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2025年2月

2025年2月28日 (金)

坂本茂雄さん県政かわら版・75号

坂本茂雄・県政かわら版・75号-1 001
 下知地域の地域代表(下知地区減災連絡会事務局長・下知地区交通安全指導員)の県議会議員である坂本茂雄さん。この度「坂本茂雄県政かわら版・75号」が編集発行されていました。

 1面は12月定例会の関係記事です。
「312億円の補正予算 手話言語条例成立」

「防災・減災 物価高騰対策に充当」

ただ見出しにあるように、補正予算案は、四国8の字高速ネットワーク化や、浦戸湾3重防護堤防の建設を推進する予算であり、全会一致や賛成多数での可決は妥当なと事です。

「特定利用港湾」指定同意の撤回を求める請願は否決」とあります。

 北東アジア地域は、中国、北朝鮮、ロシオという軍事力を増大させ核武装している独裁国が「向こう3軒」の近隣国です。政府が提唱する「特定利用港湾」になれば、利用するのは自衛隊だけでなく米軍も利用するだろうと、地元に断らなくても米軍は利用し放題なのです。それは「日米地位協定」があるからです。
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 日米地位協定は、日本国憲法より上位にあり、日本のどこへでも米軍は着陸し、港に接岸できます。米軍基地内だけでなく、日本中の港湾施設にも飛行場も米軍の軍事作戦で利用できます。

 「軍事施設化」すれば、敵国からの攻撃対象になります。高知港、須崎港、宿毛港も攻撃対象に安る可能性が一段と高くなりました。
 これはとても残念な否決でした。

 2面・3面は9月の定例議会で「一問・一答形式」の質疑の詳細が掲載されています。
坂本茂雄・県政かわら版75号-2 001
 2面は

「仮設住宅の確保について」①

「災害中間組織について」②


「県1消防広域化について」③
での質疑応答がなされていました。

①仮設住宅用地は、いまだにL2想定での家屋損壊が起きた場合、被災者全員が高知県内で避難生活ができません。未だに4割台の確保ではないでしょうか。その上浸水被害、土砂崩れ被害などhがない安全住宅用地を確保することが、県政の最重要課題です。(土木部長)

②災害中間組織について

 個の質疑はとても重要です。昨年能登半島地震が1月1日に発生した直後に、専門性があり、支援体制があるNPO組織のいくつかが、全国より石川県庁に駆け付けました。ところが石川県庁は災害対応に追われ、専門性のあるNPO組織を冷遇し、対策会議の部屋にも入れず、廊下にいてくれとの酷い対応をされたと聞いています。せっかく全国各地から縁門性がありノウハウも、人も機材なども持参していただきながら、結果的になおざりに市、初動対応が物凄く遅れたと聞きました。

 あらかじめ災害時の支援団体の「受け入れ窓口体制の構築」「情報共有化の仕組みづくり」など事前に県はこしらえないといけない筈。検討を開始したということですが、「いつまでに」「「どういう組織形態」で「どうやって官民の災害後対応の情報共有するのか」をいちはやく構築しなければなりません。
(子供・福祉政策部長が回答されていますが、不十分で事の重大さを理解していませんので私が補足しました。)

③「県1消防広域化について」

 各自治体にあり、大きな役目を担ってきた消防組織。ただ広域合併しただけでは機能不全になる可能性があります。調査が必要。(知事)
坂本茂雄・県政かわら版75号-3 001

 3面は「福祉・防災・観光」の観点からの視点からの質疑でした。

①バリアフリー観光と災害時要支援につながる情報y提供を、バリヤフリー観光窓口(例えば「ふくねこ」)が担えないか

 黒潮町が既に「防災ツーリズム」を推進している。それに福祉防災の視点を付け加えれば、魅力向上になる。県全体に拡大したい。

 公共施設のバリヤフリートイレがまだまだすくないので、高知市内の施設については高知市と相談する。(子供・福祉政策部長)

②災害級の暑さ対策について

 街のにぎわいの創出を図るためにも、公共の場の暑さ対策は不可避である。国の計画も見据えて対処していく。(知事)
坂本茂雄・県政かわら版75号-4 001
4面は坂本さんたちの県議会会派「県民の会」と濱田知事への県政要望の意見交換会の様子です。

 坂本茂雄さんの要望事項は、防災減災に関する事項でありとても重要です。

①災害関連法制と福祉法制の改正で、防災と福祉の取り組みをより強化すること

(知事)「災害関連死防止や。要介護者の悪化防止は、災害救助法に福祉支援を明確に位置付ける必要があり、全国知事会と連携し、国にも要望していく。
 (知事の回答は、これから国に要望していくばかり。県独自で福祉防災を行うという意欲は乏しいとしか言えない回答でした。)

②南海トラフ地震対策行動要項に、スフィア基準を最低限にした避難所環境整備と、初年度から「トイレカー」を5地域に1台を整備配備する。

(知事)トイレカーについては市町村が整備することを前提にはしているが、県が地域本部体制で整備する選択肢も大事なので検討してみる。

(避難所のスフィア基準については、石破首相が国会答弁で何度か言及し、防災庁設置を前提に内閣府の防災担当者の増員、対策予算の増額をに言及している。南海トラフ地震対策の最前線の高知県知事の答弁としては覇気を感じない。いつまでも「国頼み」の姿勢では行けないと思います。

 つくづく黒潮町の「先進性」を1月19日の「合同研修会」で体験した後では、高知県庁の防災対策は「生ぬるく」感じます。いつまでも「国頼み」を県知事が発言しているうちは駄目ですね。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat76059338/index.html
(2025黒潮町合同研修会)

2025年2月27日 (木)

黒潮町の事前復興まちづくり計画について

黒潮町事前復興まちづくり計画2025佐賀地区 001
 2025年1月20日に黒潮町は、3年前から検討し、地域住民とのワークショップなどで慎重に合意形成を図り、。高知県下で初めて「事前復興まちづくり計画」(佐賀地区)を公表しました。

 地元紙の記事によれば、佐賀地域に2か所の高台整備を行い、役場支所などの都市機能と住宅を世厳し、被災後6年で復旧を目指すとの事です。さすがは「日本1防災対策が進んだ黒潮町」であります。

 2025年1月19日に下知地区を中心に30人の防災関係者が黒潮町を訪問し、講話を聴き、まち歩きをし、佐賀地区で日本1の津波避難タワーへ上り住民代表と意見交換をしました。

 年間2000件の視察要望が殺到している黒潮町。そのご多忙の中情報防災課村越淳課長の「犠牲者ゼロをめざす黒潮町の地震・津波対策」というテーマの講演を研修参加者の30人は聴講しました。

 聴講して黒潮町の防災対策は日本1であるし、何より役場と住民の信頼関系が物凄く、10年かけて作り上げ、今なお発展している姿(事前復興まちづくり計画策定まで行っている)ことに感銘した次第です。

 それが可能である理由は、私なりに情報防災課長の中で思いましたのは、
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①ぶれない首長のリーダーシック
②役場全職員を通常業務に加え、「全職員防災地域担当制:を導入し、住民の中に役場職員が入っていき、意見交換を行い相互信頼関係をこしらえたこと。
③成果物として「防災ワークショップ」「戸別津波避難カルテの作成」「地区防災計画の策定」「地域ごとの避難訓練の実施」でしょう。

通常の自治体は防災部局の職員は役場の都合で3年程度で移動し、住民との信頼関係など構築することなくいなくなりますから。国も。県も、大多数の市町村もそうです。「黒潮町方式」でなければ、南海トラフ地震で生き延びることは出来ません。役場の「本気度」が全く違います。恐れ入りました。

 つまり10年かけて役場と地域住民との信頼関係をきちんと作り上げ散るからこそ、3年で事前復興まちづくり計画が策定できたのですね。
DSCN8907
 高知市のレベルは「研究会」にとどまり、下知地区などでは計画策定まで全くいっていませんから。現状は「下知地区事前復興まちづくり計画策定」など夢のまた夢ですね。住民側も行政側も熱量に乏しく、レバルも低いのが現実xですね。

 自分なりに地域防災活動に取り組んで17年になりますが、今だに低いレベルのままであることに、非力さを感じています。

2025年2月26日 (水)

新帝国主義の時代の到来か?


