地区防災計画学会で申し上げたかったこと
2018年3月3日に高知市県立大学永国寺キャンパスで「知己防災計画学会・高知大会」が開催されました。全国の学識者や研究者の皆さんの個人報告会を聞いていまして、大変参考になりました。
個人報告で下知地区防災計画については、坂本茂雄さん(下知地区減災連絡会事務局長)と、アドバーサーを3年間務めていただきました鍵屋一さん(跡見女子大教授)が先に個人報告していただきました。
午前10時から始まりました地区防災計画学会。内容が充実した個人報告が続き、昼休みも挟んで行われました。午後15時10分から16時20分がトークセッション。「黒潮町と高知市下知地区における住民が多く参加する仕組みづくり」でした。
その「トークセッション」。最初に黒潮町の3人の熱心な発表がありました。内容のある充実した報告に聞きほれているうちに自分の順番が来てしまいました。黒潮町側が時間超過になっていましたから、時間短縮しなければなりませんでした。それで当初考えたことの4分の1も言うことが出来ず私の持ち分は終わってしましました。
私には学識者のみなさんたちのようにまとめたり、検証したりする時間的な余力がありません。能力もありません。所詮は活動の断片しか伝えることが出来ません。わたしの能力ではあまりに時間がありませんでした。そこで当日わたしが参加者の皆さんにお伝えしたかったことを列挙してみました。
「高知大学特任教授である岡村眞さんの講話は二葉町の¥町内会幹部も聴講し、自主防災会結成の機運が高まっていました。しかし町内や下知地域全体が「海抜0メートル地底」であり、海や川に隣接し、軟弱地盤、自然地形の高台が皆無であり、高齢者と耐震性のない木造低層住宅が多くあります。日本で1番甚大な被害を受ける地域が高知市下知地域です。」
「2007年に二葉町自主防災会を設立しました。当時は公共建築物はなく、市が認定しない昭和56年(1981年以前)の賃貸マンションの所有者と二葉町町内会・二葉町自主防災会dで3者協定で「地区避難ビル」を11カ所こしらえました。」
二葉町自主防災会では2007年より3回「防災世帯調査」をしています。用紙を配付し、病歴や介護歴、緊急時連絡先を記入していただき、自主防災会役員が預かっています。回収率は60%程度です。
町内で高齢化がより進行している事を把握しました。それで自宅から50メートル以内に地区指定の津波・浸水時一時退避所を増やし15か所にしました。うち4カ所が高知市指定の津波避難ビルになっています。」
「2011年の東日本大震災後、二葉町町内会役員にも危機感が増大しました。下知地区は地盤が沈下し、長期浸水することが言われ出されました。それで高知市から50キロ離れている山間部の仁淀川町との地域間交流(疎開を前提とした顔の見える交流)を始めました。
「2012年12月に県が「南海トラフ地震津波浸水予想図」を公表。下知地域は全員が浸水地域であることが改めて明らかになりました。この時点で事実上、下知地区の土地家屋を売却して高台地区の土地を買収し、自力移転することは不可能になりました。」
2012年12月に県が「南海トラフ地震津波浸水予想図」を公表。下知地域は全員が浸水地域であることが改めて明らかになりました。この時点で事実上、下知地区の土地家屋を売却して高台地区の土地を買収し、自力移転することは不可能になりました。」
「2012年10月に11の下知地区の単位自主防災会が加盟して下知地区減災連絡会が結成されました。翌年の2013年4月に下知コミュニティ・センター(RC4階建て)は開所し、下知地区南部の防災拠点になりました。防災部会もできました。」
「2008年に神戸市長田区鷹取東地区を訪問し、住民同士で意見交換しました。年に回500食の炊き出し訓練をしていることを学びました。
2013年11月に10年前から地域交流している阪神大震災で甚大な被害を受けた神戸市長田区鷹取東地区の住民リーダーの故石井弘利さん。2013年に下知地区での講演会で言われました。
「あんたら南海地震が近い将来起きるなら、先手を打って、行政職員と一緒に罹災後の地域を再建する研究し、勉強しなはれや。」と背中を押されました。」
「神戸市長田区鷹取東地区の故石井弘利会長のアドバイスは「地震災害をあらかじめ想定して再建計画を行政の人達と真摯に協議してつくるべき」でした。長田は6000億円の投資がされ駅前には高層マンションが林立しています。しかしかつての下町風情の長田はなくなり多くの地域住民が転出していきました。
商業者はテナントビルに頑張って出店したものの高い家賃と顧客流失に苦しみ、返済の5年猶予が切れ、20年の返済期限が来ても返済できずに廃業する商業者が多いと聞きました。」
石井さんは「神戸市は全国からの義捐金をちびちびと被災者に支給しただけ。あとの半分は震災復興と称して地下鉄工事や神戸空港の建設工事に費やされた。市は勝手なことばかりしている」と言われました。市民と市役所の深刻な対立構造を垣間見ました。」
