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2016年5月 2日 (月)

長島忠美復興副大臣の講演とシンポ


 2016年4月30日は、土佐経済同友会(吉澤文治・代表幹事)主催のオープン・セミナーに下知地区有志とともに参加していました。講師は2004年の中越地震の時の旧山古志村(現在は合併して長岡市)の村長でありました長島忠美さん(復興副大臣)の講演会でした。
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 メモをしていましたが、書ききれないほどの教訓と先駆的事例が、山古志村には沢山あることを思い知りました。人は困難な状況になった際、「立ち上る」という心情的に的に強靭な人たちが、被災者を引っ張って行くような覚悟が各業界のながで求められるということを長島さんは言われました。
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「まさか自分のところで地震(壊滅的な被害が出て、避難生活が強いられる)とは、思っていませんでした。9年前(1995年)の阪神大震災がありましたが、どこか他人事のようにみんな思っていました。

 平成16年10月23日午後5時56分、猛烈な揺れ。立ち上がることができません。停電になり真っ黒闇になりました。」

「揺れが収まってから携帯ラジオをつけました。長岡や小地谷市のことは言っていますが、山古志の事は何も言わない。ひょっとして役場の機能がマヒしている状態で県庁に伝わっていないかもしれないと思いました。
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 翌朝明るくなって役場に向かって歩きましたが、道路と言う道路が崩落し無くなっていました。担当職員と連絡をつけ、出張中の職員には状況を伝え、山古志には戻って来るなと伝えました。道なき道をとうり、普段の4倍の時間をかけ役場へたどり着きました。

 途中見た風景は、見たこともない状況でした。家屋の倒壊、道路の崩落。山古志村は錦鯉の産地ですが、養殖用のため池が崩壊していました。村民は屋外で避難していました。」

「午前10時ごろに村の状況がわかりました。まもなく冬がやってきます。全村避難を決意しました。県知事に伝えました。そして自衛隊のヘリで全村民が長岡市に避難しました。

 避難所生活も、その後の仮設住宅の生活でも心がけたのは、普段の付き合いを重視し、コミュニティを意識して避難生活をするということを強く主張し実行しました。」

「よく広域避難と言うことが言われます。できるだけ被災地にちかいところに仮設住宅をつくりました。自分でできることは被災者自身がやること。物資の仕分けや、洗濯、トイレの掃除などは、ボランティアの手助けを受けながらも自分たちでやることにしていました。」

「仮設へ移ることは自立の第1歩。食事は自分でつくること。それで各業界に協力いただき、冷蔵庫や暖房器具を680個、鍋釜を220個寄贈いただき、全世帯に配布しました。
 
 発災から11日後にみんなで山古志へ帰ろうといいました。復旧業務での対応で避難所周りは深夜になり村民との対話が出来ないので、ノートを置き、それに思いを書いてもらいました。翌日讀んで返事を書きました。あるとき、いつも戻れるのかわからないと書いてありました。

 山古志は高齢者が多い。戻れるのが5年先、7年先ではいけない。それで2年で帰ろうということを宣言しました。」

「そのためには全村民から、どこへどう道路をつけようが、かまいません。という事前承認を受けるために、判子をもってきてもらい村に委任していただきました。その書類を県庁へもっていき、速やかな復旧・復興工事をスタートできました。」

 これは凄いことです。住民と役場の信頼関係、住民のコミュニティがしっかりしているからこそできたことです。「あいつかいるから嫌だ。」というバラバラの気持ちではありません。村民と役場が1つになり復旧に動くさまが良く理解できました。
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「ある時子供たちが元気がなくなっていることに気が付きました。聞いてみると大人たちは議論ばかりして詳しいことがわからない。ということでした。自衛隊にお願いしてへりで村の様子を上空から子供たちに見せてもらうことにしました。

 戻ってくると子供たちは泣いていました。後日子供たちも頑張ろうという意識がめばえ積極的に行動することになりました。地域に誇りを持つことを子供たちも理解しました。」

「考えられない災害はいつどこで起きるのかわかりません。熊本地震もそうです。5日間ぐらい救助や支援が来ないことを地域を家庭を守るにはどうしたらいいのか、事前にできることは対策しておくことが大事です。」

「耐震補強はしましょう。携帯電話は飛ばないように、保管しましょう。家族との連絡方法は遠くにいる親戚や友人に頼みましょう。中継基地になってもらいましょう。持病の薬は5日分ぐらい確保して下さい。薬手帳は携帯してください。」

「情報が途絶えることが1番いけないことです。マスコミの人達は多くの情報を持っています。たくさんの情報をいただきました。マスコミからの批判を恐れ、情報発信しなければ、人々の不安を煽ることになりますから。」

 長島忠美さんは、メモをみるいこともなく、淡々とお話してくれました。多くの教訓をいただきました。抜かっていることも多くあることでしょう。知事や同友会の吉澤代表幹事の対談の様子は後日また整理しまとめます。

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会場は200人来ていました。

 

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