 二次大戦で連合国側(アメリカ、イギリス、ソ連)が、ドイツ、イタリア、日本の枢軸国側を打ち破り、国際連合を成立させた「戦後の秩序」が破綻しつつあるようです。

 国連の常任理事国であるロシアによる隣国ウクライナに対する軍事侵攻から3年になりました。

 またイスラエルによるパレスティナのガザ地区の破壊的な空爆や戦闘は、国連決議違反だし、イスラエルとパレスティナの2か国共存という原理原則が崩れそうになっています。

 また北東アジアでは中国の「拡張政策」が隣国との軋轢を生んでいます。アメリカが「自国第1主義」で引きこもり政策をとればとるほど、中国が進出しようとしてきます。

 長らく国連による統治をしてきたようですが、最近は、新たな帝国主義の時代が到来したかのようです。

 ロシア帝国、中華帝国、アメリカ帝国、トルコ帝国、イラン帝国、イスラエル帝国、インド帝国など新たな7覇権主義が台頭しつつあるようにも思いますね。

 欧州諸国では「移民排斥」を主張する極右政党が躍進し、EUの理念と対立しています。この近年世界の軍事費用が増大しています。ドイツもフランスもどうなるのかわかりません。

 では日本はどうなるのか?皆真剣に考えなければいけない時代になりました。

 ただ私の場合は災害大国日本で、南海トラフ地震の中で生き延びる方策の確率が最優先事項です。それが確立してから日本の進路について真剣に考えます。

 日本は決して「新帝国主義国」になってはいけないと思う。覇権主義に屈服することなく、自由を確立し、生き抜いていくことは難しいが、やり遂げないといけない。

 どうすればいいのか今は皆目わからないが、懸命に人生をかけて考え続けます。

2025年2月25日 (火)

2025年自主防災会事例発表会

丁野会長
 2025年2月22日(土曜日)ですが、高知市あんしんセンターにて「2025年自主防災会事例発表会」がありました。他地域の自主防災会の活動を知ることはとても大事なことです。活動の独りよがりを防止し、謙虚になります。
十津地区の現状
 地域の防災活動の事例では十津小学校区防災連合会丁野会長の講話「草の根防災活動を試みる」です。
十津の課題
話を聴講して、住民に寄り添う活動をされています。十津地区は津波浸水地区もあれば、高台地区もあり、町内会や自主防災会が活発であるところもあれば、そうでないところもある。

 活動方針としては、地域内の情報格差をなくしていこうという試みがなされていることに感心しました。質問で「家具転倒防止対策」や「木造住宅の耐震補強」は高いですかと聞きましたら、意識は高いと言われました。


 もう1つは「高知市の防災対策」として、「事前復興まちづくり計画とは何か」を西村直晃防災政策課主任が講話されました。
復興基本方針
 東日本大震災や能登半島地震の事例を出して、わかりやすく説明されました。高知市の「事前復興まちづくり計画」の概要の説明がありました。

 注目すべきは、高知市は南海トラフ地震の災害後「8年間」で復興復旧を目標としていることです。そのための具体論の構築はこれからでしょう。

 2月20日に高知県で初めて事前復興まちづくり計画を策定した黒潮町佐賀地区の計画についても言及され、学んでいくことを言われていました。自治体同士の連携が大事ですから。
必要性
 「これから」であるということです。さて問題は高知市が本気で事前復興まちづくり計画を全庁をあげて高知市役所が実行するかどうかでしょう。

2025年2月24日 (月)

友遠方より来る

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 北海道から大学時代のサークルの先輩が高知へ来られました。家内も同じサークルの出身者なので、3人で懇親を深めました。私たちの結婚式以来来てくれました。46年ぶりです。

「友有り、遠方より来たる、亦楽しからずや」は、中国の思想家である孔子が『論語』で述べた言葉で、志を同じくする仲間がいる楽しみを表しています。」
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 意味を調べますと「遠いところから、志を同じくする友人がわざわざ訪ねて来てくれるのは、なんと楽しいことだろう」とありました。

 わたしがそのサークルに入会したのは1973年でした。事情があり、翌年の秋にサークルは解散しました。しかしその時代にいた仲間たちは、それから50年経過しても、つながりが保っています。それは北海道の先輩のおかげでしょう。

 わたしなどはそのサークルでは「たいした活躍もすることなく」終わりましたが、同じクラスだった仲間が2人いて、同じ年に入学した仲間が1人いて、解散後もマージャンや飲み会をしていましたし、卒業後も懇親はしていました。
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 東京在住の仲間が幹事役になり、かつての仲間に声がけし、時折関東であつまっていたらしく、10数年前から私が年に一度のメーカーの会合が東京であるので、声がけしたら皆が集まり、懇親を深めました。利害損得のない集まりは、「年寄り」になれば、より貴重な存在です。

 それぞれ仕事も地域も違います。雑談するだけで。世の中の多様性がわかります。
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 今回も先輩の社会(同時通訳業界・コンベンション業界)の特殊性やm数珠かしさを解説いただきました。田舎者には到底理解しがたい世界を教えていただきました。

 その先輩の会社です。

https://www.ec-mice.com/

2025年2月23日 (日)

紙媒体二葉町防災新聞2月号

二葉町防災新聞2025年2月-1 001
 2025年1月の「大きな重たい大事な事業」をようやく振り返りが出来るようになり、手短な文章で記述し、紙媒体「二葉町防災新聞」にまとめました。二葉町町内会の回覧板用で作成しました。

 何度も言いますが、町内には「電子化」していない高齢者の方が多数おられます。スマホやパソコンを持っていない人たちも多い。地域防災の関連情報は共有化しないといけないので敢えて紙媒体にもしています。

 かつて河野太郎が、高齢者が主たる利用者である健康保険証を強引に、電子化したマイナ保険証にしようとして、国民各位だけでなく、医療機関に不要な圧力をかけ、多くの地域医療診療所が廃業した事態になりました。(うちの主治医の先生も2022年3月に廃業しました。コスト高でうまく機能しない機械やシステムの導入なんぞできるか!と激怒し廃業しました。)

 少なくとも地域防災のレベルでは、皆がスマホでグループラインで情報共有化できればいいが、それもありで、紙媒体もありにしないと地域内で無意味な分断をこしらえることになり、地域はまとまりませんから。多様化に対応するには主催者側の負担はより過酷になります。

 それで1月の事業をまとめました。
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1)「黒潮町の防災対策は日本1」でした。

 年間2000件の視察要望が殺到している黒潮町。そのご多忙の中情報防災課村越淳課長の「犠牲者ゼロをめざす黒潮町の地震・津波対策」というテーマの講演を研修参加者の30人は聴講しました。

 聴講して黒潮町の防災対策は日本1であるし、何より役場と住民の信頼関系が物凄く、10年かけて作り上げ、今なお発展している姿(事前復興まちづくり計画策定まで行っている)ことに感銘した次第です。
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 それが可能である理由は、私なりに情報防災課長の中で思いましたのは、
①ぶれない首長のリーダーシック
②役場全職員を通常業務に加え、「全職員防災地域担当制:を導入し、住民の中に役場職員が入っていき、意見交換を行い相互信頼関係をこしらえたこと。
③成果物として「防災ワークショップ」「戸別津波避難カルテの作成」「地区防災計画の策定」「地域ごとの避難訓練の実施」でしょう。

通常の自治体は防災部局の職員は役場の都合で3年程度で移動し、住民との信頼関係など構築することなくいなくなりますから。国も。県も、大多数の市町村もそうです。「黒潮町方式」でなければ、南海トラフ地震で生き延びることは出来ません。役場の「本気度」が全く違います。恐れ入りました。
二葉町防災新聞2025年2月号-2 001
2)(阪神大震災30年に集いと慰霊祭に参加して想うこと

 市民のたしなみ、他の被災地に自分たちの苦しみ、受けた非条理を正確に伝達し、地域コミュニュティの再生に尽力された神戸市長田区鷹tp理東地区の皆さまには学ぶことが多い先例です。

 阪神大震災から9年後に起きた新潟中越地震。地震で地域全体が崩落し、大きな被害を受けた山古志村(現在は長岡市と合併)に支援に行かれ、滞在し、地域コミュニュティの大事さを説きました。

 避難所でも、仮設住宅でも同じ集落の町内会同士が一緒に行動することを山古志村は、鷹取東の皆さんのアドバイスどうりに行動し、僅か3年で全村避難から、復興に乗り出すことが出来ました。

長田での「阪神淡路大震災30年の集い」の主催者は、チョ・ホンリさんです。在日コリアン3世で、一級建築士で神戸市生まれです。1995年の阪神淡路大震災では自らも被災されています。

 長田区鷹取東地区の素晴らしく,すごいところは、「自分たちも阪神大震災の被災者でありながら、自らの辛い、来るいい体験を、次の被災地の人達に伝承し、支援し続けて居ることです。」

 当時のリーダーの石井弘利さん(2015年ご逝去)ヲはじめ、鷹取東の人達は自らの被災9年後に、2004年の新潟中越地震の被災地である山古志村(現在の長岡市)の支援に向かいました。

「神戸での教訓から、被災者たちは避難所生活も仮設住宅暮しも各地域コミュニティごとにまとまっていました。全村避難や全村帰村もうまくいきました。長田の皆さんは皆に正確に伝えてくれました。」と故山古志村村長の長島忠美さんは話されていました。

 チョ・ホンリさんは被災地支援の先陣として山古志村に移住して支援活動を継続されました。当時チョさんが山古志村滞在中に作製した木製の仏像が、長田区鷹取東のポケットパーク内の慰霊施設に置かれています。

 2011年の東日本大震災、2024年の能登半島地震の被災地にもチョ・ホンリさんは支援にいかれています。建築設計の図面作成の技能で被災地の助っ人画を描いたり、被災前の街のジオラマを制作したりして、被災地の人達との対話をされていまます。生半可な一過性の支援ではない。誰もが出来る支援ではないやりかたを貫かれてきました・

 それゆえ1月16日の「阪神淡路大震災30年の集い」では、全国各地のチョさんが真剣に、真摯に支援されてきた被災地の人達が神戸へ集まってきていただきました。それは凄いことです。

