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2015年1月

2015年1月31日 (土)

ヤッシー・パークの津波避難施設候補地?

  高知県の沿岸部では、南海トラフ巨大地震に備え、無骨でコンクリート要塞のような津波避難タワーが県背dつされています。昨年度は南国市で15基が完成。今年は香南市で建設が相次いでいます。
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 対津波対策と言う点では優れた施設かも知れませんが、ヤッシー・パーク内にこしらえるとすれば、あまりに「無骨」すぎますね。そういう形になるのかわかりませんが、中土佐町にあるような円形構造の津波避難施設になるのでしょうか?あれだと景観には負荷はかかりません。

 たぶん建設されるのは、ヤッシー・パーク内で1番標高が高いのが、子供広場と中央芝生広場の間の小山。マリンベルが置いてあります。あそこでしょうか?
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 夜須海の駅クラブ前の臨港道路も「堤防がわりに」かさ上げ工事の真っ最中。香南市は津波対策をしっかりやっています。
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2015年1月30日 (金)

危機管理に想定外はありえない

 東日本大震災は「未曾有の大災害」と言われました。そして地震や防災の専門家から「想定外」という発言がされました。わたしはそれはおかしいと思います。

 日本の歴史で奈良時代に東北で貞観地震がありました。古文書に残された当時の役所の記録を読むと東日本大震災規模の地震と津波が東北沿岸を襲っています。

岩波新書に「歴史の中の大地動乱」((保立道久・著・・2012年刊)にも貞観地震。関東の大地震、富士山の噴火、南海トラフ大地震と災害が連動していました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-c86f.html

 専門家が貞観地震の先人の記録を真摯に受け止め事前対策をしておれば、福島第1原子力発電所の事故は予防できました。それがとても残念です。
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 危機管理は「想定出来うる最悪の事態を徹底して検討・検証し、そうならないための事前対策をつきつめて実行すること」であると私は思います。
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日本は地震列島であり、災害大国であります。「想定外」などという言葉は使用禁止です。

 安易に専門家や行政が「想定外」という言葉を使用しないでいただきたい。

2015年1月29日 (木)

昭和南海地震を伝える動画映像

  二葉町自主防災会の設立(2006年12月)以来顧問をしていただいている西田政雄さん(防災寺小屋主宰)から、昭和南海地震(1946年12月21日)の動画(記録映画)のご紹介がありました。その教訓を1人でも多く、情報を共有化し、先人の教訓を糧にし、地震に備えましょう。


 当時も今も「長期浸水対策」や、多くの罹災者を収容できない問題があります。

2015年1月28日 (水)

非常用耐震貯水槽有効活用検討会


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昨年12月高知市議会に「耐震性非常用貯水槽の有効利用についての請願」を下知町内会連合会、下知減災連絡会、下知地域内連携協議会の3団体連盟で提出していました。結果は「継続審議」になりました。
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 1月27日に下知コミュニティ・センターに関係者が集まり、2月5日の午後6時半から開催される「耐震性非常用貯水槽の有効活用についての意見交換会」についての議論をしました。
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 多様な角度から意見が出されました。下知地域住民とすれば、高知県の試算でも「「地域が浸水した場合、最短で浸水の解消は13日」であると言われています。地震の最中に地盤が沈下し、最悪地震後5分で浸水する可能性が高い地域なので、飲料水を背負って避難ビルへ駆け上がることは、高齢者は無理です。

 青柳公園下にある6000L貯水される耐震貯水槽の水を有効活用していただきたいというのが、下知地域住民の願いでもあります。今回も水を安全に汲み出す工法などが4つぐらい提案されてきました。
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 その提案と、震災時の飲料水の安定供給を高知市水道局はどういう方針などを拝聴し、意見交換会を2月5日にすることで、今日の検討会は終了いたしました。

(会合名) 耐震性非常用貯水槽の有効活用についての意見交換会

(日時)  2015年2月5日 18時30分より

(場所)  下知コミュニティ・センター4階多目的室

 多数の下知地域の住民の参加を呼び掛けます。
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2015年1月27日 (火)

いの町の変化と変わらない「お役所体質」

先日は昨日は家内の運転免許更新のために(実はペーパードライバー)、今日は仕事でいの町へ行っておりました。昨日は架橋されなかった国道33号線を跨ぐ高知西バイパスの高架橋が今日は繋がっていました。
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 昨日の免許センターですが、午後からの「優良運転者講習」なんですが、昼休みの時間帯は窓口がピッシャリ閉まっています。皆仕事をやりくりして免許センターに駆けつけているのに、あまりに「のんびりした」姿勢には呆れました。
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 40年ほど前に学生時代に東京へ荷物を送るときに、当時の国鉄伊野駅もそうでした。昼休みが終わるまで窓口のカーテンが開きませんでした。それを思い出しました。

2015年1月26日 (月)

