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2015年7月

2015年7月31日 (金)

5日目のラジオ体操


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 今日で10日間限定の高知市青柳公園でのラジオ体操は、中日(なかび)で、折り返し点です。朝の6時半前は涼しいのですが、昨日の高知市は日中は36度、うちの事務所でも33度もありました。今朝は既に30度あります。
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 自宅からの前の道路のゴミ拾いをしながら青柳公園へ向かいます。結構ゴミはあるものです。以下に馬鹿どもが多いかということですね。

今朝のラジオ体操の参加者は21人でした。毎日来られる子供たちもおれば、途切れ途切れに参加する大人の皆さんもおられます。自由参加ですから。
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低地の高知市街地どう守る?


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 以前高知におられたヨット仲間であった渡辺巌さんからいただきました。「25000分の1デジタル標高地形図」です。その地図を叔母の店(水谷龍文堂)でキャンパスに張り付けてもらいました。

 その1部私たちの住んでいる高知市下知地域は、写真の右側。海抜がすべて2M以下、ブルー色です。それを裏付けるように国道事務所が設置した「5M表示」が高いこと。見上げる高さです。
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 宝永町も「5M表示」は髙い。3階建て以上に避難しないと浸水被害から逃げられません。
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 国道33号線を西へ進み県庁・市役所前を超えますと5M表示がだんだんと低くなり、枡形付近では膝の高さになります。上町2丁目を過ぎますと地面の高さに、旭になりますと標高が上がるので、緑色になります。
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 どう考えても高知市下知地域の市街地で「生きのびる」ことは難しい、出るのはため息ばかりです。

2015年7月30日 (木)

ラジオ体操4日目


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 3日坊主なら昨日でお終いか?朝は涼しいので青柳公園でのラジオ体操に参加しています。4日連続です。
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 ラジオ体操は結構考えられていて、適度な運動になり、柔軟性も要求されますね。ラジオに合わせてやれば気分も変わります。いいことですね。
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 そのうちラジオ収録に来るぐらいの人達が参加すればいいんですか・・。

今日の青柳公園ラジオ体操は25人の参加者でした。坂本茂雄さんが「ラジオ体操の歌」をコピーしてくれました。「新しい朝が来た。希望の朝だ。・・・」で始まる歌です。
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 今日の高知市も猛暑の予定ですが、乗り切りましょう。

東北被災地交流ツアー(総括その1)


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 2015年6月20日から23日までの4日間、高知から私を含め8人の有志が東北被災地交流ツアーに参加しました。諸般事情で参加できなかった人たちも同数以上いました。

 1か月経過した感想は、「無理して行って良かった。段取りされた坂本茂雄さんに大感謝。被災者の現実の切実な話が聞け、得難い体験ができました。」です。

 レコーダーやVTRの記録媒体を使用せず、ノートに聞き取りしたことと、写真撮影でしたので、すべての意見交換会を再現はできません。でも報告記録を記述していまして、いまさらながらに気が付くこともあります。

 今回はそれをまとめてみたいと思いました。

1)すべては「事前対策」がすべてです。

 テレビやラジオや携帯の情報が遮断された中で、どう自分が判断し、どこへ安全に逃げて、命を長らえることが最低限できるかどうか。そして自分の生活や会社をきちんと再建できるかどうか。そこまで事前に対策をしていないいけないとつくづく思いました。

2)復旧・復興事業は長期間にわたって継続します。

 復旧・復興事業計画を罹災後半年以内に出さないといけないと言われましても、事前に話し合い、検討していないと無理であると思いました。

 今回のツアーで成功事例と思われる東松島市の集団移転事業は、過去に2回自衛隊基地の拡張工事などで移転の経験があったことは大きいでしょう。また名取市の閖上地区のように、大変高水準の地域コミュニティ活動を行っていることに敬服します。


 それゆえに復興事業が住民参加型で行われていると思いました。
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 私たち下知地域が見習うべきは、事前にこうした地域コミュニティ活動を継続し続けることでしょう。
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3)内閣府地区防災計画の最大活用

 2015年度の内閣府の地区防災計画モデル事業に高知市下知地区が選定されました。全国22か所の中の1地域です。住民の想いや構想を現在の制度や行政側の協力も取り付けて、自治体の地域防災計画に反映して行くことを目的としています。
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 石巻市の各地の土地区画整理事業や、高台移転事業を見聞しましても、一筋縄ではいかない現実を感じたからです。住民側の勉強が必要であると思いました。


4)何故復興・復旧事業の進展が遅いのか?

 2011年3月11日から4年3か月が経過しています。未だに修理が出来ていない被災住宅に住まれていられる人もおられました。住民合意がとれて高台移転事業や、嵩上げによる土地区画性事業も進展はしていますが、後何年かかるのかわかりません。
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 2日・3日に合流された室井研二名古屋大学准教授は「昨年視察したインドネシアのアチェの市街地は津波の痕跡など全くないほど再生されていました。それに比べ日本はどうして復興が遅いのか。社会制度に問題があるのか調査の必要がありますね。」

 今回の東北被災地交流ツアーは地域住民や地域団体や支援団体を主体に意見交換をしました。石巻市役所など行政側の言い分や構想を聞いていません。そのあたりを知りたいと思いました。

 第1回目はこんな程度です。また下知地域の現実と照らし合わせて総括作業を行いたいと思います。

2015年7月29日 (水)

ラジオ体操3日目

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高知市青柳公園でのラジオ体操3日目。少し参加者が増えて25人となりました。
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散歩したり、犬を連れている人などもおられるのでもっと参加者が増えればいいのにと思う。

「昔の小学生」も眠そうな顔の人や、「わしは5時からおきちょった」と年寄りぶりを自慢する人有で賑やかでした。明日も明後日も青柳公園で開催されます

両親の足取りでは津波の避難は難しい

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 2015年7月26日(日曜日)の午前10時過ぎに自宅を両親(父96歳・母89歳)と徒歩で出発しました。目的は下知コミュニティ・センター4階多目的室で開催されます若松町自主防災会の映画会への参加です。
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 父は杖を突いての歩行で歩く速度が遅い。母は脊椎間狭窄症と言う腰痛で、歩いては止まり、歩いては止まりの状態。自宅から下知コミュニティ・センターまで200M程度ですが10分かかりました。

 1階ロビーで水分補給して、一段落して階段を上り4階まで行きました。やはり階段昇降は時間がかかりました。10分かかりました。
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 高知市下知地域は、高知市の資料では南海トラフ巨大地震発生後、第1波の津波が30分後に来るとの予想です。震度6強の地震があり、落ち着くまでの10分ぐらいかかります。道路が今日のように平滑であったとして、自宅から下知コミュニティ・センター4階まで20分かかります。津波に追いつかれてしまいます。
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 やはり高齢者の避難場所は、自宅から50メートル以内に設置しないといけないですね。とにかく揺れに耐えている高い建物にはすぐに階段を上がり逃げること。それが海抜0メートル地域で生きのびる条件なんです。

2015年7月28日 (火)

ラジオ体操2日目

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青柳公園でのラジオ体操2日目。今日も20人が集まりました。CDではなく、ラジオでやろうということになりました。秋田県からの中継のラジオ体操でした。
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 第2体操はやったことはないというので、ためしにやろうということになりました。坂本さんは覚えていました。わたしは2か所間違えました。

 坂本茂雄さんがから第2体操のコピーをいただきました。見ると知らない動作もありました。
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若松町防災会の避難訓練=映画会へ参加

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 2015年7月26日(日曜日)の午前10時半には、超高齢者の両親(父96歳・母89歳)下知コミュニティ・センターへ行きました。主催は若松町防災会(橋本一班班長が企画)

 下知コミュニティ・センターまで自宅から歩いて何分かかるのかを把握するのが目的です。徒歩で下知コミュニティ・センター1階ロビーまで、11分かかりました。それから階段昇降して4階多目的ホールまでが10分かかりました。両親の足では4階多目的まで避難するのに20分かかることが確認できました。
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 想定される南海地震の震度は6強。第1波の津波到達予想時間は約30分です。自宅から下知コミュニティ・センターまでの避難行動は難しいことがわかりました。平地歩きより、階段昇降が超高齢者には大変でした。
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 映画会の開会の挨拶は若松町防災会1班の班長橋本さんがされました。

「皆さん今回の企画は、ご自宅から下知地区の避難所になっている下知コミュニティ・センターまで徒歩で何分かかかるのかを測定していただきましたでしょうか。

 向こう三軒両隣の精神で防災活動、町内会活動をいたしましょう。
映画南国土佐を後にしては、今から56年前の作品です。小林旭や浅丘ルリ子が主演され、ペギー葉山さんも出ておられます。

 昔の高知市の様子やよさこい祭りの様子が見ることができます。」
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 若松町をはじめ二葉町も含めた30人が参加しておりました。
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 出演者もみんな若いし、物故者になられ俳優もおられました。映画の時代背景は14年前が敗戦でまだ身近であった時代。高度経済成長が始まりかけた時代ですね。

 浅丘ルリ子さん(75歳)と言えば、今月の日本経済新聞の連載コラム「私の履歴書」を執筆されています。満州で生まれ、父親が甘粕氏と懇意にしていたとか歴史の人ですね。小林旭さん(77歳)も映画では若い。21歳であり、浅丘さんは19歳でした。
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 B級映画でしたが、高知が舞台であったためか面白かったです。両親も退屈せず見ていました。良い散歩になりました。帰り際エレベーターで一緒になったご婦人たちも「もっとみんな来れば良かったのに。面白かったわ」との感想を言い合っていました。

 若松町防災会の皆様ご苦労様でした。ありがとうございました。

2015年7月27日 (月)

