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2024年12月

2024年12月31日 (火)

2024年の重要な出来事


 正月明けから両眼の手術・入院・療養から始まり、師走12月の仕事納め直前の感染症への罹患。体調不良の1年でした。
医師の説明
①両眼の網膜前膜と白内障からの生還

 昨年11月に眼科医から「両眼に穴が開いている。すぐに手術をしないと近い将来失明の危険性がある。12月は予定が一杯。正月明けの1月4日と25日に手術します。」と恐ろしい宣告。拒否する選択はないので身を任せました。結果は成功しました。老眼は不要になり、運転用の眼鏡を新たにこしらえました。海用のサングラス(紫外線カット)のヨット用の眼鏡も作りました。

②仁淀川町へ広域避難訓練(1月)の実施と、防災キャンプの中止(8月)
広域避難訓練
泉川多目的施設
 高知県初の広域避難訓練は下知地区の25人の出席にて実施。より深化し、実践を生み出すための『防災キャンプ」は台風10号の大雨で無念の中止。

③令和5年度高知県南海トラフ地震対策優良取組事業所認定制度・認定書交付式
優良事業所認定
 2024年3月27日ですが、高知城ホールにて、高知県危機管理部何回地震対策課主催の「令和5年度高知県南海トラフ地震対策優良取組事業所認定制度・認定書交付式」が行われました。

 ちなみにうちの会社の授賞理由は「南海トラフ地震に対する取り組み方針では「L2想定地震が発生すれば、二葉町は2M地盤が沈下し長期浸水する。その状況下でも事業継続は行う。」という悲壮な決意表明を行っています。なんと「5つ星」に認定となりました。

④父・吉正(享年99歳)の7回忌と母・春子(享年3回忌)が行われました。
お墓
 父は2018年5月12日が命日。母は2022年12月19日が命日。2008年から父は10年、母は14年の在宅介護生活でした。

⑤延期された2024年総合防災訓練は大盛況でした。
総合防災訓練
 予定していた10月27日が突然衆議院選挙になり、12月1日の総合防災訓練は150人が参加し大盛況でした。

⑥介護研修講座を受講しました
介護研修講座
 両親の在宅介護を2年前に終了・卒業し、今度は自分たち夫婦が「高齢者」になりました。4日間の介護研修講座を、私自身は22年ぶりに受講しました。最終日は「基本的な介護の方法」ということで、口腔ケア、排泄介助、着脱介助、入浴介助、清潔保持、家事支援などを、実際に介護現場で身体介護をされている人の体験を聴講しました。


⑦徳島総合防災訓練に参加しました。
徳島総合防災訓練
 弊社は「悪路用手押し台車(キャタピラー台車)と津波避難タワー用防錆塗料「カーボマスチック15」(亜鉛メッキ面、さび面、旧塗膜面に強固に付着し防錆する)を展示予定です。


➇右手薬指の大怪我
右手薬指の大怪我 - コピー
 6月に不注意で窓の金具で指を挟み込み「意外な重症」に結果は「全治3週間」の意外な重症。
「指が切れているだけでなく、中の組織も飛び出しています。処置後縫わないといけないので3週間位は完治にかかります。」とか。完治に1か月かかりました。その後は疲れからか9月に帯状疱疹。10月にすずめ蜂に刺され、12月下旬の年末に出張のあと5年ぶりに風邪ひきました。
 体調不良が続いた2024年でした。

⑨長い長いトンネルの闇から脱出しました。
早稲田で死んだ
 高校生時代からの思想的な破綻、運動体の消滅から社会運動から引き、以後50年以上1人でうじうじ悩んでいました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat21222778/index.html
(連合赤軍と新自由主義の総括)

個人ブログでもしんどさを吐露してきました。2冊のドキュメンタリー作品が私を救ってくれました。1つ目は樋田毅さんお著作です。

 1973年の早稲田大学でのリンチ殺人事件のドキュメンタリー「彼は早稲田で死んだ」(樋田毅・著)

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-87abde.html
(8月18日は映画「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」を見に行きます。)
重信房子がいた時代
 2つ目は梅原隆司さんがお貸しいただいた「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)を読みました。淡々と自然体で書かれた2つの著作を読むうちに長年私を悩ましてきた「モヤモヤ」が晴れました。

 要するに「人生なるようになる」しかありません。うじうじ50年以上悩んできたおかげで、高校生は70過ぎのお爺さんになりました。日本や世界の政治状況も混とんとしています。

 案外自分が悩んできたことが、混沌の答えを見つけることになるやもしれません。

⑩毎日のリハビリ・ウォーキングで健康になりました。
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 2019年のある整形外科医師から「あなたは脊椎管狭窄症(3か所)とすべり症、椎間板ヘルニアを併発しています。ほどなく歩けなくなるでしょう。手術で治すことも出来ません。」と宣告されました。

 程なくコロナ禍も始まり。スポーツジムもヨットハーバーも閉鎖されました。体へのリスクが少なく、毎日継続できる運動法としてリハビリウォーキングを2020年2月から始めました。

 当時は母を在宅介護を家内と2人でしながら、仕事もしていました。おかげで足腰が丈夫になり、腰痛も起こらなくなりました。母を背負い階段昇降が出来るようになりました。4年10か月継続しています。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/11/post-cc7716.html
(リハビリウォーキングの効用)

リハビリ・ウォーキングの先駆者はFBの友人でもあり、JCでもお世話になりました芝藤倫朗さんでした。「ウォーキングはすぐには効果は出ませんが、続けていれば必ず効果がありますから。」と励ましていただきました。

 毎日1時間歩くと寿命が11年伸びるとか

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-462b27.html

 最長30年の寿命が11年伸びて41年になれば「やりたいことが出来ます。」ね。楽しい人生が送れそうです。

 その他にもたくさんありますが、超長文になりますので、10項目にしぼりました。

2024年12月30日 (月)

県外の友人の指摘に驚愕

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 2024年12月30日ですが、ようやく事務所の掃除と片付けが一段落し、2024年の仕事納めが終わりました。今日のリハビリウォーキングは、12385歩でした。風邪も回復し、正常化しました。
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 お昼前に県外に移住された友人から突然の電話がありました。私が受話器を取り話をしようとしました。
 友人は開口一番に、
「お前生きちょったかえ。俺はお前さんの個人ブログを毎日読んでいるが、そのブログの更新が、予告なしに12月26日から29日までの4日間されていない。死んだかと思うた。」と。