松山市はやはり「先進地」でした。

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 2015年1月25日は、高知市地域防災推進課が準備をされて、鍋島係長、前田課員の引率で、バスにて「松山市自主防災組織ネットワーク会議・視察」へ行きました。参加した高知市内の小学校校区単位を原則とする防災会は、下知減災連絡会を含んで16でした。午前9時間に高知市あんしんセンターを出発しました。
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 途中石鎚山パーキング・エリアで昼食タイムに。石鎚ラーメンを食べました。
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そして午後1時前に松山市消防局へ到着しました。今日は松山市の消防関係者は」「出初式」であり、意見交換会の開始がやや遅れました。

 最初に松山市消防局警防課市民防災担当課長の金澤英雄氏が挨拶され、松山市自主防災会組織ネットワーク会議の古金茂会長が歓迎の挨拶をされました。
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 最初に金澤課長より、松山市の自主防災会結成促進の歩みと,消防局の考え方について説明がありました。高知市と松山市の大きな違いは、松山市は当初から消防局が危機管理部署を担わられていて、自主防災会の活動の支援や、「防災士」を養成するための支援を積極的に行ってきた経緯を説明されました。

 その経緯と消防局が市民の自主防災組織結成のための支援を強固に行い、今もされておられることにまず驚きました。高知市との「決定的」な違いですね。そのあたりが。

 消防は市民社会の「アンカーマン」の1つです。火事や水害や救命救急など、災害・事故・緊急対応を業務で日常的にされておられます。また消防局―消防署ー消防分団の皆様方は日常的に市民と密接に関わりがあります。

 高知市の場合は、危機管理部署は総務部から当初「危機管理室」として発足し、3年前に「防災対策部」としてスタートしたばかりです。そのなかで消防活動の最前線を体験した市職員は皆無であり、災害に対応する意識からして全く違うことを感じました。

 その表れが自主防災組織の結成経過状況を見ても明らかです。平成7年にわずか」2組織の自主防災会が、13年後の平成20年には92%を超えています。その年に松山市自主防災組織ネットワーク会議が結成されました。4年後の平成24年に自主防災組織100%を達成し、現在は760組織で、松山市の全世帯229.865が加盟する状態になっています。
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 更に驚くのは「防災士」の数が都市で全国1位であることです。政令市である仙台(1293人)、横浜(1184人)、名古屋(1168人)を上回る2332人が松山市におられます。
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 わたしも実は「防災士」の資格は持っています。持っていても高知市では「なんてことはない」のです。松山市は違います。「防災士の専任条件と言うのがあり」「自主防災組織で推薦を受けた人」「防災に強い関心があり、ボランティア精神旺盛な人」「市か資格取得後は、おおむね10年間は自主防災組織の中核的役割を果たせる人」「資格取得後は、会長を補佐し年間を通じて地域住民及び組織内での防災組織の啓発及び防災教育の指導・組織との連携や協力など、防災力向上に寄与できる人」とあります。

 確かに「公的な役割を担うとの認識に立ち、自主防災会組織の推薦を条件」であれば、資格取得の必要な経費を全額公費で負担する仕組みになっています。このあたり高知とは「力の入れようが違います。」。しかも実践的なやり方です。防災士の社会的な役割がはっきりと明示されておられます。このあたりも凄いと思いました。
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 敢えて個人的な感想を言わしていただければ、「災害の少ない松山市で熱心に自主防災会の育成と、防災士の養成」をされているのは愛媛県の県民性ではないのでしょうか。なにかと「我が強く」、「わがままなで」「役所の言うことにはすぐに逆らう」高知県民には、松山方式は優れものですが、適用や真似は無理ではないかと思いました。

 説明後高知の自主防災会との意見交換会もありました。松山市の活動に驚き,敬意を示す発言が多かったです。
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 消防局と自主防災会が一体化した活動は、羨ましくもありました。高知市とは全然支援体制が違いますので。システムの違いを理解したうえで、何ができるのか。何ができないのかを今後検討しなければなりません。

2015年1月25日 (日)

"突貫工事”的な高知市自主防災組織連絡協議会の設立

 高知市役所の防災部署というところは、4年前から二葉町自主防災会が、幾度となく「仁淀川町と二葉町の疎開を前提とした交流事業」への支援と同伴を要求していましたのに、全く真摯な対応をしてきませんでした。仁淀川町役場が熱心なのに比べて、「やる気」が全くありません。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-fd40.html

(2012年の高知市災害対策部からの回答)です。↑

 いわば「0回答」に等しい。南海トラフ巨大地震が今起きれば、海抜0メートル地帯に住んでいる高知市民は13万人居り、避難場所も疎開場所も未だに明確になっていません。

 「市町村災害時相互支援協定」すら未だに締結されておりません。一体何をしていたのでしょう?

