守るのか」と記事にはあらためて考えさせられました・176Pから181Pまでの特集記事です。

「大地震が来てからでは、家族を守る方策も建てられず、心の準備も間に合わない。覚悟を決めて悲しみと向き合う必要がないようにするためにも、今できうる限りの対策を、すぐに行動に移すことが重要だ。」(P181)

 この記事でも「事前対策がすべて」と言われています。

 熊本地震でのレポートでは、認知症で歩行困難な親を連れて自宅が倒壊の危険性があるので、避難所へ行ったものの、避難所の中で生活することが出来ず、結局危険な自宅へ戻らざるをえなかった事例も紹介されていました。

 また本来介護者や障害を持った人たちのために設置指定されていた「福祉避難所」に、近隣の人達が殺到して避難し、高齢者の人達が避難できなかった実例も報告されています。

 平時でも介護施設は、入所者や通所者のケアで手いっぱい状態。災害であると言って他所からの高齢者や介護者をケアする余力などどこにもありません。位置づけもあいまいです。
Hinansyo

 我儘で持病のある超高齢者の両親(96歳・90歳)をどう避難させたらいいのか検討はしていますが、なかなかいい知恵はありません。
Sg1_r


Sg2_r


Sg3_r

 仁淀川町の皆様との交流事業も、もしもの災害時に両親の疎開先として考えたものです。5年前から事業は継続していますが、未だに行政側の支援も追随もありません。高知県では28万人が要介護人口です。深刻な問題であります。
Is_1


Is


自宅が災害で居住不可能になった場合、とてつもなく長期の避難生活があります。
 

2015年11月17日 (火)

「天災から日本史を読みなおす」を読んで

_new_r


 「天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災」(磯田道史・著・中央公論新社・2014年・刊)を読みました。10月に0泊2日で出張で大阪へ行った折、梅田の長距離バスターミナル近くの阪急3番街にある紀伊国屋書店で購入した新刊本です。

 筆者の磯田道史氏は、1970年生まれで45歳と若い歴史研究学者の人。「日本の歴史の中で地震、津波、火山噴火、異常気象と天災が歴史に与えてきた影響」を克明に調べています。

 その前書きの中で磯田氏が強い影響を受けたというベネデット・クローチェというイタリアの哲学者であり歴史学者の人の事は、わたしはよく知りません。子供時代に、家族がイスキアでの休暇中、カサミッチョラの地震で家屋が倒壊し家族を失い兄と2人だけ生存し親戚に引き取られたクローチェの世界観に影響を受けたとの事です。

「すべての真の歴史は現代史である」との歴史哲学の言葉ですが、その観点から行きますと韓国や中国の主張する「歴史問題」なるものも「現代史」のなかで考えて行かないといけないですね。決して「過去の問題」ではありません。国際社会で「日本のイメージダウン」を狙う側面もあるので。まさに現代史なんですね。

「震災がおき、天災を目のあたりにして、我々の歴史の見方や価値観も変わりつつある。近代化以前の社会は自然環境の影響を大きく受けた。農業が中心の自然経済だから当然である。震災後の歴史学、いや科学全体は、自然に対する人間の小ささを謙虚に自覚せねばならぬだろう。
_new_r_2

 天災を勘定に入れて、日本史を読みなおす作業が必要とされているのではなかろうか。人間の力を過信せず、自然の力を考えに入れた時、我々の前に新しい視界がひらけてくる。あの震災で我々はあまりにも大きなものを失った。

 喪失はつらい。しかし、失うつらさのいなかから未来の光を生み出さねばと思う。過去から我々が生きるための光をみいだしたい。クローチェのように。」(P4)

 著作の中では,天下人となった豊臣秀吉が天正地震と伏見地震の影響を強く受けたと言います。

 天正地震では、長浜城が崩壊し、山内一豊の娘が死去しました。同時にこの地震は、秀吉が、徳川家康を討伐するための大軍を編成し、まさに出撃しようとした矢先に、前線基地であった大垣城や長浜城や坂本城が地震で壊滅、秀吉は大阪へ撤退しました。」家康は滅亡を免れ、秀吉と和議を結びました。秀吉は10万の大軍を揃え、小牧・長久手の敗戦の汚名をそぐために家康追討を決意していました。一方の家康は3万人ぐらいしか動員できませんでした。

 この当時家康の作戦参謀を長年続けてきた石川和正が秀吉側に寝返ったという事件まで家康にはありました。本当に危機が迫っていたのです。その矢先に伏見で地震が起きました。

 伏見地震では、豪勢な京都の聚楽第が壊滅しました。美女400人も圧死したそうです。当時朝鮮へ遠征軍を派遣し、ようやく講和の兆しが出始めた矢先の地震でした。秀吉は聚楽第の再建を全国の大名に命じ、講和を破棄し朝鮮へ更なる派兵を命じました。

 伏見地震で秀吉の天下に陰りが見え、人心が離れて行ったのです。この時、僅かな部下で、小屋に逃げ込んでいた秀吉を討つべしとの意見も敵対していた家康の部下から出ていました。しかしそれをすれば「明智光秀の二の舞になる」と家康は進言を退け、秀吉の和解案に乗り、力を蓄える作戦に切り替え、滅亡をまたしても免れました。そして家康は健康には自信があったこともあり、秀吉の死を待って、行動を起こし、天下を取りました。その分岐点がまさに伏見地震であったと磯田氏は言います。なるほどと思いました。
Kyodaisizinsingeneria

 そして江戸時代初期に大きな地震が日本を襲いました。宝永地震(1707年)は、巨大地震でした。東海地方から中部、関西(大阪)、紀伊半島、四国まで広域に被害に遭いました。

 高知に関する記述も著作にあります。当時種崎に住んでいた下級武士が9歳の時宝永地震に一家が遭遇。海の近くの家屋から津波に追われ脱出した体験の話もありました。そこには貴重な教訓もつづられています。

