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2015年1月11日 (日)

「歴史のなかの大地動乱」を読んで

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 「歴史のなかの大地動乱 奈良・平安の地震と天皇」(保立道久・著・岩波新書・2012年刊)を読みました。年末・年始はなんだかせわしく、1月10日は家の手伝いも免除されましたので、一気に読むことが出来ました。

 日本の歴史は文字で記録されているのは、たかだか3000年に満たない。著作を読みますと奈良・平安時代(奈良時代は710年から794年。平安時代は794年から」「1185年まで)に時代にも、日本列島は地震・津波・噴火・異常気象・疫病の流行に見舞われています。

 著作の中に掲載されている年表を見ても、日本国はつくづく天変地異が多い国であることが理解できます。
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 筆者は2011年3月11日の東日本大震災の後、8・9世紀の地震・噴火の検証が、今日の地震学、地球科学の研究に必要であるとの思いから執筆されたようでした。

「奈良・平安の世を襲った大地の動乱。それは、地震活動期にある現在の日本列島を彷彿させる。貞観地震津波、富士山噴火、南海・東海地震、阿蘇残噴火・・・。相次ぐ自然の災厄に、時の天皇たちは何を見たか。

 未曾有の危機を、人々はどう乗り越えようとしたか。地震・噴火と日本人の関わりを考える。歴史学の新しい試み。」(カバー但し書き)

 筆者によれば、日本の地震学の創始者である今村明恒が、歴史上の地震を研究し、1649年の地震、1707年の宝永地震、1855年の安政地震の間隔からして、東京での地震発生の可能性を危惧し覚悟しなけらならないと1905年に発表したそうです。しかし「社会不安を煽る浮説をふりまくもの」とされ、長らく不遇でした。
 
 しかし今村の予測どうり、相模湾海底を震源とする関東大震災が1923年にJ発生し、汚名はそそがれました。それで私財まで投じて観測体制の整備をしましたが、戦争のお蔭で十分なことが出来ませんでした。それをご本人は悔やんでいたと言います。

 奈良の大仏も聖武天皇が国家の安定のための1大国家プロジェクトとして建立したといいます。
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「そもそも聖武は対新羅戦争計画には消極的であった。聖武の重視した華厳の思想は平和思想という側面を持っており、聖武が戦争計画に賛同しなかったのは十分な理由があったのである。

 しかも大仏造営は国家の大事業であって、対新羅戦争を同時に遂行することは、実際上も無理な話だった。

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 少なくとも史料による限り、この8世紀の美濃地震では死者が出ていない。この地震が、結局、紫香楽宮、恭仁京をはなれ、平城京に遷都することになった重要な理由であった。

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 聖武ー称徳が、戦争の道を選ぶことなく、仏教事業を推進し、日本を1種の仏教国家にしたことは、後々の国制にまで根本的な影響をあたえたのである。」(P39「大地動乱の開始」)

 聖武天皇は、奈良の大仏を建立し、全国各地に国分寺を建て、その元締めが東大寺であったようです。それは天変地異の大災害を自分の政治の力が劣っているからと反省し、自己責任を自覚していたからでしょう。今の政治家よりも遥かに潔い指導者でした。

 またこの著作は日本の古代史や、神話の世界まで記述していますので、浅薄な無教養な私には理解不能なところもありました。わからないところはすっ飛ばして読みました。

「かぐや姫は火山の女神であり、竹取物語は、より古い時代の火山神話を物語風に書き直したものだはないか。」(はじめに)
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 白鳳南海地震(684年)は南海トラフ全域が動いた海溝型の大地震であったようです。

「大潮高く騰がりて、海水ただよう」日本史において初めて津波を描いた文章である。当時の土佐(高知)も大変な被害が出たと言われています。

 「今村明恒によれば、これは江戸時代1704年(宝永地震、1854年(安政地震)の2つの津波で高知市の東方平地(現在の高知市下知・高須など)が津波に襲われた時の様子に良く似ており、震源となった海底断層の位置も、陸側の沈降して海となった地域もほぼ同じであったと言う。」(P13)

 つまり貞観地震は東北の大地震ですが、その痕跡や記録をたどり現代地震対策をきちんとしておれば、少なくとも福島第1原発の被害は回避できた可能性は大きい。しかし当時の原子力関係者は、一部の地震関係者の提言を無視し続け、全く津波対策をしませんでした。その結果が大事故に繋がりました。
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 この本を読んでいて日本は有史以来「災害大国」であるとつくづく思います。地震と津波、噴火だけでも大変なのに、大雨災害や台風や大雪もあり、人災として火災も日常的に発生しています。

 そういった歴史的な観点に立ったならば原子力発電は日本の国土や風土にはそぐわない危険極まりない施設であることが誰にでも理解できると思います。

 国防の観点からも原子力発電の再稼働をやめ、ただちに廃炉の工程をとるべきなんです。

 教養のない私がこの著作から読み取ったことは以上です。
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