「長田区鷹取東地区住民が偉大な所は、被災後9年目に起きた新潟中越地震(2004年)に新潟県山古志村支援に有志が行かれたことです。抽選ではなく集落ごと、コミュニティごとまとまって避難所生活すること。全村避難。全村帰郷。全村復興のアドバイスをされたことでした。
2015年1月17日の長田区鷹取東の阪神大震災20年慰霊祭に出席しました。そこでは旧山古志村、東日本大震災の被災地である南相馬市からも参加していました。」
◎下知地区防災計画について
近い将来(30年以内)に起きるであろう南海トラフ地震で甚大な被害が予想されています。2015年に視察し交流した宮城県の石巻市の湊地区では今年3月にようやく自宅を再建されると聞きました。7年かかっています。
名取市閖上地区では自宅の再建は来年と聞きました。震災から8年後です。石巻市雄勝地区では高台地区が造成されましたが、戻ってきて家を建てた人は少ないと言われたいます。いくつかの地区では住民の意向と行政側の計画がなかなか合意形成が難しいように聞きました。
下知の場合は地盤沈下と長期浸水が重なるから、さらに整備に時間がかかり、元の場所で自宅が再建できるのは早くて10年かかるでしょう。そういうことは見えています。
L2想定で南海トラフ地震が起きた場合、高知県は4.9万人の死者が出て23・9万戸が全壊し、浸水面積は157平方㎡、被害総額は10兆6000億円と言われています。
必要とされる住宅戸数は7.7万戸と聞いていますが、昨年11月現在で確保されている仮設住宅用地は1・7万戸、みなし仮設(集合住宅など)は0・7万戸に過ぎず、合わせて2・4万戸しか確保されていません。5・3万戸(1世帯2人として)10.6万人の被災者は高知県内で避難生活は出来ません。県外へ移住すれば元はへ戻れません。まして10年以上地域の復興に時間がかかれば、現役世代、働く世代ほど下知地域へ戻れません。
神戸市長田は元の住民が地元を去り、新しい住民は増えましたが、地域とのなじみがなく、地域コミュニティの形成にはなかなか難しいと聞きました。
ですので下知地区防災計画は「命を守った後に将来に希望が見えないといけない」ということで「魅力ある街づくりとして事前復興計画を立案しました。
「被災直後に、復興まちづくりを考える余裕は全くありません。合意形成に時間がかります。」
「復興が遅れますと、若い人が街はへ戻らなくなり、地域は衰退する。」
「あらかじめ被災後のまちづくりと手続きを考えておくこと。事前復興計画が必要。」
「事前にできることは、どんどん進めて減災につなげていくこと」です。
下知地区防災計画のコンセプト(設計思想)
「災害に「も」強い街 下知
〇伸び伸びと遊ぶ子供たちを中心に、地域のつながりで、楽しく安心して暮らせる、災害に「も」強いまち下知
「コンセプトを実現するための5つの柱
① 「子供」
② 「高齢者・障害者」
③ 「働く世代」
④ 「災害に強いまち」
⑤ 「コミュニティ」
「下知地区防災計画」は3年のまとめの成果物はつくりますが、それで終わりではなく、住民間の議論や行政との議論を通じて随時更新していきます。これで終りではありません。
むしろこれからがスタートです。
下知の土地が5M隆起し、耐震地盤になったわけでも何でもありません。
下知事前復興まちづくり協議会(仮称)などをこしらえ、今後も住民と市役所との協議をしていく必要性があります。
◎トークセッションで言いたかったこと
時間制約で言うことができなかったことを記述いたします。
〇神戸市長田区鷹取東地区の皆様には、「地域間交流の重要性」を学びました。
〇二葉町自主防災会も2011年の東日本大震災で皆がショックを受けました。そして
学習するうちに「地震災害も酷い」「地盤が沈下し、津波も来るし浸水も酷い」
「長期浸水状態になり地域にすぐには戻れない。」ことがわかりました。
それで2011年6月から知り合いもいたことがあり仁淀川町との交流が始まりました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat43975382/index.html
いまも交流が続いている仁淀川町長者地区とは交流して6年位になります。
「もしもの時の疎開先に」ということで、事前に「顔の見える」地域間交流をしています。しかし6年も経過しますが、行政側(県も市も)は未だに協力支援を全くしません。
下知と地域間交流をしている徳島県美波町由岐地区は、私たちと仁淀川町との交流事業にヒントを受け、沿岸部の地区と山間部の地区が合同避難訓練をするようになりました。
〇「自助・共助」の意味は「矮小化」されて使われています。
自宅まわりの「となり近所3軒両隣」の共助(近助と言います)は大事。
同時に事前に「顔の見える地域交流」は大事ではないでしょうか。
〇地機関交流も「共助」であり、コミュニティなのです。
◎東北の人達からは「受援力」を学びました。