宝永地震の語り部となった柏井貞明は9歳の時に、高知市種崎で地震と大津波に遭遇しかろうじて一命をとりとめています。当時自宅は種崎の南の端にあり、門の外はすぐ海であったようです。現在の種崎の貴船神社付近らしい。家から一家がようやく脱出。茫然自失状態だっららしい。

「だかその時、この一家の運命を決める幸運な情報が耳に飛び込んできた。東の海辺の町の方から、こう呼ばわる声が聞こえてきた・「大浪が市中に入るぞ。みな、山に入れ」。その声で一家は津波の危険に気付いた。山へ向かって、逃げることにしたのである。」

「これは大切な歴史的教訓である。津波から逃げる時、率先避難者が大声で「津波が来るぞ、高台へ避難」と呼ばわると、その声で周囲も我に返り逃げ始める。声を出して逃げることで、地域の生存率が高くなる。

 津波から逃げるときは、勇気をふるって声を出しながら逃げるようにしたいものである。」(P63「山に入れの声で高台へ避難」)

 下知地域でも、防災教育を受けている小学生たちに是非とも「率先避難」を呼びかけたい。
「津波が来るぞ!ビルへ駆け上がれ!」と大声で叫びながら、最寄りの津波避難ビルや地区防災会指定の地区避難ビルへ逃げ込んでもらいたい。

 子供たちは体が小さいので、大人を背負って助けるなんてことはできません。でも元気がよく大声で「津波が来るぞ!早くビルへ逃げろ!」と走って駆け上がることで、率先避難の実行と呼びかけで、多くの地域の人を救うことが出来ます。

 また筆者の母親が徳島県牟岐町の出身で、昭和南海地震で津波からの避難を実体験されていました。当時満州からの引き揚げ者で知人を頼り牟岐町に滞在していた後に俳優になった森繁久彌は、隣町の海陽町で津波に遭遇し避難した体験をされていたそうです。

「津波は押し寄せてくる波よりも、引き波の方が遥かに恐ろしい。」と森繁久彌は証言されています。

「津浪というのは、最初2メートルほどの波が襲ってきて、あっという間に入口から窓から侵入する。そして畳や箪笥を浮かし,みるみるうちに鴨居近くまで上がってくる!

 かと思うや、それより早い勢いですーっと引いて行くのである。この力が、来るときの何倍かで、四方の壁をついでに引っさらっていく。」(P176「ある満州帰りの男の被災」)

 つくづく防災の歴史を先人に学ばないといけないと思いますね。

2015年6月10日 (水)

[被災弱者」を読んで

_new_r


「被災弱者」(岡田広行・著・岩波新書・2015年2月刊)を高知市の金高堂書店で4月に新刊本で購入しました。大災害の場合は、復旧・復興がむしろ大変。以前「復興災害 阪神淡路大震災と東日本大震災」」(塩崎賢明・著・岩波書店・2014年12月・刊)を読んでいまして、2015年1月17日に神戸市長田区鷹取東地区へ行きました。

 地元のチョ・ホンリさんと話をし、まち歩きをして鷹取の20年の歩みを話していただきました。復興・復旧はとても難しい。簡単ではないことを思い知りました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat60291529/index.html

 神戸市長田区鷹取東地区との交流

 やはり報道や行政や学識経験者のお話だけでは、地域の実態はわからない。そう思いました。未曾有の大被害の東日本大震災。映画監督や現地のボランティア組織の人の話も聞きました。

 常に思いますのは、2011年以来高知市下知地域に取材に来られるTV局の人達や全国紙の記者の人達は「下知は石巻に良く似てますね。」「気仙沼に似てます」と言われ続けて来ました。でも東北は遠く、介護認定を受けている超高齢者の両親がいますので、なかなか東北を訪ねることは出来ませんでした。

 昨年9月7日に、NHK仙台放送局の要請で、ラジオ番組に出演する機会があり、宮城県仙台市を訪ねました。しかし滞在したのは収録時と、夕食時のみ、翌朝は戻りました。少しだけ東北が身近になりました。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-27c3.html

 いま災害を生き抜くための言葉 NHK仙台放送局制作に出演しました。

 音声での地元の人達の語りを聞きました。まさに「津波てんでんこ」を実践して多くの人達が生きのびた岩手県洋野町の漁師町の人達。洋野町の消防団員は「率先して逃げる」ことをルール化していて住民も熟知している。)桂島では若手住民が高齢者を優先的に車を活用して高台に避難させ、避難が完了した後、津波が押し寄せましたが皆が助かりました。

 そうしたお話を事前に聞き、また南海トラフ巨大地震について知れば知るほど、焦る気持ちが高くなりました。東北地方の罹災地には、地域代表の坂本茂雄さんが震災後10回現地を訪問されています。

 坂本茂雄さんは「被災弱者」の著者の岡田広行氏とも直接の交流がありました。著書の中で出て来られる地元の住民組織の人や、ボランティア組織の人達を紹介していただいたそうです。坂本茂雄さんが、打診をし、高知から2015年6月20日から23日の予定で現地訪問し、意見交換することになりました。

 それだけにどうしても読んでおかねばならない著作でした。

 前置きが長くなりました。岡田氏は「はじめに」よりこう書かれていました。

「仮設住宅では高齢者の認知症が進み、世話役を務める住民が右往左往していた。津波浸水地区では、資金がないために住宅の修理が終わらない高齢者、復興事業のために住み慣れた我が家の立ち退きを迫られた在宅被災者がいた。

 みなし仮設住宅では、震災前のような安定した仕事に就けず、転居の見通しが立たない働き盛りの男性にもであった。・・・・・・いずれも震災から四年がたとうとする現在のことである。」(はじめに)

