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2015年6月

2015年6月30日 (火)

下知地区減災連絡会役員会


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 下知地区減災連絡会役員会が、2015年6月30日に下知コミュニティ・センターで開催されました。役員定数の過半数を超える出席と委任状がありましたので、役員会は成立しました。
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 森宏会長は「いろいろと忙しい中下知減災は事業が多くて大変です。皆で力を合わせて頑張りましょう。」と挨拶されました。

 議案は坂本茂雄事務局長が説明されました。2014年度の事業報告と決算報告がされました。事業報告の中で「この間、高知市とともに取り組んできた昭和小校区津波避難計画策定段階の地区指定ビル(下知地域の自主防災会が所有者と協定を締結した建物)と、高知市の作成した昭和小学校校区津波避難マップにおける「地区指定の津波避難ビル」の扱いを巡って齟齬を生じることになり、今後に課題を残しました。」とありました。

 下知地区減災連絡会加盟の各自主防災会は活発な独自の活動をされています。決算報告の説明もされました。

 一方2015年度の事業計画(案)につきましては、下知コミュニティ・センター防災部会との連携事業も多くあります。なかでも内閣府の「地区防災計画モデル事業」に高知市下知地域は27年度に全国22地域のなかで選ばれました。

 地区防災計画(内閣府)http://chikubousai.go.jp/

 7月10日の関係者顔合わせ会をスタートに、行政、コンサルタント、などを交え下知減災連絡会の役員も交えた検討会で議論をしていくことになりました。
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 また来賓で来られていた高知市地域防災推進課の山中チームより「下知地区における防災の課題と対策」「津波避難ビル指定重点対策プロジェクト」の説明がなされました。市役所と住民各位が情報を共有化することを再度確認しました。
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 7月5日(日曜日)に下知コミュニティ・センターにて開催する「今治市連合自治会防災部会・今治市防災士会による高知市下知地域への災害時支援共同防災訓練」について、西村健一下知コミュニティ・センター防災部長から説明がありました。
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 国見俊介地域内連携協議会会長からは、7月18日(土曜日)にちより街テラスを会場に開催されます「スマイル・しもち」の概要説明と協力依頼がありました。
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  真摯な議論で、役員会は終了しました。

下知地域内連携協議会役員会


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 下知地域内連携協議会(2015年度)第1回役員会が、知寄町の下知消防分団会議室で行われました。16人定数のうち12人が出席していますので、役員会は成立しました。

 国見俊介代表の挨拶の後、議題の審議にはいりました。
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1)「高知市長との意見交換会」について

 7月17日に午後5時から8時までの間で実施予定。あらかじめこちらから出した質問や意見井を踏まえ、30分程度市長が発言。その後意見交換会を行います。
 懇親会も実施します。
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2)SMIL FESしもじ について

 ちより街テラスの道路側の屋外部を利用して下知地域の交流イベントを開催します。現在10程度の地域にゆかりのある店舗やグループのブースが出店予定。

 可能であればちより街テラスは、地域の津波避難ビルにもなっています。時間を決めて、参加者の津波避難ビル施設見学ツアーも検討中。国見俊介代表が、ちより街テラス側と折衝中です。
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3)ラジオ体操の件

 7月27日から8月7日の平日の10日間限定で、朝6時半から青柳公園集合でラジオ体操を行います。子供たちだけではなく地域の大人たちも参加しましょう。すぐ近くの坂本茂雄さんがラジオなどの段取りをすることになりました。

4)着衣水泳の件

 8月まではプールを使用との事。具体的には提案者の池田文七さんと相談することになりました。

5)地域に笑顔の花を咲かす交流会の件

 11月以降に持ち寄りで忘年会をやってはどうか。
  専門業者からテイクアウトの食品を購入し、1人2000円程度会費で下知コミュニティ・センターでやればどうか。若い世代との交流もしたいので、バンドをやっている地域の人に出演をしていただいたらどうでしょう。という意見も出ました。

6)藁工ミュージアム夏祭りの件

 8月15日午後4時から8時半の予定で、蛸蔵を活用し、怪談風の演劇を披露したい。ついては盆踊りも行い、出店も5店舗ぐらい出店していただきたい。地域と繋がりたいので、ご協力をお願いしたい。とのことでした。

7)今治市連合自治会防災部会・防災士連合会の皆様と下知地域の自主防災会有志との合同防災訓練について。下知コミュニティ・センター防災部会の主催行事です。

 7月5日午前11時より、下知コミュニティ・センター全館を使用して、合同訓練を行います。メニューは「ミニHUG]「市民医療トリアージ」「災害時に自宅のトイレの使用方法」「支援力と受援力の意見交換会」「合同炊き出し訓練」です。

 その他藁工ミュージアムより7月12日から開催されます「TURN/陸から海へ:の展覧会の説明がありました。

 

2015年6月29日 (月)

東北の皆様の想いが詰まった資料を公開します

2015年6月20日から23日の予定で、高知の下知地域と防災支援活動を行っている人たち総勢8人(+現地集合1人)で、「東北被災地交流ツアー」を実施いたしました。事前資料として45ページの意見交換会用の資料を、団長の坂本茂雄さんにいただいていました。坂本さんから掲載の許しが出ましたので掲載させていただきます。何かの参考になれば幸いです。

坂本茂雄さんは、現地から送付された資料を拡大コピーしたり、切り貼りしたりして「加工」し、旅行参加者全員に事前に資料を配布していただきました。紙面に登場する人や現地に実際に行きましたので、大変参考になりました。うちのスキャナーの性能が今一つなので、細かい字は見えにくい。それでも各紙の見出しを見ていましても、震災後4年3か月経過するのに復旧・復興がままならない厳しい現実を思い知らされます。

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2015年6月28日 (日)

何故復興・復旧が遅いのか?

 2015年6月20日から23日の間、高知からの有志8人と、現地集合した名古屋大学環境学研究社会学講座准教授の室井研二さんの合計9人で、「東北被災地交流ツアー」をしました。石巻市、東松島市、女川町、名取市の地域づくり組織の人達や、被災者の皆さん、被災者を支援されているNPO団体などと意見交換しました。

 現地で予約したバスで4日間廻りました。ある時室井先生がこう言われました。

「2004年に被災したインドネシアのアチェへ昨年行きました。市街地は家屋やビルで埋まっていました。復興していました。

スマトラ島沖地震から10年、めざましい復興が分かる比較写真

http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/11/boxing-day-tsunami-pictures_n_6306600.html

 それに引き替え日本は震災から4年3か月経過しているのに、未だに工事中。あと年は工事にかかるところもあるとか。なぜ日本はこれほど復興に時間がかかるのか?」

「インドネシアも政府は津波危険地区を指定していたそうですが、住民は無視して家を建てました。その是非はどうなのか考えてみる必要はありますね。」と言われました。考えさせられました。
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2015年6月27日 (土)

10年前の内閣府の調査

 丁度10年前の2005年(平成17年)に内閣府が高知市下知地域を調査していました。ほとんど当時の記録はありませんが、かろうじて探し出しました。

http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/files/tunamihinan-biru.pdf

 PDFファイルしか痕跡はありません。

 2005年は、未だに二葉町自主防災会は設立されていません。当時は阪神大震災から10年目でした。前年に新潟中越地震がありました。内陸型の直下型地震が日本国内で起こり、2004年にスマトラ沖地震がインドネシアで起きました。

 スマトラ沖地震は巨大地震で大津波が沿岸地区を襲い、知人のご家族も亡くなりました。しかし当時今ほど南海地震については意識はしていませんでした。

 今年内閣府の地区防災計画モデル事業に高知市下知地域もエントリーし、採択されました。これから策定していく作業があります。

 内閣府地区防災計画  http://chikubousai.go.jp/

10年前の内閣府の「津波避難ビル等に係るガイドライン検討会」に資料を掲載します。

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2015年6月26日 (金)

今治市防災士会との下知減災との合同訓練事前打ち合わせ


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 2015年6月25日に、下知コミュ二ティ・センターにて、今治市防災士会の伊藤雅章さんと、砂田ひとみさんが、事前打ち合わせに来られました。今治市の防災会関係者とは2009年10月11日に青柳公園にて合同防災訓練を実施しました。それ以来です。
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 「支援力・受援力向上ミーティング」「市民トリアージと応急手当」「宮城県被災地域視察報告」」「ミニHUG(避難所運営ゲーム)」「防災合同炊き出し訓練」など盛りだくさんの内容でした。下知減災連絡会のメンバーや、高知市地域防災推進課、NPO法人高知減災ネットワーク、高知大学大槻准教授、HUG推進委員(高知大学防災すけっと隊関係者)などが参加しました。
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 7月5日(日曜)に、下知コミュニティ・センターを主会場に事業を行うことになりました。

 それでだいたいの概要が決まりました。

1)今治から支援に来られるメンバーは、70人前後。下知減災役員主体では30人程度。高知大学が4人程度です。

2)タイムスケジュールと役割分担です

午前10時30分   南国市道の駅(高知市地域防災推進課)バスへ乗り込み

         高知市の想定被害状況と高知市の防災対策の概要説明。

午前11時     下知コミュニティ・センター到着
         全体オリエンテーション・開会式(4階多目的室)
         今治側挨拶 下知減災側挨拶

         「東北被災地交流ツアーの報告」
         下知減災連絡会事務局長 坂本茂雄氏

午前11時半   分科会スタート・防災合同炊き出しスタート

         (分科会会場は。会議室C・会議室A・会議室Bを使用)。

         ミニHUG  市民トリアージ・支援力・受援力ミーティング
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         (炊き出し班は、屋上LPガス災害用ユニット使用)
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午後1時     炊き出し食材で、食事をしながら全体意見交換会

