気の置けない仲間との懇親は最高
2023年11月21日でしたが、1988年の高知での日本青年会議所全国会員大会に関わった当時の高知青年会議所メンバー有志10人が集まり懇親をしました。最高齢は70歳、若めの人は61歳でした。言われて見れば皆高齢者です。35年前は私は35歳、若めの人は26歳という若者でしたから。
私以外は経済的には裕福な皆さんでした。経済団体の会長や業界組合の会長など、自分の会社以外でも要職に就かれている人が多い。そうかと思えば、家督を子供たちに譲り、リタイヤされた人もおられる。
集まった飲食店は和室でしたが、膝や腰が痛いとのことで2人は椅子に腰かけていました。年齢を感じますね。お酒はビールから始まり、ハイボールを飲む人が多い。日本酒を飲む人は皆無。私はというと目の治療中なので、ノンアルコールビールでお付き合いしました。近況報告では皆それぞれの人生を歩んでいることがわかりました。子供や孫たちが海外へ移住された人も何人かいました。
見かけこそ皆爺さんですが、「熱い心」を皆持っています。心は35年前に戻ります。青年会議所活動は、学校時代とは異なります。互いに経営者。企業の大小は関係なく、委員会ごとに事業計画を立案し、事業予算を立てて事業を遂行します。理事会は真剣勝負の場でしたから。
皆が思い出したように「お前さんが理事会で反論しだすといつまでも審議が終わらない。皆後で飲み時間やマージャンする時間が亡くなるので、談合してお前さんの提案はすべて賛成ということにもなったことがあるよ。」とか言われましたね。
お陰様で1987年にわたしは高知青年会議所入会3年目で初理事委員長になり、夜須町のマリンタウン計画事業に関わり委員会事業で突っ走りました。私はヨットで夜須町で年中冬でも休日には夜須町の海にっヨットで遊んでいました。それを「事業化し」「公共性のある事業」に仕立て上げました。
「高知市の青年会議所が何故夜須町の事業に関わるにか」「南国j青年会議所や安芸青年会議所に任せる事業ではないのか」「全国大会の前年に予算を法外に使う事業はおかしい」と厳しい批判を理事会で受けました。ごもっともな理屈です。
わたしは「夜須町の事業ではなくマリンタウン計画は県政の重要課題である」「JC事業は1年の関りですが、わたしは地元の商工会青年部やマリン関係者と一緒に継続的にかかわりますので事業予算をご承認願いたい。」と申し上げました。徹底的に実例と活動履歴を説明しました。
徹夜理事会となりましたが、理事各位の賛同を得られました。道は険しかったですが、夜須での事業は、ヤッシーパークとして実現し、サマーセミナーIN・YASU(中学生のためのヨット教室)は、2002年の高知国体後の2004年にNPO法人YASU海の駅クラブとして形になり現在も事業は継続しています。もちろん私1人尾力ではありません。夜須町や県の支援や夜須町の住民力のお陰です。
https://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/yasu4/index.html
https://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/whatnew1/maruoka/maruoka1.html (ヤッシーパークの原点はアメリカ西海岸)
https://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/whatnew1/nakura/s-s-yasu.html
(青少年ヨット教室の原点は高知JCのsummer seminar in yasuでした。)
そして1988年の全国大会では記念事業として野外ロックコンサートを開催することが出来ました。いまでも高知県最大だった野外コンサートです。
https://kenchan-radio.sakura.ne.jp/dokodemo/whatnew1/okamura/f-tosa1988.html(1988年のふりーじやきにTOSA・ビックロックフェスティバル)
極左暴力高校生(留年して4年在学)が、大学へ進学しそこで家内と知り合い50年。家族をつくり、人様から勧められ対極の自民党青年部的な青年会議所に入会しました。当時は思い切り予算を使い、思い切り大きな事業が出来ました。何とか破綻せずにやり遂げました。「お前さんのお陰で年会費を値上げした。」と言われています。左も右も経験しました。
今はわたしは零細企業の主であり、2008年からは両親が介護状態になりましたので、青年会議所を卒業したら多くの人達が入会する経済団体へ入会できませんでした。自宅周りの小さな町内会と防災会の世話役しか出来ない15年間でしたから。それも人生です。
普段は逢えない人達と、気の置けない交流が出来ました。いろいろ参集者にはご事情もありますので、写真の公開や名前の公開はしません。主に私の感想だけを今回は書きました。
いまのわたしは小さな地域活動をしています。それも人生です。
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