「東日本大震災の集中復興期間終了を目前に、復興から取り残された人々がいる。くらしの再生に必要なものは、巨大プロジェクトの加速ではない。

「いつまでも被災者なのか」と弱者を切り捨てるのなら、社会はその負債を将来にわたって抱え込むだろう。被災は、誰にとってもひとごとではない。

 災害多発国日本のあやうさを現場から問う。」(カバー表紙の言葉)

 「2,014年の4月時点でも避難者数は23万9000人ですが、コミュニティ機能を失った津波浸水区域に残り、避難生活同様に劣悪な環境におかれている在宅の被災者は含まれていません。

 津波に襲われた地域では、雑草の生い茂った空き地が目立つ荒涼とした風景の中に、ビニールシートやベニヤ板で覆われた家屋が点在している。多くは主を失った空き家だが、ところところに明かりがともっている家屋がある。

 こうした家屋に住む被災者の多くは資金に事欠き、必要な住宅修繕もできないでいる。高齢ゆえに銀行から融資を受けることも出来ず、新たな土地での住宅再建もままならない。」(はじめに)

 「国や地方自治体は住宅再建についての十分な手立てを持たない。そのため現在も津波浸水区域で暮らす人は、新たな津波被害の危険性が高いとされる災害危険区域からの移転で住宅困窮者向けの災害公営住宅(復興公営住宅ともいう)に転居または、防災集団移転促進事業(高台移転)等に参加する人を除き、今以上の支援を得られない。

 このことは、被災地の復興が進んでも、暮らしぶりが改善しない人々が相当数に上ることを意味する。」(P2)

 いきなりの深刻な事態の報告に、身につまされました。他人事ではない、明日の自分たちの現実であると思いました。
Isinomakimap

 今回の下知地区被災地交流ツアーでは、宮城県石巻市を中心に回り、現地で奮闘されている住民団体やボランティア支援団体との意見交換会も予定されています。

 そのなかの1人である支援団体の「一般社団法人チーム王冠」の伊藤健哉代表との意見交換も予定されています。著作の中では在宅被災者を巡回し、地域コミュニティづくりと維持をめざす「お茶っこバス」を運営されておあっれます。(P5)

 「自治体は住いを失った住民を避難所から、仮設住宅へ移行させることが手一杯で、在宅被災者に手をさしのべる余裕はなかった。」(P6)であるからでした。

 チーム王冠は北は女川町から、南は山元町までの広範な地域の在宅避難の5000世帯に及んでいます。支援の内容は、食料や物資の提供、住宅の修理、草むしり、農業や漁業の手伝い、スポーツ教室、子供のケアに至っています。

 罹災地の学校が元の地域の場所で再建されることは、地域復興のシンボルになります。湊東地区まちづくり協議会代表世話役の今野清喜さんとも意見交換の予定です。

 今野さんと一緒に活動されてこられた千葉眞良さん(石巻市議)には、旅行1日目に石巻駅前にバスに同乗いただき、震災時の様子やその後の復興・復旧の動きをお話していただくいことになっているようです。

 「土地区画整理事業に期待する今野さんは、迷路のように狭かった道や行き止まりをなくし、子供が安心して学べるまちを取り戻したい。すべてを子供優先になるように、行政に要望をあげていった。」

「湊小と統合された湊2小の跡地は、TOTO(サッカーくじ)の助成金を活用して人工芝のスポーツ公園にしてほしい。太陽光発電を用いて街路灯を整備できないか」とまちづくり協議会ではこんな要望を石巻市役所に提出しています。(P126)

 高知でようやく始まった「蛍プロジェクト」の実例も見学する予定です。

 「湊小に二女を通わせている斎藤建彦さんは、「震災対応減災ファイル」をPTAで提案・作成した。消防士である斎藤さんは学校区内をすみずみまで歩いて危険のある個所を点検したうえで、学校の外にいるときに災害に遭ったときの心構えや避難の仕方、避難経路を一冊の冊子にまとめた。」(P126)

 「今回の災害では、情報がなかった人がずいぶん被害に遭った。こどもたちには幼いうちからきちんと情報を入手して自分で行動できるようになってほしい。そうした思いからPTAの資金をもちいて作りました」(P126)

 「震災対応防災減災ファイル」を作成された斎藤建彦さんとも意見交換する予定です。

 津波のリスクをゼロにしようと高台移転計画を押しすすめた結果、住民の多くは雄勝町以外に移転してしまう誤算も起きています。

「リアス式海岸の入り江ごとに小さな漁業集落が点在する石巻市雄勝町は、明治時代には15浜村の村名を称した。その名のとうり、1つ1つの集落が固有の歴史と文化を持つ雄勝町にあって「町中」(まちなか)と呼ばれる中心地区は大きな口を開けた形の雄勝湾の喉元に位置する。

 水深が深く、天然の良港として知られる雄勝湾はかつて、遠洋漁業の船舶も出入りし,町中は発展をとげていた。

 しかし、200海里規制と石油ショックでを契機とした漁業の長期低落過程の末に大震災は雄勝町からすべてを奪った。中心地区では96%の家屋が全壊となり、総合支所、公民館、駐在所、消防署、郵便局、小中学校すべての公共施設が失われた。雄勝町全体でも,全壊の家屋は80%近くに達し、震災直前に4300人いた住民は4分の1強にまで減ったとされている。

 雄勝町の悲劇が色濃いのは、復興計画での選択肢が、津波浸水エリアからの高台移転しか示されなかったことに原因がある。」(P175)

 雄勝地区復興まちづくり協議会の阿部晃成事務局長さんとも意見交換する予定です。阿部さんは高台ありきの復興の道筋に異議を唱えられています。

「行政を巻き込んで復興のあるべき姿を提言するのが、本来のまちづくり協議会の役目だったはず。しかし実際には行政主導でまちづくりの青写真が描かれ、協議会は行政が決めた方針を追認する組織になった。」(P175)

