父吉正の7回忌です。
2018年5月12日に父西村吉正は99歳の生涯を閉じました。
高知市の寺院で。私ら夫婦と息子夫婦でささやかな7回忌を行い、父の生涯を偲びます。仕事が多忙で今回も娘は戻れません。息子の嫁は生前の父を知りません。
父が亡くなった時は、土曜日で私は夜須の海でセーリングしていました。2018年5月12日のブログで以下のように書いていました。前日に父の病院へ行き「明日は海へ行くので夕方になるから」と言いました。父は「行ってこい」と言いました。
「2018年5月12日ですが、夜須の海で帆走していたので、全く携帯への着信に気が付きませんでした。風が良く赤岡沖まで帆走、ハイクアウトの連続で海での帆走を堪能させていただきました。
ランチタイムに着艇しますと多くの着信がありました。家内と息子、父の入院している病院からでした。いずれも海の上にいて、しかも風が強かったので気がついても対応できませんでした。
1月19日に腎不全で高知日赤病院へ緊急入院し父(98歳)ですが、今日の午後12時31分にいずみの病院で亡くなりました。昨日は昼食時に起床し、リハビリをしてもらい、入浴もして、昼食のセリー食を自分で積極的に食べていましたから。
亡くなった時間帯は海の上にいましたね。息子が駆けつけていて臨終に立ち会ってくれていました。片付けして自宅へ戻ると3時に。葬儀屋に連絡して家内と母と3人で病院へ行きました。
息子が駆けつけてくれていました。当直医に話を聞きました。「午前10時ごろから調子がおかしく酸素吸入しました。心臓マッサージもしましたが午後12時31分に停止しました。腎臓も腎臓も弱っていました。死因は老衰です。」とのことでした。
父はいつものようにベットに寝ていましたが、額に触ると冷たくなっていました。
従兄弟に電話で連絡しました。「うちも母(叔母100歳で逝去)が前日に元気でねと別れて翌日亡くなった。誰も会えなかった。」ということでした。
父には今日海へ行かせていただきました。安らかな表情でした。父には感謝しています。回復を前提に来週病院関係者との意見交換会が予定されていました。人の命には限りがあります。父は精一杯生きてくれました。感謝以外に言うことはありません。」
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat24146161/index.html(父・吉正を偲ぶ)
ゴルフ好きの父のために(私はゴルフには全く興味のない人間)私なりに精一杯のケアはしました。介護リハビリは週に5回通所し、打ち放しゴルフ場には週に1度連れていきました。女子プロトーナメント観戦にも連れていきましたから。99歳まで生き抜いてくれました。感謝です。
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