 確かに12月26日以降29日まで更新されていません。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/
(個人ブログ「けんちゃんの吠えるウォッチング-どこでもコミュニュティ双方向サイト」)
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 確かに友人が指摘されたように、今年1月に両眼の手術と入院、療養生活が長期にわたることが予想されましたので。「しばらくブログは更新できないと思います。」と書いてありました。(私自身が入院前に書いていました。)

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/01/index.html
(しばらくブログの投稿は控えます)
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 SNS全盛時代に、だらだらと長い文章で、自宅周りの地域防災問題を中心に書いている個人ブログにすぎません。熱心な読者がいることに感謝します。

2024年12月25日 (水)

新聞業界の”怪人”のご逝去

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 2024年12月19日に読売新聞グループ本社主筆の渡辺恒雄氏がご逝去されました。享年98歳でした。2年前に逝去した母と同じ日に亡くなられました。母より年齢は1歳下でした。戦争体験のある「戦中派」の重鎮が亡くなりました。

 日本経済の12月20日号の1面のコラム「春秋」には、渡辺恒雄氏への追悼文を書かれています。

「渡辺恒雄氏に赤紙が来たのは、1945年に東大に行って間もなくである。当時19歳。配属先の砲兵隊には木製の弾しかなかったそうだ。「本土決戦なんて言っていたやつは許せない。本当にばかげた戦争だった」。後にそう述べている。」(週刊文春編「私の大往生」

 敗戦後一時共産党に入党したのも「軍国主義体制を粉砕したかったから」と自著にあるそうです。「実体験をもって先の大戦を指弾する立ち位置は保守の論を張る後年もぶれることがなかった。」

 いわゆる「歴史修正主義」者とは一線を画し、首相の靖国神社への公式参拝には公然と反対していました。

 「気骨の言論人」であると同時に中曾根康弘氏とは特に親しく「政界のプレイヤーを演じました。言論人でありながら、政界工作にも長けた希有の存在でした。政治記者時代に昵懇(じっこん)の政治から「俺に衆議院議長のポストを取って来てくれ。」と依頼された逸話もあり驚きますね。

 政治家の「番記者」なら権力闘争の裏側も知りうる立場でもあります。政治家の連絡役や使い走りをした政治記者は多かったとは思いますが、実際に「政界工作」までできる人は後にも先にもいないでしょう。

 またプロ野球巨人のオーナーであり最高顧問。大相撲の横綱審議委員会の委員長も務めていました。またサッカーJリーグ発足時に、初代Jリーグの川口三郎チェアマンが「讀賣ベルディ」ではなく地域名で「川崎ベルディ」にしてほしと要望すると、「それは駄目だ」と言い大論争をしていたこともありました。

また読売新聞と言えば、創業者でもある正力松太郎氏がいました。読売新聞の社業を発展させ、一方でプロ野球を作り上げ、巨人軍をこしらえた人でした。

 渡辺恒雄氏は、正力松太郎の「引き立て」もあり、まさに「後継者」になりましたね。

 1つの時代が終わりました。政治力を発揮した渡辺恒雄氏でしたが、いわゆる「政治屋」「政治屋ずれ」はなく最後まで「読売新聞主筆」であり言論人でした。

2024年12月24日 (火)

昭和南海地震から78年目

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 今から78年前の1946年12月21日に発生した昭和南海地震。ほぼ100年に1度発生する南海地震の中で、規模が小さかったと言われています。

 しかし高知市街地の下知地区や潮江地区は建物の倒壊被害ばかりでなく、地盤が1・3M沈下したために地域内に海水が入り込み1か月半以上の長期浸水状態になりました。
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(昭和南海地震を伝える動画映像)

 今後30年以内に8割以上の確立で発生する南海トラフ地震は、昭和南海地震より規模が遥かに大きいとされています。
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 昭和南海地震の記憶を忘れず、次の世代にどう伝え、次起きる南海地震にどう備えるのか。私たち下知地域では、実体験者の岸田康彦さんからお話を聞き、絵を描ける人、資金を集める人、パソコン操作の巧みな人、朗読がとても上手な人たちが地元下知地域におられ、『防災紙芝居』を作成し、訓練時に朗読しています。

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(2024年の防災訓零時の防災紙芝居の朗読と実体験者の岸田康彦さん)


〇添付写真は「昭和南海地震後の写真」です。6年前に他界した父が所蔵していました。土木技術者であった父が被害調査したときの写真です。残念ながらどこの地域なのかは不明です。
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2024年12月23日 (月)

閖上だより19号

 先日一般社団法人ふらむ名取より「閖上だより19号(令和6年冬号)が送付されてきました。年4回の発行で、今年の最終号のようですね。
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 1面は「閖上湊神社例大祭』の記事でした。写真で見ますと大人たちも大勢で神輿をかつぎ、閖上の街中を練り歩いたとか。また子供神輿もあり53人が参加し歩いたとのことでした。
 
 私の育った高知県いの町には、杉本神社があり、「いの大黒様」として大規模な祭りを毎年しています。現在居住している息子夫婦に聞きますと最近は神輿の担ぎ手が不足し、台車の上に神輿を置き、引っ張っているらしい。名取市の閖上は、人間が大人も子供も神輿を担いでいることが凄いです。それだけ絆が深いということですね。
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 2面は地域の文化活動、地域の学校共同活動が記事になっています。
「感謝の演奏会」「第3回閖上祭り」「第1回団地芋煮会」「「地域学校協働活動 海浜植物植栽・種まき」と多彩な地域事業が紹介されていました。
 地域の中で、人と人との触れ合いがあることはとても大師なことだからです。
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 3面は散歩とサイクリング愛好者による閖上地区の地域レポートです。
「トヤ(魚市場)」という記事は。閖上が漁業が盛んな町であったとの名残があることをレポートされています。改めて知ることが出来ました。

 

 「震災伝承石碑』のレポートは、サイクリング愛好者の方の投稿。閖上には「昭和三陸津波慰霊碑」と「名取市東日本大震災慰霊碑」などが複数あるとのこと。津波サイス湯到達地点を表す石碑も紹介されていました。日頃から気にかけて、常に津波を想定した生活をすることが大事ですね。
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 4面は「笹かまぼこは閖上が発祥」との記事には興味がありました。仙台名物で宮城県各地でつくられていると思っていましたので、事実を知りませんでした。また「3月11日の追悼行事」のお知らせも告示記事にありました。午前10時から午後16時までの行事で閖上中央第一団地C棟集会室とあります。来年は東日本大震災から14年目になります。閖上の皆様は震災の記憶を風化させず、常に災害に備えていく姿勢を感じます。