 阿部さんは「このままでは中心部は成り立たなくなる」との危機感から「雄勝町の雄勝地区を考える会」をこしらえ活動されています。高台移転んと浸水地域のかさ上げを提唱した中心部の復興案を提示しても行政側は対応しませんでした。

 事業を行政側が急ぐゆえに、町中心部の住民の意向を十分に汲み取らなかった帰結が、人口流出加速の原因ではなかっただろうか。」(P184)

 筆者の岡田広行氏は問題を掘り下げて行きます。

「政府によれば、東日本大震災からの復旧復興に用意された予算は、「集中復興期間」とされた2011年度からの5年間に26・2兆円に達している。

 これだけの予算がありながら、被災者の多くは復興を実感することができないのはなぜだろうか。」(P202)

 その原因は予算配分に問題があるのではないかと著者の岡田広行氏は指摘しています。

「政府による「東日本大震災からの復興の基本方針」や東日本大震災復興基本法」に基づくとして、」実は被災地の復興とは関係ない事業が全国各地で実施されてきた。

  中略

 阪神淡路大震災や新潟中越地震時と比べた時に、大きく異なるのが、復興の取り組みへの住民参加の度合いだ。

 住民の生活上のニーズにきめ細かく対応するために「復興基金」が創設された点では共通しているものの、今回の震災復興の過程ではその資金の使い道に関して住民やボランティアの意見反映の場が欲しい。」(P203)

 1995年の阪神大震災の折も、地域が丸焼けになり地域の人々が懸命に自宅まわりの方づけに追われいる最中に、神戸市は長田駅前の巨大な再開発の青写真を持ってきたとか。

 その時も故石井弘利さんやチョ・ホンリさんから「神戸市はあらかじめ考えていた長田復興プランをいきなり出してきました。見れば長田のコミュニティや寄合の破壊につながる行政主導の復興・復旧プランだそうです。

 鷹取に人たちが凄いのは決してあきらめず、腐らず他の地震被害者との意見交換会などを前向きにしておられるところでしょう。

 読後感は、到底他人事と思えません。現時点で大地震に遭遇した場合、落ち着いて対応できるのでしょうか?「その時」慌てない肝を持たないといけないですね。

2015年2月 7日 (土)

復興<災害>を読んで


_new_r

 「復興<災害>―阪神・淡路大震災と東日本大震災」(塩崎賢明・著・岩波新書・2014年12月刊)を読みました。実は、1月17日に神戸市長田区鷹取東地区の20年」慰霊祭に行く前に新刊本で購入していました。一応行く前に積読はしていたものの、震災から20年経過した長田の現実に打ちのめされ、ようやく読書ノートが書けるようになりました。

震災から20年が経過していても、借金の返済をされている人たちや、長年続けてきたご商売をやむなく廃業されている商店主も多いと聞きました。鉄人28号(作者の横山光輝氏が神戸の出身)の巨大な像のある新長田駅前から鷹取東地区を歩きました。思いは複雑でした。

 住宅は新しくなってはいますが、ところどころに空地もありました。3階建てが多いですが、住民の方に聞きますと、区画整理事業で減歩され道路に土地を提供したので敷地が狭くなり3階建てにされた家屋が目立ちます。
 Nagata20nenireeisai

 たしかに長田には、震災遺構はありません。JR新長田駅前は高層マンションが林立し、駅前商店街の商業ビルも立派でした。しかし活気があるか、発展しているのかと言われますと、(高知とは比較できない大都市神戸市ではありますが)どこか違和感を感じていました。
Nagatatetuzin_3

「筆者が「復興災害」という言葉を初めて使ったのは、阪神・淡路大震災から10年が過ぎた2006年のことである。大震災の被災状況調査や避難所、仮設住宅、復興公営住宅、区画整理事業や再開発と言う復興まちづくりに関わるなかで、いつまでも孤独死がなくならず、まちづくりで苦闘する人たちを見て、これは災害の後の復興政策や事業が間違っているのではないかと思うようになった。」

「震災で一命をとりとめたのにもかかわらず、復興途上で亡くなったり、健康を害して、苦しんだりする人々が大勢いる。その被害は個人の責任だけに帰することはできないと思えた。この復興による災厄は「復興災害」と呼ぶ以外にはあるまい。これは自然の猛威ではなく、社会の仕組みによって引き起こされる人災であり、本来防ぐことが可能な災害である。」

   中略

「実は、現在の防災・減災対策の中で、復興施策はほとんど位置づけられていない。命さえ助かればあとは自分で、という形になっているといっても過言ではない、しかしそれでは多くの被災者は生きて行けず、生活再建はできない。そこに復興災害が発生する根本原因がある。

 復興の事業の多くは公共施策として行われるが、その内容は貧弱で、被災者の実情に合っていないことが多い。」(P3)

 筆者は震災後20年が経過しても、阪神・淡路大震災の被災地では「復興災害」にさいなまれている人たちが存在していると指摘されています。それが2011年の東日本大震災での復興事業に活かされているとは言い難い現実があるとも言われています。

 日々いつ起きるかもしれない南海トラフ巨大地震の恐怖で毎日日にち海抜0メートル地帯に住んでいる私たち高知市下知地域住民の想いや、考え方は、高知県庁や高知市役所の言う「減災対策」にはまず活用されないし、意見の聴取をすることもありませんでした。
Kaibatu0_r

 いつ開催され、だれが委員であるのかも不明な県・市による「南海地震長期浸水対策検討委員会」なども該当地域住民抜きで「勝手に」審議され対策が検討されているようです。そして検討会の意見がまとまってから(住民の意見は全く聞くことなく)、住民側にやおら事後報告するとされています。呆れますね。そしてその検討案を押し付けてくるのですから。

  http://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/010201/choukishinsui.html

 南海トラフ巨大地震が起きる前からこの有様で、極めて貧弱な事前対策しかなされていません。実際に甚大な被害がでたならば、高知市低地に住む13万人の市民の避難、生活再建は極めて難しいいばらの道であることは想像が出来ます。