 それに引き替え自分たちの部署でこしらえることは素早く「突貫工事」すらやってのけます。実にすばらしい「実行力」でありますね。

 昨年の2月頃配布された資料では高知市自主防災会連合会(仮称)は、1年かけて結成するようにするとスケジュール案まで配布しておりました。
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 音沙汰ないので立ち消えかと思いきや、どっこい第1回目の会合を暮れの果ての昨年12月24日に実施。明日(1月25日日曜日)に、「先進地松山市の見学」とか。


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 1年かかるスケジュールを何と「3か月」でやり遂げると言います。なんと柴らしい実行力と言えますね。本当に行政は自分の都合で動くときは「一気呵成」なんですね。

 いやはや「組織の力」は大したものです。感心しました。

朝から会長の代理で、松山まで研修に参加する予定です。1日つぶれますが、実のある研修であることを臨みたいですね。
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2015年1月24日 (土)

災害時の感染症対策もしておかないといけないですね。

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インフルエンザが大流行ですね。既に昨年のピーク時を上回っています。高知市内の小学校の学級閉鎖を聞くようになりました。我が家の超高齢者の父(95歳)は、週に2回通院して診察を受け点滴しないといけません。普段は見かけない若い患者さんたちがマスクをして待合に溢れています。

 父もそうですが付添の私も大変。いつ罹患するのかわかりません。年明けからも仕事も地域活動も多忙。インフルエンザで寝転んでいる暇はありません。

「インフルエンザは発症48時間以内ならイナビルという吸引式の薬が良く効きます。2日間で熱や症状が納まりますが、全治は1週間。48時間を過ぎますと、なかなか治療法はなく2週間以上は回復にかかります。自分の平熱を調べ、異常だねと思えばすぐに医院へ行くことです。それしかないそうです。

防災・減災面からも避難所などの感染症対策は絶対に必要です。とくに高齢者や乳幼児の対策は急がれますね。平常時でも大変ですが、非常時であれば尚更です。

2015年1月23日 (金)

阪神大震災の震源地・野島断層を見学しました


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 長田区鷹取東の皆さんと早朝からの交流を終え、山古志、南相馬の皆様と別れを告げて帰路になりました。幸運なことに高知から来られた甲藤雄司さんと山本雅幸さんの十乗用車に便乗させていただきました。帰路のバスをキャンセル。それで長距離バスでは見学することのできない淡路島にある北淡震災記念公園へ行くことになりました。

 阪神・淡路大震災の震源地と言われる淡路島の野島断層。地上にむき出しになった断層が大きな建物で保存されています。野島断層は国の「天然記念物」だそうです。

 最初に見た場所は、道路が地震で隆起し、側溝が折れ曲がっている姿でした。断層が100メートル建物のなかで保存されていました。壁のようになった断層では、粘度質の土と砂状の異質の土がずれていますので、断層の状態が良くわかります。
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 昔図鑑で断層を絵で見ましたが、現実の断層は初めて目撃しました。
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 野島断層記念館横にあるメモリアルハウス。当時あった民家がそのままの状態で保存されていました。台所も水屋が倒れ、食器が散乱した状態でした。電池切れになり撮影できませんでしたが、コンクリート製の塀も地震で折れ曲がっていました。
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 震度7を体験できる部屋もありました。なにより天然の断層を屋内保存しているところが凄いと思いました。直下型地震の怖さを思い知らされた施設でありました。

2015年1月22日 (木)

チョ・ホンリさんと長田のまちあるきをしました

 阪神大震災から20年。長田区鷹取東第1地区でのあわせの地蔵様での慰霊祭に参加。炊き出しの豚汁とぜんざいを御馳走になりました。地元市議の浜崎ためしさんのご案内で地域人材支援センター(旧二葉小学校跡)を見学しました。


 その後旭若松公会堂で「長田―山古志ー南相馬市―高知」との意見交換会に参加しました。昼食後、今回の行事の立役者の1人であるチョ・ホンリさんと新長田周辺のまちあるきをしました。
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 チョさんの事務所のある若松町。あわせ地蔵様がおられる日吉町界隈は震災時は殆ど火災で焼失した地域でした。古くからこの地域にお住まいになり、また建築設計士でもあるチョ・ホンリさん。変化する街並みを知り尽くしておられます。
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 空地も多いと言われました。
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 韓国製のプレハブ。工場が使用しています。韓国から輸入され今も使用しています。

 前と現在の街並みの変化。良くなったところ、悪くなったところを指摘されながらの長田のウォーキング。大変参考になりました。

 まずチョさん事務所周辺の地域は、新しく建築された3階建ての民家が多い。その理由は「市の区画整理事業で道路幅を確保するために減歩されたから。それでやむなく3階建てにしたようです。」
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 あわせ地蔵様にあらためてお参りしました。地域のお世話役をされている方からぜんざいをいただきました。ありがとうございます。
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 そして新長田駅前若松公園にそびえる鉄人28号。巨大です。鋼鉄でこしらえられています。さすが造船や鉄構造物建築で栄えた工業都市神戸です。鉄人28号の作者横山光輝さんは神戸市須磨のご出身です。
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 それから新長田1番街商店街を歩きました。こじゃれた商店も多いです。しかし建物2階部分はテナントが埋まらないとか。
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 「市役所は巨大なハコものビルをこしらえ再開発しました。家賃が高く皆入居できません。もともと長田は庶民的な街。独自のつながりやコミュニティがありました。猥雑者やごちゃごちゃしたところが長田の魅力。市の再開発計画は殆ど長田の特性を無視したものでした。」。なるほどそう思います。
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 大正筋商店街は、大正時代からつくられた歴史ある商店街。しかし大震災で壊滅的な被害を受けました。新しく再起しましたが、老舗の店が閉店したり、大きな問題をかかえています。
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 火事に遭っていない街並みと新しい町並みは歴然と異なります。六間道商店街は震災の被害は免れたので、古い商店が残されています。丸五市場もそのまま残しましたが、お店の撤退が相次ぎ今は店舗も少なく寂しくなりました。
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 チョ・ホンリさんはその一角のブースで震災の記録のメモリアルという事で、震災画を描き展示されていました。
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 西神戸センター街では、タレント南野陽子や地元アイドルグループのフリ―ライブがあるそうで、ステージがつくられておりました。
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 1月17日は、神戸市各地、長田の各地の公園や商店街にて記念の行事が数多く実施されていたようです。