 新潟県長岡市山古志、福島県双葉町、石川県穴水町、地元神戸市長田近辺からの登壇者。どのパネラーの発言も重く、他の新聞紙面では全くない中身のある記事でした。

 登壇者の1人で室崎益輝さん(神戸大学名誉教授)も最後まで集会におられ、発言されていました。皆熱い想いを感じることが出来ました。
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「能登ではボラティアが徹底的に少ない。行政がやることが道路のがれき撤去と、インフラ設備の復旧整備しかやらない。個人の住宅の中の泥出しや、鍵の搬出などは公共はしてくれない。自分たちでやるか、ボランティアに頼るしかありません。しかしそのボランティアがいません。」

「建築職人は大阪万博に撮られ地元にいない。地元で1万円の日給が、大阪万博関連工事では3万円の日給。皆そちらへ行く。復旧工事はなかなかできません。」

「今住んでいるところは原発から3キロのところ。自宅には立ち入れない。除染が住んだ地域も、自宅は立てられない。

 街には病院も焦点も1軒もない。小学校もなくなった。若い子育て世代は戻らない。戻るのは「自分が長年住んだまちで死にたい」という高齢者ばかりです。」と。

「過疎高齢化は地域で進んでいます。あと10年もすれば高齢者ばかりになりますね。でも寂しくはありません。何故かと言いますと地域の特産品を購入してくれるのは外国人です。昔は中国人でしたが、今は欧州の人達がたくさん地域に来るので寂しくないです。」という前向きな発言は注目ですね。

「能登半島地震で大きな問題になったのは、初動段階から全国からボランティアが多数集まりました。しかし行政側(特に県)に司令塔機能がなく、効果的な支援体制がなかなか出来ませんでした。」

 朝日新聞、読売新聞、産経新聞の全国紙も、高知新聞の地方紙も1面は、空撮写真で神戸市中央区の東遊園地にある「よりそう 1・17」の巨大なキャンドルが写った写真が掲載されています。

 紙面も記事も、被災者に寄り添う定番記事と、ありきたりの「教訓をどう活かすのか?」の記事が多い。新聞各紙は取材力が落ちたと感じます。

3)2025年こそ「2拠点生活」を具体化させたいです。
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「生活を再建する」観点から、今年は「2拠点居住」を真剣に検討し、可能な実現してみたいです。

 阪神大震災30年の集いにも参加し、各地の被災地の人達の話も聞きました。やはり「生活を再建する」ことを目標にし、実行している被災地は再生されていました。そうでないところは破綻しています。

 防災を語る学識者や防災アドバイサーなども「生活を再建する」観点は薄く、関心がないように思われますね。なりわいや商売、地域のつながりなどを無視した復興などありえませんから。

 東日本大震災後「二地域居住」論が議論されたようですが、今は下火になり、新たな視点で見直されているようです。
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 南海トラフ地震が起きる前の今から「市井の市民が」「零細企業が」、セカンドハウス、サテライトオフィスを津波や浸水のない地域で確保できないのだろうか。13年来地域間交流をしてきた仁淀川町長者地区へ住宅を確保する。地域は空き家が増えて困っている。)でも借用する、所有することは現実的には難しい。(経済的理由)なんとか知恵を絞り、今年にはなんとかしたい。「見える化」したいです。

2025年2月22日 (土)

現状では到底自宅の再建など無理

自宅・事務所
 能登半島地震では、大きな立派な屋敷のような家屋が倒壊し、震災から1年が経過しましたが、再建を断念した人たちが多いと聞いています。

 うちの自宅などは、全く大きくも立派でもない狭小な住宅です。そんな狭小住宅っでも建築時に1800万円、8年後の一部手手直しに300万、10年前に雨漏り修理で屋根の吹き替えと外壁塗装で300万ぐらいかかり、2400万円ぐらい出費しています。

 南海トラフ地震で建物が倒壊し、建て替えしないといけないということになった場合、ご近所の建築会社の社長に聞きますと「ざっくりで3000万円では同じ規模の建物は建築できません。資材費、人件費も高騰してますので、4000万円は予算化しないと駄目ですよ。」と言われました。

 70歳超えた老夫婦に再建できる資力があるはずはない。その点家内は強い。「老夫婦だけだし、建築屋さんのプレハブ建屋にに風呂とトイレをくっつけたらいいので、安く作れるんではないか」と言います。そりゃそうっですね。

 地盤が下がるので、浸水の脅威はありますね。何とかなるでしょう。

2025年2月21日 (金)

カツオ不足であるとか


 今日の昼過ぎに、北海道から大学時代の先輩が遠路高知へ来られます。それで高知と言えば、カツオ料理が代表。しかし予約した居酒屋の店主によりますと「カツオが料理できない可能性があります。それでもいいですか」と言われました。1月19日の黒潮町での合同研修会の昼食は黒潮1番館でのカツオ定食(1700円)でした。その時も「カツオが1番取れない時期ですので、カツオが出せないかもしれないです。といわれました。黒潮町の佐賀港前での黒潮1番館。カツオ漁で有名な明神水産本社も目の前にありました。その時は無事にクリアし、美味しく頂きました。

 今回の居酒屋さんも予約に確認で連絡しましたら、店主はそう言われrました。驚きました。そんなこともあるんですね。店主の真摯なお話に感動しました。自然相手の居酒屋さんも大変であることがわかりました。勉強になりました。

「カツオ釣りに海へ出たら、マグロが釣れる場合もあります。マグロは漁獲量制限の対象になっていますので市場に出すことができません。泣く泣く海に戻さないといけないとか。漁師さんにとってな丸損。それでカツオ漁に出ない漁師さんも多いとか。」大変ですね。

 とはいえ外の土佐近海の魚は皆美味しいので、先輩の接待はきちんとできそうです。土佐の魚とお酒を堪能されてください。私にとりましては久しぶりの夜の街へのお出かけですので楽しみたいですね。翌日は朝の便で東京へ行くとか。先輩と後輩交えて昼間懇親会するとか。50年前の大学時代を懐かしんでいますね。ある意味50年以上続くサークルの交友関係は物凄く濃いですね。驚異的です。


2025年2月20日 (木)

USAIDへの閉鎖の強要は罪悪だ!!


 アメリカのトランプ大統領がUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁)の閉鎖を一方的に決めたことに抗議します。いくら報道を視聴しても「わけのわからない理由」しか上がって来ません。

 世界各地の災害被災地支援もUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁)が率先してされていました。二葉町自主防災会や下知地区減災連絡会はピースウインズ・ジャパンさんの支援を受けています。

 2021年には、災害時避難者支援カードである「下知SOSカード」の作成費用をピースウインズ・ジャパンさんに支援いただき2300セット作ることが出来ました。
SOSカード
 「SOSカード」の着想は10年以上前からあり、高知市の防災部署や福祉部署や社会福祉協議会などにも作成への支援依頼をお願いしてきましたが、「お金がない」の一言で全く協力支援をしてくれませんでした。

 ところがピースウインズ・ジャパンさんに事情を話しますと、即きょうりょくしていただき、2300セット作成できました。事情を聴きますと、ピースウィンズジャパンもUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁)の支援を受けていると聞きました。
SOSカード私の情報カード
 2022年11月にUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁の東アジア太平洋地域事務所地域アドバイザーのMichael McParlandさんは、ピースウィンズジャパンさんと一緒に下知コミュニュティ・センターに来られました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2022/12/post-1dea3b.html
(米国国際開発庁のMichael McParlandさんの下知訪問)

 現在は突然支援が打ち切られ、活動に支障が出るかもしれないと、ピースウインズ・ジャパン担当の方が言われました。とんでもないトランプ政権の暴挙です。

2025年2月19日 (水)

紙媒体二葉町防災新聞2月号

二葉町防災新聞2025年2月-1 001
 2025年の紙媒体「二葉町防災新聞2月号」を作成して見ました。
内容は「黒潮町の防災対策は日本1でした。」「阪神大震災30年の集いと慰霊祭に参加して想うこと」「2025年こそ2拠点生活を具体化させたいです。」

1)黒潮町の防災対策は「日本1」にふさわしい!!