 著作の中で新長田駅南地区の再開発事業の記述がありました。

「東日本大震災の被災者らが、阪神・淡路大震災の復興に学ぼうと神戸を訪れ、予想に反して衝撃を受けるのが、新長田の再開発事業である。そこでは震災後20年を迎えても事業は完了せず(現時点のめどは2017年とされている)、それどころか出来上がった再開発ビルの中はシャッターだらけで、多くの商店主が日々苦しんでいる。巨大再開発と言う復興施策がもたらした「復興災害」がいまなお進行中なのである。」

「神戸市長田区の新長田駅南地区再開発事業(面積20ヘクタール)は、阪神・淡路大震災の復興都市計画事業のなかでも最大のものであり、他の事業が完了する中で今も大きな困難をかかえている。

 新長田地区は。ケミカルシューズの工場や卸売店舗が多く、商店街が縦横に張り付いた住宅・商業・工業の混合地域であった。建物の多くは2階建て以下の木造で、無数の路地で構成された神戸の代表的な下町である。震災では市街地大火によって壊滅状態となった。

 従前の世帯数は1600世帯、人口4600人で、権利者数は2162人であった。

 新長田の再開発事業は、いわゆる第2種再開発事業で、管理処分方式をとっており、神戸市が地区内のすべての土地を買収し、44棟のビルを建設する計画である(総事業費2710億円)。2014年6月に37棟が完成し、1棟が建設中、6棟が着工予定である。」

  中略

「再開発ビルの分譲住宅の価格は、688万円(27・24平方メートル)から、4675万円(124・23平方メートル)で、ほとんどの場合、従前権利の評価額より分譲住宅の価格の方が高い。

 追加的な資金を持たない人は、わずかな補償額を手に転出するか、受け皿住宅に入るしかなく、震災前の住民の45%は地区外に出たという(日本経済新聞 2009年1月13日)。筆者らの初期の調査でも、分譲住宅の入居者の76%は地区外から来た新住民で、従前の住民は24%であった。」(P42「新長田駅南地区再開発」)

 商業者や事業者には復興には大変な困難が伴いました。

「一般に、市街地再開発事業では、従前の居住者・権利者が地区に留まることは難しく、大半が転出することが多い。商業者・中小零細事業者の営業を確保し発展させることは、当事者にとって死活的な問題であると同時に、地域の活性化という点からもきわめて重要な問題がある。

 しかし、従前の商店・事業所が営業を再開するのは大きな壁がある。主なものは以下の3点である。

第1に、従前資産の評価に比べ権利床価格が高いために、入居できないことである。

第2は、共益費、管理費などのランニングコストである。床の買い取り価格に加えて、巨大なビルを維持するための共益費、管理費など、以前はなかった負担が新たに増える。

第3は、再開発によって生み出される商業床が過大な事である。神戸阪神間ではすでに商業施設が過集積しており、大規模な商業床は競争を激化させ、営業にとって困難をもたらす。

 商業床の大部分を「新長田まちづくり株式会社」に賃貸契約しているため、形式上は契約済みになっているのであろうが、各ビルの1階部分では賑わってる店舗もあるものの、2階や地下ではシャッターが閉まったままの区画が目立つ。」(P439)

 確かに2015年1月17日に地元のチョ・ホンリさんに案内していただき、新長田駅周辺の商店街である新長田1番街商店街、大正街商店街、六間道商店街、西神戸センター街などを歩きましたが、著作で指摘されているような現実を見ました。
Nagata1banngai


Nagatataisyou


Nagataheitenn


Nagata1


Nagata2


 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-39d2.html

 確かに大阪近辺は梅田駅周辺も大規模な再開発され、商業集積が進みました。また超高層ビルの商業施設であるあべのハルカスなども開業しています。同じ神戸市の三宮周辺との競合もあるでしょう。

 職住・商工混合の下町の風情は失われ、巨大な高層ビル群と、商業ビルには活気のない現状を見ると、神戸市の大規模な長田の再開発事業は完全に失敗していると思いました。

 やはり当事者である住民不在の再開発計画であったことが失敗の大きな原因であったと思います。神戸市都市計画部局の思い上がりと市民軽視の開発手法が破たんの原因でしょうね。
_new_r_2

 また現在東日本大震災の復興事業も、地元の意向が無視する形で進展しているようですね。                                   

「多くの市町村では、震災前よりも高い防潮堤を建設し、道路や鉄道敷を盛り上げて堤防替り(2線堤という)とし、浸水を防ぐ計画になっている。また、今回津波で浸水した市街地を大規模に盛土する計画も多い。しかし、それらの計画に対する疑問も少なくない。
 高い防潮堤については、景観上の問題や、海との関係の段絶、津波避難がかえって遅れるといった点や、海岸の環境破壊なども指摘されている。

 城壁で囲まれたようなまち、海の見えないまちになって、将来の街の発展があるのかといった危惧がすでに住民から出されている。また、数百キロメートルにわたって三陸沿岸を巨大防潮堤が覆う事業は、海岸地区の自然を著しく破壊するという指摘もなされている。本来であれば、十分な環境アセスメントがされなくてはならない大事業である。十分な検討もないままに、予算がかくほされたからといって巨大事業が展開され、人々の生活が戻らない街になってしまっては、本当の意味で復興とは言えない。」(P130「住宅復興とまちづくり」)

 東日本大震災後の復興事業でもまたしても阪神・淡路大震災の「復興災害」の教訓が生かされていないように思います。巨大なコンクリート護岸の背後の街には誰もすまないような現実になるのではないでしょうか。

 また筆者は原子力発電所の稼働をさせないことが、重要な防災対策であると言い切っています。
Fukusimagenoatuhigai

「原発に「世界最高水準」の安全性を求めるといった議論があるが、ほとんど無意味と思われる。一体、何をもって「世界最高」というのか。世界第2位と比べてどれほど安全になるのか。地震や活火山が多く、狭い国土に55基の原発(もんじゅも含む)が存在する日本は、世界的に見てもけた違いに危険な状態にある。」