 チョさんのまち歩きでの解説を聞き、あらためて行政寄りの長田復興のパンフレットを読みますと、事業を行う場合の明暗がよくわかりました。
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 横山光輝さんは、神戸市須磨の出身。それで長田に巨大な鉄人28号や、「三国志」にまつわるキャラクターや「あやかりイベント」がたくさんあるのですね。現地へ来てはじめてわかりました。
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2015年1月21日 (水)

阪神・淡路大震災20年に集いに参加しました


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 2015年1月17日に長田区旭若松公会堂にて、「阪神・淡路大震災20年に集い 協働と共感に向けて」の意見交換会に参加いたしました。
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 パネラーは鷹取東地区と双方の震災以来交流のある新潟県旧山古志村(現長岡市から田中仁さん(山古志商工会議所理事長)、西道典さん(南相馬市 男山八幡神社宮司)。司会は高知から西田政雄さん。地元からは石井弘利さん(日吉町5丁目自治会会長)高知から来た西村健一下知減災連絡会副会長も急遽パネラーになりました。
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 お互いがどういう立場なのかを自己紹介しながら説明をしました。
地元の石井弘利さん。震災直後から地域のリーダーとして奔走されてこられました。

「今朝地震当日の日の事を思い出しました。大きな揺れで飛び起き外へ出ました。恐らく寝間着で飛び出しました。家がつぶれたお隣の奥さんをご近所の人と助け出しました。

 火事が起きて消防車も来ましたが、ホースを消火栓に繋いでも水が出ない。結局消防車3台ぐらい繋いで海から水を汲んで消火活動していました。も20年経ちました。21年目も22年目も大事です。

 復興のまちづくりの区画整理事業については、勉強して行政側としつこく交渉しました。役人は「前例のないこと」はやりたがりません。前例がなければつくったらえいだけや。わしらもしつこいからやると言うまで動かなかった。それでいくつか要求がじつげんしたものもあった。住民側の要望はしつこく冷静にすべきですね。」

 田中仁さんは、「山古志村では地震が起きたのが午後5時半過ぎ。日が暮れて停電して暗闇になる恐怖を感じました。全村避難を3年近く余儀なくされました。結果2000人の人口が今は1000人です。でも戻って来た人たちは元気があります。

 隣の人をそれぞれ助けました。火事は起きませんでした。翌日夜が明け被害状況がわかると唖然としました。

 山古志復興交流館など震災を忘れず訪問者と交流を続けています。特産の錦鯉も大きな被害を受けましたが、今は復活しています。今日も6人で来ました。」
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 西道典さんは「南相馬は津波被害と原発被害を受けました。幸い私の自宅は被害を免れました。とくに子供たちが避難をしています。ボランティアで子供の翼事業をやりまして、海や川や山で遊べない南相馬市の子供たちを、全国各地の地域へ出向き、少しの間子供を受け入れていただいています。長田も山古志も支援していただいています。」
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 高知の西村下知減災連絡会副会長は「今朝の毎日新聞・震災特集14面に「希望新聞 町おこしで備える 高知 長田の伝言体現」と大きな記事になっています。7年前もこちらの場所で二葉町自主防災会20人が訪問しお話を聞かせていただきました。

 南海トラフ巨大地震はまだ来ていませんが、必ず来ます。1昨年高知へ来ていただいた石井会長に「南海地震は来ることがわかっているので行政と協力してまちづくり協議会をつくるべき」と言われました。それで昨年8か月かかって地域コミュニティの1歩である下知地域内連携協議会をこしらえました。

 長田や山古志や南相馬の経験を学びたいと思います。」

 司会進行は、西田政雄さんの適切な助言でスムーズに進行し、内容濃い意見交換会となりました。何より大きな震災被害を受けられた長田、山古志、南相馬市の罹災者同士が交流し、交流事業が継続していることです。素晴らしいことです。

 震災当時山古志村村長であった長島忠美氏は、現在復興副大臣と言う激務の最中に、長田のポケットパークで早朝開催された20年慰霊祭に来られていました。

 20年前は自主防災会も今より組織率が低かった。ボランティ元年と言われるほど、何もかにもが神戸がパイオニアです。苦労して培ったノウハウを長田の人達は、惜しげもなく山古志や南相馬市の罹災地に伝授されました。高知へも助言をいただきました。
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 1時間半があっという間に終わりました。毎日新聞の小坂剛志記者と、新潟日報の金子悟記者も会場へ取材に来られていました。高知から甲藤雄司さんと山本雅幸さんも駆けつけていただきました。