 

 いつものように地元企業の広告も貴重な地域情報です。今回は復興をなしとげた閖上地区の皆様の心意気、元気さを感じ取ることが出来ました。

2024年12月22日 (日)

毎日1時間歩くと寿命が11年伸びるとか。

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 あつかましくも「あと30年の命」と自称していましたが、それが11年伸びますと41年も時間があるとゆとりが生まれますね。

 2020年2月から早起きして、毎日早朝の「腰痛改善リハビリ・ウォーキング」を始めました。毎日日にち雷と15M以上の休風以外の日は、雨でも雪でも歩き続けました。

yahooニュースでも取り上げられ愛知増した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5a86d6cdaaa97bb167814cc368c8a74b6687b389?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR3BfwL8txgtV8M1yytPKvcK7VCk6sf5EgXClnHRvmmhvddsP3X_2-UIJHQ_aem_2XCP_a4H1XTr1VaBTrMWLg

「毎日1時間歩けば寿命が延びる」とか。私の場合はリハビリウォーキングが4年9か月を超えました。「新しい生活習慣」として完全に定着しました。夜更かしを改め、自宅ではお酒を飲まないようになり、早寝早起きが習慣化しました。(宴会では飲酒はします。でも一次会で帰ります。)

 歩くことは悪いことで貼りません。1時間歩けば7500歩です。何回かに分けて歩けば苦痛で貼りません。また年寄りは、若かりし頃の何倍も努力しないといけないですから。それは今後も頑張ってつ透けます。

2024年12月21日 (土)

12月21日は母の葬儀の日でした

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 12月21日は「冬至」です。暦どうりに2024年は寒い。高知市は氷点下にこそなりませんが、1度か2度が最低気温という日が続いています。そのうち氷点下になりますね。

 2022年12月19日に母・春子は自宅で亡くなりました。享年98歳(満年齢は97歳)でした。当日はいつも早寝する私ですが、サッカーW杯カタール大会の決勝戦でした。アルゼンチン対フランセ戦。一進一退の試合は延長でも決着がつかず、PK戦で未明に決着がつきました。母は午前3時半まで生存していましたが、アルゼンチンが優勝し、勝利インタビューが延々としていて見ていました。7時頃に母の様子を見に行きますと、呼吸がとまっえちました。家内を起こして確認しましたが、貸与されていた脈拍計も酸素濃度計にも反応しなくなっていました。急遽訪問医師宅に連絡。30分ほどで来ていただき確認いただきましたが、亡くなっていました。死亡診断書には「老衰」と書かれていました。

 安らかな最後でした。苦しむ様子もなく自宅で看取ることができました。20日が通夜式でd、21日が葬儀。火葬場で骨を家族と親戚で拾いました。良く22日は大雪でした。郡部在住の息子夫婦は出勤できませんでした。私の車は冬用タイヤでしたので、1人で配送に回りました。

 今年はお寺の都合もあり、家族で3回忌を12月15日にしました。半年間は要介護5の母の在宅介護はそれなりに大変でしたが、いなくなると寂しいものです。母は懸命に生き、私たちを励ましてくれました。いつまでも見守っていただいていると思います。

2024年12月20日 (金)

県西部を巡回しました。

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 2024年12月18日、19日は県西部(宿毛市、土佐清水市、四万十市(旧中村地区)、黒潮町、四万十町、中土佐町を現地調査と表敬訪問、年末のご挨拶をしていました。

 県西部地域は、同じ高知県内ですが、距離が遠く、高速道路が一部にしか共用されていません。ただ四万十市と宿毛市間は高速道が既存の国道とほぼ平行に作られていたことに驚きました。
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 しかし土佐清水への国道や、四万十町窪津への県道は車で行くのは難所が多いですね。道路改良もみな半ばです。
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 確かに動いていますと「課題」が見つかりますし、出会いもあります。来週は県東部と徳島県を巡回予定です。タイヤも冬用タイヤで備えています。運転計画に余裕を持って出かけます。
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2024年12月19日 (木)

総合防災訓練参加者の傾向分析

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 2024年12月1日に高知市二葉町の下知コミュニュティ・センターを会場にした総合防災訓練参加者の傾向分析を、中宝永町防災会の蒲原米雄さんがしていただき、表やグラフを作成いただきました。

 参加登録者(名簿記載者I)総数は139人(男性55人・女性84人)でした。あらためて表にしたり、グラフで表現されますと、気が付くことがありました。

①小学生たちの参加は大きかったです。7歳から12歳までの児童が28人いました。昭和小5年生の「地域防災の学習と研究」のために来場したからです。

②小学生の保護者と思しき、40歳から49歳が15人、50歳から59歳が22人来場しています。

③中学生・高校生世代は13歳から18歳までは4人、30歳以下の若者はわずか2にん、39歳以下の元気盛りの現役世代の参加は4人でした。
総合防災訓練男性・年齢別・町内 001
④また地域の訓練の運営側と参加者の多い層は、50歳から59歳が21人、60歳から69歳が14人、70歳から79歳が28人、80歳から89歳が9人です。50歳から89歳までで72人が参加しています。51%が熟年層と高齢者層です。

⑤女性の参加者が84人、」男性の参加者は55人です、女性の参加者は段席より29人も多いです。
総合防災訓練町内会別・年齢表 001総合防災訓練・女性・町別・年齢別 001
⑥地域別参加者は、下知地区から120人が参加し、86%を占めています。地元二葉町からは57人、共催町内の6人、若松町の5人であり、3町で参加者の48%を占めています。

⑦ベトナムの研修生は」二葉町のマンションい滞在されていましたので、二葉町にかうんとされています。

➇2021年の登録参加者の傾向を見ますと、10歳代の参加者はわずか4人です。今回は昭和小の児童が参加したこともあり、32人が参加いただきました。2021年は50歳から80歳代の参加者は65人であり、全体参加者の74%を占めていました。運営も参加者も「爺・婆」主体の高齢者訓練でした。
2021年参加者名簿
 昭和小の5年生たちのおかげで年齢層も多様化し、平均年齢も探しました。ですが、地域の中高生たちと、20歳以下の若者たちが少ないことは、今後の課題であり、地域としても大問題であると思いました。