 1月19日に「黒潮町合同研修」には主催の二葉町、若松町、中宝永町防災会メンバーに加えて、下知地区の各防災会有志や、下知地区と同じ浸水地域である愛宕、高須、潮江地区や、津波浸水地区である安芸市からも4人が参加し、合計30人が参加しました。

 あらかじめこちらからお聞きしたいことを送付していました。(誰もがお聞きしたいことであるとは思います。)

「諦めに近い心境の町民の皆さん方を、なんとか高台や避難タワーへみんなで避難しようというように町民各位が変化したきっかけは何ですか?」

「黒潮町全職員が各地域を担当している「職員担当制度」があると聞いています。導入された理由と、効果はいかがですか?職員の皆さんは「超過負担になる」という気持ちはなかったのでしょうか?」

「役場職員の皆様と各地域の住民の皆さんは、職員担当制度によって何でも言える信頼関係はできたのでしょうか?」

「黒潮町は木造住宅の耐震診断、耐震補強が高率で進展しているように聞きました。理由はどういうところにありますか?また独自に補助制度を町が構えているように聞きました。現在耐震補強した住宅は何%になりましたか?」

「地区防災計画は町内全地域で策定ができたのでしょうか?」

 私なりに情報防災課長の講話の中で思いましたのは、
①ぶれない首長のリーダーシック
②役場全職員を通常業務に加え、「全職員防災地域担当制:を導入し、住民の中に役場職員が入っていき、意見交換を行い相互信頼関係をこしらえたこと。
③成果物として「防災ワークショップ」「戸別津波避難カルテの作成」「地区防災計画の策定」「地域ごとの避難訓練の実施」でしょう。

 全職員防災地域担当者制度を提唱した町長も凄いし、役職員や一般職員も凄いです。住民側も役場との信頼関係を構築し「あきらめない」防災活動を自然体でやっているところが素晴らしいと事です。

 黒潮町は町長も町職員も、住民各位も素晴らしい。お互いの信頼関係もあります。「日本1」の防災対策を確かにされていることを感じました。

通常は防災部局の職員は役場の都合で3年程度で移動し、住民との信頼関係など構築することなくいなくなりますから。国も。県も、大多数の市町村もそうです。「黒潮町方式」でなければ、南海トラフ地震で生き延びることは出来ません。
二葉町防災新聞2025年2月号-2 001
2)阪神大震災30年の集いと慰霊祭について

  昨年起きた能登半島地震は、避難所も30年前と変わらないところはなぜなのかを取材した記事や、検証した記事は見かけませんでしだ。能登半島地震の被災者は、いまだに避難所暮らしをされている人たちも多いと聞きました。

 朝日新聞、読売新聞、産経新聞の全国紙も、高知新聞の地方紙も1面は、空撮写真で神戸市中央区の東遊園地にある「よりそう 1・17」の巨大なキャンドルが写った写真が掲載されています。

 紙面も記事も、被災者に寄り添う定番記事と、ありきたりの「教訓をどう活かすのか?」の記事が多い。新聞各紙は取材力が落ちたと感じます。
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 1月16日は長田区のふたば学舎で「阪神淡路大震災から30年の集い」のシンポジウムが、全国の各地域からこられ、地域の現状を話しいただきました。また同じホテルへ宿泊した関係で、一緒に食事したり、懇親会もしたときに驚くべき話を聞きました。差しさわりがありますので、発言された人は は匿名にさせていただきます。

「能登ではボラティアが徹底的に少ない。行政がやることが道路のがれき撤去と、インフラ設備の復旧整備しかやらない。個人の住宅の中の泥出しや、鍵の搬出などは公共はしてくれない。自分たちでやるか、ボランティアに頼るしかありません。しかしそのボランティアがいません。」

「建築職人は大阪万博に撮られ地元にいない。地元で1万円の日給が、大阪万博関連工事では3万円の日給。皆そちらへ行く。復旧工事はなかなかできません。」

「今住んでいるところは原発から3キロのところ。自宅には立ち入れない。除染が住んだ地域も、自宅は立てられない。

 街には病院も焦点も1軒もない。小学校もなくなった。若い子育て世代は戻らない。戻るのは「自分が長年住んだまちで死にたい」という高齢者ばかりです。」と。

「過疎高齢化は地域で進んでいます。あと10年もすれば高齢者ばかりになりますね。でも寂しくはありません。何故かと言いますと地域の特産品を購入してくれるのは外国人です。昔は中国人でしたが、今は欧州の人達がたくさん地域に来るので寂しくないです。」という前向きな発言は注目ですね。

「能登半島地震で大きな問題になったのは、初動段階から全国からボランティアが多数集まりました。しかし行政側(特に県)に司令塔機能がなく、効果的な支援体制がなかなか出来ませんでした。」

 現地の被災者や支援の人達の「現実の声」はとても貴重です。震災や復興は一律の「報道」では現実は大きく違うことを教えていただきました。日本の防災対策は、「先進的」でも何でもありませんね。
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3)2025年こそ2拠点生活を現実化したい!!


 阪神大震災30年の集いにも参加し、各地の被災地の人達の話も聞きました。やはり「生活を再建する」ことを目標にし、実行している被災地は再生されていました。そうでないところは破綻しています。

 防災を語る学識者や防災アドバイサーなども「生活を再建する」観点は薄く、関心がないように思われますね。なりわいや商売、地域のつながりなどを無視した復興などありえませんから。

 2012年から「もしもの時(地震浸水災害時)に疎開を前提とした顔の見える地域間交流」をしています仁淀川町長者地区、泉川地区の住民の皆様のご協力を得て、仁淀川町と高知市の広域避難所の1つである泉川多目的集会所を利用した「防災キャンプ」を2025年中には実施します。

 避難者を受け入れていただく仁淀川町の地域の皆様と、高知市から避難する低地の市街地住民同士が、災害前から親密な地域交流を継続していくことが防災キャンプの目的です。

 想定どうりの南海トラフ地震が起これば、私の地域では永久浸水地区なので10年近くは戻れません。その中で生活と仕事をどう継続するか。大災害前から避難生活、疎開生活を体験し、仁淀川町の皆様のご協力を得て、空き家探し、事業所の移転などにつなげていきたいと思います。

「生活を再建する」観点から、今年は「2拠点居住」を真剣に検討し、可能な実現してみたいです。

2025年2月18日 (火)

海上都市構想には大賛成

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 毎日新聞2025年1月13日号一面記事は大注目です。海上都市構想が記事になっています。

「大地離れ 海上都市へ」

「海面上昇逆手に」と見出しにあります。

 「温暖化」の影響なのか、海面が上昇し、海沿いの低地の平野や市街地が水没する可能性が高くなりました。世界的にも大都市部への人口集中が続いています。

 日本でも同じ。日本は森林率が67%です。人口の大半は海岸近くの低地の平野に市街地を形成して人口が集中しています。多くは洪水平野であり軟弱地盤で低地なので、風水害や地震津波などにとても弱い。でも人口は平野部に集中します。

 高知でも同じ。高知県の森林率は84%であり、平地は16%しかありません。高知市も安芸市も、須崎市も四万十市(中村)の海沿いの平野の市街地に県人口の大半が居住しています。海に近く災害リスクも高い。

 「海上都市」構想は理にかなっています。山から土を運び、埋め立てて土地を造成し、山を崩し高台整備をするのが、従来型の土地整備のやりかたでした。しかし物凄く費用がかかります。

 政府が工事をしている沖縄県名護市辺野古の海の埋め立て造成工事。軟弱地盤であるがために莫大な造成費用がかかっています。まったく無駄で無益な工事です。埋め立てより、海上都市が低い事業費用で、多くの人達が安全に暮らせます。

実は私たちも10年ほど前に「浮体構造物による浸水地域の避難d所確保」について。提案資料をこしらえていました。元橋梁施工技術者であった小谷鉄穂さんに「浮力式人工地盤』を考案していただきました。

 これは道路などに使用されている高密度発泡体を埋め込んだ人工地盤で浸水地域地域住民の命を救う提案でした。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-0208.html
(住民発意の浮体構造物による浸水対策の避難施設の講演会)

https://video.fc2.com/content/201312070900E2hL/
(小谷鐡穂さん講演会の動画です。)

2025年2月17日 (月)

ドンキホーテ高知店へ行きました。

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 高知市知寄町3丁目電車通り北側(旧日野自動車跡)にドン・キホーテ高知店は出来ました。2025年2月18日が開店ですが、何やら今朝「本日プレオープン13時から16時まで」とか書いてあるチラシを持参し、スマホにmajicaaアプリを入れた人だけが入店できるとのこと。
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 スマホ操作が不得意なお爺さんは、結局最後まで行きつかず店舗までチラシとスマホ持参で行きました。すると入り口に若いお姉さんがいました。「スマホでアプリがはいらん!」というと親切にやりかたを教えてくれました。登録の際「目隠し」状態になりパスワードが正しくいれたのかどうかがわからず先へ進めない。

 すると「見えるように」操作してくれました。すぐに入れ登録できました。
年齢登録の際閉口したのは、始まりが「1980年生まれ」からスタートになっている。私等の子供世代ではないか。でもそれでも45歳ですから、「若者」世代ではない。私の場合は「1953年」なので年齢表示を随分さかのぼらないといけない。
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 登録が完了してようやく店舗内へ入りました。感想は「コンビニとイオンモールの中間のような陳列と広さとコンパクトさ」がありました。種類も多いし、品ぞろいもしっかりしている。当然売り場がわからないので、店員さんに聞くと、該当する売り場まで連れて言ってくれます。
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 ホームセンターや家電店でも、店員がどこにいるのかわからず、品探しに苦労しますが、ドンキーは「そこら中に」店員がいる煮で、聞けば教えてくれますね。しかも「高知県民」を雇用していますが、接客態度は悪くはないですね。

 ではすべてが価格が既存店に比べて安いかと言えば、必ずしもそうでっはない。ただ「ジャンクコーナー」のような「ドはずれ品コーナー」にある品物は格安。じっくり弛緩をかけて探せば掘り出し物はあるかもしれない。

 ですが明日から正式な開店。今日はおそらくチラシは区域限定で撒いた(高知新聞の折り込み」であり、開店時間も13時から16時までの3時間でしたから、お客さんは少ない。
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 明日は大変混むでしょうね。それで今日のリハビリウォーキングは、15228歩でした。2月2日。14日に続き、3回目の15000歩を超えました。
 買い物好き、低価格品大好きな家内を「放し飼い」にすれば、おそらく何時間も店内にいると思いますね。儀礼上店舗内部の陳列写真は撮影はしていません。