午後2時     意見交換会終了。

         今治側は、若松町耐震護岸工事を見学。五台山展望台見学帰路へ

         下知側は 会場撤収作業に。

 というスケジュールになりました。梅雨時です。大雨にならないことを祈るばかりです。

2015年6月25日 (木)

雨漏り対策をしています。


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 2015年6月20日から23日まで、「東北被災地交流ツアー」に行っておりました。多くの成果が得られました。情報を整理する時間が必要です。
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 その間に事務所と自宅の雨漏り対策と言うことで、総足場が組まれていました。雨漏りが怪しい個所を建築業者さんたちが点検し、コーキングをされています。
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 明日から3日間高知市は雨の予報。コーキング処理で雨漏りが止まれば儲けものですが・・

2015年6月24日 (水)

健康保持も減災対策ですね

  大災害は、人間に大きな脅威を与え、ストレスを与えます。健康な人でも体がおかしくなります。まして持病を持たれている人は尚更大変です。

 津波や浸水の脅威から安全に避難するためには、まず近くの避難ビルや高台へ駆け上がることです。それが素早くできなければ、命はありません。南海地震の厳しい現実でしょう。おそらくそうなります。

 高齢者であっても日頃から足腰を鍛え、持病を克服し健康であることが、何よりの防災・減災対策になります。
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 日頃から活き活き100歳体操(介護予防体操)で体を動かすことが大事です。中高年から心がけないといけないです。

2015年6月23日 (火)

損害保険会社に学ぶ南海地震リスクマネジメント


 ある損害保険会社の人と面談しました。損害保険会社としての南海地震対策をじっくり話しを聞きました。保険会社らしく「30年以内にあう自然災害や事故など」と、「30年以内に震度6弱以上に見舞われる確率」と称するデータを見せてもらいました。

 台風が通過する確率は100%です。地震にあう確率は地域によって異なりますが、高知は70%です。高知より高い確率の都市は、静岡(89・7%)、横浜(71%)、津(87.4%)、奈良(70・2%)、千葉(75.2%)の5都市だけですね。津と静岡・高知は東海・東南海・南海の連動型南海地震の震源域でもあります。
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 損害保険会社らしい」データと言えば、交通事故で負傷する確率は24%です。火事で被災は1.9%航空機事故で死亡となると0.002%です。それからいいますと南海地震の70%というのは高い確率ですね。
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 2010年時点で「30年以内に起きる確率が99%」とされた宮城県沖地震。予想の14か月後に東日本大震災として巨大地震としておきました。南海・東南海・東海地震の起きる確率も高いです。60%以上ありますから。
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 企業においても高い確率で起きる南海トラフ巨大地震対策を事前に可能な限り行うことが大事であると言われています。それは「従業員の安全確保」であり、「資金対策の手当てが最優先」です。
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 資産の損害に対しては、ファイナンスや保険などの準備が必要です。事業中断による損害に関しましては、「目安として月商の1か月分」の費用をもしもの災害時には手元に現金化しておく必要があります。
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 またトヨタなどの大企業は、たとえ大災害に遭っても、「5日以内に納品すること」が原則のようです。大企業は「待ってはくれない」のです。継続納品をできる体制でないと、取引は維持できないのです。

2015年6月22日 (月)

五台山を2次避難場所に

 二次避難施設の探索と検討を考えました。

 高知市の五台山を「二次避難場所」に検討しています。
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 下知地域に近く、五台山は湧水があり、山菜も豊富。山なのに意外に平地が多く、長期の避難場所としても有効活用できるでしょう。高知市市街地の全貌が鳥瞰できます。
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 また将来「防災公園」や、行政側の防災支援拠点施設としての整備も望まれる地域です。具体的には、10月25日(日曜日)に、周辺自主防災会との共同で、五台山2次避難訓練を実施する予定です。

2015年6月21日 (日)

単線型災害復旧のありかたの変革を


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 大災害時には、日本の場合「災害救助法」とかの法律があります。それによりますと、災害で自宅など住居を失った被災者は、避難所へ収容され、それから応急仮設住宅へ収容されます。おおむね2年で、自宅の再建か、出来なければ復興住宅へ移ります。
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1995年の阪神大震災時ではごく1部でしたが、被災者が自ら借用した民間賃貸アパートの家賃を行政側が補償する「みなし仮設住宅」も東日本大震災では多く見られたそうです。

 しかしながら現在の行政側のルールでは、応急仮設住宅の床面積は9坪弱となっています。大半がプレハブの住宅です。


応急仮設住宅の面積

  単 身 用 : 19.8 ㎡程度(6型:6坪相当)
  小家族用(2~3人) : 29.7 ㎡程度(9型:9坪相当)
  大家族用(4人以上) : 39.6 ㎡程度(12型:12坪相当)
  応急仮設住宅の1戸当たりの規模は、平均 29.7 ㎡(9坪相当)を基準とします。

 「応急仮設住宅」の名称からして、あくまで短期間の被災者の収容施設(最長2年)とされていますが、東日本大震災のように、土地そのものが大津波で流出したりしています。高台を造成したり、元の地域をかさ上げし造成した後に住宅を建設する段取りになるので、早くて数年後、時間がかかれもより長期間仮設住宅に居住せざるを得ません。

 阪神大震災で全半壊家屋は24万戸。東日本大震災で40万戸。南海トラフ大地震での予想では164万戸とされています。到底応急仮設住宅建設は、災害罹災後2か月後の入居など不可能でしょう。

 まして高知県は県土の84%が山間森林部であり、居住可能な平野が低地で高知市下知地域のような海抜0メートル地帯に、15万人が居住しています。地震で地盤が沈下したら、地盤そのものをかさ上げし、耐震補強してその上に住宅を建築するとなると一体何年先になるのか見当もつきません。

 そこで4年前から二葉町が行っている仁淀川町との「災害時に疎開を前提とした交流」の意義目的は、「空き家や休眠施設などの有効活用できないか」と言うことです。お互いの地域が顔見知りになり、コミュニティの維持をしながらの長期避難対策(3次避難9を想定しています。

 県や高知市の反応は冷淡であり、「いいね」とは言いますが何の支援もしません。従来型の発想の行政主導の災害復旧対策は、この事例からもわかるように「地域コミュニティを維持する活動への支援」には極めて冷淡です。これでは南海地震が起きた後に、住民が奮起して自力再建は極めて難しい状況となるでしょう。

 私たちの主張には根拠があります。高知県は県人口が毎年5000人減少しています。空き家率が全国でも高率です。であるならば「空き家」を事前に有効活用して、被災者対策に出来ないか。そう思います。

 その構想についてはおいおいに記述したいと思います。

2015年6月20日 (土)

陸上自衛隊による水難救助訓練

なんかはっきりしないお天気ですね。いつもは休日にはシーカヤックやヨットの愛好者で賑わう香南市夜須の海の駅クラブのハーバー。仕事の途中で寄りました。
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 陸上自衛隊の人達が、手漕ぎボートで海上で、水難救助訓練をされていました。心強い存在ですね。高知市下知地域が南海地震で水没した折には、救助をお願いしました。
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2015年6月19日 (金)

一次避難・二次避難・三次避難・四次避難

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 大災害→避難収容所→応急仮設住宅→災害復興住宅・住宅再建 という災害救助法による単線的な災害復興事業だけでは、15万人と言われている高知市の低地の被災者は行き場もない被災弱者になることでしょう。
 空き家率が全国で1番か2番の高知県です。また高齢化率も高い高知県です。それゆえ従来型の単線型災害復興事業の推進では、「震災関連死」も増加するでしょうし、「生活再建」など到底出来る筈はないと思います。

 それで構想段階に過ぎませんが、南海トラフ巨大地震に対する復興・復旧の概念を表現してみました。

一次避難(津波避難ビル・避難収容施設へ)→二次避難(五台山への避難・福祉避難所)→3次避難(疎開・空き家の活用)→4次避難(復興・復旧計画の実施)

1) 一次避難
 
  自宅で大地震から安全に避難ができたら、浸水や津波からの避難が必要。もよりの津波避難一次避難(退避)場所や津波避難ビルへ駆け上がる。状況が落ち着いたら、避難収容所(下知コミュニティ・センター)へ行く。
 自宅が無事である住民は自宅避難を実施。避難収容所と自宅避難者と連携や連絡を密にする。地域の被害状況を可能な限り、正確に迅速に把握しなければいけない。
 この場合「SOSカード」などを活用し、高齢者、疾病者、障害者の人達は避難収容所ではなく、福祉避難所や、交流のある地域の空き家などへ転送する。

2) 二次避難
 
 下知地域であれば、近くの高台である五台山(ごだいさん)へ、元気な者、現役世代、若者は二次避難する。五台山には湧水があり、野草類も豊富。あらかじめ防災用テント(ゲルなど)や非常用食料などを備蓄し、防災倉庫を構えます。
 長期間の避難生活をしながら、徒歩などで下知の罹災状況を確認する。また各町内で復興計画の検討を行い、行政との真摯な協議を行う。

3) 3次避難(交流のある地域の空き家への疎開)

 高知県や四国各地は空き家率が高い。空き家を日頃から注視し、有効活用する方法を
 検討し実行すれば、」大災害時に有効活用が出来ます。
二葉町が交流している仁淀川町や、徳島県三好市、愛媛県今治市などの空き家や、秋施設の有効活用し、人間らしい生活を早急に営むことです。
  プレハブタイプの応急仮設住宅は、9坪しかなく狭くて長期間住むことは高齢者や疾病者には過酷です。震災関連死をなくすためにも空き家の活用が必要。  
  そのためには普段からの地域間の交流が必要であり、相互の自治体の交流と支援も必要です。