2024年12月18日 (水)

70歳代は身体機能の変化(老化時代の到来)は普通なのか


 普段の生活習慣を「成り行き」に任せていると、どんどん身体機能は、70歳を超えると低下するようですね。私は2024年は正月明けから両眼の主呪術があり17日間の入院、その後の療養生活で、体力が格段に落ちました。

50年前の20歳のころは「70歳なんて遠い先の話」と思っていました。「あっという間に」50年経過しました。で今年の7月に6年ぶりに上京し、50年前に入会した大学のサークル仲間との同窓会へ行きました。
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写真は2023年の大学時代のあるサークルの同窓会。
 関係者10人が集まりました。うち癌のキャリアが5人。生活習慣病1人。一応健康体は私と家内と後2人の4人です。

「お互い死ぬ前に元気な頃に会いたいね。」ということで皆に会いました。
 最長あと30年の命です。くよくよしたり、落ち込んだりする時間はもったいないですから。

 とはいえなんかの努力をしないと、身体機能(あるいは認知機能)もどんどん衰えます。昨年脳ドックの先生が「あんたヨットしているから脳が委縮していない。いい運動だ。90歳になってもやるべきです。」と言われました。
ヨット
 両目の手術は大変でしたが、近くの作業(読書・パソコン作業、スマホの確認などには眼鏡がいらなくなりました。中程度の近視に(手術前は強度の近視)なりました。散歩は眼鏡なしで歩けるようになりました。今は車の運転の時と、研修会・講習会の時だけ眼鏡をかけています。

 とにかく年寄りは「成り行き任せ」は行けませんね。努力が若いころの倍必要になりました。目標は可能な限り健康寿命を維持することですから。

2024年12月17日 (火)

卑屈な高知県民のスローガン


高知空港看板
県外から子供が久しぶりに戻るので空港に迎えに行きました。

 出迎え口に大きな看板がかけられていました。

「歓迎 どっぷりど級の極上田舎へ SUPPER LOCAL KOCHI 龍馬を育んだ土佐の風土をまるごと体感!」

高知をド田舎と卑屈になる必要はない。どうせ表記するなら「ようこそ世界の都 偉人のまち 高知」ぐらいに大きく出てほしい。

 それで子供に感想を聞きますと「昔は自由は土佐の山間から」とか先人は行っていた。土佐人もスケールがちいさくなったとしかいいようがない。」とのこと。

 「高知家」とかいうわけのわからんスローガンもおかしい。

2024年12月16日 (月)

母・春子の3回忌をしました。

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 2024年12月15日ですが、母・春子(2022年12月19日逝去)の3回忌を家族(息子夫婦と県外の娘)でお寺で執り行いました。綿空の前と後ろにも法要があり、お寺は今日は法要ラッシュでした。

DSCN2111 私等は9時45分集合で、法要の準備作業。10時から30分程度の法要しました。その前の9時にも法要の人達がきていました。

 お寺と話しました。父の13回忌と、母の7回忌は「まとめよう」ということになり、「4年後に一緒にしましょう。」  

 早朝は外気温が2度であることを確認しています。日中も気温が上がりません。お寺もお墓も寒くて震え上がりました。本当に寒い1日でした。
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 お墓は山の上になるので、風が吹けばこの時期は耐えられません。ご先祖様にはもうしわけないですが、あまりに寒いので、
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 その後家族でレストランで会食しました。たまにはいいものですね。夕方は「高知城のイベントはいこうかとの提案もありましたが、「寒いから辞めよう」ということになりました。家でため込んだDVDかYouTubeでなにかみようということになり「スープとイデオロギー」という映画をテレビ観賞することになりました。(私は映画は見ています。)

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2023/09/post-69495b.html
(2023年に映画鑑賞していました。重たい内容の映画でした。)


風景写真はありますが、家族の写真はありません。私以外は登場しません。よく登場していた父も母も他界しましたので。今の家族は登場しません。あしからず。

 それで今日のリハビリウォーキングは、13869歩でした。明日朝は県外の子供が朝7時過ぎの便で戻るので、6時過ぎに出ないといけないですね。朝の散歩は30分程度しかできませんね。

2024年12月15日 (日)

堀川浮桟橋は県道です。年度末までの修繕を!

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一部に路面の隆起(凸凹や亀裂)があり、浮桟橋は酷く劣化した部位があります。特に九反田側の水道局の水管橋より西側の浮桟橋が酷い。
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腐って木部に穴が開いている部位や、桜の葉が堆積され腐葉土になり歩道が滑る箇所があります。時折自分で金属製のデッキブラシで」擦りますが、広大な面積ですので全部は出来ません。

管轄は高知県土木部高知土木事務所です。黒岩敬一郎所長は年度末までに問題個所を点検。補修をしていただきDSCN2055DSCN2058たい。100%道路管理者の責任か所ですので。

2024年12月14日 (土)

紙媒体・二葉町防災新聞12月号


 2二葉町防災新聞2024年12月号 001024年12月1日に高知市下知コミュニュティ・センターにて開催されました「2024年総合防災訓練」は150人の登録参加者がいて大盛況でした。

 2018年から、二葉町町内会と二葉町自主防災会が主催し、近隣防災会である若松町自主防災会と中宝永町自主防災会が共催、下知地区減災連絡会、下知地区地位内連携協議会、下知コミュニュティセンター運営委員会防災部会、特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパンが後援しています。

 運営スタッフは主催団体や協賛団体、後援団体から構成され、事前打ち合わせ会などをして、訓練の在り方や目的を議論してきました。地域防災の運営側の力量からすれば「100人規模」の訓練が精一杯であるとは思います。(2021年の参加登録者は87人でした。)
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 昨年から昭和小学校の5年生たち(20人ほど)の「地域防災研究学習」の中間発表会を訓練時の防災講話タイムですることになり、生徒や教員、ご父兄など関係者が50人ほど増えて150人規模になりました。

 その訓練の様子の一部を紙媒体の「二葉町防災新聞」には掲載しました。「あれもこれも」と欲張りにやりまくりました。上手くいくこともあれば、今一つのこともありました。

2024年12月13日 (金)