「大地震の回数[最近100年間発生した死者1000人以上に地震)と原発の個数を、国土面積あたりで比較してみれば、日本の(地震×原発)指数は、38・09で、世界のどの国よりも数百倍ないし無限大の危険性を抱えている。」

「仮に原発が1基になったとしても、指数は0・69で、第2位のパキスタンの7・7倍あり、世界1危険であることに変りはない。狭い国土で地震が多いこの国では、国土を安全で強靭にするには原発をゼロにするしかないのである。」(P185「大災害時代の幕開け」)
_new_r_3

 塩崎賢明氏は「次なる震災復興の備え」として住宅復興の観点から提起をされています。

①避難所生活の改善

②複線的な総合プログラムの作成

*応急仮設住宅の質の向上

*自力仮設の認容

*みなし仮設の制度改善

*家賃補助制度の導入

*被災者生活再建支援金制度の改善

③住宅再建・生活再建と整合性のある災害復興まちづくり制度

④防災・復興省の創設

 「それらの提案事項を「阪神・淡路大震災の経験と東日本大震災の復興の現実から真摯に学び、既存の制度や悪しき慣習にとらわれず、1人でも多くの命を救い  中略

 大胆に法律・制度や仕組みを改革することが、一刻の猶予もなく求められている。」と言われています。

 南海トラフ巨大地震の恐怖に毎日苛まれています。既に私たち海抜0メートルの高知市の下知住民は被災者になっていると思います。既に地域の地価は暴落し、誰も買い手がつかない状態になっているからです。よほど資産がないと地域外への移転もままならないのです。

 南海トラフ巨大地震は近づいて来ています。なんとか困難な地域に住んでいますが、生きのびたいと思っています。本気で活動をしなければいけないと思いました。


 

2014年9月24日 (水)

「日本の津波災害」を読んで


Rekizi_tunami_new_r

 下知市民図書館で「日本の津波災害」(伊藤和明・著・岩波書店・2011年12月刊)を読みました。この著作を読みますと日本列島の沿岸部は過去、文書で記録されている2000年あまりの歴史の中で、津波に襲われ続けています。

 東北沿岸部、四国、紀伊半島、東海地方、関東沿岸部、沖縄の島々、日本海沿岸、北海道沿岸部などです。古文書以前の津波の記録は陸上の淡水池やがけの地形を解析して津波の履歴を調査されているようです。

 1923年の関東大震災でも大火災が印象的ですが、神奈川県の沿岸と静岡県では大津波が沿岸を襲い多くの被害を出しています。その記録に寄りますと「地震だ!津波だ!高台へ逃げろ!」という昔からの言い伝えを実行した集落は命が助かっています。

 1854年の安政地震の時の和歌山県広川町での津波の時に、浜口儀兵衛のとっさの機転とと、津波罹災後に私財を投げうち津波堤防を建設した話を聞いた小泉八雲が感動し、「生神様」という小説になり、「稲村の火」というとして教材として小学校の国定教科書として全国の学校で学ばれました。

 良い教材なのでまた小学校の防災教育として復活していただきたい。「国定教科書」であったということで敗戦後に顧みられなくなったとの事ですが、他の軍国教材とは異なります。

 日本の国土の6割強は森林(山)です。高知県は84%が森林。ひとびとが生活する都市部は沿岸部の沖積平野の埋め立て地になります。地盤が弱く、海抜が低く、海や川に隣接しています。

 地震列島日本に暮らす以上は地震・津波は「宿命」です。過去土佐の先人たちは幾度となく大津波に襲われ、「亡所」(集落ごと津波で壊滅)を繰り返しながら定住し、生活を営んできました。
 
 私たちも「生きのびることが難しい」高知市下知地域で生きのびるための地域活動をしていきたいと思います。この著作は「日本人の宿命」を感じました。

 東京五輪や大阪都構想がいかに危険で、安心・安全に考慮していないことが良くわかります。「安全はすべてに優先する」という当たり前のことが政治に貫かれていただきたい

2013年9月 4日 (水)

「地名に隠された 南海津波」を読んで

Timeitunamihon
 「地名に隠された 南海津波」(谷川彰英・著・講談社・2013年刊)を購入して読みました。筆者の谷川彰英氏は学窓時代は柳田国男の研究をし、退官後は地名を研究するために全国各地を歩いて回ったそうです。

 谷川氏は「地名に潜む先人のメッセージ」という表題で、柳田国男の「地名の研究」(1936年)を引用されています。

「億を超えるかと思うこの我々の地名は、いかに微小なものでも1つ1つ、人間の意思に成らぬものはない。始めてこれを命名した者の判断と批評がその群の大部分によって是認され、遵奉(じゅんぽう)されたという事実だけは立証している。

 そうしてその中には前に例示する如く、50年前のものもあればまた千年来のものもあり、さらにその中間の各段階を代表しているものもあるのである。いわゆる人と天然との交渉をこれ以上綿密に、記録しているのは他にはないのである。

 これを利用せずに郷土の過去を説こうとする人が、今でも多いということは私には何とも合点が行かない。」(柳田国男「地名の研究」(1936年)

 「柳田は地名を「人と天然との交渉」の記録として位置づけているが、そのことは、日本列島の津波常襲地域を歩いてみて実感するところである。都市部において、地名は改変に改変を重ねて、もはや見るべきものはないといった状態に陥っている都市もある。

 しかし、旧漁村地域になっている津波常襲地域には、幸いにも古来の地名がしっかり残されている。古来の地名が残っていることは誇りに思っていい事実である。

 だから私たちはその地名から、土地の歴史がわかり、古来先人たちが自然災害にどのように苦闘して来たのかも、垣間見ることができるのである。」(P27)