 あっという間でした。

2015年1月20日 (火)

素晴らしい長田の人材支援センター


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 2015年1月17日は、鷹取東第1地区の阪神大震災20年の慰霊祭に参加した後、地元長田区の市議である浜崎ためしさんのご案内で、長田区二葉町7丁目1番18号にある地域人材支援センターへ行きました。
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 私の居住しているのは高知市二葉町。同じ「二葉町」なので興味がありました。元は廃校になった二葉町学校の旧校舎を改築し、耐震補強を完成させ(7・5億円の国からの支援金があったそうです。)築80数年のレトロな旧二葉小学校校舎(2006年位に廃校)が、地域人材支援センターとして蘇り、地域コミュニティ形成や、長田区のまちづくりに大いに寄与しています。

 まず小学校の教室そのままの研修室で、特定非営利法人ふたば事務局長の向恵子さんに、地域人材センターの設立の経緯や、施設の概要を説明いただきました。

「1995年の阪神大震災時には、多くの人達が避難され、避難所としての機能をはたしていました。その後2006年に閉校になりました。当初は古い校舎を取り壊し、売却するか、新しい建物を建てる議論が優勢でした。

「2007年になり地元長田区婦人会連合会が、婦人市政懇談会長田区総括集会で旧二葉小学校の活用を要望しました。当初は市の対応は鈍いものでした。
 その後市民アンケートを実施し、婦人会、自治会、商店街、TMOなどが集まり検討員会が発足。ワークショップを実施しました。二葉小学校跡の活用方法についての前向きな具体的な方法が幾つかで始めました。」

「当初けんもほろろだった神戸市役所の対応が変化しました。婦人会連合会が、活用要望を出して2年後に市長が「校舎を残し耐震補強を行い活性化のために活用する。」ことを表明され事態は大きく動き出しました。」

「その後検討委員会は、3つの作業部会を創りました。(生涯学習)、(地域文化・震災学)、(交流・居場所)づくりです。各作業部会は熱心に討議を重ね、市への提案もしていきました。そして2009年に神戸市は7億4200万円で補正予算を提示し、旧二葉小学校校舎を地域活性化の拠点とすること決めました。そして運営主体のNPO法人化するための動きもあり、2010年11月19日に神戸市市立地域人材支援センターとして開所しました。」

 「教室」での説明後向恵子さんに、地域人材センターの施設の説明をしていただきました。レトロな校舎の教室や研修室や施設を見せていただきました。
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 ロボット工作室がありました。共同研究しているそうです。震災学習が出来る展示がありました。。2階部は6つの会議室スペースと、3つのオープンスペースと高齢者ふれあい学びの場、エコエコひろばもありました。調理室もあります。
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 3階部分は防音設備が行き届いた音楽室が2室あります。大人気であるそうです。講堂は500人ぐらい収容出来るようです。
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 建物はレトロであり、床面は木でできています。漆喰壁風の壁面や柔らかい照明が利用者には大人気であるそうです。説明を聞き、資料もいただきました。神戸市長田区の市民の民度が高いなと感心しました。粘り強く市役所と交渉したり、前向きな活用法を提示し続ける「市民力」「住民力」のパワーをあらためて感じました。
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 2007年頃と言えば、高知市でも追手前小学校の廃校が決まった頃でした。100年の歴史のある小学校でしたが、簡単に廃校になり、現在県と市の合築図書館が建設されています。長田のこの取り組みを関係者が知っていて交流をしていたならば、追手前小学校の運命も変わっていたかもしれません。それを思うと残念です。

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  広報紙もシンプルですが素晴らしいです。感心しました。

2015年1月19日 (月)

鷹取東慰霊祭に高知から参加しました


 2015年1月17日は、阪神大震災から20年。神戸市長田区鷹取東第1地区のポケットパークのあわせ地蔵前で行われている慰霊祭に、西田政雄さん(防災寺小屋・主催)と一緒に駆けつけました。

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 前日の22時44分発の夜行バスへ乗り込み。17日の午前5時に三ノ宮駅に到着。34分発の電車で、新長田へ。徒歩10分で祈祷会場へ到着しました。
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 阪神大震災での地域の98人の犠牲者名が刻まれている地蔵前で、ボランティアで毎年祈祷に来られておられる僧侶の皆様のお経を聞きながら私たちも祈祷しました。地元の皆様以外に、新潟県旧山古志村から6人、福島県南相馬市からも来られていました。
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 旧山古志村村長で現在復興担当副大臣の長島忠美さんや、地元市議の浜崎ためしさんも来られていました。この鷹取の人達の素晴らしいのは、大きな被害を受け復興の途中でありながら、震災9年後の新潟中越地震時には、大きな被害を受けられた山古志村を訪問し救援物資を届け、罹災者同士の交流をその後続けておられることです。
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 2011年の東日本大震災では、津波災害と原発災害で苦しんでいる福島県南相馬市を訪問し、長田区鷹取と旧山古志村がタックを組んで支援されたことです。南相馬市でボランティア支援活動をされておられる西道典さんも来られていました。
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 私たち高知市の下知地域住民は未だ被害こそ受けてはいませんが、長田区鷹取東第1地区の皆様のアドバイスを活用したまちづくりをすることが「減災になる」という想いをあらたにしました。
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 鷹取東地区の住民の皆様、豚汁とぜんざいの炊き出しありがとうございました。冷えた体が温まりました。重ねてありがとうございます。