潮風はいいですね。

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 2024年12月11日ですが、は年末の挨拶回りで香美市と香南市を巡回。yasu海の駅クラブにも立ち寄りました。

 今週末は母春子の三回忌。県外の子供も久しぶりに戻ります。一家が揃うのは1年ぶりですね。
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 年内に年寄りに優しい「温厚な」天気になれば久しぶりに海の散帆(セーリング)をしたいです。週末は寒波が来るとも言われています。

 さて11月のSUP体験以来のハーバーです。11月始めは初夏を思わす気候でした。ウェットスーツが暑いという印象でした。しかし今日は西高東低のお天気。結構風も吹いています。
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 ハーバーはいいですね。誰も今日はいません。自分のヨットも確認しました。セーリングは「脳幹トレーニング」にとてもいいと脳外科医の先生に聞きました。老人でも海へ出れる風なら出たいものです。
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2024年12月12日 (木)

2024年総合防災訓練反省会(詳細)

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 2024年12月10日ですが、「2024年総合防災訓練反省会」が下知コミュニュティセンターで開催されました。さすがに師走です。運営スタッフの集まりは悪いです。何かと師走はせわしいですから。
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 それでもめげずに 9人来てくれました。そのなかでざっくばらんに「反省会」をしました。実は反省会」が1番大事な会議です。でも師走のどんつまりですので集まりが悪いには仕方がありません。

◎訓練全体の訓練と評価と反省
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昭和小の5年生たちの「地域防災研究中間発表会」で、生徒たち、先生、ご父兄関係者で、参加者が一気に50人ぐらい増えました。今回も登録人数で150人でしたから。(それまでは100人前後です。)

 そのおかげで「年寄りが参加し、年寄りが運営する」という「ジジババ防災」から年齢層が若返り、多様化しました。また嬉しいことでしたが、坂本茂雄さんによれば、「ポスターを見て二葉町内のアパートに滞在していたベトナムの研修生5人が参加していただいたことです。訓練内容をすべて体験され、防災炊き出しの「おむすび」と「シチュー」も美味しいと食べていただきました。

 また訓練ゼンターのチャートは、運営スタッフ分はありましたが、全体のタイムスケジュールや、訓練面ヒューを書いたプログラムが必要との意見がありました。


◎各班の反省
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●総務 屋上から4階(登録受付)の案内係が必要でした。最初のスタッフミーティングでの訓練全体の把握が不十分でした。建物の安全確認方法がわからなかった。別紙蒲原班長より意見書が出されています。
 時系列作業表(訓練工程表)も作成いただきました。別紙。
総務班タイムスケジュール(案) 001
●登録 初班長でしたが、人員を集中し、市役所職員のサポートもあり、とらぶるなく処理できたとのこと。避難者名簿の作成段階で、参加人数と、要配慮者の把握が重要であることが皆で確認できました。

●衛生 班長が反省会には来ていませんでしたが、検温計、靴底消毒(4階入り口前に設置)手指消毒はきちんとできていました。トイレの展示もしていました。非常用トイレの使い方を説明するスタッフが多くいれば良かったです。


●情報伝達 今回は登録班が集計した「避難参加者の人数と要配慮者の有無」を災害対策本部に正確に伝達する訓練でした。それ以外に重要なことは避難所に入る参加者に、常に最新情報を伝達する大事な役目があります。
 今回もベトナム出身の皆さんが参加いただきました。幸い日本語が通じました。日本語が通じない人への対応や障害を持たれている人たちへの対処が課題です。
食料調達班総括 001

●食料調達 7時半から米洗いや8時から水につける作業をしていましたので、昨年よりご飯が美味しく炊けました。また調理、配膳、食後の鍋洗いなど業務が多忙で、他の訓練は殆ど見学できませんでした。参加者誰もがLPガス炊き出し装置を使えるようにする訓練が必要です。

 『防災訓練で思うこと』と「お米の炊き方マニュアル」を作成してきてくれました。
ご飯の炊き方 001

●遊軍  遊軍班の業務は、今回総務班長が「時系列作業表」に書かれているとおりです。「避難所の統括、写真撮影(記録係)、着ぐるみ対応、防災告知放送の実施、見回り、助太刀、司会進行、タイムキーパー、全体のチェクです。

 いいわけですが、やはり事前の意見交換会を4回開催しました。1回目は日程のミスで3人しか来なくて流会しました。2回目3回目、4回目は20人前後は来てくれました。各班のBOXもチェックいただきました。

 事前の意見交換と「気づき」が多くあればよかったなと思います。訓練メニューと場所、タイムライン表は、例えば小中学の「運動会メニュー表」のようなもんでしょう。でも思いだしましたらPTA事前に打ち合わせしていますし、何せ」学校行事ですからフルタイムの能力の高い教員が事務局していて対応してますから。

 「非常時」を想定した防災訓練は、運動会とは異なります。「出たとこ勝負」でやってきましたから。

 今回は「まとめ」を文章化していただく人が現れ、感動しました。ありがとうございました。

2024年12月11日 (水)

豪州はSNS禁止法案を提出とか

 BBCの記事にはこう書かれていました。

「ーストラリアは29日、16歳未満の子供たちによるソーシャルメディアの利用を禁止する法案を可決した。世界で最も厳しい法律となる。

この禁止措置が施行されるのは、早くても12カ月後の予定。違反したテクノロジー企業には、最大5000万豪ドル(約48億8300万円)の罰金が科される可能性がある。

アンソニー・アルバニージー首相は、この法律が若者をソーシャルメディアの「害」から守るために必要だという意見で、多くの保護者グループもこれに賛同している。

一方で、この禁止措置がどのように機能するのか、そしてプライバシーや社会的つながりにどのような影響を与えるのかについて、疑問が残るという批判も出ている。」

「子供のソーシャルメディア使用を制限しようとする取り組みは、世界的にこれが最初ではないが、16歳という対象年齢はどの国が設定したものより高い。また、他国の試みと異なり、既存のユーザーや親の同意を得た場合の例外規定はない。

この法案は28日夜に上院で賛成34票、反対19票で可決された後に下院に戻され、29日午前に可決された。

「私たちは子供たちに子供時代を過ごしてほしいし、親たちには、私たちが支えていることを知ってほしい」と、アルバニージー首相は記者団に語った。

この法律は、どのプラットフォームが禁止されるかを具体的に示していない。こうした決定は通信相によって行われ、オーストラリアのオンライン規制当局である「eセーフティー・コミッショナー」からの助言を求める予定だ。