ラジオ体操が始まりました


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 下知地域内連携協議会の夏休み事業として、青柳公園でのラジオ体操が始まりました。集まるのは坂本さんや私や黒岩さんや福谷さんや大崎さんといったロートルばかりではないかと心配していました。
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 時間前に子供たちとお母さんたちも来られ20人が参集してラジオ体操を行いました。うろ覚えでしたが、ラジオ体操第1を2回やりました。第2は今の子供たちは知らないとの事でしたので。
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 終わると夏休みあいさつスタンプラリー33(のれん33番地)のスタンプをおしてもらいました。
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東北被災地に学ぶ交流の旅(その4)4日目

 早朝仙台市のホテルを抜け出し、横田政道さんと一緒にタクシーで仙台城跡へ行きました。天守閣などの建物は、明治時代に廃藩置県の折に壊され跡形もありませんが、仙台平野を見下ろす高台に、仙台を発展させる基盤をこしらえた伊達正宗の銅像がありました。
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 後でNHKの番組「ぷらたもり」で見たのですが、伊達正宗は仙台の地形を調査し、城下町を海辺近くの広大な仙台平野部にこしらえず、広瀬川の河岸段丘地域にこしらえました。古書を調べ、津波災害のリスクを考えていたかもしれません。

 NHKの「ぷらタモリ」で、伊達正宗は広大な仙台平野に城下町をこしらえず、高台の広瀬川の河岸段丘に城を築き、城下町を整備しました。先人の知恵でしょう。

http://www.nhk.or.jp/buratamori/map/list13/index.html(ぷらたもりHP)

 私たちは本来人が住んではいけない場所(低地海抜0メートル地帯)に住んでいます。それは温泉街の人達と同じ。便利さと危険さは常に隣り合わせなんですね。同時期高知へ入ってきた山内一豊は、大阪をまねた水運の良い高知城下町をこしらえました。しかし藩政時代でも宝永(1707年)と安政(1854年)に南海地震が起き、城下町は津波や浸水で大きな被害を受けました。

 昭和南海地震(1946年)でも、高知市の下知地区や潮江地区も地盤が沈下し長期浸水状態は3か月以上続きました。
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東北被災地交流ツアー最終日の4日目は、仙台市のホテルを出発し、仙台市の隣の名取市閖上(ゆりあげ)地区へいきました。途中嵩上げして土地を造成している広大な場所を通り、日和山(ひよりやま)へ行きました。
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 そこで語り部である格井直光さん(閖上震災を伝える会代表)から、震災当時の話を聞きました。日和山は海抜6・3メートル。大津波は8メートルの高さがあり、日和山を越えて行きました。
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 日和山から見下ろしますと、広い平野で全く高台も、津波避難ビルとなる鉄筋コンクリートの建築物は見られません。地域には川もあり津波は遡上してきたそうです。
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 太陽光LED照明灯が、JSファンデーションの寄贈で日和山には3基設置されていました。東北3県で300基の太陽光LED照明灯を寄贈されています。

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http://www.js-foundation.com/index.html

 その影響は四国へも出ていました。今年「高知蛍プロジェクト」が起動し、70基の
太陽光LED照明灯が高知市の津波雛ビルなどに設置されます。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-9298.html

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 格井さんのお父様も長年地域の河川の水門管理者をされており、震災当日お亡くなりになったと聞かされました。
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「閖上地区の人口は7100人。3月11日午後2時46分当時在宅していたのは4000人。津波によって800人が亡くなりました。名取市中心部から5キロも離れています。震災直後は住民は避難所か、自宅避難していました。

 今後の閖上をどうするのか。そのために住民同士で話し合いをして閖上地区まちづくり協議会(鉢生勉代表)をこしらえました。」閖上復興便り記念誌の「ゆりあげ通信」や、新聞形式の「閖上復興だより」もいただきました。2011年10月には、「閖上復興だより」が発刊され、いただきました資料では33号まで発行されています。
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 今も日和山には全国各地から慰霊に人々が来られています。海が近く高台がない平野部の情景は、南国市南部や、香南市吉川地区や赤岡地区に良く似ています。
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(高知県香南市の津波浸水予想地域。色刷りの地域が津波で浸水されると言われています。特に吉川・赤岡地区の沿岸部は平地で、高台は皆無です。)最近は「津波避難タワー」という人工の「高台」が沿岸部には建設されています。
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 場所を名取市の法務局のある建物の会議室へ移り、閖上地区まちづくり協議会会長の鉢生勉さん、副会長の今野義正さん、格井直光さん(閖上震災を伝える会代表)、閖上地区復興まちづくり事業を担当するコンサルタント会社の渡辺成彦さん・阿部晃久さん(パシフィックコンサルタンツ(株))も同席して意見交換会がなされました。
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「復興まちづくりの経緯ですが、3月11日に東日本大震災が発生し、被災市街地復興推進地区の指定になりました。10月には名取市震災復興計画が策定され、12月に閖上復興まちづくり」推進協議会が設立され、翌年から被災住民代表も加わり地区別の懇談会も開催されました。仮設住宅やみなし仮設住宅、自宅避難など避難の形態は様々で、連絡を取り合う事が大変でした。」

 個人情報保護のたてまえがあり、なかなか被災者全員に連絡をとることが難しいとのことでした

 そういう点で格井さんたちが頑張られて発行した「閖上復興だより」は、地域コミュ二ティを復活・強化していく上では効果的であると思いました。
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「個別面談が進んでいきますと、当初の予定していた被災市街地復興土地区画整理事業の面積70ヘクタールが、57ヘクタールに縮小され、非居住区域(災害危険区域)である防災集団移転促進事業が52ヘクタールから、65ヘクタールに拡大されました。」
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 閖上で住民組織を束ねておられる皆さんのお話を聞いていまして、震災復興計画の立ち上げが早いなと思いました。また閖上復興100人会議のように、住民参加も徹底されておられ、名取市当局との折衝も上手くいかれていると思いました。

 閖上地区まちづくり協議会の人達の熱い想いが伝わりました。行政側を上手く動かされているなと思いました。

被災市街地復興土地区画整理事業では敷地全体を5メートル嵩上げしています。嵩上げ工事は来年位には終わるので、それからの住宅再建―閖上地区の復興が本格化するようです。

 震災以前より、より良い閖上を再建・再興しようと言う熱い意気込みを感じることが出来ました。地域の祭りを再興し、地域コミュニティを再建・再構築をすることが、復興・復旧にとって不可欠であることを学びました。
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 閖上地域コミュに二ティ紙ともいえる「閖上復興だより」は、2011年11月頃の創刊号から、月に1度の頻度で発刊されています。避難所や仮設住宅、みなし仮設、自宅避難されている閖上地区の住民に全戸配布されておられると思います。
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 地域の細かい情報、たとえば、復活しつつある地元企業のレポートや、お祭りに関する情報、閖上復興まちづくり協議会の情報や、区画整理事業と防災集団移転促進事業などの情報提供も記事になっています。
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 災害復興事業はこの先何年も継続します。この先どうなろうと閖上ともに生きていくと言う強い決意を感じました。

 東北被災地交流ツアーは、終了しました。僅か4日間の被災地訪問でしたが、地域により状況は異なり、立場も考えも違います。旅行後1月が過ぎようやく最初のまとめができました。でも多くの教訓や戒めを記録していません。それを意識しながら、今後は下知地域の減災活動に役立てます。

 今年は内閣府の「地区防災計画モデル地区」にも高知市下知地域はなることができました。アドバーサーの方やコンサルタント、高知市地域防災推進課の実務担当者とも協働して、下知地域の総合復興事前計画が策定できる基礎が出来るように、今年は活動したいと思います。

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 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-1c3b.html

2015年7月26日 (日)

東北被災地に学ぶ交流の旅(その3)3日目

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3日目は東松島の宿舎を出て、石巻市にある石ノ森章太郎漫画館へ行きました。北上川の中州にありました。震災時は館の1階には津波が押し寄せたそうです。幸い石ノ森章太郎氏の原画や貴重な資料は2階や3階に保管されていたので無事でした。(石ノ森漫画館は2001年に開所)。

漫画館のなかは親父世代には懐かしい石ノ森ワールドのキャラクターたちで溢れていました。
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 本郷由華さん(まちづくりまんぼう)に震災当時のお話を聞くことが出来ました。
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「地震当時は開館中でした。津波は押し寄せて来ましたので、来館者も含め2階部へ避難しました。一段落して、皆が無事に脱出することができました。」
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「水が引きますと1階部はヘドロに覆われていました。当時は諸般事情で職員は3月末で一旦解雇されました。でもボランティアで館の片付けに皆来ていました。」

「石ノ森章太郎さんは石巻市出身(正確には宮城県登米郡石森町出身)の漫画家です。街のシンボルとして中心街の道路には多くのキャラクターが置いてあります。漫画館を早く復興させることが石巻市の復興になるという想いで、皆頑張ったと思います。」

「石ノ森章太郎さんゆかりの漫画家や編集者の方もご支援をしていただきました。そして復興し、多くの来館者が来ていただきようになりました。」
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 懐かしいキャラクターが館内には満ち溢れています。
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 旅行団全員の集合写真を撮影していただきました。
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 また本郷さんお奨めで、最近できた石巻市の復興まちづくり交流館を訪ねました。最近できたそうです。
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 そこでは2人の女性たちが「語り部」として震災当時の様子や今後の石巻市の復興のありかたについて模型や、画像を見ながら解説いただきました。
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 東北3県で突出して石巻市が甚大な被害が出ていることが理解できました。
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 石巻市中心市街地も復興・復旧の途上です。
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 石巻市の復興・復旧計画の資料もいただきました。
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 石巻市の市街地をバスで走行し、女川町へ向かいました。
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女川町へ入りました。高台にある女川町立病院駐車場から市街地をを見下ろします。津波は街区を総なめにし、病院駐車場までせり上がりました。多くの人達が亡くなられたそうです。
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 女川町では街区のかさ上げ工事が延々とされています。15M嵩上げされるとか。いつまで工事は続くのでしょうか?その後街路整備やインフラ整備をして、住民が家屋を建築するのは何年先になるのでしょうか?
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 女川から雄勝にかけての海岸線は美しい。訪問当日(2015年6月22日)は晴天でしたので、特にそう思いました。
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 雄勝へ着いて、昼ごはんは海鮮丼を食べました。その場所で土佐ノ森救援隊の人に会いました。偶然もあるものです。昼食後阿部晃成さんとお話しすることが出来ました。雄勝町の未来を考える会事務局という名刺をいただきました。
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 雄勝の津波は勢いがあり高かったようです。河北新報の当時の写真です。
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 津波は何もかにも流してしまいました。
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  阿部晃成さんのお話を聞きました。