新下知ポンプ場の見学会

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 2025年2月15日ですが、来年完成予定の新下知排水ポンプ場を見学しました。下知地区減災連絡会からの申し入れで、下知ポンプ場を高知市上下水道局が見学させていただきました。

 下知地区減災連絡会所属エリアの青柳町、青柳末広町、若松町、二葉町、中宝永町、知寄町、弥生町、南宝永町、高埇町らから20人の関係者が集合しました。
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 排水ポンプの機械類が据え付けられ。供用開始の時期は2027年(令和8年度)ですが、建物は完成しているので、説明を受け見学させていただきました。

 説明で驚きましたのは、現在の下知排水機場は、昭和27年に供用開始されていて、72年が経過している。耐震性能もなく、津波浸水には耐えられないので、隣地に新築されているとのこと。排水能力は1・5倍になります。

 内水面氾濫の排水だけでなく、南海トラフ地震後のこの地域の長期浸水状態の解消の「切り札」になる施設であるとの説明がありました。
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 建物内部へ入って驚いたのは、予想以上に堅牢で、要塞のようなつくりです。津波にも、強い揺れにも強い構造になっています。説明を聞いていて「頼もしい施設」であると思いました。

 説明では「平時は施設は完成後も無人。有事には海老ノ丸の施設からコントロールします。緊急時には職員が泊まり込み施設を管理します。」とのことです。

 機械類は、今年から来年にかけ据え付けられ、関連工事をするそうです。また施設屋上へは外階段から昇降できる津波ビルにもなります。250人が緊急避難できるとのことです。
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 説明を聴講して、完成が待ち遠しい施設です。堤防が破損せず、しきれていれば、ポンプ場がフル稼働すれば、水はけはよさそうです。

 今回の施設見学を段取りされた坂本茂雄さん、高木妙さんありがとうございました。

2025年2月16日 (日)

厳冬期の二葉町不燃物・資源ステーション

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 2025年2月14日(金)ですが、寒い朝でした。いつもであれば、リハビリウォーキングを寒い中でも行いますが、今朝はしません。今朝は2936歩しか歩いていません。

 それは二葉町町内会の不燃物・仕分けステーションの設置作業が午前5時過ぎからしなければならないからです。毎月第2金曜日がこの地域の不燃物・資源物収集日です。まずは完全防寒を入念に準備します。背中と靴下用カイロを貼り,防寒対策しました。
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 覆面型帽子とネックウォーマー一体型。怪しいけれども寒い中ではしかたがない。なんだか「月光仮面」を思いだしますね。それを言っているのは70歳以上のお爺さんだろう。わからない人が多いことでしょう。
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 さて仕分け会場は下知コミュニュティ・センターです。何回準備作業をしても仕分けの札の縦位置を間違い、荒木二葉町町内会副会長(衛生委員)に指摘されます。なかなか覚えきれませんね。高知方式の「瓶類の色分け仕分け」「段ボールの仕分け(段ボールと雑紙(色つき段ボール)の仕分け。
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 後は蛍光灯や電池類の入れるコンテナー。大型不燃物や資源物の置き場所の指定などがなかなか覚えられないですね。間違いながら覚えます

 仕分け墓所の設置が終わり、荒木さんが来ると断りを入れ、一度自宅へ戻ります。再度来ますと7時過ぎまでいます。6時半過ぎると当番の班長さんたちも現れますので。
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 寒いので町民の皆さんの出足も悪いですね。
 大きなソファーや電子レンジやガスコンロなども出ていました。寒いと全体的な資源物も少なめでした。
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 断り入れて帰りますとシャワーをして珈琲を入れて朝支度です。8時過ぎに事務所へ下りて行き、灯油ストーブを着けて、ごみ出しして1日が始まります。

2025年2月15日 (土)

「老人力」赤瀬川源平・著を再読

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 ずいぶん昔に赤瀬川源平著の「老人力」(筑摩書房)を下知市民図書館で借りて読んだことがありました。

 http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-0ad4.html

 (当時の私の感想文です。個人ブログに書きました。)2010年5月18日
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「老人力という言葉そのものは,路上観察学会の中から発生した。その発生に当たってはその言葉を生み出す場の熟成があったわけで,路上の場での思考や、おこないが,次第に老人力という概念を使わざるを得ないところまで熟しきっていたのだ。」(「老人力の胎動の時期を探る」P94)

 再読しますと次の言葉が気になりました・

「力を抜くには抜く力がいるもので、老人になれば自然に老人力がついて力が抜ける。」(P46)
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 またある精神科の医師(見立病院 副院長 梅野 一男氏)は老人力を読んだ感想をこう書いていました。(病院のホームページより引用します。)

「ふつうは歳をとったとか、モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとかいうんだけど、そういう言葉の代りに、『あいつもかなり老人力がついてきたな』というふうにいうのである。そうすると何だか、歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい」というものです。」

「近年の研究で、肯定的な向老意識(老化を前向きに考える姿勢)が、実際に認知機能の低下を抑える(認知症になりにくくする)とする報告が続々と出されています。老化に対して、明るいイメージを持っている人は、そうでない人に比べて認知症を発症する可能性が低くなるのです。また、意識して老化を明るくとらえることで、元々楽観的でない人も認知機能の低下を抑えられるとの報告もあります。さらには、ポジティブな気持ちや生活態度・習慣を維持することで寿命そのものが伸びるとする研究もなされています。

 赤瀬川さんたちが唱えた「老人力」の考え方は、単に老化や認知症に対しての周囲の受け取り方の改善のみでなく、そう考えるその人本人の老化そのものを遅らせ、認知症になりにくくする可能性があるのです。」

 赤瀬川さんも病気がちで、時に暗くなることもあったとは思います。それを明るくする発想で「老人力」という言葉をひねり出したんでしょう。いまから15年前の時代にです。

 わたしも71歳の「立派な」老人になりました。つくづく感じるのは「体力がない」「すぐにつかれrが取れない」と思うことです。人生「生老病死」で必ず人は老いて、必ず死にます。それを嘆き悲しむ時間がもったいない。もっと楽しく「老い」を楽しもうという発想が今にしても凄いです。
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 今から27年も前「少子高齢化社会」がいまほどほどやかましく言われていなかった1998年の強さくだけにその「先進性」には驚くばかりです。しかも赤瀬川さんは「老人力」を提唱していた時は61歳ころだというのですから、すごいの一言です。

 私も「年寄りの冷や水」に2月11日に強風の中挑戦しました。僅か10分間の海の上でしたが、得られたものは大きいです。体力が衰えた年寄りなりに出来そうなことを発見しましたからです。次回はきっとうまくいくと思います。

2025年2月14日 (金)

雛人形に対面しました。


悪戦苦闘の「年寄りの冷水体験」のあとは、ヨットやドライスーツなどの水洗と着替えてから、ヤッシーパークの道の駅やすのギャラリーに行きました。
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ようやく雛人形に対面しました。娘を日曜日に箱バンで連れてきたかったんですが、友人の結婚式で疲れたのか、「ぐだ寝」してましたので、果たせませんでした。

「日曜日のヤッシーパークは大混雑でだ大渋滞でしたよ。ものべすとのイベントで道の駅も大変でした。」と雛人形を飾っていただきました女性スタッフの皆さんから聞きました。
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段飾りの雛人形がうちのも入れて5組ありますと華やかで和みますね。ギャラリーには次々と人が来ていました。集客に微力ながら協力出来て良かったです。
3月末まで雛人形は飾っているそうです。
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2025年2月13日 (木)

「年寄りの冷水は10分間」

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 2025年2月11日は、午前8時半過ぎに夜須のハーバーに到着しました。
 作戦は午前中は微風。午後から風が強くなるので、素早くぎそう(ヨットの組み立て)をして、素早くドライスーツを着用して海に出る算段でした。
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 ところが、到着するや強風の洗礼。西風が強く吹いていました。横風なので、アビーム帆走して、タック(風上方向へ方向転換)すれば、なんとかなりそうですと勝手に思いました。
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 マストを繋ぎセールを通して、マストを立てますが、強風で難航しましたが、なんとか立てました。立てた以上は海出たいと心底思いました。
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 シャワー室でドライスーツを着用しようとしましたが、なかなか着用出来ず苦戦しました。チャックが閉まらない。
 ドライスーツを着用するのは、コロナ前の5年ほど前。コロナ後の厳冬期の帆走も暖冬が続いたので、ウェットスーツばかり着用していましたから。
 首を先に通し、腕を通したらやっと着用できました。ところが今度はウェットソックス履いたら、マリンシューズが履けません。しかたがないので、履いていたウォーキングシューズを履いて海に出ることにしました。

 結局着替えに30分位かかりました。海は強風モードになっていました。トレーラーからヨットを海に出し風上にアンカーを打ち、トレーラーを陸に置きに行きましたが、スロープが青のりだらけで滑ります。もたもたしていたら、ヨットが無人の状態で沈(転覆)しました。
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 なんとかヨットを起こして、アンカーを回収し、ヨットに乗り込み海にようやく出ました。ところが着替えでもたもたしていたロスタイムの間に浅瀬が出来ていて、センターボードを上げて通過しないといけない。するとバランスを崩し沈しそうになりました。なんとか立て直し、帆走しようとするとラダー(舵)が下がらない状態に。海上では調整出来ないので、陸に上がるしかないので、ハーバーに戻りました。僅か10分足らずの帆走(海の散帆)でした。