ミシェル・ローランド通信相は、禁止措置にはスナップチャット、TikTok、フェイスブック、インスタグラム、X(旧ツイッター)が含まれると述べている。一方、ゲームやメッセージプラットフォームは除外されているほか、アカウントなしでアクセスできるサイト、例えばユーチューブは対象外となる見込みだ。」(出展はBBC日本語版)


 以前ブラジルでもSNSを制約する規制を出していました。独裁国家ちゅごくでは欧米資本の検索サイトであるGoogleやyahooは見ることが出来ません。

 民主主義国家でのSNS禁止法案はユニークであるし、注目されますね。

 日本でも2024年は、SNSの影響が目立ちました。東京都知事選挙、衆議院選挙、兵庫県知事選挙などは、主要メディアがテレビや新聞から、SNSやユーty-部に変わりました。

 果たしていいことなのか、行けないことなのかはわかりませんね。

2024年12月10日 (火)

政治資金問題のドロドロ

政党交付金2022+
 今国会の最大の争点は「政治資金問題」であり、俗にいう「企業団体献金の禁止法案」が提示できるのか、野党共闘が成立し「企業団体禁止法案」が成立するのかどうかがでしょうか。

 「企業団体献金」は、それこそ自民党の「権力の源泉」であり「肝」ではないかと思います。

 直接的には、法案とは関係ない話ですが、その昔複数の自民党関係者から聞いた話があります。真偽のほどは不明な話です。

「畑の中に立っている農夫の人が手招きするので、近づいていきますと、いくらお金を持ってきたのかと言われました。」

「ある事務所では、100票もっているので、100万円出してほしいと売り込んでくる人がいた。」

「タクシーで飲食店へ皆で乗り付け大宴会。その請求書を事務所へ回してくる支持者たちが大勢いて支払いが大変でした。」

「田舎の人は、いい話をただでは聞きに来てくれません。」

「忘年会が100回、新年会が50回あります。そのほかに支持者の人達の関係者の冠婚葬祭もあります。とても議員歳費では賄えません。」

 それらの逸話は単なる「噂話」かと思いきや、アメリカ人でアメリカの政治学者で日本政治の研究者のジェラルド・カーティス氏(コロンビア大学名誉教授)の「私の履歴書」を日本経済新聞のコラムで「地方の実情、選挙の教科書」と書かれています。

「選挙が近づくと選挙区内の各所から幹部の運動員がやってきて、選挙参謀と足りない票数などについて話す。そして車に「選挙ポスター」に束を乗せ去っていく。

 受際になかに入っていたのはポスターではなく100円やら、500円の札束だった。幹部らは自らの取り分を抜き、残りを集票担当の下位の運動員に「足代」して配った。」

「戸別訪問を禁じた選挙法をかいくぐるため当時の別府市長は故人への挨拶を装った。
「ごめんなさい」といって支持者宅に上がり仏壇に封筒を置いて手を合わせたが、封筒の中身は誰もが知っていた。投票への事前のお礼だった。」

 生々しい選挙の現実を昔話としてジェラルド・カーティス氏は書いていました。またこうも書いています。

「政治家はどの国でも、政治資金の規制をすり抜ける天才だ。それゆえに今日日の政治改革をめぐる議論は的外れに感じる。
 選挙には良くも悪くもお金がかかり、足りなければ政治家は合法か非合法化に関わらず何らかの手段で資金を集める。そうでなければ金持ちだけが政治を
担うことがある。」

 なるほど私が聞いた話も荒唐無稽な話ではなく、「その昔」は実話でした。

 今の時代、小選挙区比例代表制度の中では、国民政党自民党は、300選挙区すべてに、支部があり、候補者の事務所があります。1つの事務所で月に経費が100万円かかるとして(秘書1人の給与が35万円、事務員が20万。事務所に借用費用や光熱費、通信費で合わせて100万円)として、選挙がなくても年間1200万円かかります。

 1200万円×300地区は、事務所経費だけで36億円かかります。比例区があり、参議院があります。ざっくりで固定費用だけで自民党は衆参選挙区(地方区・比例区)合わせて100億円はかかると思います。

 一方「政党交付金は」2022年では自民党は159億円。選挙ともなれば、先「逸話」のように、「有償ボランティア運動員』の経費がかります。政党交付金では全く足らないということがわかります。

 それゆえ企業献金は、選挙費用で必要だし、政権政党の「強味」を活かして、政治資金パーティを開催すれば、資金が集まり、資金力は弱い候補者に資金供給が出来ます。それが「裏金」になり、自民党の各種選挙の資金になりました。

 さて今国会で「政治資金の企業団体献金禁止法案」が野党側から提供され、可決されるかどうかでしょうか?いつになく野党がまとまり、可決されますと、今述べた自民党型の政治は終焉します。国民政党自民党はついえることでしょう。

2024年12月 9日 (月)

やはり「緊急事態条項」は無用


 韓国の現職大統領による「戒厳令」の発令には仰天しました。何故、今の時代に。と思いました。これで韓国の与党政権は崩壊するでしょう。弾劾は確定的になりました。野党系の候補者が大統領になることでしょう

 韓国の野党は「リベラルだ」とか言われていますが、「反日」が唯一のコンセプトではないのか。日観関係の分断を図ることで扇動するなどこちらも時代遅れ。来年は日韓条約締結60年の節目。先が思いやられますね。

 とにかく権限が強すぎる韓国の大統領制度。頭のおかしい人が「戒厳令」を交付し、もしも動員された軍隊が国会を占拠し、国会議員たちを拘束してしまうと「クーデター」は成功していました。恐ろしい話です。軍も国会議員も国民も冷静な判断で鎮静化しました。韓国の民主主義も大したものですね。

 自民党の一部が「憲法改正」の理由の1つとして「緊急事態」を宣言して、大災害や有事に備えるなどと言っていますが、所詮は「戯言」であり「有害無益」であることが今回証明されました。

 維新の前代表の馬場氏が「韓国の様にならないように緊急事態要項が必要なんだ」と強弁していましたが、もはやお笑いです。支離滅裂ではありませんか。いい加減にしてほしい。

2024年12月 8日 (日)