2015年1月18日 (日)

毎日新聞全国版で下知連携協議会が記事になりました。

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長田の教訓を高知・下知地域で活かします


 阪神大震災20年に西やんと一緒に参加した「神戸・長田弾丸ツアー」の情報整理は今日行います。その最中ですが、第1報です。

 2015年1月17日毎日新聞全国版に、阪神大震災特集として14面に「希望新聞。町おこしで備える 高知 長田の伝言体現」と.大きく掲載されていました。昨日長田のコンビニで購入、高知でも家内に購入してきてもらいました。

http://w.mainichi.jp/eq/kibou_news/20150117ddm010040017000c.html(毎日新聞)

 昨年11月3日に開催されました「第3回昭和秋の感謝祭」会場の昭和小学校に、毎日新聞奈良支局の小坂剛志記者とカメラマンの川平愛さんが直接取材に来られていました。早速昨日の長田区旭若松公会堂での意見交換会「阪神・淡路大震災20周年の集い 協働と共感に向けて」の席上でご紹介させていただきました。

 高知市下知地域と、神戸市長田鷹取地区と、旧山古志村(2004年中越地震罹災地)と南相馬市(東日本大震災罹災地)との連帯・協働を確認をいたしました

2015年1月16日 (金)

「耐震性非常用貯水槽の有効利用に関する請願」に関する意見交換会


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 具体的には高知市青柳公園地下に埋設されている耐震性非常用貯水槽を浸水時にも有効に使用できるように改修の請願を12月高知市議会に提出していました。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-7e14.html

 高知市議会で地域代表の高木妙さんにも質問を市議会でしていただきました。

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-2e8b.html


 高知市議会6会派のうち5会派の賛同は得ましたが、請願は「継続審議」になりました。
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 今回高知市水道局を招聘し、下知地域住民との耐震貯水槽の有効活用について意見交換会を実施いたします。

(会合名) 耐震性非常用貯水槽の有効活用についての意見交換会

(日時)  2015年2月5日 18時30分より

(場所)  下知コミュニティ・センター4階多目的室


 その前に1月27日(火曜)に午前10時から12時までの間に、下知コミュニティ・センター3階会議室Bにて、改修方法のアイデアを募集・検討会を行います。関心のある方はご参加ください。
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2015年1月15日 (木)

震災20年に高知から駆けつける予定です

阪神大震災20周年にて、神戸市長田区の皆さまとの意見交換会へ、高知から夜行バスにて西田政雄さん(防災寺小屋主宰者)と一緒に行く予定です。出発は2015年1月16日23時頃です。

 1月17日早朝長田区鷹取のポケットパークへ到着。炊き出し訓練などが行われているそうです。そこで鎮魂の式典が町内で行われるとか。午前9時か10時ごろに若松公会堂へ移動。意見交換会が行われる予定です。

 長田区鷹取町内会の市民有志と、新潟中越地震で大きな被害を受けた旧山古志村(現在の長岡市)の元村長長島忠美氏(現衆議院議員)や、錦鯉生産者の田中さんたちや、東日本大震災で大きな被害を受けられた宮城県東松島市の人達もご参加されます。

 派手な式典ではありませんが、長田区鷹取、新潟県旧山古志村、宮城県東松島市、高知市からの参加者でより実践的な意見交換会が行われると思います。

  2008年より西田政雄さんの仲介で、二葉町自主防災会は、長田区鷹取町内会とは交流しています。

 http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/cat31916625/index.html(2008年)

 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/2-4326.html(2013年)

2015年1月14日 (水)

第3回下知地域内連携協議会役員会

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 2014年1月14日に第3回下知地域内連携協議会役員会が下知コミュニティ・センターで開催されました。国見俊介会長の挨拶で始まりました。司会進行は中岡寛典事務局長です。

 討議事項は3月15日の「映画燦燦」とその後の福祉・介護サロンについて。今後の部会やサロン、代表者会について討議がされました。

 報告事項として青柳公園地下にある耐震非常用貯水槽の有効活用についての請願を市議会にしています。その報告と今後の展望を西村健一副会長が行いました。

 役員用のメーリングリストを作成したことが報告されました。

 その他コミュニティセンター事務局より、2月3月のウォーキングの予定。藁工ミュージアムでのサロンの案内(2月1日)がありました。

2015年1月11日 (日)

「歴史のなかの大地動乱」を読んで

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 「歴史のなかの大地動乱 奈良・平安の地震と天皇」(保立道久・著・岩波新書・2012年刊)を読みました。年末・年始はなんだかせわしく、1月10日は家の手伝いも免除されましたので、一気に読むことが出来ました。

 日本の歴史は文字で記録されているのは、たかだか3000年に満たない。著作を読みますと奈良・平安時代(奈良時代は710年から794年。平安時代は794年から」「1185年まで)に時代にも、日本列島は地震・津波・噴火・異常気象・疫病の流行に見舞われています。

