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2015年7月25日 (土)

東北被災地に学ぶ交流の旅(その2)2日目

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2日目は東松島市の宿舎よりチャーターバスで、直接石巻市流留字二番囲いにある一般社団法人チーム王冠の事務所を訪問いたしました。そこで「被災弱者」(岩波新書)の著者である岡田広行氏に会いました。

「被災弱者」を読んで  http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-e94c.html

 チーム王冠のスタッフである清水昭良(住宅担当)や、大野さんにもお会いしました。そこで在宅被災者の一人である阿部悦子さんに被災当時の話を聞くことが出来ました。

 チーム王冠ホームページ  http://team-ohkan.net/

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 「勤務先は女川町。自宅は(チーム王冠事務所の近所)でした。津波は女川では地震発生後13分で襲来。石巻市では40分後に来ました。家族は全員無事でした。

 子供たちは自宅近くの避難所へ行きましたが、大勢の人たちが既に来られていて、入ることが出来なくて、自宅の2階で在宅避難生活を始めました。」

 「石巻市は水産加工業が盛ん。冷凍食材なども流れてきたので皆で食べました。笹かまのメーカーさんも被災者に笹かまを差し入れに来てくれたりしました。」

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(再建された石巻港付近の水産加工会社)
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(震災直後の石巻市中心街。浸水しています。河北新報写真集より)


「石巻市の自宅で水道が出たのは5月末。電気は月になったからでした。お風呂は2か月入っていませんでした。」

「自宅から避難所へ通ったわけですが、支援物資が届き始めても配布の方法が適当で、列に並んでいても後ろの人には配給が渡らないこともありました。

 トイレットペーパーなどは袋から出して1人1個にしました。3個ひとまとめの缶詰もバラして1人1個にしました。みんな大変ですからそうすることで、物資が行き渡るようになりました。」

 阿部悦子さんは、リーダーシップがあり、在宅避難者として地域のために交渉したりされたとか。当初市の指定した避難所には支援物資が山積みされるようになっても、在宅被災者には情報が届きませんでした。そこを支援して被災者と行政を繋ぎ役目をされたのが、「チーム王冠」でした。

 震災後の対応でも、避難所ー応急仮設住宅入居者と、在宅被災者では大きな支援物資の配給でも差があったそうです。例えば日赤が応急仮設住宅入居者には「家電6点セット」を無償で提供したそうです。テレビや冷蔵庫や洗濯機・電子レンジなどです。

 在宅避難者にはその恩恵はなかったとのことでした。

 チーム王冠の大野さんや伊藤さんに聞きますと、指定避難所―応急仮設住宅の「お役所指定ルート」から外れている、多くの在宅被災者や、「みなし仮設住宅」として民間賃貸住宅に居住した被災者にはなかな市役所からの情報が伝達されなかったようです。

 また阿部悦子さんは「全国各地から被災地の支援に役所の人達やボランティアの人達や学生たちが来てくれます。その場合被災者は何をどう支援してほしいか、はっきり言うことが大事です。」と言われました。まさに「受援力」(支援を受ける力)のことでした。

 地域の事情を正確に伝え、地域の再建のマンパワーになっていただくことが出来れば、結果として地域の再建もより速くなると言うものです。そのためには被災者の中から「動ける住民」が必要であるということです。

 教訓は「受援力」を日頃から意識し、まとめることと、在宅避難者の実態を地域が把握し、正確に市役所に伝えることです。全国から来られるボランティアが地域で何してわからずに、右往左往するのではなく、きちんと被災地域住民が指示する必要性も言われました。

 この場には東京から阿達雅志参議院議員(自民党)も駆けつけていました。支援の手が薄かった在宅被災者の調査に来たとの事。現役時代に被災者支援活動をされていた武内則男さん(元参議院議員・民主党)とも、党派を超えた情報交換をされていました。

 石巻市が甚大な被害を受けたこと。市役所の職員も多く亡くなったことなども、想像以上に被災者が苦労された原因の1つであることがわかりました。

 阿部悦子さんは、支援に来られた女子学生が「こちらは地域の繋がりがあるからいいんですが、東京で地震が起きたら何をしていいかわからない。」と言いますと、阿部う悦子さんは「そんな時は大きな声で、私お手伝いします!と言いなさい。大変な時は皆を元気付けないと駄目。若い人は若い人の役目があるのだから。」