4) 4次避難(復旧・復興事業の事前対策)

  二次避難、3次避難している間に復旧・復興対策の議論が必要。
事前に日頃からの議論を活発にしなければならない。地区防災計画のなかでも事前復旧・復興対策の議論をしていけねばならない。その継続がなにより大事です。

2015年6月18日 (木)

市民目線での減災対策を考えました(第1弾)

 過度に行政に依存するわけではない。また情報通信機器や平時には便利な社会インフラに依存することなく、電源を仮に長期間喪失する事態になったとしても、あわてず騒がず、明るく被災生活をし、復興・復旧計画を前向きに考えることは、地域の中でできないだろうか。

 荒唐無稽な考えも散見していますが、あくまで「市民目線」で、減災対策を考えてみました。

「市民目線での減災対策(高知市下知地域)」

南海トラフ巨大地震から高知市下知地域で生きのびるために

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(南海地震が起きれば高知市は1000年前の状態になるでしょう。わたしの地域も水没します。)

南海トラフ巨大地震の想定が、南海単独であろうが、3連動(南海・東南海・東海]であろうが、巨大地震(L2・東日本大震災規模)であろうが、私達の居住する高知市下知(しもじ)地区の二葉町は、地盤が沈下します。最大で約2メートル沈下すると言われています。地震・津波による被害以外に長期浸水する市街地です。いつ浸水が解消されるのかは、県当局や高知市役所から現在のところ明示されていません。
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(1946年の昭和南海地震では、3か月間水没しました。)

 地域に高台はなく、耐震性を満たした避難収容施設は二葉町町内に1か所しかなく、全く足りません。あいつぐ地震想定の公表で、地価は下落。地域は空き地や空き家だらけです。自分の所有する土地建物を売却し、津波や浸水の影響のない高台へ移転することは個人レベルでは実質不可能になりました。

 地域には高齢者が多く、その多くは耐震性のない木造の低層住宅に居住しています。海に近く、南海地震時には揺れている最中に地域の浸水が始めるとも言われていています。命を守るために自主防災会は、賃貸マンションの所有者と「津波一時避難(退避)場所」(高知市役所の表現では「地区指定避難ビル」)を高齢者、要支援者の自宅近くに配置しています。それ以外に二葉町などの下知地域では浸水と津波から助かる方法はありません。(古いビルゆえ、高知市の認定している「津波避難ビル」にはなれない建物です。二葉町は13か所の地区指定避難ビルがあります。市役所認定の津波避難ビルは2か所しかありません。)
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 運よく助かったとしても問題は「その後」の支援策です。想定では高知市下知地域は全域が現在海抜が0メートルですので、最大2メートル地盤が沈下します。長期浸水状態になり、浸水は容易に解消されません。また海水に浸水した家屋は全壊状態と同じで、解体し建て替えをしないと居住できないと思います。

 そうした悪条件の「生きのびることが難しい」「生活再建が極めて難しい。」高知市下知地域で、私達なりの生きのびる方策をいくつか考えました。荒唐無稽なアイデアもありますが、地域特性を考慮したものです。「上意下達式の防災対策」ではなく、市民の目線での減災対策を真摯に実行して行くことを念頭に考えました。

(今までに取り組んできたこと)

1)二葉町全世帯を対象とした「防災世帯調査」。2007年より3回実施。地域の人口動態や世帯の傾向、要支援者の把握を行いました。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-3e81.html

2)二葉町町民各位の自宅近くの「津波一時避難(退避)場所」であるビルの選定と所有者との協定、市指定の「津波避難ビル」の選定も行い、2007年度の11箇所空、2014年には15箇所に増加しました。(防災世帯調査の結果、高齢化が進展しているので「津波一時避難(退避)場所」を3か所増やしました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat50762154/index.html

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 二葉町防災マップは町内の全世帯に配布しました。また町内の掲示板や塀などにも貼っています。
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3)仁淀川町との疎開を前提とした相互交流は、2011年4月から始まり、形を変えて継続してます。最近は仁淀川町の長者地区との交流がより親密になっています。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-03ae.html
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4)仁淀川町との交流は「大災害時に疎開を前提として」普段の交流をしています。2014年は3月の桜の季節に訪問。4月には集落改善センター開所1周年記念祝賀会に参加しました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-601a.html

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 6月には田植え体験に19人が参加し交流しました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-ee34.html
 2015年度には5月30日の仁淀川町長者での田植え体験に、二葉町関係者は9人が参加しました。11月3日の下知地区の昭和小学校で開催される地域のイベント「昭和秋の感謝祭」には長者地区のだんだん倶楽部の皆様が地元食材を持参し販売いただきます。

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5)二葉町内の津波一時避難(退避)場所への避難行動と、下知コミュニティ・センター(避難収容所)との携帯トランシーバーを活用した情報伝達訓練を実施しました。(2014年8月31日実施・同日下知減災連絡会でも実施)

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-ba99.html

6)国際信号旗の採用

 免許不要の携帯式簡易トランシーバーは、伝達距離が1キロ程度。市街地では500メートルです。障害物(ビル)があれば使用不能になります。そこで船舶関係者が情報伝達手段である「国際信号旗」を使用すれば、外国の船舶関係者にも伝達できる。

 避難所にV旗を掲揚すれば「本船は救助が欲しい」という意味なので、この建物に避難者がいることを宣言することが出来ます。海に近い高知市下知地域の特性を活かした情報伝達手段です。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-8cdf.html

 国際信号旗は万国共通のルールが制定されたのが、坂本龍馬たちが活躍していた時代です。国際信号旗(こくさいしんごうき、international maritime signal flags)は、海上において船舶間での通信に利用される世界共通の旗であります。国際信号旗は1858年に英国で制定された国際通信書によって世界的に統一されています。

7)自宅マンションを避難施設・防災拠点施設へ強化する試み

 下知地域内にあるサーパス知寄町1自主防災会では、一般社団法人マンションライフ継続支援協会(MALCA)の助言・指導を受けながら、マンション防災計画の策定をしようとしています。

 自分たちの居住する分譲マンション自体を「津波避難施設」「防災拠点」にする構想です。周辺の下知地域住民との連携も深めています。

8)昭和小校区市民防災プロジェクト

 地域の小学校である昭和小学校の父兄たちや、地域住民が協力し合いながら、市民がつくる市民のための「地震・津波への対策・一次避難場所」をつくる!というゴールに向かって、プロジェクトを立ち上げました。

 関係者が地域の「まちあるき」を実施。危険個所と津波避難ビル候補を確認。地域の分譲マンション複数が、津波避難ビルとして締結しました。若い現役世代の防災への関心を高めました。

9)昭和秋の感謝祭とあそぼうさい

 11月3日に地域のコミュニティをネットワークする団体である下知地域内連携協議会の主催で11月3日に昭和小学校で開催されます昭和秋の感謝祭。地域住民の交流の場で4年前から開催。
 
 ここでは「あそぼうさい」として消防関係者による放水体験、消火体験、煙体験、起震車体験、はしご車体験もされています。今年は「防災運動会」も検討されています。


(検討している課題について)

1)「疎開保険」の検討

 昨年仁淀川町側より「疎開保険」の提案がされました。1人年間1000円の会費を二葉町契約者が払う。もしもの時に宝来荘に宿泊し、空き家探しを行うことが出来る。その間宝来荘を安く利用できるなどの特典が提案されています。まだ検討協議中です。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-7d0a.html
2)疎開避難場所の選定について

 仁淀川町の家屋を所有している知人から無償で家屋を借りています。しかし6年位住んでいないために廃屋状態に。手入れさえすれば居住は可能ですが、その費用が出ません。「みなし仮設住宅扱い」を行政側がしてくれて、支援を戴ければ、二葉町は独自に町民用の避難住宅をいくつか仁淀川町内に確保することが出来ます。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-b57b.html

3)災害時の傷害保険の検討

 自主防災会活動は、「無保険状態です。」。訓練時に限った障害保険を掛けることはありますが、消防団員のような補償は全くありません。これでは「共助」は絵空事です。行政側は全く対応しようとしません。

 現在私も所属しているNPОと保険会社とて「設計中」です。「共助」は現状では絵に描いた餅です。行政は自助・共助・公助の割合を、7対2対1と言いますが、行政の2倍も働かないといけないのに、無保険・無保証では無理な話です。


4)SOSカードの作成への試み

全世帯を対象とした「防災世帯調査」を二葉町は実施しました。町内のデータはももっています。しかし周辺の町内はまだ実施していません。それとは別に各個人が携帯カード式で「SOSカード」を下知地域の全世帯に配布したいと検討しています。「わたしは●●に障害があります。」とカードの表に表記し、裏には保険書番号や病歴・介護歴を記述し、薬手帳も携帯する方式。避難所ですぐに手が打てます。自主防災会では予算がないので、社会福祉協議会等に支援を要請しています。
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5)二次避難施設の探索と検討

 高知市の五台山を「二次避難場所」に検討しています。

 下知地域にほど近く、五台山は湧水があり、山菜も豊富。山なのに意外に平地が多く、長期の避難場所としても有効活用できるでしょう。高知市市街地の全貌が鳥瞰できます。

 また将来「防災公園」や、行政側の防災支援拠点施設としての整備も望まれる地域です。具体的には、10月25日(日曜日)に、周辺自主防災会との共同で、五台山2次避難訓練を実施する予定です。