 準備に1時間。帆走は10分。後片付けに2時間かかりました。失敗ばかりの帆走体験でしたが、楽しかったです。次回は周到に準備と点検して「海の散帆」を楽しみたいです。

 写真はあろうことかデジカメを忘れました。スマホで準備中の様子を撮りました。

2025年2月12日 (水)

「老人力」赤瀬川源平・著を再読

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 ずいぶん昔に赤瀬川源平著の「老人力」(筑摩書房)を下知市民図書館で借りて読んだことがありました。

 http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-0ad4.html

 (当時の私の感想文です。個人ブログに書きました。)2010年5月18日
rouzinryokuhon
「老人力という言葉そのものは,路上観察学会の中から発生した。その発生に当たってはその言葉を生み出す場の熟成があったわけで,路上の場での思考や、おこないが,次第に老人力という概念を使わざるを得ないところまで熟しきっていたのだ。」(「老人力の胎動の時期を探る」P94)

 再読しますと次の言葉が気になりました・

「力を抜くには抜く力がいるもので、老人になれば自然に老人力がついて力が抜ける。」(P46)
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 またある精神科の医師(見立病院 副院長 梅野 一男氏)は老人力を読んだ感想をこう書いていました。(病院のホームページより引用します。)

「ふつうは歳をとったとか、モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとかいうんだけど、そういう言葉の代りに、『あいつもかなり老人力がついてきたな』というふうにいうのである。そうすると何だか、歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい」というものです。」

「近年の研究で、肯定的な向老意識(老化を前向きに考える姿勢)が、実際に認知機能の低下を抑える(認知症になりにくくする)とする報告が続々と出されています。老化に対して、明るいイメージを持っている人は、そうでない人に比べて認知症を発症する可能性が低くなるのです。また、意識して老化を明るくとらえることで、元々楽観的でない人も認知機能の低下を抑えられるとの報告もあります。さらには、ポジティブな気持ちや生活態度・習慣を維持することで寿命そのものが伸びるとする研究もなされています。

 赤瀬川さんたちが唱えた「老人力」の考え方は、単に老化や認知症に対しての周囲の受け取り方の改善のみでなく、そう考えるその人本人の老化そのものを遅らせ、認知症になりにくくする可能性があるのです。」

 赤瀬川さんも病気がちで、時に暗くなることもあったとは思います。それを明るくする発想で「老人力」という言葉をひねり出したんでしょう。いまから15年前の時代にです。

 わたしも71歳の「立派な」老人になりました。つくづく感じるのは「体力がない」「すぐにつかれrが取れない」と思うことです。人生「生老病死」で必ず人は老いて、必ず死にます。それを嘆き悲しむ時間がもったいない。もっと楽しく「老い」を楽しもうという発想が今にしても凄いです。
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 今から27年も前「少子高齢化社会」がいまほどほどやかましく言われていなかった1998年の強さくだけにその「先進性」には驚くばかりです。しかも赤瀬川さんは「老人力」を提唱していた時は61歳ころだというのですから、すごいの一言です。

 私も「年寄りの冷や水」に2月11日に強風の中挑戦しました。僅か10分間の海の上でしたが、得られたものは大きいです。体力が衰えた年寄りなりに出来そうなことを発見しましたからです。次回はきっとうまくいくと思います。

日米首脳会談を眺めてみて

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 日本時間で週末の2025年2月7日に米国ホワイトハウスで行われたトランプ米国大統領と石破日本国首相の日米首脳会談はまずは「成功」したのではないか。

 ただでは転ばないトランプ大統領ですから、彼が喜ぶ「貢物」を日本側は持参したことでしょう。黄金の鳥取産の兜が好評であったとの俗説までありました。

 「礼儀知らずの石破」「不格好の石破がトランプに対抗できないだろう。」「大谷を同席させろ」とか、日本国首相の品格を疑う、主に旧安倍派の支持者と思しき人たちの誹謗中傷は、残念ながら日米首脳会談は成功したので、吹っ飛んでしまいました。

 なんせ驚いたのは、あのトランプ氏が、ホワイトハウスの車待合に石破首相を出迎え、にこやかに握手をしたことでした。そしてホワイトハウスの暖炉横に座りにこやかに対話していました。
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 また首脳会談後の共同記者会見も、トランプ大統領が仕切り、「日本の偉大な指導者だ」とか、石破首相を「よいしょ」していました。どうなっているのか?

 石破氏の前の訪問客はイスラエルのネタニヤフ首相でした。ようやく6週間の停戦とイスラエル人の人質が解放され、和平ムードが出てきたかと思えば、「ガザをリゾート地にするために、パレスティナ人は周辺諸国に退去し、そちらで居住してもらいたい。」とか、国連決議すら無視する発言を両者で共鳴して繰り返していました。

 なんせトランプ大統領は、1月20日に就任直後から、バイデン前大統領の政策の全否定の大統領令に署名をしまくりました。パリ協定からの離脱。WHOからの脱退表明、米国社会の多様性の否定政策、トランスジェンダーの否定、グリーンランドの買収表明。特に外交面では、麻薬と不法移民を米国本土におくりこんでくるカナダとメキシコに「無関税から25%の関税をかける」と表明していました。誰もが「日本の行く末」を心配しました。

 ところが予想外の親善的な対応に、皆が驚いたと思います。私個人の考えにすぎませんが、トランプ大統領は、独自の見解で、イスラエルと日本を重要視したのでしょう。

 イスラエルは中東の要。日本は中国の膨張抑止の防波堤。

 イスラエルに中東の番人をしてもらい反米の地域大国イランの抑制と封じ込めをかんがえているのではないかと思います。中東新秩序を狙っているのではないか。サウジもカタールもイスラエルとの国交樹立を狙っているのではないか。もしそうなれば、イランは完全に孤立してしまいます。

 アラブの大義も陳腐化しているし、イスラム教も文れtる気味で「統一」される機運もない。但し、「1神教」の他の宗教を排斥する主教同士の対立は、数却年続くとは思います。

 また日本は中国の隣国。経済でも軍事力でもアメリカに対抗する覇権国家を目指しています。「一帯一路」の世界経済戦略と、「第1列島線、第2列島線」の軍事戦略を自国の経済発展とともに着実に進展させてきたのが中国です。

 世界第2位の経済大国ですが、既に日本の数倍の規模の経済力を持ち、軍事費は37兆円を超え、無理やり増加させた日本の8兆円の5倍近い。

 独裁国家であり、政治的な自由、言論の自由のナイツ用大国だけに、「やっかいな隣国」です。貿易で輸出入とも中国は1位の国であり、経済的にも依存している部分が多い。

 日米首脳会談の次は、日中首脳会談が石破首相にはあります。旧安倍派の支持者の人達は「中国には厳しい態度で示せ」と勇ましいですが、経済力の差や、軍事力の差はいかんともしがたい「現実」があります。

 古来より中国は東アジアの超大国でした。聖徳太子の時代から日本は多くを中国から学び、「いいとこどり」をして独立性は保ってきました。日本の歴史の中で軍事占領されたのはアメリカだけです。

 今の時代は、太平洋を挟んで「ビルの谷間のラーメン屋」のような日本の立場ではあります。但し、2つの超大国とは、友好的に日本は繋がっているし、経済的にも互換しています。「どっちつかず」ではなく、日本の独自性を世界に対して出すべきでしょう。

 その1つは「災害大国・日本」の防災対策の高度化、普遍化でしょう。『防災省』をこしらえ、本気でやれば、日本再生の活路は開けるはずですし、米中両国のみならず、世界が日本を必要としてくれることでしょうから。

2025年2月11日 (火)

生活を再建する観点からの「2拠点居住」

「生活を再建する」観点から、今年は「2拠点居住」を真剣に検討し、可能な実現してみたいです。

阪神大震災30年の集いにも参加し、各地の被災地の人達の話も聞きました。やはり「生活を再建する」ことを目標にし、実行している被災地は再生されていました。そうでないところは破綻しています。

防災を語る学識者や防災アドバイサーなども「生活を再建する」観点は薄く、関心がないように思われますね。なりわいや商売、地域のつながりなどを無視した復興などありえませんから。

https://www.projectdesign.jp/articles/news/52dd4084-2f8c-4288-a400-98c63904de85?fbclid=IwY2xjawIVRxVleHRuA2FlbQIxMQABHQOI2mq_RkGYZvHZ3ryj0XE3g96fg1LnpG-tXhhU1-y_qw9mwx62PC2ioA_aem_775HrAkcU5tvE8xf3vbnZA

(地方への新たな人の流れを創出する「二地域居住」とは)

2025年2月10日 (月)