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「雄勝は津波が高く押し寄せて来ました。自分達は高台の親戚の家に逃げましたが。家ごと津波に流され、雄勝湾へ流されました。偶然空船に乗り換え、奇跡的に助かりました。」

「電気商を父の代から営んでいました。雄勝復興協議会のなかにも入っていました。しかし高台移転ありき。の方針はおかしいのでは、と意見を言いますと、メンバーから外されてしましました。以後地元紙の河北新報も私の意見を取り上げてくれません。」

 「海に面した雄勝の中心地の再生は復興の議論の中では認められられませんでした。高台移転もいいですが、現地での再建も認めていただきたかったのです。」

「高台移転しかないという意見になっていて、異論を言うことが出来ない状態です。かつての街の中心は「災害危険区域」に指定され、住宅は建設できなくなりました。近くの山を造成して高台を整地し、そこへ住宅を建てる。
 
 600世帯あった雄勝の集落で、高台移転を希望したのは当初は200世帯でしたが、議論しているうちに150世帯に減りました。負の連鎖になり、もっと減るかもしれません。公費をつぎ込むのですから、もっと慎重な議論が必要であると思います。」
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 お話を聞いていまして感じたのは「平成の大合併」で、雄勝町は石巻市と合併しました。その弊害が出ていると思いました。雄勝町単独の復旧・復興計画であれば、元の市街地も考慮したものになっていたのではないかと思いました。住民各位の合意形成が現在の計画で本当に出来ていたかどうかは正直わかりません。

 結果として時間が経過すればするほど、高台造成地に住もうという人は減少して行きます。莫大な税金を費やして、住む人が少ない集落ができてしまします。住民と市役所がどうして協働できなかったのか。何で行き違ってしまったのか。話を聞いていて身につまされました。

 続いて雄勝診療所の河瀬総一郎(歯学博士)さんとスタッフの方にお会いしました。曳家の岡本直也さんのご紹介でした。
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  河瀬総一郎さんの紹介のWEB情報

 https://bosaijapan.jp/people/%E6%B2%B3%E7%80%AC%E8%81%A1%E4%B8%80%E6%9C%97%EF%BC%88%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%83%BB%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%84%E3%81%A1%E3%82%8D%E3%81%86%EF%BC%89/

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「震災関連死で高齢者の亡くなった方が多い原因の1つに震災後十分に歯の治療や入歯の手入れが出来ないところへ、おにぎりやコンビニ弁当、牛乳+パンなど高齢者にとって苦手な食事ばかりしばらく継続したことも一因です。炭水化物過多で、ビタミン不足になっていました。
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 誤飲して嚥下障害を起こし、肺炎になる人も多かったようです。多くの方が震災後に亡くなりました。障害者の方も抵抗力がなく、歯の治療も震災後なかなかできず困っておられていました。社会的弱者を災害弱者にしないことです。横のつながりを持っていくことから始めました。」
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「往診もするようにしました。自分で診療所に来ることが難しい、障害者や高齢者宅を訪問し、口腔ケアを実行して行きました。」
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「1人で孤立することなく地域の人同士が見守り声掛けをすることが大事です。雄勝地区の集会所機能を持たせるために、ここでは子育て支援事業も保健師さん協力で実施しています。」

 「私の災害時対応ハンドブック」もご紹介いただきました。

http://www.miyagi-nanbyou.jp/handbook.html

 宮城県神経難病医療連携センターと宮城県では、東日本大震災の体験から普段の療養から自助力を高めて災害にも対応できるようなハンドブックを作成されています。

 また「ハードバッチ」も紹介されました。「外見では、障害が在るかどうか分りにくい児童に対して、災害時をはじめとする困惑した場面で手を差し伸べてほしい」という想いでつくられました。宮城県立古川支援学級のPTAが中心になり2008年から開始された取り組みで、東日本大震災の経験により各支援学級でも取り入れるようになっている。」(河瀬総一郎さんに頂いた資料「災害時の歯科保健医療対策」より引用)

 また特定非営利活動法人まち・コミュニケーション代表理事の宮定章さんにもお会いしました。


 その後岡本直也さんが土台部分を修復し、元桑浜小学校跡を再生して宿泊・体験施設にし、山と海の体験ができる施設になったモリウミアス」を訪ねました。そちらで理事の油井元太郎さんに会いました。
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「都会の子供たちに山の体験、海での体験をしていただきます。」と言われました。施設はほぼ完成されています。今年の夏休みから活動されるようです。

 その後北上川沿いにある大川小学校跡へ行きました。バスを降りて歩きますと、低地にあることに驚きました。そしてすぐ目の前に山がありました。なぜ山へ逃げず校庭で整列している間に津波に流されたのか。
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 慰霊碑がつくられていました。大川小学校の海抜の低さには驚きました。

 その後一路仙台市へ向いました。ホテルでチェックインしてから、市内の飲食店へ繰り出しました。そこへ昨年9月にNHK仙台放送局での収録でお世話になりました塚原奏介さんと津田喜章さんにみんなでお会いし、情報交換し懇親を深めました。
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 昨年のNHK仙台放送局の全国放送のラジオ番組「いま災害を生き抜くためのことば」に出演させていただいていました。
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http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-27c3.html

2015年7月25日 (土)

東北被災地に学ぶ交流の旅(その2)2日目

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2日目は東松島市の宿舎よりチャーターバスで、直接石巻市流留字二番囲いにある一般社団法人チーム王冠の事務所を訪問いたしました。そこで「被災弱者」(岩波新書)の著者である岡田広行氏に会いました。

「被災弱者」を読んで  http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-e94c.html

 チーム王冠のスタッフである清水昭良(住宅担当)や、大野さんにもお会いしました。そこで在宅被災者の一人である阿部悦子さんに被災当時の話を聞くことが出来ました。

 チーム王冠ホームページ  http://team-ohkan.net/

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 「勤務先は女川町。自宅は(チーム王冠事務所の近所)でした。津波は女川では地震発生後13分で襲来。石巻市では40分後に来ました。家族は全員無事でした。

 子供たちは自宅近くの避難所へ行きましたが、大勢の人たちが既に来られていて、入ることが出来なくて、自宅の2階で在宅避難生活を始めました。」

 「石巻市は水産加工業が盛ん。冷凍食材なども流れてきたので皆で食べました。笹かまのメーカーさんも被災者に笹かまを差し入れに来てくれたりしました。」

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(再建された石巻港付近の水産加工会社)
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(震災直後の石巻市中心街。浸水しています。河北新報写真集より)


「石巻市の自宅で水道が出たのは5月末。電気は月になったからでした。お風呂は2か月入っていませんでした。」

「自宅から避難所へ通ったわけですが、支援物資が届き始めても配布の方法が適当で、列に並んでいても後ろの人には配給が渡らないこともありました。

 トイレットペーパーなどは袋から出して1人1個にしました。3個ひとまとめの缶詰もバラして1人1個にしました。みんな大変ですからそうすることで、物資が行き渡るようになりました。」

 阿部悦子さんは、リーダーシップがあり、在宅避難者として地域のために交渉したりされたとか。当初市の指定した避難所には支援物資が山積みされるようになっても、在宅被災者には情報が届きませんでした。そこを支援して被災者と行政を繋ぎ役目をされたのが、「チーム王冠」でした。

 震災後の対応でも、避難所ー応急仮設住宅入居者と、在宅被災者では大きな支援物資の配給でも差があったそうです。例えば日赤が応急仮設住宅入居者には「家電6点セット」を無償で提供したそうです。テレビや冷蔵庫や洗濯機・電子レンジなどです。

 在宅避難者にはその恩恵はなかったとのことでした。

 チーム王冠の大野さんや伊藤さんに聞きますと、指定避難所―応急仮設住宅の「お役所指定ルート」から外れている、多くの在宅被災者や、「みなし仮設住宅」として民間賃貸住宅に居住した被災者にはなかな市役所からの情報が伝達されなかったようです。

 また阿部悦子さんは「全国各地から被災地の支援に役所の人達やボランティアの人達や学生たちが来てくれます。その場合被災者は何をどう支援してほしいか、はっきり言うことが大事です。」と言われました。まさに「受援力」(支援を受ける力)のことでした。

 地域の事情を正確に伝え、地域の再建のマンパワーになっていただくことが出来れば、結果として地域の再建もより速くなると言うものです。そのためには被災者の中から「動ける住民」が必要であるということです。

 教訓は「受援力」を日頃から意識し、まとめることと、在宅避難者の実態を地域が把握し、正確に市役所に伝えることです。全国から来られるボランティアが地域で何してわからずに、右往左往するのではなく、きちんと被災地域住民が指示する必要性も言われました。

 この場には東京から阿達雅志参議院議員(自民党)も駆けつけていました。支援の手が薄かった在宅被災者の調査に来たとの事。現役時代に被災者支援活動をされていた武内則男さん(元参議院議員・民主党)とも、党派を超えた情報交換をされていました。

