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2022年12月 2日 (金)

にわかサッカーファン54年目

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 サッカーワールドカップカタール大会(2022年11月開催)は、日本が初戦で優勝候補ドイツに逆転勝ちしたこともあり盛り上がっています。おわゆる「にわか」(その時だけの)サッカーファンが増えました。

 12月2日(金)の午前4時からの大1番の強豪国スペインに勝てば、決勝トーナメント進出になります。負ければ敗退。引き分けでも別会場のドイツVSコスタリカ戦の結果次第では進出が可能だとか。 

 普段はサッカーに興味がない人たちがテレビ観戦して、わーわー言うことは私は悪いことではないと思います。なぜなら私は54年間「にわかサッカーファン」だからです。

 私の場合は1968年のメキシコ五輪時に日本は銅メダルを獲得しました。当時は中学3年生でした。釜本や杉山、宮本、小城、横山等の選手の活躍は覚えています。
 なぜかFWの釜本選手はフリーでゴール前に居てヘッドや胸トラップでシュートを確実に決めていました。当時は野球がメジャースポーツであり、サッカーはマイナーでした。中学3年とスタートはとても惜しかったですが、サッカーボールを蹴り始め、友人たちとサッカー同好会をこしらえて遠征試合などもしていました。

 高校入学時もサッカー部へ入りました。でも中学時代からサッカーしている同級生には技量が追い付きません。土のグランドでしたので怪我はしょっちゅうでした。
 時代は1969年でしたので、世界的にベトナム反戦運動やカウンターカルチャーの時代でした。スポーツは好きですが「体育会」的な秩序が大嫌いなので上級生とほどなく対立し退部しました。

 でも個人的にはサッカーが好きで「サッカーマガジン」という雑誌などを購入していました。その後のサッカー低迷時代も知っています。サッカーは五輪に再び出場いう出来たのは28年ぶちちの1996年のアトランタ五輪。キャプテンは前園眞聖(正清)氏がキャプテンを務め、中田英寿や城彰二らがいました。初戦でブラジルに勝ち「マイアミの奇跡」と言われました。

 前園さんは四国エリアではNHKの「前園眞聖四国ともたび」で自転車で四国各地を回る番組でおなじみの人。今年はサッカー番組も多いので見かけますね。

 メーカーの担当者(32歳)は5歳から大阪のサッカースクールでボールを蹴り小中高土とサッカーをしていたとか。サッカー談義が世代を超えてできました。時代の違いが思い知りました。

 ですのでわたしは「にわかサッカーファン54年目」ですから。可能性は低いでしょうが、日本がスペインにW杯の真剣勝負で勝てば、「にわかサッカーファン」が激増することでしょう。そうなることを望みます。いいことですから。

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