2025年昭和小防災オープンディ

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 2025年2月7日(土曜日)は、高知市立昭和昭和小学校で「昭和小防災オープンディ」が午前中から開催されました。防災参観日と、学校周辺住民と生徒たちの避難訓練もあり、午前中は運動場で、起震車体験、電気自動車活用法(日産)、はしご車体験、煙体験、放水訓練、ピースウィンズ・ジャパンさんの救助犬体験デモなどが行われました。
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 私は二葉町自主防災会として起震車体験の補助員をしましたが、今年は360人ぐらいが体験され、休息の時間がないほど盛況でした。476610347_2094928364288503_8887103970678651927_n児童たちの関心が高いということです。

 

 救助犬訓練も、消防の体験(はしご車、放水体験、煙体験)も大人気でした。午前中の部は起震車の撤収は13時近くになり、バリケード備品や机の片付けなどをしました。(合間にコンビニで購入したおむすび食べました。)
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 午後からは、土足で屋上までの津波避難訓練をしました。生徒たちと父兄、地域住民が「土足」で屋上まで避難訓練を初めてしました。

 

 小学校近所のある防災会の幹部の人が「本当に動けない年寄りが増えました。この地域は揺れがきつく、しかも水没する予想ですが、どうやって無事に逃げることができるのか。方策は思いつきません。」と深刻な事情を言われました。
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 体育館では5年生たちが地域防災に関する研究発表をしました。地域の実情を調査し、地震時にどう避難すれば安全なのかを述べていました。立派です。
 耐震性の堤防などを建設する技術のある地元企業にも会社見学しレポートされていました。

 

 毎年昭和小5年生たちが継続して、地域防災の研究をすることはとても大事で重要なことです。
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 そして救助犬の探索のデモをみせていただいたピースウィンズ・ジャパンさんの救助犬とトレーナーさん、町田友里さんたちが登壇し、5年生たちに防災備品を寄贈していただきました。ありがとうございます。
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 そのあと展示ブースでは、ロープワーク教室や、段ボールベットの組みたて訓練、カエルのポーズでの地震体験などがおこなわれ、16時までみっちり防災の体験の1日でした。
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 南海トラフ巨大地震の起きる確率が30年以内に70%の確率が、80%の確率に向上しました。子供たちは間違いなく生涯の中で体験することでしょう。学校現場での体験や学習が生き抜くためにもとても大事です。
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 今日のリハビリウォーキングは、14138歩でした。

2025年2月 9日 (日)

下知交番だより2月号

下知交番だより2025年2月号 001
 同じ町内にある高知県警高知署所属の下知交番。先日交番勤務のうら若い女性警察官2人が「警察広報 下知交番2月号」を持参いただきました。

 今月号の記事は「地震から身を守ろう」というものでした。防災に関する当たり前の事項をかあkれ艇はいますが、実はとても大事なことです。
 記事によると南海地震が最悪の想定で起きますと、建物全快が15万戸、死者が4・2万にんとされいぇいます。死者の8割が津波によるものとされいぇいます。記事にはありませんが、この下知地域は殆どが海抜0M地帯であり、揺れの最中に地盤沈下して、水没するとされ、しかも水は長期間引かない(長期浸水する)とされています。

 また「いざというときの備えとして」は、「家庭での防災会議」(自助)、「隣人との連携」(共助)、「防災訓練への参加」(年に1度の下知コミュニュティセンターでの総合防災訓練があります。)
 また大事なことは「受託の耐震診断と耐震補強、家具などの固定」です。また「非常持ち出し袋の準備」を各自がしましょう。

 地震時の行動については、落ち着いて対処し、自宅が木造2階建てであれば、下知コミュニュティ・センターや近隣の鉄骨3階建て、鉄筋の集合住宅などに避難しましょう。一時避難場所や津波避難ビルの情報は「二葉町防災MAP」に掲載されています。

 2つ目の記事は2月に大きなイベントや大型店の開店があり、交通規制や交通渋滞の心配があるので、「時間に余裕を持った行動を」とよびかけています。

 高知龍馬マラソンが、2月16日(日曜)に開催されます。二葉町近辺の伝写通りは、中宝永町交差点から知寄町3丁目までは9時から10時まで交通規制され車両は東向け通行は出来ません。

 また2月18日(火曜)は知寄町3丁目に大型量販店ドン・キホーテが開店されます。大渋滞になることでしょう。安全運転を心がけましょう。

 「インターネットを安全に利用しよう」は、巧みな多様な詐欺事例があるようです。慌てず焦らず、ひと呼吸を置いて家族や警察に相談しましょう。

2025年2月 8日 (土)

図書館で「老人力」を借りてきました。

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赤瀬川源平著作の「老人力」は13年ほど前に下知市民図書館で借りて読みました。ブログに感想文も書いています。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/.../2010/05/post-0ad4.html

(老人力を読んで)2010年
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15年も前に読んでいますね。まだまだ現役世代の56歳の頃でした。還暦前で「男の更年期」でしんどい時期ではなかったでしょうか。
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下知図書館にはなく、本館から取り寄せていただきましたが、文字が大きく、2冊になっていました。わたしも本当の「老人」になりました煮で、改めで読んでみます。
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2025年2月 7日 (金)

チョ・ホンリさんの本気で真摯な被災地支援

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 2025年1月16日に、西田政雄さん(防災寺小屋主催)と一緒に、神戸市長田区鷹取東のふたば学舎の「阪神淡路大震災30年の集い」に参加しました。私は10年ぶりの参加でした。

 2025年1月17日の毎日新聞の記事「故郷のきおくのこし助けられ」「神戸で被災 建築家が風景画」「30年機に 活動後進に」「帰還困難地区を記録」と重厚な記事は高尾具成記者が書かれています。

 今回の長田での「阪神淡路大震災30年の集い」の主催者は、チョ・ホンリさんです。在日コリアン3世で、一級建築士で神戸市生まれです。1995年の阪神淡路大震災では自らも被災されています。

 長田区鷹取東地区の素晴らしく,すごいところは、「自分たちも阪神大震災の被災者でありながら、自らの辛い、来るいい体験を、次の被災地の人達に伝承し、支援し続けて居ることです。」

 当時のリーダーの石井弘利さん(2015年ご逝去)ヲはじめ、鷹取東の人達は自らの被災9年後に、2004年の新潟中越地震の被災地である山古志村(現在の長岡市)の支援に向かいました。

「神戸での教訓から、被災者たちは避難所生活も仮設住宅暮しも各地域コミュニティごとにまとまっていました。全村避難や全村帰村もうまくいきました。長田の皆さんは皆に正確に伝えてくれました。」と故山古志村村長の長島忠美さんは話されていました。

 チョ・ホンリさんは被災地支援の先陣として山古志村に移住して支援活動を継続されました。当時チョさんが山古志村滞在中に作製した木製の仏像が、長田区鷹取東のポケットパーク内の慰霊施設に置かれています。

 2011年の東日本大震災、2024年の能登半島地震の被災地にもチョ・ホンリさんは支援にいかれています。建築設計の図面作成の技能で被災地の助っ人画を描いたり、被災前の街のジオラマを制作したりして、被災地の人達との対話をされていまます。生半可な一過性の支援ではない。誰もが出来る支援ではないやりかたを貫かれてきました・
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 それゆえ1月16日の「阪神淡路大震災30年の集い」では、全国各地のチョさんが真剣に、真摯に支援されてきた被災地の人達が神戸へ集まってきていただきました。それは凄いことです。

 新潟県長岡市山古志、福島県双葉町、石川県穴水町、地元神戸市長田近辺からの登壇者。どのパネラーの発言も重く、他の新聞紙面では全くない中身のある記事でした。
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 登壇者の1人で室崎益輝さん(神戸大学名誉教授)も最後まで集会におられ、発言されていました。皆熱い想いを感じることが出来ました。

2025年2月 6日 (木)

下知地区でのJICA防災研修

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 2025年2月4日ですが、JICAの防災研修で2か月間日本各地を巡回し、朝から晩まで『防災研修W』をするようですね。高知県内の窓口は高知大学が対応し、通訳の人と8人の研修生が下知コミュJニュティ・センターに来られました。
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 午前中は高知市地域防災推進課職員による行政の立場からの説明講座があり、午後からは「下知地区の防災計画」(コミュニュティが主体になった地区防災計画の策定)ということで、下知地区減災連絡会の坂本茂雄事務局長が説明をしていました。

 私は途中からの参加の補助員でした。下知コミュニュティ・センターの館内の防災倉庫や設備の説明をしました。今回は「島国の諸国」からの国などの防災担当官ばかり。フィージー、キリバス、ソロモン諸島、トンガ、バヌアツ、サモア、ニウエのいわゆる大洋州諸国と、中米地区のセントルシアからの来訪でした。1月15日に来日し、2月22日までのみっちり防災件数のようです。
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 高知県では7日間滞在。県庁や高知大学、国土交通省関係の見学や研修以外では、地域での取り組み事例紹介は、黒潮町(1月27日)と2月4日の高知市下知地区のみでした。

 真摯で熱心な人たちでした。やはりお国の未来を担う人材だけに知的水準が高い。風貌や体形からは、気さくな感じですが、質問などは真剣そのものでした。
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 講演や施設内見学だけでなく、下知地区のまち歩きを寒い中でも行い、津波避難ビルの実情などを見学していただきました。
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 歩いた地域が「海抜0m」を話しますと皆驚いていました。

2025年2月 5日 (水)