 都市部では行政側の都合で町名が変更され、地名の由来がわからなくなっていますね。それが危機意識を市民各位が持たない原因の1つなのかもしれませせんね。

 谷川氏は「浦、津、川、浜」が地名につく地域は津波に襲われる地域であると言います。

 津は水のうるおす所で、浅瀬の」船着場、渡し場でかつてあったことに由来していると言います。特に船着き場や」渡し場に対して、物資が集散し、集落が形成されたところ。港町だそうです。

「この半年あまり、東北の被災地と南海トラフ沿岸地区を実は数千キロにわたって歩いてみた。その結果わかったことは、一撃にして津波にやられたのはこのような「津」と呼ばれる地域である。

 そしてさらに気が付いたのはそこには必ず「川」があり、その津を取り囲んでいるのは「浦」という地形であることだった。」

「東日本大震災で津波に襲われた所を検証してみよう。例えば岩手県の宮古市、ここには宮古湾という浦の奥の手があり、そこには「閉伊川」という川が流れ込んでいる。

 大槌町も同じで、大槌湾の奥の津に大槌川が流れ込んでいる。釜石には「甲子川」が、大船渡には、「盛川」が流れ込み、気仙沼には、「大川」が、石巻には旧北上川が流れ込んでいる。

 重要な点は、奥まった湾(浦)の奥に「津」があり、さらにそこに流れ込んでくる川を遡上して大きな被害を与えていることである。
1000


Kouchihyoukouzu_r


 高知市の記述もあります。

「実はこの「高知」も水にちなんだ地名である。「高知」が「知が高いと読んだら大間違いで、実は「川」にちなんだ地名である。周知のように家康の命によって土佐に入った山内一豊は大高坂山城に築城した。

 現在でもそうだが、この城は2つの川の間に丘の上につくられた。その意味で当初「河中山(こうちやま)」と名付けたが、水害にくるしめられるとのことで、「河中」の文字を嫌い、「高智山」となり、さらに「高知」に転訛したとされている。」(P96)

 高知は低地で地盤が弱いのは当たり前。今の市街地の多くは山内時代に干拓してつくられた農地の上に形成されているからですね。
Oosakahyoukoutizu
 大阪もキタの梅田も,ミナミの難波付近も低地。丘陵は大阪城と天王寺あたりが半島のように突き出しています。維新の会の橋下徹大阪市長が「大阪都」構想をぶち上げていますが、災害のない場所に都市形成をしないと一切がアウトになる低地に都市形成をしていますから。

 筆者は「南海トラフ津波はそう遠くない時期に必ず来る。自然災害をたやすく克服できるとは思わないことだ。自然への恐れと人間への信頼があれば、被害は最小限に食い止められるはずである。」(P178)と言っています。

 高知市の0メートル地帯に住むものとして、覚悟を決め、なんとか南海トラフ巨大地震をやり過ごし、生きのびないといけないです。命も家族の絆も、地域のつながりも、生活の糧である職場も守り抜かないといけないと切に思います。
Shomozizentaihyoukouizu1

 名古屋も低地の市街地が広大にありますね。
Photo

2013年6月 9日 (日)

曳家の岡本直也さんが週刊女性で特集されていました。

Sjyoseihonmm
 高知市下知地域の宝永町のご出身の曳家職人岡本直也さん。人づてに「岡本さんがジィ性雑誌の特集になっちゅうらしい」と聞きました。岡本直也さん本人もフェイスブックに書かれていました。

 そこで金曜日に父が点滴している植田医院の近くにあるコンビニで「週刊女性6月18日号」を購入しました。54ページから、59ページまで6ページの特集・取材記事ですね。「人間ドキュメント」の連載特集記事のようですね。

 取材は丁寧に行われているようで、記事も真摯な表現で記述されています。
Okamoto1mm

「震災から2年。地元・高知から千葉県浦安市におもむき、地盤沈下や液状化の被害を受けた地域で 今も耐震補強などに尽力する職員がいる。

 見えない部分こそ、手抜きができない。

 仙台の父から受け継いだ、匠のこだわりとはー」(P54)

 執筆者はフリーのライターの女性ですが、岡本さんから曳家の技術とこだわりを引出さい、わかりやすい表現で記事を書いていますね。

 奥様と結婚された時代は、時代の変わり目であったとか。道路拡張に伴う行政の補償制度が変わったことで大きな打撃を受けられました。

「以前は,曳いても。壊しても、出る金額は一律。ならば曳いたほうが安く上がり、差額が懐に入る。ところが実費補償となると、建てて2・3年の家でも、壊して新しい家を建てたほうがいいと皆さん思う。

 家を曳く人がいなくなってしまったんです。」(P58)

 バブルも崩壊し、建築業界全体が大変な時代になった。副業はなんでもやり、ポップコーンの移動販売もやったそうです。

Okamoto2mm

 聞き手の話の引き出し方が上手であると思いますが、若いころはブテックのオーナーになったり、コンサートのプロモートをされたりもしていたとか。知りませんでした。

 「高知も30年以内に次の南海地震が起きると言われています。自分が今、経験していることを、技術と一緒に高知へも伝えたいのです。」(P59)

 週刊女性が何部発刊されているのは知りません。美容室や病院など女性の多い職場には置かれていますので、発刊部数の数倍の社会的影響力はあると思います。

 まして「家」の主役は女性。女性の信頼がないと曳家の仕事も支持されないと思います。女性誌が特集を組まれたことで岡本直也さんもついに「メジャー」になりました。

 また曳家職人の岡本直也さんを高く評価されている高知の人は、山崎一寛さんや、西田政雄さんです。西田さんのご紹介で1度お会いしたこともありました。真摯な技術職の人でした。

 高知県や高知市の地震担当部署や建築部署や、ちゃんと岡本直也さんの業績を評価すべきでしょう。 

Okamoto3mm


2013年4月19日 (金)

