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2019年2月 1日 (金)

高知市長による防災講演会


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 2019年1月30日(水)ですが、高知市あんしんセンター大ホールにて、岡﨑誠也高知市長による防災講演会が開催されました。主催は高知市防災士会連絡協議会(宮川隆彦・会長)です。講演の表題は「98集中豪雨災害から20年・高知市の現状と課題」です。

 私たち自主防災会の関心ごとは、もっぱら南海トラフ地震対策です。まして海抜0メートル地帯の下知地域に住んでいる住民としては、この地域が想定では地盤が沈下し、浸水し、その浸水状態が長期にわたると言われていますから、24時間恐怖に苛まれています。
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 しかしもとはと言えば、下知地域は水害に悩まされていた地域でした。1970年の10号台風時には、高潮で下知地域全体が水没しました。また1975年と76年は高知市の市街地全体が水没する事態になり、水害対策が高知市政の最重要課題になり、雨水対策、排水ポンプ場建設、など市街地が浸水しない対策を20年ぐらいしていました。おかげで現在は時間雨量77ミリの豪雨でも浸水しない市街地になりました。下知地域も浸水しなくなりました。
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 とは言え最近は豪雨も時間雨量が100ミリを超え、想定を超える巨大台風が襲来する事態になっています。20年に及ぶ水害対策工事で高知市街地は随分安心になったとはいえ、自然災害はしばしば人知を超えるものですので、

 もともと高知市は「河内」(こうち)と呼ばれている地域でした。水害を前提としたまちづくりをしてきた歴史もある高知市です。市長の講演で印象に残ったことを記述します。

「江戸初期に土佐に入ってきた山内氏により高知の城下町は形成されてきました。明治以降もその枠組みは継承されています。敗戦後電車通りの街路を3倍に拡幅する戦災復興区画工事もありましたが、城下町時代を継承した都市づくりをしてきました。」

「1970年の台風10号災害では、54・3Mの強風と気圧低下による潮位の上昇による潮位の上昇(高潮)と、大潮が重なり高知市街地全域が浸水しました。75年、76年の大水害のあと、98年にも豪雨災害がありました。
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 平成10年(1998年)に高知市緊急防災整備計画を策定しました。災害に強い都市の建設を目的にしています。水防本部の設置と機能充実に努めました。」

「近年の対策としましては江ノ口雨水貯留管の整備をしています。雨水貯留管は豪雨の際に地下に埋設しています。そこへ雨水を一時的に貯めます。雨が治まってから排水します。浸水対策としては優れものです。」
 市長の話を傾聴していて、高知市は低地ゆえに依然として水害の脅威はあることが良く理解できました。最後にこう言われました。
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「プロアクティブの3原則があります。

 プロアクティブ(proactive)は「先を見越した」「せんじた」と言う意味です。

①疑わしいときは行動せよ

②最悪事態を想定して行動せよ。

③空振りは許されるが見逃しは許されない

◎「当然と考えること」と「当然のことして実施できること」は違う。」

 話を聞いていまして、「南海地震対策も終わりはないが、高知市の水害対策も終わりがない」ことを改めて感じました。

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