すずめ地域交流祭りに行きました。

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 2024年12月7日(土曜)dせすが、高知市丸池町のすずめ共同作業所で開催されました。家内と黒岩博さんと3人で出かけました。

 食材販売や物産の販売、施設の見学もしました。すずめ共同作業所は鉄筋4階建てであり、地域の津波避難ビルになっています。また福祉避難所に登録しています。高知市の浸水地域内では初めての福祉避難所です。
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 斎藤所長さんが、建物の施設案内をしていただきました。主には避難ルートです。外階段を上がると2階に上がれます。3階,4階、屋上と見せていただきました。飲料水と非常用トイレ、段ボールベットなども在庫されていました。
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 所長さんの説明では、共同作業所の利用者は、停電時でもエレベーターは燃料で動くとのことです。(燃料タンクは屋上にあります。)丸池町は、勤労者交流館と合わせて。地盤沈下と津波の浸水時に駆け上がれる建物が増えたことは良かったです。
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 課題は施設と市役所の災害対策本部との連絡手段です。防災無線を設置することですね。(避難所の状況を早期に報告する必要があります。要望は常にするべきでしょう。大事なことですから。
段ボールベット
 販売コーナーでミカンと手袋を買いました。入交智子さんに会いました。またすずめカフェでは、おむすびと唐揚げ、コーヒーを注文して3人で食べました。昼食としました。とても美味しかったです。

(写真は黒岩博さんに撮っていただきました。)

2024年12月 7日 (土)

久し振りの香川・徳島

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 2024年12月6日ですが、1年ぶりだと思います。昨年の11月に自分で車を運転して、香川・徳島を巡回するには。その運転中に「視力低下が酷い」ことに気が付き、戻ってから近隣の眼科(松本眼科)の先生に「あなた目に穴が開いているようです。紹介状を書きますんで町田病院へ行きなさい。」と言われました。町田病院では「即入院・手術ですが、12月か満杯なので、1月4日と25日の手術します。」と宣告されました。
池田PA
 「網膜前膜と白内障』の両目の手術でした。17日間の療養と2か月半の了承が必要でした。その後4月から新しい眼鏡をつくりましたが、度が合わず2か月半で4回作り直しました。その後、怪我や、夏ばて、帯状疱疹や、スズメバチに刺され、なかなか仕事に復帰できませんでした。

 ようやく復帰できましたのは、師走の12月でした。12月3日からフル稼働しています。2024年は11月まで療養し、リハビリをしました。来年は頑張ります。
塩カル
 それで今日は出発が遅れ、8時過ぎにようやく出ました。高松市とまんのう町へ行き、三好市池田へ行きました。三好市役所と脇さんと久しぶりに話をしました。
serufuうどん
 1日中車で移動していました。それで今日のリハビリウォーキングは、14030歩でした。
脇宝石店三好市役所

2024年12月 6日 (金)

介護研修4日目(最終日)

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公益財団法人介護労働安定センター高知支部の「介護に関する入門的研修」(4回講習)が、先週に2日。今週に2日の22時間講習を受講しました。私の場合は、父を99歳で6年前、母を97歳で2年前に看取っています。足掛け14年の両親の在宅介護が終わると、今度は自分が「老人」になりました。

 

 「いわば老人入門講座」でもあり、2002年に2級ホームヘルパーの研修講座を受けていましたので、何がどう22年の間に変化したのかに興味がありました。最終日は「基本的な介護の方法」ということで、口腔ケア、排泄介助、着脱介助、入浴介助、清潔保持、家事支援などを、実際に介護現場で身体介護をされている人の体験を聴講しました。

 

「入浴時は体が温まり関節がほぐれるので、介護施設では、リハビリも併せておこなっています。」
「1番これからの季節に注意すべきことは、浴室と脱衣室の温度差を作らないことです。ヒートショックの予防」です。施設は空調が確かですが、家庭風呂は電気ストーブなどで暖房をしないといけないからです。
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「入浴できない場合は、タオルで体を拭きますが、その場合50度ぐらいのお湯に浸し、拭くときもちがよいようです、タオルが冷たいと嫌がります。」

 

「拭く順序は、顔-上半身-体幹-下肢-陰部-臀部」です。強く拭かないことです。

 

「排泄は最も他人に介入されたくない行為であることを理解し、プライドや羞恥心に配慮した介助を行うことが大切」
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「爪切りは健康状態の人に限ります。巻き爪などは医療機関で対処していただかないといけないです。」

 

 講義のDSCN1813最終日は県社会福祉協議会の「就労支援」の話もありました。介護の資格はなくても「介護助手」して70歳代でも元気であればアルバイトが堂々とできるようでした。

 

 修了証書をいただきました。理想は「お世話をする老人」になることです。そのためには健康寿命を保持し、健康で働ける体を維持していかないといけないですね。ご両親の在宅介護で頑張られておられるひと世代若い女性2人とお友達になりました。皆さん頑張っておられます。
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2024年12月 5日 (木)

介護研修3日目

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 今日の介護研修は「認知症」についてでした。
講師は堤英哲さん(株式会社すまいるcareヘルパ-ステ-ションほっとすまいる代表)でした。印象に乗った話を記述します。
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「MCI軽度認知症の段階で治療を始めないといけない。」

「人口は減少するのに、少子高齢化が進行する中で、認知症は増加の一途」

「身体が動かなくなると脳が働かなくなり、認知症は増大する。」

「障害から自立支援に変更した。」
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「手助けがあればできる。支援があれば認知症予防になる。」

「認知症は、家族や社会に尽くし、功労者になった人の勲章です。」

「普通の人と同じように接すること」

「自分がしてほしくないことは、他人にもしない。」

「専門職の間違い。レッテル貼り。子供扱いすること。」
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「パーソンセンターケア 人を中心にした介護」

「人を理解すること」

「昔の記憶は覚えているが、新しいことは忘れてします。」

 母は2008年から亡くなった2022年まで、14年間アルツハイマー型認知症でした。早めに発見し、治療を始めたことで、14年間生存しました。温厚な母でした。
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 ゆっくりゆっくり認知症が進行して、亡くなりました。苦しんでいるようではありませんでした。
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2024年12月 4日 (水)

下知交番12月号

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 2024年も12月(師走)になりました。「下知交番12月号」をいつもの女性警察官が持ってきていただきました。今年はあと1か月ありません。