6)ちより街テラスの津波一時避難施設

 サニーグループの拠点ビルとして2015年4月に完成したちより街テラス。複合商業施設と会社業務施設であると同時に、津波一時避難施設としての機能も充実しています。

 自家発電装置は10日間の事務所の電源を確保。飲料水や非常用食料の備蓄もされていて、企業防災と地域防災のモデルとなりうる津波一時避難施設(津波避難ビル)です。企業の防災対策としては素晴らしいと思います。

(構想としては大きく長期的に取り組んでいく課題)

1)高密度発泡体を活用した浮体構造物での浸水対策

 南海地震発生と同時に液状化が始まり、地盤が沈下し、浸水が始まります。津波一時避難(退避)場所や、津波避難ビルは階段で垂直避難しなければならない。歩けない人たちは介助が必要。高齢化している地域ではとても難しい課題です。

 元橋梁技術者である小谷鐡穂さんに「高密度発泡体を活用した浮体構造物」を考案していただきました。「高密度発泡体を活用した浮体構造物」は船ではありません。筏のようなものです。低地の被害者は水平移動で「高密度発泡体を活用した浮体構造物」が埋め込まれている公園や空き地へ急ぎます。安全に退避できます。浸水が始まれば浮き上がります。定員の制限はありません。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-ce44.html


2)モンゴル民族の知恵 ゲルを仮設住宅に

 モンゴル民族は移動式の家屋で大草原を駆け巡っています。基礎工事などが不要なゲルは、家具一式が揃っており、雑魚寝であれば20人は収容できます。学校の校庭、公園やゴルフ場、マンションの屋上などに簡便に設置でき、簡便に現状回復ができます。モンゴルと交易している友人によれば、20組をモンゴル本国からコンテナーで運び、組み立て指導まで入れて約700万円程度とか。雑魚寝でいくと400人分の仮設住宅。家族で行くと20家族分の住居が建ちます。そういう柔軟な発想も必要です。

 五台山の「二次避難所」あたりにゲルを用意し、仮設住宅として活用すればいいんです。基礎工事や大工工事も入りません。ゲルの組み立てをモンゴルの人に習えばいい。モンゴル3000年の歴史を真摯に学びましょう。
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3)立体換地による下知地域の防災都市整備事業の展開

 地域の合意形成が確率してから、区域を更地にして、耐震地盤をこしらえ、整備地域を10m嵩上げします。その上に耐震高層の建物を建築し、再開発します。住居と部屋を立体換地する。商業店舗や公共施設も誘致する。高知市内中心部にほど近い下知地域が安全・安心な市街地になれば、高知市の価値も上がります。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-55c0.html

4)住民によるまちづくり協議会の発足

 下知地域の団体、グループ、個人などが集まり下知地域内連係協議会を2014年10発にこしらました。その地域内のコミュニティ組織を元にして「まちづくり協議会」を近い将来発足させ、事前の震災復興計画を検討するようにします。「立体換地」か「集団移転」かしかこの地域の復興はありえませんから。


 内閣府は平成26年3月に「地区防災計画」の必要性を出しました。これは従来型の国―都道府県―市町村へ降りてくる上意下達式の一方的な防災計画ではなく、地域に居住する住民各位が地区防災計画を立案し、地域防災計画に反映させる仕組みです。わたしはこの「地区防災計画」に期待しています。

 http://chikubousai.go.jp/

 本年度は高知市・高知県を通じエントリーをしました。
 平成25年度のモデル事業地区に高知市下知地区は選定されました。

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5)太陽光パネルによるLED照明灯の設置

 真摯な民間企業2社が資金を提供し、避難所、津波避難ビル、避難路、津波一時避難(退避)場所に設置する事業計画。先行モデルは東北3県でJS・Fundationが300灯以上立てています。

 今後来るであろう南海地震対策として実施しようとしています。種々難しい問題もあり、現在行政側と折衝中です。

 http://www.js-foundation.com/

 高知蛍プロジェクトとして、2015年4月16日から正式にスタートし、初年度である今年は70基の照明灯を建てる計画です。

 ともすれば行政主導の防災・減災対策は、「悪平等主義」に取りつかれ、「とりあえず防災」になりがちで効果が上がりにくいものです。市民の目線での減災対策をいくつか実施したいと思っています。

 荒唐無稽な発想もあるでしょうが、低地に住む地域全体の住民が「生きのびる」ことは簡単なことではありません。「とりあえず防災」を言い訳にする行政任せでは、命も暮らしも守れないことは確かですから。やれることを「面白く」やることをし続けたいのです。
 

 市民の真摯な取り組みに、行政側も真摯に対話をしていただきたい。地域防災計画に居住者の意見が反映されなければならないと私は思います。高知市は南海地震は未だ来ていません。いつ発生してもおかしくない状態です。

 「事前復興計画」「受援力(支援を受ける地域の力)「地区防災計画の策定」を目標に今後の地域防災活動、地域コミュニティ活動を行っていきたいと思います。


 20日から23日までの東北交流意見交換会へ行った後の情報も加味されますので、また異なる提案も出てくることであると思います。

2015年6月17日 (水)

東北被災地意見交換ツアー最終日程

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 今回の東北被災地意見交換ツアーの最終日程が、団長の坂本茂雄さんより提示されました。3泊4日の日程にびっしりと意見交換の日程が盛り込まれています。

「震災から4年3か月。大変な想いで再建途上の被災者の代表の皆様にアポを取り、意見交換への出席を求めました。身内やご家族を亡くされている方々にお話しするのは忍びなく辛いものでした。」と坂本茂雄さん。
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 岡田広行さんの著書「被災弱者」(岩波新書)の感想文です。
今回その著作に登場する5人と意見交換する予定です。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-e94c.html

 坂本茂雄さんによれば、岡田広行さんも現地で対応いただくようです。

 高知から東北は遠く、日数と費用で参加者は懸命な対応をしますが、「これっきり」で終わらず、東北の皆様の経験を聞きとり、地域に伝承し、今後の末永い交流になればいと思う次第です。
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2015年6月16日 (火)

内閣府地区防災計画モデル地区になりました。

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 5月に公募していました内閣府の地区防災計画モデル事業。高知市下知地域として地区防災計画に取り組むべきエントリーをし、高知市地域防災推進課と高知県危機管理部から応募していました。

 このたび平成27年度の地区防災計画モデル地区として内閣府から認定されました。今年は全国で22か所。四国では愛媛が3か所、徳島が1か所あるようです。

 地区防災計画について、内閣府は以下のように説明しています。

「従来、防災計画としては国レベルの総合的かつ長期的な計画である防災基本計画と、地方レベルの都道府県及び市町村の地域防災計画を定め、それぞれのレベルで防災活動を実施してきました。 しかし、東日本大震災において、自助、共助及び公助があわさって初めて大規模広域災害後の災害対策がうまく働くことが強く認識されました。

。 その教訓を踏まえて、平成25年の災害対策基本法では、自助及び共助に関する規定がいくつか追加されました。その際、地域コミュニティにおける共助による防災活動の推進の観点から、市町村内の一定の地区の居住者及び事業者(地区居住者等)が行う自発的な防災活動に関する地区防災計画制度が新たに創設されました(平成26年4月1日施行)。

 内閣府地区防災計画HP http://chikubousai.go.jp/

 私としては仕事と両親の在宅介護の合間にやっている300メートル四方の地域防災活動(二葉町の)にすぎません。下知地域になって2キロ四方の地域活動になったことぐらいが変化です。
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 今まで高知市や高知県庁に「海抜0メートルで暮らし働いている15万人の高知市民の意志を」いくら訴えても、現状は何1つ変わりませんでした。今回国が少し関与してから少しは状況が変わるのでしょうか?それはわかりません。

 7月5日には今治市防災士会連合会の皆様が、下知コミュニティ・センターへ「防災支援訓練」にはるばる愛媛県から来てくれます。8月25日には、高知大学を通じてJICAの留学生(途上国の国家官僚で防災担当者)の皆さん方が高知市下知地域に来られ、地域コミュニティと防災対策についての意見交換会を行うことになりました。

 少しでも地域の絶望的な状況が、南海地震が起きる前に変ることに期待したいと思っています。

2015年6月15日 (月)

下知地域では情報伝達手段として国際信号旗を活用します


 若松町自主防災会会長の横田政道さんが提唱している「国際信号旗を情報伝達手段として下知地域では活用します」ことを宣言したい。
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 高知市地域防災推進課が「国際信号旗は海の関係者しかわからない。航空機からわかるのは国際民間航空機機構対空信号票」があるので、それでしたらどうかとの意見があったようです。

 それは「NO!」と言わなければなりません。横田政道さんが作成の説明書「市危機管理室のもう1つの提案・国際民間航空機機構対空信号票 若松町自主防災組織」にも書かれております。所詮は民間航空だけのルールであり、自衛隊や海上保安庁、警察、消防などの公務員組織には通用するのかどうか疑問です。

 その点国際信号旗は万国共通のルールが制定されたのが、坂本龍馬たちが活躍していた時代です。国際信号旗(こくさいしんごうき、international maritime signal flags)は、海上において船舶間での通信に利用される世界共通の旗であります。国際信号旗は1858年に英国で制定された国際通信書によって世界的に統一されています。

国際信号旗は船舶装備品で(和対英訳:国際信号書解説を船舶に保管しています)

 国際信号旗(こくさいしんごうき、international maritime signal flags)は、海上において船舶間での通信に利用される世界共通の旗であります。国際信号旗は1858年に英国で制定された国際通信書によって世界的に統一されています。

国際信号旗は船舶装備品で(和対英訳:国際信号書解説を船舶に保管しています)