 石巻市が甚大な被害を受けたこと。市役所の職員も多く亡くなったことなども、想像以上に被災者が苦労された原因の1つであることがわかりました。

 阿部悦子さんは、支援に来られた女子学生が「こちらは地域の繋がりがあるからいいんですが、東京で地震が起きたら何をしていいかわからない。」と言いますと、阿部う悦子さんは「そんな時は大きな声で、私お手伝いします!と言いなさい。大変な時は皆を元気付けないと駄目。若い人は若い人の役目があるのだから。」

 次にチーム王冠さんに連れて行っていただいたのは石巻市渡波・家の前地区。震災後地盤が沈下し、満潮時に自宅が浸水すると言う長期浸水地域になっていたところでした。チーム王冠の大野さんと、岡田さんの案内で行きました。小松和子さんと言う女性に会いました。
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「自宅は当初一部損壊との認定でした。これではわずかな見舞金しかいただけない。家の修繕は出来ません。チーム王冠の皆さんのご支援もあり、石巻市役所に何度も掛け合い半壊あつかいにしていただきました。」

「地域の繋がりも震災後崩壊。チーム王冠さんの「お茶っこバス」は大変良かったのですが、廃止になり、以後地域の繋がりはありません」と寂しく言われていました。

 お茶っこバス 自宅避難の被災者住民の交流場所として、チーム王冠がバスを借り上げ、石巻市からの委託事業として3年やっていましたが、最近委託が打ち切られたそうです。
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 お話を聞くと、避難している間に家屋損壊の認定をされたのではないかとのこと。外観調査だけではわからないところもあります。ましてこの地域は、地震後地盤が沈下し、満潮時には海水による浸水もあり、水はけも悪いので、家の鉄骨部位には腐食が進行しているようでした。

 観察すると他にも傾いた家屋がありました。修繕できないまま、他所へ行かれた人もあるようです。地域コミュニティが弱ると、災害復旧もなかなかできないという深刻な事例には、衝撃を受けました。

チーム王冠の皆様に、津波跡が残る地域と海岸を案内いただきました。かつて人家が密集していた住宅街は跡形もない状態には、息を呑まれました。
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 大街道地区の行方璋房さんの自宅も震災当時は2階の出窓まで津波で浸水しました。県道の拡張工事の予定地になりましたが、一向に工事が始まらないようです。買収になれば、その資金で別の場所に家屋を建設する予定ですが、一向に進展しません。
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 それで自力で自宅を応急処理して住んでいます。壁や天井は、避難所にあった厚めの段ボールで覆っています。断熱材も入っていないので、冬場は寒いようです。
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 災害支援の支援金を1度使用しますと、2度目が使えないという制度の制約があります。家の建て替え資金に使えないのです。ですので自力修繕して自宅に住んでいます。

 震災当時は石巻専修大学の避難所や仮設住宅にもおられましたが、場所が遠いので自宅を自力で修繕し住んでいるそうです。なんとかならないものかと思いました。周りも空き家が多いです。
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 海沿いの日本製紙石巻工場も震災当時津波で大きな被害を出しましたが、現在では復旧していました。
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 地域コミュニティの力で集団移転を成し遂げました。(東松島市)

 東松島市の大野哲郎さん。防災集団移転事業で、罹災した立沼地区から,矢木西地区へ地域ごと移転されていました。既に移転は大半は終了。大野さんの自宅も再建されていました。
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’震災直後の東松島市大曲地区。河北新報写真集より)

「ローンは息子との親子ローンで大変は大変。でも皆が安心して眠れるようになった安心感には代えがたい。なによりです。」とのことでした。
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 仕事の方も農業法人を仲間と組織し、補助を受けトマト栽培のハウスも建設していました。仕事も家屋も再建されています。
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 何よりも地域のまとめ役としての大野さんの指導力と仲間との信頼関係があり、東松島市役所との協働で、集団移転事業を仕上げたことが素晴らしいです。つくづく地域コミュニティの大事さを話しを聞いて思いました。

 話を伺いますと立沼地区へも過去に航空自衛隊松島基地の拡張などで、集団移転された経験も地域にあったそうです。それゆえ集団移転事業に対してノウハウが蓄積されたいたことも順調な集団移転に繋がったのでしょう。

 かさ上げや土地区画整理事業をされているところは、未だに底地が工事中。そのなかで既に家屋も新築されている東松島市の集団移転事業スピードは凄いと思いました。

 また大野哲郎さんに、東松島市の運動公園(かつて宮城国体でソフトボール球場として整備された)に、大規模な防災倉庫の存在には腰を抜かしました。東松島市の人口46000人の3日分の食料備蓄されています。高知市には全くありません。
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 高知市街地の低地に居住する15万人の高知市民に対する高知市役所の救援・支援体制は東松島市に比べとても貧弱でした。
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2015年7月24日 (金)

東北被災地に学ぶ交流の旅(その1)1日目

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 2015年6月20日(土曜日)から23日(火曜日)にかけて、高知市から防災関係の有志8人が「東北被災地に学ぶ交流の旅」に参加しました。
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 高知空港―大阪空港(伊丹)経由―仙台空港。仙台空港からは地元松山観光バスをチャーター。運転手の佐藤さんも石巻市で津波で自宅が被災されたそうです。
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 仙台空港から一路石巻市役所へ。元地元百貨店跡が市庁舎。その前で石巻市市議会議員の千葉真良さんと、今野清喜湊東地区まちづくり協議会代表世話人の2人がバスに乗車。石巻市の高台である日和山へ向かいました。
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 確かに日和山からは石巻市の海岸部近くの市街地が一望できます。
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「みんな津波が来るとは思っていなかったんです。1年前のチリ地震津波は、3Mの予報が出て大津波警報まで出ましたが、大したことはありませんでした。今回も最初に3Mの予報が出ました。ほとんどの人達は大したことはないと思い。逃げませんでした。」と今野清喜さんは説明していただきました。

 確かに海岸部の堤防は低い。でも日和山という高台があり、津波が襲ってくる前に時間がありましたので、みんなが日和山に登れば、みんな助かった可能性はとても高かったと言えます。しかしそうしない人も多くいたそうです。

 海側と反対側は、北上川が流れています。津波は遡上してきて市街地を襲いました。千葉さんと今野さんは湊東地区でご近所とか。東日本大震災当時、千葉さんは石巻市市議会の真っ最中。市役所やその前の石巻駅も津波の侵入で水没。水が引くまで1週間近く市役所に籠城が強いられたと聞きました。石巻駅北側の街区は津波の勢いは弱く、1階部分に津波は来ましたが、家が流されることはなかったそうです。
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 湊東地区の自宅に今野さんは、地震当日は休暇を取られいたそうです。当時町内会長もされていたので、ご近所の人達に声掛けして避難行動をされました。近くの蛍(ほたる)いう葬祭会館にみんなで駆け上がり助かりました。
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 日和山から下りて、門脇小学校前へ来ました。震災当時流れてきた車に火引火して津波火災になり、校舎が火に包まれました。幸い生徒たちは、裏の日和山に逃げ無事であると聞きました。
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 現在「震災遺跡」にするかどうかで石巻市で議論をされているようです。賛否両論あるそうです。遺族は撤去してほしいと言うそうです。でも何もなくなれば震災の事が忘れるれるので残すべきであると言う意見も根強くあるそうです。
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 千葉さんは「広島の原爆ドームだって保存が決まったのは、被ばく20年後でした。この施設も大川小学校もそうでしょうが、1世代(30年)ぐらい経過してからどうするのか決めるべきでしょう。」と言われました。

 こちらの門脇地区は門脇小学校跡から50M先に高台道路が建設中。その道路から先の広大な区域は危険地区になり住居は建てられません。防災公園や震災記念公園にする構想もあるそうです。
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 高台道路から日和山までの区画は住居地として整備されるようです。
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 確かに私も「震災20年慰霊祭」に神戸市長田区鷹取東地区へ行きました。全く震災の痕跡はありませんでした。当時の事は写真で知るしかありません。長田駅前の高層マンション群や、建て替えられた3階建ての住宅街を歩いてみても、20年前に大震災があり、壊滅的な被害を受け、火事で焼失した地域である名残は全くありませんでした。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat60291529/index.html(神戸市長田区鷹取東地区との交流)


 湊東地区の現状と当時の様子、こらからの地域の再建のための土地区画整理事業について説明を受けました。

 バスは湊中学前で降りました。「当時デイサービスのバスも3台ぐらい止まっていました。津波が来ても、車椅子では階段が登れない。それで多くの高齢者の人達はお亡くなりになりました。
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 隣に湊第2小学校があります。こちらは湊小学校に震災後統合されました。今野さんは、運動場を人工芝で覆いサッカーグランドにしたいとの構想をもっています。
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 また今野さんから避難所開設の折、葬祭会館でしたので、葬儀の参列者名簿が避難者名簿になったこと。」とっさでしたので、段ボールなどに必要事項を書いたとも言われていました。
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 湊東地区の土地区画整理事業の概要も聞きました。「家を失った方には、自力再建する人、できない人、転居される人がおられます。また危険地区に指定されれば、土地は行政が買い上げてくれるようになるが、住居はそこでは建てられない。
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 湊東地区では、土地を売りたい人から市が購入。そのことで減歩率を低めにすることが出来ました。嵩上げをせずに区画整理事業をするので、完成は早くなるとのことでした。
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 石巻市市役所の会議室へ移動し、意見交換をしました。
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 千葉さんは「震災後3か月間石巻市役所で寝泊まりしました。駅の北側は浸水していましたが、津波の勢いが弱かったので、家屋は壊れてはいません。日赤病院が拠点病院になり、専修大学石巻校舎は大規模避難所になり、ボランティア・センターになりました。]
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「石巻市は支援の手が伸びにくい地域です。地震発生直後の各機関の連携が特に必要です。生きのびるための作業をやることが大事です。」
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今野さんは「2011年3月21日で県庁を退職することになっていました。11日は休暇で自宅に居て被災しました。町内会長もしていましたので、町内の安否確認をして、近くの蛍葬祭会館へ避難しました。津波は地震後1時間後に押し寄せて来ました。