 記事の内容はと言いますと。

「年末年始の犯罪にご用心」

「飲酒運転の根絶」

「年末年始の交通事故を防ごう」

「北朝鮮人権侵害問題に関心を」 でした。

 いずれも大事な観点ではないかと思います。

 「闇バイト」の実行犯は、家屋を破壊し、高齢者に暴力を行使するというとんでもない犯罪を引き起こしています。「隙のある地域は習われます。」近隣の人間関係、見守りが、未然に凶悪犯罪を防ぐと思います。

2024年12月 3日 (火)

2024年の地域の防災訓練は無事終了

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 2024年12月1日(日)ですが、下知コミュニュティ・センターでの防災訓練は無事に終了しました。今朝は着ぐるみ(今回はたいさく君、ヘルパちゃん)を県庁危機管理部倉庫に返却に行きました。

 報道機関は、高知さんさんテレビと読売新聞、朝日新聞が取材に来られていました。

 高知さんさんテレビ「イット」のなかのローカルニュース

https://www.youtube.com/watch?v=UG1ipwKiNv0(1分10秒)

 讀賣新聞は、昭和南海地震の体験者であり、二葉町在住者で、訓練にもご参加いただきました岸田康彦さんの取材をされていました、写真は会場で、岸田さんを紹介する司会をされていました坂本茂雄さんと、朗読の澤本恵子さんが写っていました。

 訓練関係の支払いにおける領収書もいただいているので、仕事の合間に処理が必要です。後は1月19日の「黒潮町合同研修会」が今年度の事業です。

2024年12月 2日 (月)

2024年総合防災訓練は無事に終わりました。

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 2024年12月1日に高知市二葉町の下知コミュニュティ・センター全館を利用して実施されました「総合防災訓練」は無事に終了しました。
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訓練メニューはそれなりに皆で考えました。8時先行スタッフ集合 たいさく君・ヘルパーさんスタンバイ・参加者へのお迎え。

 8時半スタッフミーティング(1階駐車場(各班・指示書配布)訓練全体の確認をしました。寒い朝でした。出足が心配でした。
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総務 各会場設営・階段踊り場に椅子設置 
登録 参加者名簿の作成準備
衛生 非常用トイレ設置・感染症対策の指導・靴底消毒の設置(2か所)1階・屋上・

情報伝達 避難所情報を災害対策本部に無線で連絡・ヘリサインの表示(屋上)
食料調達 炊き出し準備・調理の開始

遊軍  見回り 助太刀 写真撮影・マスク配布。誘導。


防災放送(屋上)による住民への呼びかけ。高木妙さん担当。
参加者の検温・靴底消毒・マスク配布
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9時、住民各位避難開始  健常者は東側外側階段・高齢者は内・エレベーター・内部階段を使用。
SOSカード・避難者カードにより登録班名簿作成・炊き出し開始・段ボールベットの準備

10時ごろ 災害対策本部に行政無線で連絡。ヘリサイン
可能なら食料調達班も防災講話を受講する。
能登半島地震の動画上映。
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10時過ぎ、シェイクアウト訓練・調理食材を4階へ。
すずめ共同作業所斎藤所長(地域交流祭り等)⇛12月7日すすめフェア開催。
防災寸劇(避難所運営の問題点とは)。家内も急遽っ出演しました。
昭和小5年生防災学習研究発表(中間報告)
防災紙芝居朗読(澤本恵子さん)
段ボールベット組立て訓練」屋上・多目的室
下知消防分団ドローン飛行訓練(屋上)
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12時 食事会・お茶会・全体報告会

13時 片付け(元の場所に備品返却)・清掃・ごみ撤去。
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 高知さんさんテレビと、読売新聞、朝日新聞の取材を受けました。さんさんテレビは17時30分からのローカルニュース「イット」で訓練の様子が放映されます。

 14時過ぎに取材が終わり、防災キャラクターの着ぐるみを回収しました。7
疲れからか、手足が攣りましたが、いましがた回復しました。

2024年12月 1日 (日)

介護研修講座 2日目

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 4日間の研修の2日目は、介護ケアの実務研修です。
22年前の当時の「2級ホームヘルパー講座」で体験したことがあります。どの程度やり方が変わったのか、腰痛にならない介助の仕方があるのだろうか。そのあたりに興味があります。

 昨日偶然隣になって親しくなった女性(93歳の母親を在宅介護されています)は、今日は来られないとか。なんだか心細い。でも咳が近い者同士でグループが出来、皆と親しくなりました。
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「基本的な介護の方法」と座学と実技研修が今日のテーマでした。座学で印象の残った言葉について記述します。

「介護の基本は、人間への理解を深めておこう」です。

「残存機能を理解したうえで自立支援するのが、介護も目的です。」

「ADLは日常生活活動」「QOLは生活の質」

「加齢と老化は異なる」

「転倒は自宅内が多い。」

「オーロラルケアは口腔ケアの総称」

「うつ病は改善する。

「フレイル⇒虚弱。ロコモティブシンドローム⇒運動器生涯。サルコペニア⇒筋肉減少」
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 2000年に日本では介護保険制度がスタートした。その前は家政婦や病院での付き添いさんの機能がbホームぺルパートと称していました。介護保険制度は厚生労働省の国の制度として、整備されていきました。介護福祉士や、社会福祉士やケアマネ―ジャーなどの資格が確立し、役割も確定して行きました。

 私が2002年に研修した「2級ホームヘルパー」から発展したようです。

 しかし私の両親の死去の前に救急で担ぎ込まれた高度医療病院,父は2018年に高知日赤病院、母は2022年に高知医療センターでともに「廃用症候群」になりともに要介護5になりました。父の場合は慢性腎不全の悪化で日赤で緊急透析で、危機を脱しました。そこまでは医療のおかげですが、その後すぐにリハビリ病院に転院できず、70人間ももろくにリハビリもしていただけなかったので、廃用症候群になりました。当時はインフルエンザが蔓延し、その病院も受け入れてくれませんでした。

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 母の場合はコロナ禍の真最中。父よりは早く転院できましたが、医療センターの一か月で廃用症候群になりました。2人とも入院前までは元気でしたのに、医療的な治療は受けられましたが、長期の入院生活で廃用症候群になるとは。

 医療と介護の連携がうまくいかなかった事例であると思います。なかならないものかと介護研修を受けている間に両親の終末期を思いだし、悔しくなりましたね。
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 何とかならないかと心底思います。

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