 次にチーム王冠さんに連れて行っていただいたのは石巻市渡波・家の前地区。震災後地盤が沈下し、満潮時に自宅が浸水すると言う長期浸水地域になっていたところでした。チーム王冠の大野さんと、岡田さんの案内で行きました。小松和子さんと言う女性に会いました。
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「自宅は当初一部損壊との認定でした。これではわずかな見舞金しかいただけない。家の修繕は出来ません。チーム王冠の皆さんのご支援もあり、石巻市役所に何度も掛け合い半壊あつかいにしていただきました。」

「地域の繋がりも震災後崩壊。チーム王冠さんの「お茶っこバス」は大変良かったのですが、廃止になり、以後地域の繋がりはありません」と寂しく言われていました。

 お茶っこバス 自宅避難の被災者住民の交流場所として、チーム王冠がバスを借り上げ、石巻市からの委託事業として3年やっていましたが、最近委託が打ち切られたそうです。
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 お話を聞くと、避難している間に家屋損壊の認定をされたのではないかとのこと。外観調査だけではわからないところもあります。ましてこの地域は、地震後地盤が沈下し、満潮時には海水による浸水もあり、水はけも悪いので、家の鉄骨部位には腐食が進行しているようでした。

 観察すると他にも傾いた家屋がありました。修繕できないまま、他所へ行かれた人もあるようです。地域コミュニティが弱ると、災害復旧もなかなかできないという深刻な事例には、衝撃を受けました。

チーム王冠の皆様に、津波跡が残る地域と海岸を案内いただきました。かつて人家が密集していた住宅街は跡形もない状態には、息を呑まれました。
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 大街道地区の行方璋房さんの自宅も震災当時は2階の出窓まで津波で浸水しました。県道の拡張工事の予定地になりましたが、一向に工事が始まらないようです。買収になれば、その資金で別の場所に家屋を建設する予定ですが、一向に進展しません。
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 それで自力で自宅を応急処理して住んでいます。壁や天井は、避難所にあった厚めの段ボールで覆っています。断熱材も入っていないので、冬場は寒いようです。
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 災害支援の支援金を1度使用しますと、2度目が使えないという制度の制約があります。家の建て替え資金に使えないのです。ですので自力修繕して自宅に住んでいます。

 震災当時は石巻専修大学の避難所や仮設住宅にもおられましたが、場所が遠いので自宅を自力で修繕し住んでいるそうです。なんとかならないものかと思いました。周りも空き家が多いです。
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 海沿いの日本製紙石巻工場も震災当時津波で大きな被害を出しましたが、現在では復旧していました。
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 地域コミュニティの力で集団移転を成し遂げました。(東松島市)

 東松島市の大野哲郎さん。防災集団移転事業で、罹災した立沼地区から,矢木西地区へ地域ごと移転されていました。既に移転は大半は終了。大野さんの自宅も再建されていました。
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’震災直後の東松島市大曲地区。河北新報写真集より)

「ローンは息子との親子ローンで大変は大変。でも皆が安心して眠れるようになった安心感には代えがたい。なによりです。」とのことでした。
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 仕事の方も農業法人を仲間と組織し、補助を受けトマト栽培のハウスも建設していました。仕事も家屋も再建されています。
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 何よりも地域のまとめ役としての大野さんの指導力と仲間との信頼関係があり、東松島市役所との協働で、集団移転事業を仕上げたことが素晴らしいです。つくづく地域コミュニティの大事さを話しを聞いて思いました。

 話を伺いますと立沼地区へも過去に航空自衛隊松島基地の拡張などで、集団移転された経験も地域にあったそうです。それゆえ集団移転事業に対してノウハウが蓄積されたいたことも順調な集団移転に繋がったのでしょう。

 かさ上げや土地区画整理事業をされているところは、未だに底地が工事中。そのなかで既に家屋も新築されている東松島市の集団移転事業スピードは凄いと思いました。

 また大野哲郎さんに、東松島市の運動公園(かつて宮城国体でソフトボール球場として整備された)に、大規模な防災倉庫の存在には腰を抜かしました。東松島市の人口46000人の3日分の食料備蓄されています。高知市には全くありません。
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 高知市街地の低地に居住する15万人の高知市民に対する高知市役所の救援・支援体制は東松島市に比べとても貧弱でした。
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