 石巻市で3000人、町内で40人が亡くなりました。避難訓練二日ごろ参加している人は殆ど逃げました。訓練に参加しない人の多くは亡くなっていました。

 携帯は使えません。電気は2か月後に復旧しました。お風呂は2月は入れませんでした。
 
 蛍の避難所に200人が逃げ込んだ。当初女性トイレが汚かったが看護師さんが「爪を切って手洗いをしましょう。(薬剤は豊富にあった)と講話されてから避難所が清潔になり活気が出て来ました。避難所にまとまりが出来ました。被災していない地域からの支援はありがたかったと今野さんは言われました。

 見回りと食料調達。3日間は自前でやっていました。4日目に自衛隊が来ました。

 区画整理事業が早く導入できたのは、町内がお祭りなので顔見知りになっていたことが大きい。

 今野さんの避難所体験談は、大変参考になりました。避難所にあらかじめ用意しておくもの、避難所名簿などは、防災BOXなどに入れておくなどすべきでしょう。

 あらかじめ可能なら「避難所のルール」をこしらえるべきでしょう。

 千葉さんと今野さんからは何としても自分たちの街を再生するんだという意気込みを強く感じることができました。また「普段のコミュニケーション、近所付き合いの大事さがわかりました。

2015年7月23日 (木)

すべては事前対策です。

  2015年6月20日から23日に参加した「東北被災地交流ツアー」から、今日で1月経過しました。ようやく頭の中の整理が半分ぐらいつきました。少しづつツアーの報告とまとめをWEB上に出して行こうと思います。

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 とりわけ今年は阪神大震災から20年目。訪れた神戸市長田区鷹取東地区を訪問し、地域の人達とも交流しました。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat60291529/index.html

 やはりz「事前の対策がすべて」であると思いました。

 地震が現在のところ、いつ起きるのか予知ができません。台風のように進路が予想できれば対策は容易にできます。地震がそれが出来ません。「来る祖」「来るぞ」と騒ぎだてれば、オオカミ少年のように思われてしまいます。

 
1)自分の家から安全に避難することの重要性 家具転倒防止対策。家屋の耐震補強対策は事前に出来ます。

2)浸水地区に家屋や社屋がある場合は、浸水しない地区に拠点をかまえること。
  個人的にも地域としても事前に出来るはずです。

  その象徴が「仁淀川町と二葉町の交流事業」です。

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3)地震保険や家財保険や車両保険などの活用も必要でしょう。

4)すぐに事業が再開できるように、金融機関との日頃からの話し合いも必要です。


5)商業者であれば、もしもの時には「代行納品契約」をする企業の確保が必要です。

6)資産形成をして、津波の恐れのない地域への移転をすべきでしょう。

 事前対策をしておけば、リスクはかなり低減はされます。

2015年7月22日 (水)

若松町耐震護岸工事 工法編

 高知市若松町の耐震護岸工事は、高知県土木部高知土木事務所の事業で現在行われています。

 その工法に関する資料です。説明ではこう書いています。

「ジャイロパイラーのジャイロプレス機構により、鋼管杭を回転切削圧入し、既存の構造物を残したまま、構造物の機能を強化・再生、新規構築を行います。」

 鋼管杭(直径1・3M)を27Mのシルト層に埋め込み、その上に新しくコンクリートで新しい堤防を建設します。

 「期待される効果」については、高知土木事務所の説明書であるそうです。

→高知土木事務所の説明

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-e1f6.html

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2015年7月21日 (火)

若松町耐震護岸工事の資料

 現在高知市若松町で行われている耐震護岸工事。工事発注者の高知県土木部高知土木事務所に「県都・高知市の被害の最少化のために 浦戸湾及び流入河川の地震・津波対策について」の資料をいただきました。
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 県土木の計画では、浦戸湾内の堤防と河川堤防の耐震化工事を行い「三重防備」を国直轄事業の導入などで行うようです。昭和の南海地震(1946年12月21日)では、土盛り堤防が揺れと液状化で決壊し、下知地域は地盤が1メートル沈下していましたので、海水が地域へ流入、長期浸水状態となりました。
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 今回の工事で海岸と河川の堤防が壊れたり、倒れたりすることがほぼなくなります。堤防がしっかりしておれば、地域内の排水は早期に行うことが出来るとの事です。鋼管杭を23メートルの深さまで油圧で埋め込み、その上にコンクリート護岸を建設します。津波で倒れない堤防づくりをしています。
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 現在若松町工区を施工していますが、来年は堀川水門がある二葉町工区も施行する予定です。
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 但し高さは現在の防潮堤防と同じ5メートル程度の高さです。それ以上の高さの津波はオーバーフローするでしょう。地盤の液状化による堤防の沈下と倒壊の防止を目的に工事をしています。
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 当然「やらないよりは、やったほうがいい工事」であります。しかし地盤値中による浸水は防げないとは思います。他地域の支援がありさ

2015年7月20日 (月)

スマイル・ふぇす・下知で良かったこと

 2015年7月18日に、高知市知寄町のちより街テラスで初めて開催された地域イベント「スマイル・ふぇす・下知」は大盛況のうちに終わりました。

 地域防災の立場からはこの行事を通じ良かったことがいくつかありました。

1)今まで防災事業や避難訓練に来なかった子育て現役世代との交流が出来ました。

2)ちより街テラスの津波避難施設見学ツアーは、100人が参加し大盛況でした。

3)企業と地域住民との新たな絆が生まれました。

4)下知地域の新しいお祭りになりました。

 反省点はいろいろあります。来年2回目が開催できればいいなと思います。

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2015年7月19日 (日)

大成功だったスマイル・ふぇす・しもじ


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 昨日は第一回スマイル・ふぇす・下知が開催されました。予想以上の人達。学校がやすみになったこともあり、近隣の子供たちや若い親御さんたちが来ていました。
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 また地域の活動をされている町内会や防災会の人達も来られ懇親をしていました。よさこい踊りあり、二胡の演奏もあり、楽しめました。
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 企画した国見俊介さんやご支援いただいたサニーグループさんたちには感謝です。

 会場のちより街テラスは、津波避難ビルにもなっていますが、2回にわたり「見学ツアー」があり、それぞれ50人近い近隣の人達が参加していました。

 私は「荷物運搬役」と森会長の助手で1日棒立ち状態。午後1時過ぎから荷物運び。会場の設置。助手。そして撤収作業。終わったのが午後9時半。さすがに疲れました。
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 今日は悪天候で夜須でのマリンフェスティバルYASUが明日に順延。お手伝いする予定のシーカヤック無料体験が中止になりました。やれやれです。個人的には助かりました。

 下知地域の人達のスマイルがあふれとてもよい行事でしたね。
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  防災訓練にはなかなか参加しない若い現役世代の親御さんたちとのコラボが出来たことは大変有益でした。
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2015年7月18日 (土)

今日はスマイル・ふぇす・しもじへ


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 高知市は台風11号による被害はありませんでした。自宅も事務所も倉庫も被害はありませんでした。
 とはいえ台風の東側の地域の皆様や進路にあたっていた皆さんは大変な被害でした。あらためて大型台風の脅威を感じました。

 今年初めて高知市知寄町のちより街テラスで開催される「スマイル・ふぇす・しもじ」(国見俊介実行委員長)も予定どうり16時から20時までの予定で開催されます。
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 下知地域での楽しいイベントになるでしょう。わたしは今朝は父(96歳)のリハビリゴルフ。母は1日ディ・サービスの日。

 午後からスマイルふぇすに出店される町内のお店からフライヤーと椅子や資材運搬業務と撤収業務があります。
 多くの市民の皆様は是非ご参加を。

避難所運営のありかたについて

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 昨年より市役所の対応が格段に良くなったと申し上げましたが、今までが「ひどかった」ので比較しただけです。

 多くの市民各位に刷り込まれている「避難所」のイメージは、畳の部屋で、布団があり、避難者が不安そうにTVを見ている光景です。でもそれは田舎の恵まれた避難所のお話。

 都市部は遥かに環境は劣悪。そのなかでも下知コミュニティ・センターは良い方です。小学校の体育館は冷房すらありません。自販機もありません。その落差にみんな落ち込んでしまいます。

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 なかに電動車椅子で避難された方がおられました。有光センター長によれば「こちらの施設は清潔であり、しかも車椅子で利用できるトイレもあります。昨年は近くの小学校へ避難しましたが、暑いし、トイレもなく苦労しました。」とのことでした。
70歳代のご夫婦で避難されています。
 二葉町から来られた80歳代の女性2人も、菓子パンと飲料水を持参して避難されておられました。
 
 センター長との雑談で、「傷害のある方や高齢者は下知コミュニティ・センターが避難所になったら、最優先しましょう。」と話し合っていました。1番ストレスのかからない部屋を利用してもらうことになったようです。
 障害者のご主人と奥様のご夫婦は、3階会議室B室に。高齢のご婦人2人は和室部屋に、有光センター長がご案内したようです。「災害時には、災害弱者を最優先しよう。」という考え方を早速実践していただきました。


行政側の言い分もわかりますが、「災害弱者主体の^避難所運営を心がけないと、「二次災害」を避難所で引き起こすことになります。このあたりは「机上論」と「前例主義」に固執する行政ではわからないところですから

2015年7月17日 (金)