6)電源がなくても正確に避難場所の状況を伝達することが出来ます。また国際信号旗を揃えるのは、それほどコストはかかりません。

7)万国共通の伝達手段なので、外国の救助隊が来られても、避難場所の状況を正確に伝えることが出来ます。
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 アニメ「コクリコ坂から(2010年)でも主人公と海の船との情報伝達手段として国際信号旗が毎朝掲揚されていました、

8)ユニバーサルな通信手段として、国際信号旗が流布すれば、障害を持たれておられる方や外国人も自分たちの置かれている被害状況を救援支援者に正確に伝達できます。小学生でも正確に情報伝達が可能です。

8)8月25日に下知地域に来訪され、意見交換する予定のJICAの留学生たちにも、地域コミュニティから考案された簡便で万国共通の情報伝達方法として、紹介する予定です。(視察のテーマが地域コミュニティ防災となっています。)

 長期浸水地域や中山間部での孤立した集落でも、情報伝達方法として活用が出来ます。
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 2015年6月7日に開催された高知県総合防災訓練時に、海上保安庁の船には国際信号旗が掲揚されていました。意味は「当船は訓練中である。」でした。

確認事項はは以下です。

1)国際信号旗を情報伝達手段の防災備品として行政側は認定をいただきたい。

2)危機管理や防災部署でも国際信号旗を購入し、情報伝達訓練を行っていただきたい。

3)学校関係者にも広めていただきたい。

4)陸上自衛隊(海上自衛隊は理解できます。)、警察、消防に周知徹底をお願いしたい。

5)報道各社にも周知徹底していただきたい
                                      以上  

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2015年6月14日 (日)

丸池町の皆さんと連携します

 2015年6月10日は梅雨の晴れ間の天気でした。午後から自転車で集金業務に。その途中で高知市丸池町界隈を通過しました。
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 こちらの町内も海抜0メートルの下知地域。ただ状況は二葉町や若松町よりもシビアであるようです。町内で海抜が1番高い場所が江ノ口川の護岸。それから町内は堤防の下に形成されています。
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 市営住宅は2階建てで堤防の下。広域公園の丸池公園もあります。丸池公民館もある丸池町は低層住宅がたくさんあります。江ノ口川護岸をきちんと耐震護岸にしないといけないと思いました。
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 条件的に厳しいと言いますのは、津波避難ビルと呼ばれる鉄筋4階建て以上の建物が丸池町にはありません。公共施設もありません。まさに津波避難困難地区と言えます。
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 吉本豊道さんや樋口公男さんたちが中心になって丸池町防災会の再建を推進されています。防災マップの作製も必要事項です。高齢者の歩行速度で安全に自宅から30分以内に避難が出来る場所の確保が何より大事ですね。

 私案ですが丸池公園全体を、高密度発泡浮力構造物を埋め込み、浸水時に浮上するようにすれば、問題は解決するでしょう。

 高密度発泡体を活用した浮体構造物での浸水対策

 南海地震発生と同時に液状化が始まり、地盤が沈下し、浸水が始まります。津波一時避難(退避)場所や、津波避難ビルは階段で垂直避難しなければならない。歩けない人たちは介助が必要。高齢化している地域ではとても難しい課題です。

 元橋梁技術者である小谷鐡穂さんに「高密度発泡体を活用した浮体構造物」を考案していただきました。「高密度発泡体を活用した浮体構造物」は船ではありません。筏のようなものです。低地の被害者は水平移動で「高密度発泡体を活用した浮体構造物」が埋め込まれている公園や空き地へ急ぎます。安全に退避できます。浸水が始まれば浮き上がります。定員の制限はありません。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-ce44.html

(高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物による南海地震対策)

 丸池公園を「高密度発泡体を活用した浮体構造物」を埋め込んだサッカー公園にします。普段は子供たちや社会人のサッカーチームの練習場にします。サッカーくじの支援は可能ではないでしょうか?」
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 観客席を津波避難します。現在低層の市営住宅は高層化し、地域の津波避難施設を前提とした住宅として建て替えする必要はあると思います。

 下知減災連絡会や下知地域内連携協議会は、丸池町町内会や防災会と連携して、問題解決に動きましょう。また地域代表の市議の高木妙さんや、県議の坂本茂雄さんも一緒になって問題解決に動きましょう。

2015年6月13日 (土)

二葉町町内会の資源・不燃物収集日

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 二葉町町内会の資源・不燃物収集日は毎月第2金曜日の午前6時から8時までの時間帯です。場所は下知コミュニティ・センター前です。
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 2015年6月12日は早朝から荒木三芳副会長は、資源・不燃物ステーションを準備をされています。[仕訳」を円滑にするために、ビン類なら「透明」「青」「黒・茶」と仕訳した札をだし、コンテナーで回収します。
 幸い雨は上がりました。仕分け作業を指示する当番は、二葉町内の16の班から交代で出てこられ運営しています。
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 月に1度二葉町の町民各位が顔合わせするコミュニケーションの場でもあります。高知方式という細かい資源・不燃物の仕分けの仕組みは、町内会の協力なしにはあり得ません。
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 防災や介護福祉の分野においても地域コミュニティの重要性は都市部においても大事ですね。
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 やはり資源・不燃物回収仕分けステーションの管理が町内会でしっかり出来ないと、ほかの地域活動もしっかり出来ません。

 二葉町町内会は先人の努力でそのあたりがきちんとしているといつも感心しています。

2015年6月12日 (金)

田植え体験では大変お世話になりました


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 2015年6月1日(土曜日)は、二葉町の関係者は、仁淀川町長者の住民グループだんだんくらぶの皆様には大変お世話になりました。

 このたび西森勇幸会長から、樹齢1200年と言われる銀杏の木の前で撮影した集合写真を送っていただきました。

 長者の皆さまとの交流も4年目となりました。今後とも末永くの交流をよろしくお願いします。
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2015年6月11日 (木)

今治市連合自治会防災部会と防災士会との交流会

 7月5日に愛媛県今治市から連合自治会防災部会と市防災士会の人達80人がバス2台とトラック1台で、午前10時頃に下知コミュニティ・センターへ来られます。
 今治側の目的は南海地震後を想定した「被災地支援活動ー炊き出し支援」と、「防災スキルアップ」です。下知側の目的は「受援力の向上」(支援を受ける側の体制整備)です。「支援魂と受援魂」の交流で、いざ南海に備えて平時に仲良くなっておくことです。心強い限りです。

(日時)2015年7月5日(日曜日)午前10時より15時まで

(場所)下知コミュニティ・センター 屋上・4階多目的室・3階会議室

 合同炊き出し訓練や、地域の課題などの意見交換会、避難所運営ゲームなどを実施予定。雨天決行です。

 (主催)下知コミュニティ・センター防災部会。(共催)・下知減災連絡会

 *お手伝いできる人は、7月5日午前9時に下知コミュ二ティセンタへ来てください。会場準備、炊き出し準備、片付けなどの作業があります。

 *防災活動の先進地区との交流では得られるものが多いでしょう。多数ご参加ください。

2009年10月11日に高知市青柳公園にて、二葉町自主防災会は、今治市立花校区自主防災会連合会の皆さまと合同炊き出し訓練をいたしました。それ以来の交流事業となります。
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http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-aab1.html

(写真は2009年10月11日の合同炊き出し訓練です。)

 その間に下知地域は、下知地区減災連絡会(2012年10月2日に15の下知地域の自主防災会の連合組織)や、下知コミュニティ・センターも開所(2013年4月14日)、また地域の交流をより深めるために下知地域内連携協議会も発足(2014年10月8日)しました。

 両者にとってよき交流会になれば幸いです。

2015年6月10日 (水)

[被災弱者」を読んで

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「被災弱者」(岡田広行・著・岩波新書・2015年2月刊)を高知市の金高堂書店で4月に新刊本で購入しました。大災害の場合は、復旧・復興がむしろ大変。以前「復興災害 阪神淡路大震災と東日本大震災」」(塩崎賢明・著・岩波書店・2014年12月・刊)を読んでいまして、2015年1月17日に神戸市長田区鷹取東地区へ行きました。

 地元のチョ・ホンリさんと話をし、まち歩きをして鷹取の20年の歩みを話していただきました。復興・復旧はとても難しい。簡単ではないことを思い知りました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat60291529/index.html

 神戸市長田区鷹取東地区との交流

 やはり報道や行政や学識経験者のお話だけでは、地域の実態はわからない。そう思いました。未曾有の大被害の東日本大震災。映画監督や現地のボランティア組織の人の話も聞きました。

 常に思いますのは、2011年以来高知市下知地域に取材に来られるTV局の人達や全国紙の記者の人達は「下知は石巻に良く似てますね。」「気仙沼に似てます」と言われ続けて来ました。でも東北は遠く、介護認定を受けている超高齢者の両親がいますので、なかなか東北を訪ねることは出来ませんでした。

 昨年9月7日に、NHK仙台放送局の要請で、ラジオ番組に出演する機会があり、宮城県仙台市を訪ねました。しかし滞在したのは収録時と、夕食時のみ、翌朝は戻りました。少しだけ東北が身近になりました。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-27c3.html

 いま災害を生き抜くための言葉 NHK仙台放送局制作に出演しました。

 音声での地元の人達の語りを聞きました。まさに「津波てんでんこ」を実践して多くの人達が生きのびた岩手県洋野町の漁師町の人達。洋野町の消防団員は「率先して逃げる」ことをルール化していて住民も熟知している。)桂島では若手住民が高齢者を優先的に車を活用して高台に避難させ、避難が完了した後、津波が押し寄せましたが皆が助かりました。