〇受援力とは「支援を受ける力」のことです。
「自分の地域が災害時に何が弱いのか、どの地域で、どの場所で、どの家で被害が出る可能性があるのかを事前に把握し、地域内でカバーできない場合は、すぐに的確に「支援要請」することができること。それを「受援力」と言うように聞きました。」
〇下知地区知防災計画でやれたことやれなかったこと
成果について
なにより3年間の地区防災計画のへの取り組みは、参加者各位は真摯に真剣に取り組みが出来たのではないかと思います。特に各単位自主防災会でのリーダーが各地域で育ってきたと思います。下知地域内での「共助」の力がついたと思います。
下知地区防災計画の位置づけが「事前復興計画」であることの合意形成ができたことが、とても大きい事でした。鍵屋先生がいつも言われるように「課題解決型の地区防災計画」から「魅力増進型の地区防災計画・下知がしあわせになる物語」になったことが成果です。
内閣府や、2年間支援いただいた高知市役所(副市長や災害対策部長もお見えになっていますが)感謝しています。今後は他の地域への水平展開も必要であると思いますので、私らも協力させていただきます。
◎やれなかったことと今後の課題
〇下知地域内で単位防災会ごとにリーダーが育ち、「共助」の力も大きくなりました。でも実際に下知の低地(海抜0メートル)の軟弱地盤が5メートル隆起し、耐震地盤になった訳でもなんでもありません。脅威は今でもありますから。
〇東日本大震災から7年経過した後でも、未だに下知地区の住民各位は「どのドライエリアの避難所へいくのか」「どの場所で避難所生活をするのか」の場所と施設が、市からも県からも明示されていません。
〇具体的な下知地域の再建策を、都市計画の観点からも必要です。
立体換地をして事前に中高層の耐震住宅を下知地域に建設すべきでしょう。その住宅に障害者や高齢者などの要支援者が生活しています。
土地・建物があるものは立体換地して、住宅と中高層の耐震住宅の部屋に住みます。ない者は、市営住宅として入居します。可能なら町内会ごとに住宅を整備していきます。
住宅が立ち退いた土地は、浮体構造物を埋め込んだ公園や駐車場にします。
〇21世紀の日本です。人権無視の「強制収容所」のような避難所生活や。仮設住宅暮らしを被災者がすることは「おかしい」と思う感覚を持ってください。
〇学校施設を避難所にし、土地を造成して仮設住宅を建設し、また撤去する。自力再建に何年もかかり、自宅再建が出来ない人は災害公営住宅に入居します。
〇最初から事前下知地域に中高層の耐震住宅ができたらいいなと思います。それには地域住民の合意形成とコミュニティがしっかりでき、行政側の支援もないと実現しませんから。
〇下知地区計画のなかで、津波避難・長期浸水避難のことを検討していても「何の具体策」がありません。それは「どこへわれわれ下知住民は避難するのか」ということが未だにわからないからです。
〇二葉町は東日本大震災直後から、仁淀川町の長者地区と「疎開を前提とした地域交流」を模索してきました。地域が長期浸水状態になり暫くは自宅へ住めなくなることがわかったからです。事前に顔の見える交流をして、「もしもの災害時に」空き家なり、集会所を借りることはできないだろうかということで交流をしてきました。
〇あくまでそれは「モデル事業」であり、高知県内で「南海トラフ地震の被害が甚大な地域」と「そうでもない地域」の普段から顔の見える交流をすべきではないかと思います。
高知市内での地域間交流。県内での交流。県外との地域間交流も「新たな共助」として位置づけ、促進すべきであると思うからです。
〇高知県は毎年5000人から7000人人口が減少しています。当然その分お空き家も増えています。ぞれを南海地震時に住宅としてすぐに使える施策が必要であると思います。事前にそれが行政も絡んで出来ないかと言う事ですね。
〇避難所→仮設住宅→復興ということが常識のように言われていますが、その常識を覆したいです。要支援者や障害者は。地震や津波の脅威のない場所で生活すべきです。
〇地域間交流や立体換地による中高層住宅の建設・浮体構造物など実現したいことはやまほどあります。
地区防災計画学会の皆様に実現していただきたいこと
〇学識者や行政関係者の皆さんで、地区防災計画に国の予算がもっとつくようにしていただきたい。その仕組みを考えていただきたです。
〇南海トラフ地震では220兆円の経済損失になると言われています。日本国の予算が90兆円。とてつもない規模の大災害です。事前復興計画に予算を投与すべきです。
〇防災に特化した高校が全国に2校あるそうです。防災大学は必要であると思います。日本は世界有数の災害大国です。危機管理省もこしらえ、防災大学は設置すべきです。
〇地区防災計画を推し進めて行けば、必ず減災になります。市民と行政との信頼関係が事前に、形成されるからです。
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