台風11号高知を通過


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 大型台風11号は昨夜高知県室戸市付近へ上陸、その後北上し、香川県丸亀市付近を通過し、先ほど岡山県倉敷市付近へ再上陸したとのこと。
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 昨日午後から台風対策をして厳戒態勢で経過を見ていましたが、今回は何事もなく台風は過ぎ去りました。自宅も事務所も倉庫も特に被害はありません。ご近所の飲食店の看板が転倒しているぐらいでした。
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 赤ヘルを被り堀川を巡視。午前6時過ぎ大潮の満潮。そのせいか潮位が上がり、水面と岸辺が同じ程度の高さに。堀川水門も閉じられていました。
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 下知コミュニティ・センターへも行きました。宿泊待機の市職員2人に会いました。「昨夜は避難所は6人になっていました。午前5時過ぎに2人帰られ、現在は4人です。各種警報が解除になっていないので、このまま待機です。」とのこと。
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 施設も停電などにならずに一夜を過ごしたとの事です。何よりでした。避難者の方たちもお元気であるとの事です。何よりですね。
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 風は納まったようですね。雨はしつこく残るようです。台風一過と言う具合にはなりそうもありません。各種警報が解除になってから、活動を開始することにします。

赤ヘルでご近所見廻りに

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 事務所と自宅の台風対策が終わりますと、ご近所の避難所である下知コミュニティ・センターへ行きました。2015年7月16日18時現在4人が避難しているようです。

 風が強いので頭部を守るためヘルメットを着用しています。下知コミュニティ・センター運営委員会防災部長として施設避難所のチェックに来ています。

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2015年7月16日 (木)

下知コミュニティ・センターに避難所が開設されました。


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 2015年7月16日の16時に、下知コミュニティ・センターが、避難所として開設されました。それまでは有光センター長と施設管理者である高知市地域コミュニティ推進課とのやりとりで、「自主避難者」を対象に対応をされていました。

 昨年の大雨での反省点があってか、今年は高知市役所の対応が格段にいいですね。下知地区は、下知コミュニティ・センター1か所のみの対応です。近隣市民から問い合わせがあり、4人の市民が避難しています。

 なかに電動車椅子で避難された方がおられました。有光センター長によれば「こちらの施設は清潔であり、しかも車椅子で利用できるトイレもあります。昨年は近くの小学校へ避難しましたが、暑いし、トイレもなく苦労しました。」とのことでした。70歳代のご夫婦で避難されています。

 二葉町から来られた80歳代の女性2人も、菓子パンと飲料水を持参して避難されておられました。
 
 センター長との雑談で、「傷害のある方や高齢者は下知コミュニティ・センターが避難所になったら、最優先しましょう。」と話し合っていました。1番ストレスのかからない部屋を利用してもらうことになったようです。

 障害者のご主人と奥様のご夫婦は、3階会議室B室に。高齢のご婦人2人は和室部屋に、有光センター長がご案内したようです。「災害時には、災害弱者を最優先しよう。」という考え方を早速実践していただきました。

 下知減災連絡会の構想では、避難所運営の基本やルールに「災害弱者最優先の原則」を規約化したり、皆で確認し合意形成する必要性を感じました。

 16時になりますと高知市役所職員が4人来られ、正式に避難所として開設されました。入口付近に「避難所開設」という張り紙を貼り付けていました。
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 また16時半ごろにフジTVの撮影クルー3人が到着。聞けば朝の番組「めざまし・テレビ」のスタッフとか。避難所の様子を撮りに、高知市役所の許可を得てきたそうです。市職員と一緒に避難者の人達に取材をされたようです。
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 朝5時半の「めざまし・テレビ」で明日(7月17日に放映されるのかもしれません。

 また一方で避難所開設しているのに一方で市民図書館が開館しているのはおかしいと思いました。それで防災政策課と、秘書広報課宛に以下のような内容の文章を送信しました。

 高知市長様

 いつもお世話になっております。
 下知コミュニティ・センター運営委員会防災部長の西村健一です。

 午後3時半現在下知コミュニティ・センターには4人の自主避難されている
人達が休養されています。有光館長の適切な対応で、避難された人たちは
喜んでいました。

 それはいいのですが、「大雨(浸水害),洪水,高潮警報 [継続]暴風,波浪警報 雷注意報 」が
高知市全域に発令されているのに、高知市民図書館が閉館されていません。

 一方で下知コミュニティ・センターは。自主避難者を受け入れている。
 一方で下知市民図書館は、来館者がいる。おかしいではありませんか。

 この先暴風雨が強くなる可能性もあります。市民図書館の本館も分室も
「大雨(浸水害),洪水,高潮警報 [継続]暴風,波浪警報 雷注意報 」が発令された場合は
閉館にするようにしてください。危険です。とくに明日は今日より危険です。

 図書館の職員の安全と、来館者の安全にご配慮下さい。

 閉館にしていただいたら、マスコミなどで広報もしてください。

 15時53分に送信しましたが、市役所からの返信はまだありません。高知市内も風雨が強くなりつつありますが、依然として市民図書館は閉館になっていません。おかしいと思います。

一応台風対策は完了

 気象庁の台風情報は、高知県直撃コース
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 米軍はやや東より。
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 うちの場合は工事中の足場の幌をすべて巻きました。植木も倉庫の中へ入れました。ゴーヤさんは外へ出しています。
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2015年7月15日 (水)

1970年の台風10号と2015年の台風11号


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(概況)

8月16日12時にパガン島の北西約350kmの海上で発生した台風第10号は北西に進み、20日03時には潮岬の南約850kmに達し、中心気圧910hPa、最大風速55m/sとなった。その後、台風は毎時30kmとやや速度を速め、次第に衰えながら北上し、21日08時過ぎ高知県佐賀町付近に上陸、11時過ぎには愛媛県松山市付近から瀬戸内海に入り、12時頃には広島県呉市付近に再上陸、15時頃には島根県松江市西方から日本海に抜けた。
高知県は21日早朝から昼頃にかけ台風の暴風域に入り、高知市では09時00分に最大風速29.2m/s(観測史上1位)、09時05分に最大瞬間風速54.3m/s(観測史上1位)を観測した。また、土佐湾沿岸では異常な高潮が発生し、さらに満潮時と重なったため、海水は防潮堤や河川護岸を乗り越えあるいはそれを決壊してあふれ、高知市周辺一帯に大災害をもたらした。

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2015年の台風11号の様子(気象庁の予報)

 概況では1970年の台風10号(最大発達時910HP)と似通ったコースを通過する可能性があります。勢力的には、格段に小さいようですが、敢えて気象庁が「非常に強い」と言う表現を使用しています。

 警戒するにこしたことはありませんので。

<15日06時の実況>
大きさ 大型
強さ 非常に強い
存在地域 日本の南
中心位置 北緯 25度55分(25.9度)
東経 136度25分(136.4度)
進行方向、速さ 北 15km/h(9kt)
中心気圧 945hPa
中心付近の最大風速 45m/s(85kt)
最大瞬間風速 60m/s(120kt)
25m/s以上の暴風域 全域 170km(90NM)
15m/s以上の強風域 東側 700km(375NM)
西側 390km(210NM)

<15日18時の予報>
強さ 非常に強い
存在地域 日本の南
予報円の中心 北緯 27度55分(27.9度)
東経 135度40分(135.7度)
進行方向、速さ 北北西 20km/h(10kt)
中心気圧 940hPa
中心付近の最大風速 45m/s(85kt)
最大瞬間風速 60m/s(120kt)
予報円の半径 90km(50NM)
暴風警戒域 全域 280km(150NM)

<16日06時の予報>
強さ 非常に強い
存在地域 日本の南
予報円の中心 北緯 30度00分(30.0度)
東経 134度40分(134.7度)
進行方向、速さ 北北西 20km/h(11kt)
中心気圧 940hPa
中心付近の最大風速 45m/s(85kt)
最大瞬間風速 60m/s(120kt)
予報円の半径 140km(75NM)
暴風警戒域 全域 310km(170NM)

<17日03時の予報>
強さ 強い
存在地域 四国沖
予報円の中心 北緯 32度50分(32.8度)
東経 133度30分(133.5度)
進行方向、速さ 北北西 15km/h(9kt)
中心気圧 960hPa
中心付近の最大風速 35m/s(70kt)
最大瞬間風速 50m/s(100kt)
予報円の半径 200km(110NM)
暴風警戒域 全域 330km(180NM)

<18日03時の予報>
強さ -
存在地域 山陰沖
予報円の中心 北緯 35度40分(35.7度)
東経 132度30分(132.5度)
進行方向、速さ 北北西 15km/h(8kt)
中心気圧 980hPa
中心付近の最大風速 30m/s(55kt)
最大瞬間風速 40m/s(80kt)
予報円の半径 300km(160NM)
暴風警戒域 全域 390km(210NM)

大型台風対策は今日中に

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 大型台風11号が北上しています。「まとも」に四国直撃コースです。台風対策は今日中にしないといけないですね。明日は暴風雨になりますから。

 風が強くなり始めてからの台風対策は危険です。「その前」に対策をしておけないといけないです。

 植木を倉庫に入れたり、ラジオや乾電池を用意したり、停電対策もしないといけないです。

建築業者さんにお願いして、足場のメッシュ・シートですが、強風で煽られないように、巻き取って紐で束ねていただきました。

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2015年7月14日 (火)

下知地区減災連絡会2015年度総会


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 下知地区減災連絡会2015年度総会が、2015年7月14日に下知コミュニティ・センターで開催されました。加盟15団体の防災会すべてから出席がありました。(今後新たに2団体が加盟し、1団体が結成されようとしています。)総会は成立いたしました。

 総会の議事進行前に、高知市地域防災推進課の山中主査、山本さん、岡崎さんから、「下知地区における防災の課題と対策」「津波避難ビル指定重点対策プロジェクト」「地区防災計画制度」についての説明がありました。
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 また接近中の台風11号については、15日に検討会が庁内であり、16日には災害対策本部が設置されます。エリア・メールやマスコミなどで情報伝達します。との台風対策の説明もありました。

 2014年度事業と決算報告と監査報告は全会一致で採択されました。3号議案は2015年度事業計画案です。そのなかで、平成27年度内閣府の地区防災計画モデル事業に下知地区が採択された報告をしました。