 著作の中に掲載されている年表を見ても、日本国はつくづく天変地異が多い国であることが理解できます。
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 筆者は2011年3月11日の東日本大震災の後、8・9世紀の地震・噴火の検証が、今日の地震学、地球科学の研究に必要であるとの思いから執筆されたようでした。

「奈良・平安の世を襲った大地の動乱。それは、地震活動期にある現在の日本列島を彷彿させる。貞観地震津波、富士山噴火、南海・東海地震、阿蘇残噴火・・・。相次ぐ自然の災厄に、時の天皇たちは何を見たか。

 未曾有の危機を、人々はどう乗り越えようとしたか。地震・噴火と日本人の関わりを考える。歴史学の新しい試み。」(カバー但し書き)

 筆者によれば、日本の地震学の創始者である今村明恒が、歴史上の地震を研究し、1649年の地震、1707年の宝永地震、1855年の安政地震の間隔からして、東京での地震発生の可能性を危惧し覚悟しなけらならないと1905年に発表したそうです。しかし「社会不安を煽る浮説をふりまくもの」とされ、長らく不遇でした。
 
 しかし今村の予測どうり、相模湾海底を震源とする関東大震災が1923年にJ発生し、汚名はそそがれました。それで私財まで投じて観測体制の整備をしましたが、戦争のお蔭で十分なことが出来ませんでした。それをご本人は悔やんでいたと言います。

 奈良の大仏も聖武天皇が国家の安定のための1大国家プロジェクトとして建立したといいます。
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「そもそも聖武は対新羅戦争計画には消極的であった。聖武の重視した華厳の思想は平和思想という側面を持っており、聖武が戦争計画に賛同しなかったのは十分な理由があったのである。

 しかも大仏造営は国家の大事業であって、対新羅戦争を同時に遂行することは、実際上も無理な話だった。

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 少なくとも史料による限り、この8世紀の美濃地震では死者が出ていない。この地震が、結局、紫香楽宮、恭仁京をはなれ、平城京に遷都することになった重要な理由であった。

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 聖武ー称徳が、戦争の道を選ぶことなく、仏教事業を推進し、日本を1種の仏教国家にしたことは、後々の国制にまで根本的な影響をあたえたのである。」(P39「大地動乱の開始」)

 聖武天皇は、奈良の大仏を建立し、全国各地に国分寺を建て、その元締めが東大寺であったようです。それは天変地異の大災害を自分の政治の力が劣っているからと反省し、自己責任を自覚していたからでしょう。今の政治家よりも遥かに潔い指導者でした。

 またこの著作は日本の古代史や、神話の世界まで記述していますので、浅薄な無教養な私には理解不能なところもありました。わからないところはすっ飛ばして読みました。

「かぐや姫は火山の女神であり、竹取物語は、より古い時代の火山神話を物語風に書き直したものだはないか。」(はじめに)
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 白鳳南海地震(684年)は南海トラフ全域が動いた海溝型の大地震であったようです。

「大潮高く騰がりて、海水ただよう」日本史において初めて津波を描いた文章である。当時の土佐(高知)も大変な被害が出たと言われています。

 「今村明恒によれば、これは江戸時代1704年(宝永地震、1854年(安政地震)の2つの津波で高知市の東方平地(現在の高知市下知・高須など)が津波に襲われた時の様子に良く似ており、震源となった海底断層の位置も、陸側の沈降して海となった地域もほぼ同じであったと言う。」(P13)

 つまり貞観地震は東北の大地震ですが、その痕跡や記録をたどり現代地震対策をきちんとしておれば、少なくとも福島第1原発の被害は回避できた可能性は大きい。しかし当時の原子力関係者は、一部の地震関係者の提言を無視し続け、全く津波対策をしませんでした。その結果が大事故に繋がりました。
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 この本を読んでいて日本は有史以来「災害大国」であるとつくづく思います。地震と津波、噴火だけでも大変なのに、大雨災害や台風や大雪もあり、人災として火災も日常的に発生しています。

 そういった歴史的な観点に立ったならば原子力発電は日本の国土や風土にはそぐわない危険極まりない施設であることが誰にでも理解できると思います。

 国防の観点からも原子力発電の再稼働をやめ、ただちに廃炉の工程をとるべきなんです。

 教養のない私がこの著作から読み取ったことは以上です。
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2015年1月10日 (土)

高木妙市議が耐震貯水槽の有効活用についての質疑をされました。

  2014年の高知市議会にて、下知地域の代表の市議会議員である高木妙さんが、「非常用耐震貯水槽の有効活用について」の質疑を行っていただきました。

 下知減災連絡会、下知町内会連合会、下知地域内連携協議会の3者会長名でも、12月高知市議会に「耐震性非常用貯水槽の有効利用に関する請願」を出しています。

 防災寺小屋の西田政雄さんが、市議会の質疑の様子を動画にしていただきました。

 動画:高知市議会:高木妙議員の「耐震貯水槽に関する質問」

2015年1月 9日 (金)