 そうしたお話を事前に聞き、また南海トラフ巨大地震について知れば知るほど、焦る気持ちが高くなりました。東北地方の罹災地には、地域代表の坂本茂雄さんが震災後10回現地を訪問されています。

 坂本茂雄さんは「被災弱者」の著者の岡田広行氏とも直接の交流がありました。著書の中で出て来られる地元の住民組織の人や、ボランティア組織の人達を紹介していただいたそうです。坂本茂雄さんが、打診をし、高知から2015年6月20日から23日の予定で現地訪問し、意見交換することになりました。

 それだけにどうしても読んでおかねばならない著作でした。

 前置きが長くなりました。岡田氏は「はじめに」よりこう書かれていました。

「仮設住宅では高齢者の認知症が進み、世話役を務める住民が右往左往していた。津波浸水地区では、資金がないために住宅の修理が終わらない高齢者、復興事業のために住み慣れた我が家の立ち退きを迫られた在宅被災者がいた。

 みなし仮設住宅では、震災前のような安定した仕事に就けず、転居の見通しが立たない働き盛りの男性にもであった。・・・・・・いずれも震災から四年がたとうとする現在のことである。」(はじめに)

「東日本大震災の集中復興期間終了を目前に、復興から取り残された人々がいる。くらしの再生に必要なものは、巨大プロジェクトの加速ではない。

「いつまでも被災者なのか」と弱者を切り捨てるのなら、社会はその負債を将来にわたって抱え込むだろう。被災は、誰にとってもひとごとではない。

 災害多発国日本のあやうさを現場から問う。」(カバー表紙の言葉)

 「2,014年の4月時点でも避難者数は23万9000人ですが、コミュニティ機能を失った津波浸水区域に残り、避難生活同様に劣悪な環境におかれている在宅の被災者は含まれていません。

 津波に襲われた地域では、雑草の生い茂った空き地が目立つ荒涼とした風景の中に、ビニールシートやベニヤ板で覆われた家屋が点在している。多くは主を失った空き家だが、ところところに明かりがともっている家屋がある。

 こうした家屋に住む被災者の多くは資金に事欠き、必要な住宅修繕もできないでいる。高齢ゆえに銀行から融資を受けることも出来ず、新たな土地での住宅再建もままならない。」(はじめに)

 「国や地方自治体は住宅再建についての十分な手立てを持たない。そのため現在も津波浸水区域で暮らす人は、新たな津波被害の危険性が高いとされる災害危険区域からの移転で住宅困窮者向けの災害公営住宅(復興公営住宅ともいう)に転居または、防災集団移転促進事業(高台移転)等に参加する人を除き、今以上の支援を得られない。

 このことは、被災地の復興が進んでも、暮らしぶりが改善しない人々が相当数に上ることを意味する。」(P2)

 いきなりの深刻な事態の報告に、身につまされました。他人事ではない、明日の自分たちの現実であると思いました。
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 今回の下知地区被災地交流ツアーでは、宮城県石巻市を中心に回り、現地で奮闘されている住民団体やボランティア支援団体との意見交換会も予定されています。

 そのなかの1人である支援団体の「一般社団法人チーム王冠」の伊藤健哉代表との意見交換も予定されています。著作の中では在宅被災者を巡回し、地域コミュニティづくりと維持をめざす「お茶っこバス」を運営されておあっれます。(P5)

 「自治体は住いを失った住民を避難所から、仮設住宅へ移行させることが手一杯で、在宅被災者に手をさしのべる余裕はなかった。」(P6)であるからでした。

 チーム王冠は北は女川町から、南は山元町までの広範な地域の在宅避難の5000世帯に及んでいます。支援の内容は、食料や物資の提供、住宅の修理、草むしり、農業や漁業の手伝い、スポーツ教室、子供のケアに至っています。

 罹災地の学校が元の地域の場所で再建されることは、地域復興のシンボルになります。湊東地区まちづくり協議会代表世話役の今野清喜さんとも意見交換の予定です。

 今野さんと一緒に活動されてこられた千葉眞良さん(石巻市議)には、旅行1日目に石巻駅前にバスに同乗いただき、震災時の様子やその後の復興・復旧の動きをお話していただくいことになっているようです。

 「土地区画整理事業に期待する今野さんは、迷路のように狭かった道や行き止まりをなくし、子供が安心して学べるまちを取り戻したい。すべてを子供優先になるように、行政に要望をあげていった。」

「湊小と統合された湊2小の跡地は、TOTO(サッカーくじ)の助成金を活用して人工芝のスポーツ公園にしてほしい。太陽光発電を用いて街路灯を整備できないか」とまちづくり協議会ではこんな要望を石巻市役所に提出しています。(P126)

 高知でようやく始まった「蛍プロジェクト」の実例も見学する予定です。

 「湊小に二女を通わせている斎藤建彦さんは、「震災対応減災ファイル」をPTAで提案・作成した。消防士である斎藤さんは学校区内をすみずみまで歩いて危険のある個所を点検したうえで、学校の外にいるときに災害に遭ったときの心構えや避難の仕方、避難経路を一冊の冊子にまとめた。」(P126)

 「今回の災害では、情報がなかった人がずいぶん被害に遭った。こどもたちには幼いうちからきちんと情報を入手して自分で行動できるようになってほしい。そうした思いからPTAの資金をもちいて作りました」(P126)

 「震災対応防災減災ファイル」を作成された斎藤建彦さんとも意見交換する予定です。

 津波のリスクをゼロにしようと高台移転計画を押しすすめた結果、住民の多くは雄勝町以外に移転してしまう誤算も起きています。

「リアス式海岸の入り江ごとに小さな漁業集落が点在する石巻市雄勝町は、明治時代には15浜村の村名を称した。その名のとうり、1つ1つの集落が固有の歴史と文化を持つ雄勝町にあって「町中」(まちなか)と呼ばれる中心地区は大きな口を開けた形の雄勝湾の喉元に位置する。

 水深が深く、天然の良港として知られる雄勝湾はかつて、遠洋漁業の船舶も出入りし,町中は発展をとげていた。

 しかし、200海里規制と石油ショックでを契機とした漁業の長期低落過程の末に大震災は雄勝町からすべてを奪った。中心地区では96%の家屋が全壊となり、総合支所、公民館、駐在所、消防署、郵便局、小中学校すべての公共施設が失われた。雄勝町全体でも,全壊の家屋は80%近くに達し、震災直前に4300人いた住民は4分の1強にまで減ったとされている。

 雄勝町の悲劇が色濃いのは、復興計画での選択肢が、津波浸水エリアからの高台移転しか示されなかったことに原因がある。」(P175)

 雄勝地区復興まちづくり協議会の阿部晃成事務局長さんとも意見交換する予定です。阿部さんは高台ありきの復興の道筋に異議を唱えられています。

「行政を巻き込んで復興のあるべき姿を提言するのが、本来のまちづくり協議会の役目だったはず。しかし実際には行政主導でまちづくりの青写真が描かれ、協議会は行政が決めた方針を追認する組織になった。」(P175)

 阿部さんは「このままでは中心部は成り立たなくなる」との危機感から「雄勝町の雄勝地区を考える会」をこしらえ活動されています。高台移転んと浸水地域のかさ上げを提唱した中心部の復興案を提示しても行政側は対応しませんでした。

 事業を行政側が急ぐゆえに、町中心部の住民の意向を十分に汲み取らなかった帰結が、人口流出加速の原因ではなかっただろうか。」(P184)

 筆者の岡田広行氏は問題を掘り下げて行きます。

「政府によれば、東日本大震災からの復旧復興に用意された予算は、「集中復興期間」とされた2011年度からの5年間に26・2兆円に達している。

 これだけの予算がありながら、被災者の多くは復興を実感することができないのはなぜだろうか。」(P202)

 その原因は予算配分に問題があるのではないかと著者の岡田広行氏は指摘しています。

「政府による「東日本大震災からの復興の基本方針」や東日本大震災復興基本法」に基づくとして、」実は被災地の復興とは関係ない事業が全国各地で実施されてきた。

  中略

 阪神淡路大震災や新潟中越地震時と比べた時に、大きく異なるのが、復興の取り組みへの住民参加の度合いだ。

 住民の生活上のニーズにきめ細かく対応するために「復興基金」が創設された点では共通しているものの、今回の震災復興の過程ではその資金の使い道に関して住民やボランティアの意見反映の場が欲しい。」(P203)

 1995年の阪神大震災の折も、地域が丸焼けになり地域の人々が懸命に自宅まわりの方づけに追われいる最中に、神戸市は長田駅前の巨大な再開発の青写真を持ってきたとか。

 その時も故石井弘利さんやチョ・ホンリさんから「神戸市はあらかじめ考えていた長田復興プランをいきなり出してきました。見れば長田のコミュニティや寄合の破壊につながる行政主導の復興・復旧プランだそうです。

 鷹取に人たちが凄いのは決してあきらめず、腐らず他の地震被害者との意見交換会などを前向きにしておられるところでしょう。

 読後感は、到底他人事と思えません。現時点で大地震に遭遇した場合、落ち着いて対応できるのでしょうか?「その時」慌てない肝を持たないといけないですね。

2015年6月 9日 (火)

水分補給が体調維持の要でしょう。

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 蚊が発生し、ゴーヤさんが成長する暑い季節になりました。6月、7月8月は季節は夏です。汗を掻く季節になりました。そうなると1番気を付けないといけないのは脱水症状です。

 わたしは500MLのペットボトルに水道水を入れ、毎日4本飲むことを目標にしています。お酒を飲んだ日は、飲んだお酒の量と同じ量の水を飲みます。そうすれば脱水症状を防ぐことが出来ます。