 下知減災の事業を行っていく傍ら、下知地域の特性を活用した「下知地区防災計画」をこしらえていこうということになり、採択されました。第1回目は9月3日に開催されます。合計4回の検討会が開かれ計画は練られます。

 当然1年で終了すべきではなく、3年位かけて地区防災計画を立てようと言うことになりました。前例のない事業に取り組むことはなかなか大変ですが、「なんとかやりましょう」という合意が総会で得られました。
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 議事はすべて採択されました。
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 総会終了後国見俊介下知地域内連携協議会会長から、18日の16時から20時まで開催予定の「スマイル・フェす・しもじ」についてのPRがありました。
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丸池町防災講習会

二葉町から丸池町まで歩いて行きました。丸池町の避難指定場所であるちより街テラスから、丸池公民館まで7分かかります。途中にコンビニやドラックストアもありますが、いずれも低層建築物であり、津波避難ビルにはなりません。
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 2015年7月12日は、二葉町の一斉町内消毒後、10時から丸池町公民館で開催される防災講習会を見学に行っておりました。30人の丸池町の住民が来られていました。隣町の弥生町の大崎修二さんも来られていました。

 今回の講師は、高知県内で400回を超える防災講習会をされている(株)フタガミホームセンター事業部出張DIY教室係の楠瀬さんでした。とてもわかりやすい地域特性を踏まえた講習会でした。
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 「津波や浸水の被害が怖いとか言われる人が多く言われます。また防災備品の購入をされている人が最近は多くおられます。飲料水や保存食品など。それは自宅から無事に避難され、避難生活の後の話です。今日の話は自宅からの安全な避難方法のお話です。」

「自宅からの安全な避難方法は4つあります。

①家屋の耐震補強。

②家具の転倒防止対策

③ガラスの飛散防止対策

④情報の確保と対策  です。」

 阪神大震災などでは、怪我をした人の46%は家具の転倒でした。2番目は窓ガラスなどの飛散による怪我が29%でした。あわせて85%の人が屋内で怪我をしています。」

「高知県人は地震保険の加入率は髙いですが、家具転倒防止策をきちんとやっている人がとても低いです。」

 確かに、勤労者でも「自宅60%、職場30%、その他10%」です。リタイヤされたひとなら自宅で90%はおられます。自宅とくに寝室の家具言転倒防止、ガラス飛散対策が、減災の「1丁目1番地」であることは間違いありません。

「100点満点の防災対策はなかなかありません。たとえば寝室の防災対策と言えば、1)家具を寝室へ置かない。事も対策です。2)ガラス窓には飛散防止フィルムを貼り、カーテンを閉める。3)運動靴を寝室に用意する。ことも大事です。」
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 家具の転倒防止や安全な避難行動をサポートする機材は、ホームセンターでお求めください。機材については使用方法を係員にお尋ねください。きちんと説明しています。」
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 家具・ガラス対策のチラシと夜間対策のチラシの情報は有益ですね。
 特に「充電式LEDホームライト」「LEDヘッドライトとヘルメット」「ソールバリヤ(足裏対策用)」と「カットレジスト手袋」は有益です。貴重な情報でした。

1人で無理なら「ご近所が普段から連携して助け合いをしてお互いの家の中の家具転倒防止対策をしましょう。」と言う提案も有益ですね。

 防災・減災の大原則は自宅からの安全な避難です。丸池町の樋口町内会長、防災部長の吉本豊道さんご苦労様でした。

2015年7月13日 (月)

大型台風接近中

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 気象庁と米軍の台風11号の進路予想では、7月16日ごろが、四国地方は暴風雨の予想が出ています。高知市より西寄りにコースをとれば「最悪」になりますね。

 曇ってはいますが気温は30度。湿度は95%です。

二葉町一斉消毒の日


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 7月10日は第2金曜日で、二葉町の資源・不燃物ステーションの日。7月12日は4日が雨で順延されていた町内一斉消毒の日です。
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 荒木三芳副会長がリーダーで、町内会の役員や班長が出てきて二葉町内の消毒と、ゴミ拾いを行います。わたしはゴミ拾いの補助員です。
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 1時間ほど二葉町内を巡回しました。ゴミは結構落ちているものです。やはり吸い殻が1番多い。馬鹿が多いです。
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 蒸し暑いので大汗を掻きました。終わって片付けが済んでから小雨になりました。実施出来て何よりでした。

2015年7月12日 (日)

下知地区防災計画キックオフ会


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 既に坂本茂雄さんが報告されていますが、2015年7月10日に下知コミュニティ・センターにて、「下知地区防災計画・キックオフ会」が開催されました。
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 出席者は、アドバイサーである鍵屋一さん(跡見学園女子大学・観光コミュニティ学部教授)、内閣府からは政策統括官(防災担当)付参事官で主査の中丸琢弥さんと参事官補佐の長沼裕史さん。関西情報センターの坊野豊彦さん(地区防災計画学会事務局)、高知市役所からは地域防災推進課主査の山中晶一さんと山本美咲さん、防災政策課主査の守屋好英さん、下知減災連絡会事務局長の坂本茂雄さん。下知減災連絡会副会長の西村健一が出席しました。

 まず内閣府の方から「地区防災計画制度の概要」の説明がありました。
「東日本大震災で判明したことは公助が全く足りないことでした。災害対策基本法が平成26年4月に改正され、地域の特性を踏まえコミュニティレベルの防災活動を内容とする地区防災計画を市町村の地域防災計画に定めることができる地区防災計画制度を制定しました。
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 ボトムアップ型で地域の防災力を高める目的で制度がつくられました。」との説明がありました。平成27年度は、高知市下知地区を含む22地区が地区防災計画モデル地区に選定されました。
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 アドバイサーの鍵屋一さんは、「下知でやれることは日本全国沿岸部の都市部でやれること。オールジャパンの地区防災計画にする気概でやりましょう。」と言われました。

 高知市地域防災推進課からは「下知地区防災計画も各地域の防災計画も、高知市防災計画に提案されることになります。そこで審議され高知市地域防災計画の中に反映されることになります。」と従来の下知地区での「昭和小校区津波避難計画書」などをベースに説明がありました。
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 下知減災連絡会事務局長の坂本茂雄さんからは、「下知減災連絡会での役員会の中でも下知地区計画は重要課題であると確認しました。防災訓練や事業と並行しながら検討会を4回程度開催します。検討会メンバーは広く各地域の事情に精通している各地域の自主防災会から選出された役員メンバーです。」と説明がありました。
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 西村の方からは「市民目線での減災対策(高知市下知地域)が説明されました。独自で取り組んできた「防災世帯調査」や「仁淀川町や他地域との疎開を前提とした交流事業」や、「各世代を集合させた下知地域内連携協議会の発足(2014年10月)」などを説明しました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-72a7.html

 多数の資料が提出され、議論をしました。鍵屋先生からは「真面目に細かい事項を議論をしても暗くなりますね。事前復興計画という言葉もでていました。どうすれば下知は救われるのか、災害に強いまちになれるのか。それを(理想)を議論しましょう。

 低地の丸池公園をサッカーグランドにする。Jリーグを目指すチームも練習するようになる。その公園が浸水時には避難場所になる。」とか。

 計画は大きい方がいいとのアドバイスをいただきました。「MAKE NO LITTLE PLANS]という米国の都市計画プランナーであるダニエル・H・バーナムさんの言葉を思い出しました。

「小さな計画など立ててはならない、それは人の血を騒がすような魔力を持たず、それ自体もおそらく実現しないだろう。

 壮大な計画をつくるのだ。気高く理にかなった図式は、ひとたび記憶されれば決して絶えることなく、常に成長し自己主張し続けていくものだということを忘れずに、希望を高く掲げ働こう。

 あなたの合言葉は秩序であり、道標となるものは美である。」

 下知減災連絡会としては、モデル事業は1年でしょうが、3か年ぐらいかけて地域で議論して下知地区計画をこしらえようということです。

 それで鍵屋先生と日程調整し、第1回目の下知地区計画検討会を9月3日に開催することにしました。

 たくさんの情報が飛び交う有益な会合でした。また内閣府と関西情報センターの皆様は、高知市の地域防災推進課の山中チームが下知地域を鳥瞰できる五台山山頂や、下知地域を車で下見をしていただきました。

 会合終了後は会場を市内の居酒屋に移動を、熱い議論は絶えませんでした。
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2015年7月11日 (土)

地域コミュニティの要


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 毎月第2金曜日の午前6時からは、高知市二葉町町内会の「資源・不燃物収集ステーション」が下知コミュニティ・センター前に設置されます。2015年7月10日(金曜)も実施されています。
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 荒木三芳副会長がリーダーで、当番の班長を指揮し、仕分け作業をされています。瓶類は透明・青・茶に仕分け、段ボールも印刷ダンボール(雑紙)と段ボールに仕分けされています。

 [高知方式」という各町内会で細かく仕分けすることで、高知市役所は大規模な中間処理施設の建設はしなくてすんでいるはずです。
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 月に1回町内の人達が顔合わせする貴重な「コミュニティ」になっています。

 戻ってからご近所の道路のゴミ拾いをしました。相変わらずタバコの吸い殻とコンビニのジャンクフードの包装紙を捨ててあるのが多い。飲料ペットボトルや缶、チラシ類もあります。
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 馬鹿な人たちが捨てるんでしょう。今朝は6時半で事務所の気温は28度、湿度は95%もあります。蒸し暑い1日のスタートですね。
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2015年7月10日 (金)

すまいる・ふぇす下知は7月18日開催です

 スマイル下知が、7月18日(土曜日)に、午後4時から午後8時までの予定で、知寄町の複合商業施設であるちより街テラス駐車場で開催されます。
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 地域のコミュニティの再構築が狙いのイベントです。多くの人達のご参加を期待します。

2015年7月 9日 (木)

国土強靭化のためには原発の廃炉を


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  岩波新書「復興災害 阪神淡路大震災と東日本大震災」(塩崎賢明・著)の184Pから185Pの記述においてこう述べています。