寒い早朝の不燃物・資源ステーション


 2015年1月9日の高知市二葉町町内会管理の「不燃物・資源ステーション」が、下知コミュ二ティ・センター前の道路で午前6時から8時の予定で行われています。

 荒木三芳二葉町町内会副会長は、立札やコンテナーを準備され、仕分けの場所を決められ、当番の町内会各班の班長さんたちが、仕分けの指導をされています。
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 今回の我が家も少なめ。ビン類と缶類(ビールなども年末はあまり飲みませんでした。)も少量。
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 3月までの期間の不燃物・資源ステーションは本当に寒くて辛いです。担当の町内の皆さまご苦労様でした。

2015年1月 8日 (木)

二葉町の住宅密集地での火事がありました。

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 木造の低層住宅が密集して建っている二葉町。2014年1月7日午後7時30分頃木造2階建ての家屋が全焼。類焼は隣家の2軒に及びました。幸い居住された人はご無事だったとのことでした。近隣の人達もお怪我はありませんでした。
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 3年前不審火で全焼した空き家跡は解体され更地になっています。そこから50Mも離れていません。
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 昨夜は冬型の気圧配置になっていましたが、幸い風が弱く、消火活動も手早くされましたので、類焼が最小限で済みました。消防関係者の皆様、警備の警察の皆様ありがとうございました。徹夜でパトカーが止まって警戒されています。

 防災の観点からも防火対策も大事であると思いました。

高知新聞2015年1月8日朝刊社会面に火事の記事が掲載されています。
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2015年1月 6日 (火)

高知市春野町も大津波襲来の危険があるようですね。

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仁淀川河口大橋から春野町沿岸部も、南海トラフ巨大地震の予測では大津波(10Mから15M)が押し寄せるという予測が出ています。
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 それを防ぐ威力があるかどうかは不明ですが、巨大堤防が建設されていました。高さは10Mはあるでしょう。高潮堤防ではないでしょうか?耐震性については疑問です。まるで「万里の長城」のような護岸堤防です。車と比較しても大きいです。
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 東日本大震災でも堤防では完全に津波は防げませんでした。逃げる時間稼ぎの意味なんでしょうか。

2015年1月 5日 (月)

南国市浜改田に大規模施設が建設中


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 南国市浜改田。こちらも南海トラフ巨大地震の想定では、大津波が沿岸部に30分程度で到達。高さも5Mから10M。少し奥にある南国市流通団地にも3Mから5M浸水するのではないかと言われています。

 それで津波避難タワーもあります。
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 こちらの流通団地には日本通運と四国名鉄運輸のトラックターミナルがあり、サンシャインと言うローカルスーパーチェーンの集配センターもあります。
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 にもかかわらず大規模な流通センターらしき建物が現在新築されています。何が建設されるのか看板が出ていませんのでわかりません。
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 老婆心ながら「大丈夫なのか?」と思いました。設備投資は良いことでしょうが、考え込んでしましました。

2015年1月 4日 (日)

国際信号旗とマスト

  前の所有者が「国際信号旗」が表示されたシールをディンギーに貼りつけられていました。ヨットレースのなかで使用されていたのでしょう。
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 NPO法人YASU海のクラブの井土事務局員さんが、不用になったボートセーリングのマストを譲っていただくことになりました。2本つなぎになるそうです。

 アルミの芯にFRPが巻かれているので腐食することはありません。
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 下知減災連絡会では「国際信号旗」を避難所に掲げようとしています。下知コミュニティ・センターにも国際信号旗を購入しました。

2015年1月 1日 (木)

机上ではなく地域事情に配慮した避難所運営を


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 2014年12月31日の高知新聞の記事「避難所マニュアル作成支援」「県がひな型 運営は住民主体」との記事が掲載されていました。

 写真も掲載されていまして、昨年10月26日に実施されました高知市総合避難訓練で実施されました「避難所開設訓練」の様子が出ていました。

 記事に寄りますと「災害時の混乱で行政の支援が十分に行き渡らない可能性があるため、避難所の運営は住民主体にし、高齢者への対応も盛り込んだ。」とあります。

 10月26日当日、行政側がこしらえたマニュアルで避難所開設訓練をしました。」担当は受けつけ。仮想現実で対応しましたが、避難者がどんどん来ると対応は不可能でした。
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 http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-8853.html

 下知減災連絡会主催で、11月8日・9日に下知コミュニティ・センター全館を活用した「避難所開設・宿泊訓練」を実施いたしました。

 こちらも10月の高知市総合防災訓練を教訓として、受付業務は専任担当者を設置し、、趣旨を訓練参加者各位に説明して実施しました。今回は上手く行きましたが、実際は無理であることが理解できました。

 行政側の罹災者支援のルール上必要な措置であるとは思いますが、より実践に即した対応が必要であると思います。

 既に二葉町では全世帯を対象に「防災世帯調査」を実施し、地域の住民各位の情報を自主防災会で把握しています。(防災世帯調査表・参考)
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http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-847b.html

 西田政雄さん(防災寺小屋主宰)の提唱による「SOSカード」は、事前に配布し、傷害や疾病を自己申告していただく仕組みです。これを提示すれば、即福祉避難所へ行っていただきます。
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 女性の視点を災害対策に活用することもとても大事な視点です。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-ce70.html

 

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