 超高齢者の両親(父95歳・母89歳)は、通所施設側にも協力いただいてペットボトル3本(1500ML)を目標に水分摂取をしています。

 水を的確に毎日摂取してますと脱水症状になりません。血液もドロドロにならないようで、脳梗塞の予防にもなりますね。

 災害時の救命救助でよく「72時間以内に救助」が言われています。それは水を摂取しないで人間が正常に生きておられるのは72時間が限界であると言われています。

 食物やその他の飲料で3L程度は毎日水分を取り込んでいると思います。人間の体の50か~60%は水で出来ているとも言われていますから。

 ですので1日2Lの水本補給です。エアコンかけるより水分補給です。

2015年6月 8日 (月)

二葉町町内会消毒作業をしました


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 梅雨の晴れ間の6月7日(日曜)は、午前6時に下知コミュニティ・センター前に集合し、6台の噴霧器で町内を手分けして消毒します。わたしは後をついての助手とゴミ拾いです。結構町内回ればゴミも落ちています。
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 今日は最高のお天気ですね。廻ればやはりゴミも落ちています。7月と8月の第1の日曜日は消毒作業をするそうです。15人の参加者がありました。早朝から一汗掻きました。
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次回の消毒日は7月5日。消毒終了後は下知コミュニティ・センターを会場に。、今治市の自主防災会連合会と防災士会の皆さんとの合同炊き出し訓練と、意見交換会を行う予定です。

2015年6月 7日 (日)

下知連携協議会27年度総会・懇親会


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 高知市の下知地域の広域連携コミュニティ組織である下知地域内連係協議会の27年度総会・懇親会が、2015年6月5日午後6時半から、高知プりンス・ホテルで開催されました。
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 まず総会ですが、国見俊介会長が挨拶しました。来賓代表で高知市地域コミュニティ推進課藤原わか係長がスピーチしました。そして平成26年度事業報告と、決算報告がされました。
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 昨年度は結成総会を10月8日に執り行い、11月3日に地域内連係協議会主催で「昭和秋の感謝祭」が行われました。1000人近くの住民が参加いただきました。3月には映画「燦燦(さんさん)」が上映され、雨の中多くの住民が参加いただきました。

 27年度の事業計画も予算案もおおむね昨年度と同じです。審議の結果、承認されました。また役員人事では、副会長に高木妙さん{高知市議)が選出され承認されました。
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 総会は無事に終了し、引き継いて懇親会へ入りました。立場も年齢も異なる参加者が皆よく話し、議論をし、懇親されていました。こういう姿が地域のコミュニティの証です。
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 懇親会は散々各自議論をし、午後10時前に散会しました。

2015年6月 6日 (土)

石井弘利さんの想いをわたしたちは継承します。

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 2015年6月2日にご逝去されました神戸市長田区鷹取東地区の石井弘利さん。1995年1月17日の阪神大震災以来、鷹取東地区の地域コミュニティの再建に尽力されました。

 私たちは石井弘利さんの想いを継承し、高知市の市も地域の街づくりをしていくことを、ライフワークにします。

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2015年6月 5日 (金)

石井弘利さんのご冥福をお祈りします

 神戸市長田区鷹取東地区で、阪神大震災以降、地域の住民主体の松づくりや住民本位の復興・復旧の先頭に立たれておられた石井弘利さんが、ご逝去されました。心よりお悔やみ申し上げます。

 想えば2008年8月24日の事前調査、10月5日の二葉町自主防災会メンバーと鷹取地区住民との意見交換会で、石井さんにはお世話になりました。
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「行政側を全面的にあてにしたらとんでもないことになる。住民で団結して行政と交渉しないと。そのためには住民同士の助け合いと連携がなにより大事です。」

「震災後の区画整理で住民は平均9%減歩されている。地元住民側として地蔵盆をやる場所を要求した。」

「全国からの震災義捐金を神戸市は半分しか住民に交付していない。住民側には1世帯15万程度しか支給されていない。震災後10年間ちびちび交付し、残り半分は一般会計に神戸市は繰り入れた。だから行政は常に住民が厳しく監視しないといけない。」

http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_2076.html

神戸市長田鷹取地域を事前訪問しました

 「わしらはまさか神戸に地震が来るなど思ったことはなかった。だから軍手1つ持っていなかった。地震の後は3日間というもの救援物資も来なかった。本当に着の身着のまま放り出されたようだった。」
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http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-cbe7.html

http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-c8a4.html

 また2013年11月8日には、高知市下知コミュニティ・センターへ講演に石井弘利さんは駆けつけていただきました。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/2-4326.html
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「高知市下知地域。海抜0メートル。すぐに水が来る。津波が来る。そのことが話題の中心になっているようですが、家の中からまず安全に避難することも皆が真剣に考えないといけないのではないでしょうか。」

「地震当日は5時46分に地震があり、6時にはもう火事になっていました。神戸市のコンピューターシステムが誤作動し、消火栓にホースをつないでも水が出ませんでした。おかげて地域は全焼。100人以上が犠牲になりました。」

「犠牲者の大半は高齢者と子供です。避難計画を立てる場合は、その高齢者と子供の安全をどう確保するのかも検討しないといけないと思います。」

「地震当時もそうでしたが、地域の中学生・高校生たちが大活躍しました。日頃から地域との交流を深めていくことは大事であると思います。」

「さて地域の再建・復興の話ですが、当初区画整理事業というもにが皆理解できませんでした。神戸市が一方的に「平均9%の減歩」を言って来ました。我々は勉強して神戸市と交渉し「上限9%の減歩」にさせました。

 とにかく区画整理事業や都市計画事業を懸命に勉強し、神戸市当局と掛け合い、国とも掛け合いをして少しでも地域の要望や要求を実現させていきました。

 当時の建設省へも乗り込み、長田の窮状を訴えました。そうすると翌日から神戸市の態度が急変しました。行政の言いなりになるのではなく、住民側も言うべきことは言うべきです。」

「行政は例外がないから出来んと言う。それもしつこく言い続けるとそれは実現する。役所と対抗するには勉強しないといけない。まちづくり協議会などの住民の広範な組織で議論して、勉強して行政側と対峙しないといけない。」
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「長田では市役所主導の再開発ビルが建ちました。家賃や管理費が高いので店舗が埋まりません。震災後住民とくに借家人が地域から多く出て行き人口も減りました。住民側の意向と市役所の再開発プランとの隔たりが大きいのです。」

石井弘利さんは、自転車販売業の傍ら、鷹取商店街振興組合理事長や、地域の連合意町内会長も歴任され、地域コミュニティの復興に尽力された人でした。

 今年1月17日に西田政雄さんのお誘いで、阪神大震災20年の追悼式に参列し、意見交換会へ参加したのが最後にお会いしたお姿でした。
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http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/cat60291529/index.html

 石井弘利さんと一緒に活動されていたチョ・ホンリさんの追悼文を掲載させていただきます。

 長田鷹取東地区の自治会長であった石井弘利氏(74歳)が昨日死去した。
阪神大震災で街が消失し、多くの犠牲者を出したこの地区で生まれ、育った石井さん。仕事は自転車屋さん。
 被災した地域をもう一度復興させ、再び元の街に甦らせるとの20年の闘いであり、いつもの口癖は「行政はなにもしない、地域住民が声をあげ提案すること」。が復興の基本であると、当時の神戸市の復興計画に対して多くの矛盾点を追及したひとであった。
 また、この地域の区画整理事業、街づくりに積極的にかかわり、地域のコミュニティの復活を強く呼びかけ、町内の人たちのきずなを取り戻す活動に終始することを生涯の目標であり、亡くなった人たちの追悼を継承させていきたいとの強い思いが、かなり厳しい病状でありながらも、約2年近く、病気と闘いながら、「阪神20年までは」。との強い思いで本年を迎えた。

 これまで地域のまちづくりとともに全国の地震被災地へ支援にも駆けつけ、阪神の被災体験を無駄にさせないとのことで、講演を行うなど積極的に「阪神の失敗をさせない」。との思いがそこにあったように思える。

 亡くなる3日前に自宅に訪問したときに、石井さんは言った。
「復旧は急いでいいが、復興は急ぎ過ぎるとよくない」。と言ったのが今も心に残る。石井さんの半生はまさに地域の復興にかけたといえる。
 20年の大きな節目を確かめて、旅立ったような思いがする。やり残したことはないでしょう大変お疲れ様でしたと言いたい。
ご冥福をお祈りいたします。

  6月3日 午後6時 通夜
  6月4日 午前10時30分 告別式
  於 長田区若松町10丁目 旭若松公会堂

 心よりご冥福をお祈り申し上げます。石井さんやチョ・ホンリさんたち長田区鷹取の人達が素晴らしいのは、自分たちが被災者であるにもかかわらず、9年後の新潟県中越地震の時には山古志村を訪問し、激励し支援をされました。16年後の東日本大震災時には、南相馬市を訪ね激励し、支援されました。

 私たち高知市の下知地域は、市民本位のまちづくり、地域コミュニティの再興に障害をかけられた石井弘利さんの意志を継承し、下知地域の事前復興プランや地区防災計画の策定をめざしていきたいと思います。

2015年6月 4日 (木)

間違いなく日本列島は地震・火山の活動期に入りました。

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 最近の日本の地震や火山活動の多発は、いよいよ活動期に日本列島が入ったと思われます。それで以前ブログにも書いた記事に少し加筆し再投稿しました。

 地震学者や火山学者も「この50年ぐらいは、日本は珍しく火山活動が平穏でした。でも2011年の東日本大震災から、連動して活動期にはいりました。20世紀は平穏な世紀。21世紀は活動期に入ったと言えます。」との見解。