酷い産経新聞の印象操作記事


産経新聞の沖縄への印象操作は酷い 001
 2025年1月18日の産経新聞を近所のコンビニで購入しました。1月17日が阪神大震災30年ですので、全国紙各紙(朝日・読売・日経などと読み比べするために購入しました。

 震災関連記事は。どの全国紙もありきたりの記事でした。その他の記事で目を引いたのが、産経新聞の風を読むというコラムでした。論説副委員長の川瀬弘至氏が書かれていました。沖縄関連のコラムです。

「沖縄の残念な「あるなる」というテーマの記述でした。

「新年早々、那覇市に駐屯する陸上自衛隊第15旅団の公式ホームページがリニュアルされ。沖縄戦で日本軍守備隊を率いた牛島第32軍司令官の辞世の句が再び掲載された。」

https://www.mod.go.jp/gsdf/wae/15b/15b/
(陸上自衛隊第15旅団の公式ホームページ)

「秋をまたで、枯れゆく島の青草は、御国の春に よみがえなん」

 熾烈な地上戦で焦土と化した沖縄の再興と県民の幸せを。希求してやまない句である。

 平成30年から旅団HPに掲載され、これまで特に問題にあんることはなかった。だが昨年、本土から沖縄に移住した記者が地元紙1面で「日本軍を美化」と批判的に取り上げたことをきっかけに、革新勢力などがバッシングを展開、旅団がHP掲載を一時中断していた。

 本土出身の左翼人士らが反米、反基地、反自衛隊を炊きつけるのは、沖縄の「あるある」である。

 などと川瀬氏が書いている。沖縄戦を批判し、自衛隊を批判したら、産経新聞は「左翼のあるある」だとレッテル貼りをします。

 この記事には沖縄出身の家内も激怒してい 「政府の強引な沖縄でン基地建設や自衛隊を批判したら。即左翼○○とは何事か!」と言いました。

 川瀬氏は尚も「地元メディアや革新勢力などは先の大戦で日本軍は沖縄を「捨て石」にし、県民を悲惨な死に追いやったと宣伝する。だから「軍は住民を守らない。」の教訓をわすれるなと。」

 だが、多くの県民は「あるある」に流されない。県民の8割以上が「自衛隊を信頼している」と述べています。

 義母は保守的な考え方の人でいたが、戦争体験者でした。「基地があるから敵から攻撃される。どんどん基地が拡張されたらより危険性が増すので怖い。」と言われていましたから。

 義母の祖母は沖縄戦で亡くなり、平和の礎の戦没者に刻まれ得ちましたから。沖縄の多くの人達は、沖縄戦は身近な問題であり、親せきの誰かが名kジュなったり、戦死したりしています。

 実に「沖縄の歴史を正しく理解しないファシストの片棒担ぎの文章」ですね。沖縄の人達は保守系も革新系も関係なく、米軍基地はなくしてもらいたいと願っています。それは間違いありません。

 日本政府が強引に「国策」で基地建設をしていますから。沖縄のb人達は分断されてしまいます。それは悲しい。

 自衛隊が旧日本軍より遥かにましであることも沖縄の人達は理解しています。自衛隊も旧日本軍の様に尊大ではなく、沖縄の地域社会に溶け込もうと努力はしています。

 でも中国を仮想的とする、離島への自衛隊のミサイル基地建設には根強い不信感が沖縄の人達にあることは確かです。

 川瀬氏は偏見や「思い込み」でなく沖縄を歩いて取材してきていただきたい。

2025年2月 4日 (火)

中国恐るべし。

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(写真は古いテレビ。34インチぐらいです。)
購入して6年経過した中国製のテレビがおかしくなりつつあると家内がいいます。早寝早起きの私はテレビをほとんどテレビは見ませんから、不調には気づきませんでした。

 土曜日にある家電量販店で、ぼんやりテレビ売り場を散策していましたら、格安価格のテレビがありました。店員さんに聞きますと、展示品で2年前の製品とか。しかし最初の売値の3分の1の価格。即購入しました。

「中国製テレビは部品の大部分は日本製品ですので壊れませんから大丈夫ですよ。」とのこと。それにしてもこれほど安いとは。
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(買い換えた格安テレビ。45インチの画面は見やすい。)
 生成AIの最先端分野も中国製AIがアメリカ製の10分の1で発売し、アメリカのハイテク株が暴落。「あれは盗んだものだ。」「スパイがいたに違いない」とかアメリカは慌てていますが、それが犯罪でなければ、中国の勝ちになりますね。
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レーの技術者の6割はインドと中国人ですから。アメリカに残らず、中国に帰国する優秀な技術者もたくさんでてきたのでしょう。

真似ごとばかりの「モノづくり大国」が、世界標準をつくることにチャレンジしてきました。本来は日本がやるべきことです。日本の大企業は、そうした先端技術への投資を怠り、自民党清和会(安倍派)に1億円ほど企業献金して、企業権益を守ってもらったんでしょう。パーティで浮かれている間に、世界標準は中国がこしらえたことになりかねない。(本来は100億円投資して先端技術を開発すべきでした。もはやできません。)

 まったく日本は三流国になりました。情けない。
アメリカのトランプにへいこらする国は、イスラエルしかいなくなるのではないでしょうか?怖い時代ですし、独裁国家中国は怖いです。技術力は馬鹿にしてはいけないと思います。

2025年2月 3日 (月)

ヨットハーバーに行きました。

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 2025年2月1日に夜須のハーバーへ行きました。
道の駅やすに雛人形を「配達」した後に、夜須のヨットハーバーに行きました。体調が120%になかなかならないので、「老人と海」の世界が未だに堪能できないでいます。
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 私のヨットもカバーをかけてありました。はやく体調を回復して冬の海へ出たいです。海は元気を与えてくれるからです。
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 海に浮かぶことさえできれば、首や肩凝りなどは起きません。早く海の散帆(セーリング)をしたいものです。
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 高知大学ヨット部と思しきディンギーが数艇沖に出ていました。自分もはやく海で遊びたいと真底思いました。

 帰り際にやす海の駅クラブ事務所によりました。新しい事務局員を紹介されました。
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2025年2月 2日 (日)

2年ぶりの雛人形の展示

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 2025年2月1日雨が降る前の午前中に香南市夜須の道の駅やすに2年ぶりに雛人形を持っていきました。

 

 道の駅やすの女性スタッフから「2月-3月は道の駅ギャラリーで雛人形の展示をするんでご協力を」と言われていましたので、毎年1月末にうちの雛人形を持参していました。うちの娘の雛人形。うちの家の狭さも考慮せず、亡き母と一緒に人形店へ買い物に行き、小さめの段飾りの雛人形を購入していました。
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 購入して持ち帰り組み立てたのはいいですが、日本間が6畳間しかなく、設置すると部屋の半分が占拠される形になり、子供たちは押し入れで寝るような有様でした。今思えば、ガラスケースに入った雛人形はあの当時で廻っていなかったとは思います。
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 娘が保育園時代に1度組みたて自宅でひな祭りをしたようですが、ビデオに映像が残っていました。自宅でひな祭りしたのは、その1回きりでした。以来箱にしまわれ。納戸の中に収納され続けていました。

 

 夜須でのヨットの帰りに寄った道の駅やすの事務所にて女性スタッフから「ギャラリーで雛人形を飾りたいので、おうちにあれば持ってきてほしい。」と言われました。以来10年ぐらい持参してきました。
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 昨年は1月に私が両眼の手術と入院していましたので、持参することが出来ず、2年ぶりの参加となりました。雨が降る前に持参出来てなによりでした。6個の箱を搬入させていただきました。
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2025年2月 1日 (土)

「黒潮町不屈の取り組み」の投稿に感謝

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 2025年1月29日の高知新聞「声・ひろば」に、「黒潮町合同研修会」に参加いただいた北沢聖司さんの「黒潮町の不屈の取り組み」と題する投稿文が掲載されていました。

 先進的な黒潮町の防災対策は全国的にも有名です。何より役場と住民各位との相互信頼関係の強さは、他の自治体では到底考えられない強い絆です。私も当日役場の情報防災課長さんの講話や、日本1の津波避難タワーを見学した際の説明いただいた、地元防災会の皆様の「自然体」の姿に感銘を受けた1人でした。

「黒潮町の津波に対する不屈の取り組みに学び、今暮している身近な地域で行政や住民がひとつになった共同体としての相互理解を模索する取り組みから、自分たちの身近な防災をいま一度見直していきたいと感じた。」と北沢さんは記述されていました。

 それが可能である理由は、私なりに情報防災課長の中で思いましたのは、
①ぶれない首長のリーダーシック
②役場全職員を通常業務に加え、「全職員防災地域担当制:を導入し、住民の中に役場職員が入っていき、意見交換を行い相互信頼関係をこしらえたこと。
③成果物として「防災ワークショップ」「戸別津波避難カルテの作成」「地区防災計画の策定」「地域ごとの避難訓練の実施」でしょう。

通常は防災部局の職員は役場の都合で3年程度で移動し、住民との信頼関係など構築することなくいなくなりますから。国も。県も、大多数の市町村もそうです。「黒潮町方式」でなければ、南海トラフ地震で生き延びることは出来ません。

 北沢さんも決意表明をなさっていますが、私の場合は「生活を再建する」ことを目的とした「2拠点生活の見える化」を実現すべく動きます。

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