「津波からの生還」を読んで

Tunamiseikanhon2_r


「津波からの生還 東日本大震災石巻地方100人の証言」(三陸河北新報社石巻かほく編集局編・2012年刊・旬報社)を高知市下知市民図書館の南海地震コーナーで借りて読みました。

 三陸河北新報社は東北6県をエリアとするブロック新聞。この本には、宮城県石巻市、女川町、東松島市の市民100人の体験記が掲載されています。

 地震の体験と津波の実体験での証言ですので、どの人の言葉も重く、見につまされました。いずれも「想定外」の事態で懸命に生きようとしたひとたちの証言です。

 共通するのは地震時「長く揺れが感じた」が、すぐに津波が来るぞと思った人がいて素早く避難した人もいれば、まったく想定しなかったひともさまざまでした。

 津波のうずに巻き込まれ、九死に一生を得た人の証言は身につまされました。一緒に逃げていた身内との別離や目の前で津波に流されていく恐怖が語られています。

 あまりの事態の変貌に読んでいても足がすくむ思いでした。よくぞこの人たちは生き残ったと。

 そしてそこから何を教訓とするのか。やはり事前の体験と事前の避難訓練を、自分の家族と会社と地域ぐるみでやっておくことでしょう。

その他のカテゴリー

2015年昭和秋の感謝祭「 2016年参議院選挙 2016昭和秋の感謝祭 2017衆議院選挙 2018年昭和秋の感謝祭 2019年参議院選挙 2019年高知市長選挙 2019年高知県知事選挙 2019年高知県議会議員選挙 2019高知市議会選挙 BCP(事業再構築計画)推進 JICA研修生の皆さんとの意見交換会 NPO高知減災ネットワーク会議 おすすめサイト まちづくり条例見守り委員会 スマホDEリレー スマホSOS通信 デジタル防災無線 トイレ対策 ニュース ハイパーレスキュー艇・シーレックス パソコン・インターネット ペット ユニバーサルな防災・減災対策 ロープワーク 三好市との交流 下知コミュニティ・センター防災部会 下知図書館建て替え問題 下知地区防災計画 下知地区防災計画・ブロック会 下知地域内連係協議会 下知市民図書館改築問題 下知減災連絡会 下知町内会連合会 事前復興まちづくり計画 事前復興計画に策定作業 二葉町内防火対策 二葉町町内会 二葉町総合防災訓練2019年 二葉町自主防災会行事 五台山・市民農園 五台山2次避難所構想 五台山2次避難構想 仁淀川町ー二葉町との交流事業 今治市防災士会・連合防災部会との交流 今野清喜さん講演会 企業の災害対策 保存食・保存食材 内閣府・地区防災計画フォーラムIN仙台 内閣府地区防災計画 北海道地震(仮称) 医療・介護情報の共有化の必要性 南海地震情報 南海地震関係 危機管理の意識 原子力災害 受援力向上セミナー 口腔ケアの重要性 台風・大雨対策 台風対策 台風情報 名古屋大学・室井研二准教授 名古屋市南区・白水・星崎地区 国政との関連 国際信号旗 地区防災計画学会・高知大会2018 地震保険 報道関係 大阪北部地震2018 太陽灯LED照明 女性の視点(生活者)の視点 学識者・大学関係者 家具転倒防止対策 家具転倒防止講習会 家屋の手入れ 岡村眞先生講演会 巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体 市民目線での減災対策 平成28年度下知地区防災計画 広域地域間連携 復旧・復興対策 徳島県美波町との交流 心と体 情報伝達手段 情報伝達訓練 情報班 感染症対策 戦争災害 手結福島・南地区自主防災会 排泄(排尿・排便)ケアの必要性 携帯・デジカメ 救命艇エアーボート 救急救命法 文化・芸術 新潟中越地震の教訓 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 映画・テレビ 昭和南海地震 昭和小学校の防災学習 昭和小学校の防災教育 昭和校区地域内連係協議会準備研究会 書籍・雑誌 東北被災地交流ツアー 東日本大震災の罹災地から学ぶ 東日本大震災の震災遺構 河瀬聡一郎氏講演会 津波避難ビル 津波避難施設について 津波避難訓練 海からの受援を 浸水対策備品 浸水時救命艇 災害に強い熱源としてのLPガス 災害後の速やかな対応 災害時の医療支援のありかた 災害時の食料確保 災害時国際貢献・支援 熊本地震関連2016年 疎開保険 研修会・講習会 神戸市長田区鷹取との交流 神戸市長田区鷹取東地区との交流 窓ガラス飛散防止講習会 立体換地 経済・政治・国際 耐震護岸工事 耐震貯水槽活用問題 脱水症対策 自主防災会の交流事業 自主防災会同士の交流 自衛隊の救助訓練 蓄光塗料 西村吉正・春子服薬情報 認知症症候群関連 超高齢者の事前減災対策 防災マップづくり 防災世帯調査 防災備品の管理 防災啓発懇談会 防災啓発用 防災啓発用映画 防災啓発番組 防災士 防災炊き出し訓練 防災用品展示会 防災紙芝居プロジェクト 防錆対策・防錆塗装 雪道・凍結道・高知自動車道路対策 電源の確保 震災語り部管野和夫さん 食事情報 高知大学との協働事業 高知大学防災すけっと隊 高知市地域コミュニティ推進課 高知市地域防災推進課 高知市政 高知市社会福祉協議会 高知市自主防災組織連絡協議会 高知市議会 高知市長との意見交換会資料2015年 高知市防災士会連絡協議会 高知県危機管理部 高知県土木部 高知県政 高知県看護協会 高知県議会 高知HOTARUプロジェクト 高齢者・認知症対策 2015年統一地方選挙・県議・市議 2016年熊本地震 2016年熊本地震関係 8月14日の自己責任の失火について NPO高知市民会議(防災)