「大地震の回数[最近100年間に発生した死者1000人以上の地震)と原発の個数を、国土面積当たりで比較すれば、日本の(地震×原発の指数は38・09で世界のどの国(原発保有国)よりも数百倍ないし、無限大の危険性をかかえている。」

「狭い国土で地震の多いこの国では、国土を安全で強靭にするには原発をゼロにするしかないのである。」
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いつから日本人は「自分さえよければほかの事はしらない」というエゴ丸出しになっていまったのでしょうか?ニュースで鹿児島県の川内原発が近く再稼働するというニュースがありました。とても考えられないことです。国土強靱化と原発再稼働は矛盾するものです。地震大国、火山、大国日本では原発の再稼働はもはや無理です。
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 九州は活火山が多く、カルデラ大噴火した地域でもあります。原発を稼働させれば核廃棄物が出ます。それを地下に埋めるのでしょうか?10万年後の人類が宝物ではないかと掘り出すかもしれません。
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2015年7月 8日 (水)

二葉町に津波避難ビルが増えました

  二葉町には公共の津波避難ビルは、下知コミュニティ・センターだけでした。そのほか二葉町自主防災会と賃貸マンションの所有者との協定で「地区指定避難ビル」が14か所2014年にこしらえました。実施した防災世帯調査により地域の高齢化が一段と進行していたので、ビルの数を増やしました。

 そのビルの中で、二葉町自主防災会荒木三芳副会長と、高知市地域防災推進課山中チームのおかげで、津波避難ビルになっていただくところが増えました。

 まずは岡村ビルです。
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 ハイツ六和泉Ⅲもなっていただきました。
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 町田ビルもなっていただきました。
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 スカイパレス二葉も津波避難ビルになっていただきました。

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 とてもありがたいことです。

2015年7月 7日 (火)

高知新聞と讀賣新聞高知版に掲載記事がありました

交流の様子が、高知新聞と読売新聞高知版へ掲載されていました。読売新聞は昨日購入を忘れていました。ネットに掲載されていました。県域を超えた事前交流事業は関心が高いようです。
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画像をいただきました。
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2015年7月 6日 (月)

仁淀川町広報紙7月号です

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仁淀川町仁淀川町地域おこし協力隊小原紀子さんからの情報で、仁淀川町の広報紙「広報によど7月号」にも、長者での田植え体験が、だんだんくらぶの皆さんと高知市二葉町関係者との交流の様子が記事になっていました。

2015年7月 5日 (日)

今治市連合自治会防災部会・防災士連合会との合同防災訓練

2015年7月5日は、下知コミュニティ・センターにて、今治市連合自治会防災部会・防災士連合会との合同防災訓練が行われました。今治側は午前8時半に今治市役所を出発し、10時半過ぎに南国市道の駅から、山中晶一高知市地域防災推進課主査がバスへ乗り込み、高知市の防災・減災対策を説明いただきました。
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 11時過ぎに今治の皆様は下知コミュニティ・センターに到着されました。そして全体会が始まりました。
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 歓迎の挨拶を下知減災連絡会会長森宏さんが行いました。今治市側は今治市連合会自治会副会長の田中弘さんが挨拶をしていただきました。引き続いて下知減災連絡会事務局長の坂本茂雄さんから「高知の南海トラフ地震未災地の私たちが被災地に学ぶ交流の旅報告」を行いました。
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 講演の中で坂本茂雄さんは、共有化しなければならない課題として4つを上げました。

1)過去の体験から来る備えと危機感の温度差。

2)在宅被災者の格差課題の克服。

3)防災力・復興力を後退させいぇいた市町村合併。地域で「顔の見えるコミュニティの再構築」の必要性。

4)事前復興の重要性。
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 などでした。今日の合同訓練には、「東北被災地交流ツアー」に参加したメンバーである坂本茂雄さん以下、西田政雄さん、中岡久幸さん、公文秀明さん、荒木三芳さん、横田政道さん、武内則男さん、西村健一など8人全員が出席していました。

 続いて分科会へ移りました。4階では「市民トリアージと応急手当」を今治市の防災士会の皆様が寸劇を交え行いました。小学校でも講演されているとのことで、とてもわかりやすい内容でした。
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 クラッシュ症候群の危険性。家具などに長時間挟まれた人には水分補給をすること。直接圧迫止血法や、単純骨折固定法や、災害時に水洗トイレを非常時に水を流さず使用する方法を伊藤雅章さんと、砂田ひとみさんを中心にわかりやすく説明をされていました。
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 またミニHUG(避難所HUGは、避難所運営を皆で考えるためのひとつのアプローチとして考案されました。避難者の年齢や性別、国籍やそれぞれが抱える事情が書かれたカードを、避難所の体育館や教室に見立てた平面図にどれだけ適切に配置できるか、また避難所で起こる様々な出来事にどう対応していくかを模擬体験するゲームです。プレイヤーは、このゲームを通して災害時要援護者への配慮をしながら部屋割りを考え、また炊き出し場や仮設トイレの配置などの生活空間の確保、視察や取材対応といった出来事に対して、思いのままに意見を出しあったり、話し合ったりしながらゲーム感覚で避難所の運営を学ぶことができます。

HUGは、H(hinanzyo避難所)、U(unei運営)、G(gameゲーム)
の頭文字を取ったもので、英語で「抱きしめる」という意味です。)

 高知大学にある「防災すけっと隊」のOBの人達が中心になって運営いただきました。こちらへは参加していないので、今回がどのような内容で、どういう集約をされたのかはわかりません。
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 「支援力・受援力ミーティング」には、今治側から(田中弘副会長や、瀬野智之さん(今治市防災危機管理課係長ら5人が参加。地元からは若松町横田自主防災会会長と、吉本丸池町防災部長、坂本茂雄下知減災連絡会事務局長、高木妙市議も参加し、意見交換をしました。

 合意した事項は「普段からの交流が大事であり、それが絆になり、将来は高知市と今治市が災害時に相互支援協定を締結すべきであろう。」ということになりました・そのためには両市の市民同士の交流が何よりであり、今度は今治へ来てくださいねということも言われました。

 一方その間に炊き出し班は、今治側は名物の焼き鳥を屋上の災害時LPガスユニットで焼き、お米の炊飯は4階のベランダにガスコンロをツバメガスさんのご配慮で設置し、炊飯しました。ナムル丼を調理いただきました。
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 下知側は森会長が鰹を調達し、刺身とたたきに調理して搬入しました。飲み物は西森酒店からお茶とノンアルコール・ビールを搬入しました。

 4階の多目的室で大勢で食事をして語り合いしました。参加者各位も大満足頂きました。
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 そして二葉町町内会長の楠瀬繁三さんが締めの挨拶をしました。今治市防災士会の副会長の田窪豊弘さんも挨拶され、全体会合は無事に終了しました。
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 その後今治の皆様方は若松町の堀川岸壁の耐震護岸工事を見学され、五台山の展望台から高知市下知地域を眺望され、帰路につかれました。

 下知関係者はセンターの清掃と後かたずけをしました。事故もなく無事に事業は終わりました。

 安芸市から自主防災組織の女性部会長の仙頭ゆかりさんや、災害用防災食を開発されている小林智子さん(高知大学大学院)も来られておられました。センターの防災部会長の雑務に追われ、ろくに対応できずに申し訳ございませんでした。お詫び申し上げます。

減災活動先進地今治市防災士会に学ぶ(その3)

 市民トリアージと応急手当

 医療機関などとも協議され、指導を受けながら「市民トリアージ」を実践されています。「病院に運ぶ重症者と、救護所での応急処置が必要な継承者を振り分ける」ことです。とても参考になります。。

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2015年7月 4日 (土)

減災活動先進地今治市防災士会に学ぶ(その2)

 災害時のトイレ使用法について

 今治市の防災士会の優れているところは、自宅避難の場合の自宅トイレの安全な使用方法を懇切丁寧に書いていただいています。参考にしたいと思います。
 
  断水・停電を予想した対策が必要です。とても参考になります。

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2015年7月 3日 (金)

減災活動先進地今治市防災士会に学ぶ(その1)

 南海地震に備えについて

 基本中の基本をわかりやすくまとめていただいています。「大地震を乗り切る4つの基本」として、「1・家具の耐震補強」「2・速やかな避難。助け合い」「3・最低1週間分の備蓄」「4・災害時トイレの使用法について」です。

  家具の耐震補強は、家具の固定は、高知市下知地域では絶対にしておかないといけないことです。地震発生後地域では地盤が沈下する可能性があり、30分後に津波が襲来する恐れがあります。

 家具に挟まれたり、低層住宅からすばやく脱出できませんと、浸水が始まりますので、その時点で助かりません。

 またご近所同士顔見知りになり、声を掛け合って、近くの津波避難ビルや、津波一時避難(退避)場所へ駆け上がり、24時間は待機しましょう。

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2015年7月 2日 (木)

長者だんだんついしん 7月号

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 仁淀川町長者地区で活発な地域活動を展開されているだんだんくらぶ(西森勇幸会長)が「長者だんだんつうしん 7月号」を発行され送付していただきました。

 編集者は仁淀川町地域おこし協力隊の小原紀子さんです。5月30日の二葉町関係者の田植え体験にも取材に来ていただきました。北海道のご出身と聞きました。地域コミュニティの通信や新聞もいいですね。下知地域では「広報下知減災」(下知減災連絡会)があります。将来下知地域内連携協議会でも地域コミュニティ紙の発刊は検討課題ですね。
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2015年7月 1日 (水)

今治市防災関係者との合同防災訓練のスケジュール

  今治市連合自治会防災部会・今治防災士会との合同防災訓練のタイムスケジュールがだいたいできました。あと心配なのは7月5日当日のお天気です。調理を屋外の下知コミュニティ・センター屋上で行いますので。

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