 「歴史のなかの大地動乱 奈良・平安の地震と天皇」(保立道久・著・岩波新書・2012年刊)を読みかえしました。

 日本の歴史は文字で記録されているのは、たかだか3000年に満たない。著作を読みますと奈良・平安時代(奈良時代は710年から794年。平安時代は794年から」「1185年まで)に時代にも、日本列島は地震・津波・噴火・異常気象・疫病の流行に見舞われています。

 著作の中に掲載されている年表を見ても、日本国はつくづく天変地異が多い国であることが理解できます。
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 筆者は2011年3月11日の東日本大震災の後、8・9世紀の地震・噴火の検証が、今日の地震学、地球科学の研究に必要であるとの思いから執筆されたようでした。

「奈良・平安の世を襲った大地の動乱。それは、地震活動期にある現在の日本列島を彷彿させる。貞観地震津波、富士山噴火、南海・東海地震、阿蘇残噴火・・・。相次ぐ自然の災厄に、時の天皇たちは何を見たか。

 未曾有の危機を、人々はどう乗り越えようとしたか。地震・噴火と日本人の関わりを考える。歴史学の新しい試み。」(カバー但し書き)

 筆者によれば、日本の地震学の創始者である今村明恒が、歴史上の地震を研究し、1649年の地震、1707年の宝永地震、1855年の安政地震の間隔からして、東京での地震発生の可能性を危惧し覚悟しなけらならないと1905年に発表したそうです。しかし「社会不安を煽る浮説をふりまくもの」とされ、長らく不遇でした。
 
 しかし今村の予測どうり、相模湾海底を震源とする関東大震災が1923年にJ発生し、汚名はそそがれました。それで私財まで投じて観測体制の整備をしましたが、戦争のお蔭で十分なことが出来ませんでした。それをご本人は悔やんでいたと言います。

 奈良の大仏も聖武天皇が国家の安定のための1大国家プロジェクトとして建立したといいます。
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「そもそも聖武は対新羅戦争計画には消極的であった。聖武の重視した華厳の思想は平和思想という側面を持っており、聖武が戦争計画に賛同しなかったのは十分な理由があったのである。

 しかも大仏造営は国家の大事業であって、対新羅戦争を同時に遂行することは、実際上も無理な話だった。

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 少なくとも史料による限り、この8世紀の美濃地震では死者が出ていない。この地震が、結局、紫香楽宮、恭仁京をはなれ、平城京に遷都することになった重要な理由であった。

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 聖武ー称徳が、戦争の道を選ぶことなく、仏教事業を推進し、日本を1種の仏教国家にしたことは、後々の国制にまで根本的な影響をあたえたのである。」(P39「大地動乱の開始」)

 聖武天皇は、奈良の大仏を建立し、全国各地に国分寺を建て、その元締めが東大寺であったようです。それは天変地異の大災害を自分の政治の力が劣っているからと反省し、自己責任を自覚していたからでしょう。今の政治家よりも遥かに潔い指導者でした。

 またこの著作は日本の古代史や、神話の世界まで記述していますので、浅薄な無教養な私には理解不能なところもありました。わからないところはすっ飛ばして読みました。

「かぐや姫は火山の女神であり、竹取物語は、より古い時代の火山神話を物語風に書き直したものだはないか。」(はじめに)
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 白鳳南海地震(684年)は南海トラフ全域が動いた海溝型の大地震であったようです。

「大潮高く騰がりて、海水ただよう」日本史において初めて津波を描いた文章である。当時の土佐(高知)も大変な被害が出たと言われています。

 「今村明恒によれば、これは江戸時代1704年(宝永地震、1854年(安政地震)の2つの津波で高知市の東方平地(現在の高知市下知・高須など)が津波に襲われた時の様子に良く似ており、震源となった海底断層の位置も、陸側の沈降して海となった地域もほぼ同じであったと言う。」(P13)

 つまり貞観地震は東北の大地震ですが、その痕跡や記録をたどり現代地震対策をきちんとしておれば、少なくとも福島第1原発の被害は回避できた可能性は大きい。しかし当時の原子力関係者は、一部の地震関係者の提言を無視し続け、全く津波対策をしませんでした。その結果が大事故に繋がりました。
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 この本を読んでいて日本は有史以来「災害大国」であるとつくづく思います。地震と津波、噴火だけでも大変なのに、大雨災害や台風や大雪もあり、人災として火災も日常的に発生しています。
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 そういった歴史的な観点に立ったならば原子力発電は日本の国土や風土にはそぐわない危険極まりない施設であることが誰にでも理解できると思います。

 国防の観点からも原子力発電の再稼働をやめ、ただちに廃炉の工程をとるべきなんです。

 教養のない私がこの著作から読み取ったことは以上です。

2015年6月 3日 (水)

中之島地区の耐震護岸工事

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 高知市の中之島地区。鏡川と堀川(運河)に挟まれた洲であり小さな半島です。こちらの鏡川の護岸を「インプラント工法?」で護岸強化工事をされています。
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 鏡川に工事用の台船が浮かんでいます。埋め込む鉄製の矢板が船に積み込まれていて、クレーンでつり上げ、堤防の埋め込み箇所まで運びます。堤防の上で作業員が受け取り、消音型杭打ち機械で、堤防の内部に埋め込んでいきます。
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 高潮護岸堤防を矢板でサンドイッチをして、堤防の強化をしています。堀川沿いの若松町ー二葉町工区は、直径1・3Mの丸鋼管を25Mまで打ち込み、その上に新たに護岸堤防を作成する方法とは、少し趣が異なっています

 どちらが想定される津波に強いのでしょうか?

2015年6月 2日 (火)

3回目の五台山散策をしました。


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 2015年5月31日は、心配していた雨が上がっていました。毎日五台山散策をしている若松町自主防災会の横田政道さん、一緒に散策するのは2回目の丸池町自主防災会の吉本豊道さん、今日が防災散策は初めての高知市議会議員の高木妙さんと4人で散策をしました。
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 まずは、伊達兵部の墓の案内から歩道を上がり、湧水の独鈷水(どっこすい)を辿りながら4人で散策しました。解説は「五台山・ナビゲーター」に既になっている横田政道さんです。
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 横田さんによれば、五台山の自動車道路の登り口付近や、吸江寺付近の山間の歩道などは災害時に土砂崩れが起きる確率が高い道が多くあるとのことでした。高知市の土砂崩れMAPを参考にされておられます。
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 たけのこや、季節の山菜、例えばフキなども道端に生えております。野草の知識があれば、食料の確保の手助けになるでしょう。湧水と山菜が豊富であることを改めて思いました。
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 また高木妙さんも感心しておられましたが、五台山は山ですが、平らな土地、なだらかな傾斜地も多くあることでした。横田政道さんの構想では、「五台山は2次避難所として低地の下知。高須、五台山地区の住民の二次避難場所になる。湧水と山菜が豊富。敗戦直後には畑もあったに聞きます。各近隣町内ごとに借地し、野菜などを植えてもよいのではないでしょうか。」
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「季節の花々もたくさんあり、四季の変化が楽しめ、避難生活が長期化しても、ストレスはたまらない。人工的な空間の避難所より、人間的な避難生活が出来るでしょうから。」
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 頂上の展望台からの見晴らしは素晴らしい。津波の状況や、下知や潮江や高須の被害状況が確認できます。五台山に災害対策本部や、災害支援本部をこしらえるべきであると思いますね。牧野植物園の駐車場は、そのままヘリポートにもなるでしょう。
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 頂上の1階部分は、避難してきた下知や高須や五台山の各町内の代表が議論する「会議室」になるでしょう。
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 また下へ下った通称「鹿の段」(その昔は鹿を飼育し,ミニ動物園になっていました。20数年年ほど前に口蹄疫で鹿は全滅しました。以後こちらは活用されていません。
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 高知県土木事務所の管理事務所跡と倉庫(荒れている)と、公衆トイレ、駐車場と公衆電話もあります。横田政道さんは、こちらをキャンプ場のようにし、飯盒炊爨ができるような設備を施設管理者(県)が整備すればいいのではないか。
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 荒れている高知土木事務所管理地に、下知の各自主防災会の防災備品や非常用食品を在庫する置き場を整備いただきたいものです。そしたらテントやブルーシート,蚊やや、非常用食料や、鍋釜などを在庫します。
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 水没する市街地に隣接して五台山がある地理的条件を、最大限に活用して、下知地域住民の復興・復旧を促進するために五台山の有効活用が今後求められます。
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 高木妙さんは、「五台山の管理している窓口はどこなのか。政策課題を持ち込んで相談する行政の窓口探しからやりましょう。」と言われました。なかなか有意義な五台山散策となりました。
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2015年6月 1日 (月)

国際信号旗とソーラー・ライト


 夕飯を食べてまったりしていますと、隣町の若松町防災会の横田政道さんから電話がありました。

 「工事関係者に譲渡していただいたソーラー・ライトを国際信号旗に掲揚するマストに取り付けたので、Hさん宅へ来てほしい。」との事でした。自宅から100Mほどの距離などで歩いて行きました。

 Hさんところは花が咲き乱れています。横田さんが来るまでしばし懇談。
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横田さんは、わたしが以前YASU海の駅クラブでいただいてきた、ウインド・サーフィンのマストを上手に繋ぎ、先端にソーラー・ライトを取り付け、国際信号旗のV旗(意味は、私たちは避難しています。避難所であることを示す。)が取り付けられています。
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 暗闇でもソーラー・ライト(昼間は充電。夜は点滅)でわかります。創意工夫で若松町自主防災会は頑張っていますね。

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