仁淀川町・長者地域のだんだんクラブの皆様に棚田の田植えの指導をしていただきました。
昨日は二葉町防災倉庫の引越しをしました。「高台」への防災用品を移転したので、一安心です。仁淀川町の井上光夫さん(によど
仁淀川町大崎の森林組合2階の建物へ行きました。そちらでによど自然素材活用研究会の中山琢夫さんと四国総合研究所の垂水亜紀さんと合流しました。
Bスタイル・プロジェクト事務局です。仁淀川町は高知市の日曜市にも最近産品を出品しています。
それで一緒に仁淀川町長者地区をめざしました。加枝ダムの少し上流の仁淀川にかかる赤いトラス橋を渡りますと、旧仁淀村地域にはいります。そこから10分ほど走行しますと長者地区へ入りました。
3月10日のBスタイルプロジェクト報告会でお会いしました岡崎信守さんたち。「だんだんクラブ」の皆様が迎えて下さり、棚田の田植えをご指導いただくことになりました。
田植え作業に不慣れな都市部住民にご指導されるのは骨折りであったと思います。指導を受けたのは高知市二葉町が2人。森林総研関係者が2人。地元のご婦人1人(最近嫁いでこられた)の5人。
裸足で田んぼに入りました。適度に暖かく、どろもソフトでした。おたまじゃくしがたくさん泳いでいました。
だんだんくらぶの皆さんが親切に教えていただきますが、稲を20センチ刻みに真っ直ぐ植えつけることは慣れないと難しい。
女性グループの棚田作業を見学。丁寧に植えつけていかれています。
苗がはいったスチロールの箱を船がわりにして植えつけます。あちこち行くので、往生しました。
自分たちが植えた後ですが、真っ直ぐに植えるのはとても難しかったです。
作業修了後、地域にそびえる大銀杏(樹齢1200年)の前で懇談しました。棚田が現在のようになったのは400年ぐらい前からとのこと。
地域の人口が1番多かったのは昭和45年頃(1970年)で、2200人いたそうです。棚田の上の道路に「繁華街」が出来ていたそうです。映画館やパチンコ店、旅館もあったそうです。現在は850人が長者地域に居住されています。
石のテーブルは地元の土建業者が寄贈されたそうですが、地域の絶好のコミュニティ施設になっています。だんだんくらぶの皆様は私たちが帰った後には懇親会をするそうです。とても気持ちの良い場所です。帰りたくなくなるような快適な場所でした。
高知駅前にその昔建築されていた大河ドラマ館。解体され、こちらの長者地域に再登場。農村レストランや喫茶コーナーを備えた交流施設が近くに完成するそうです。
花しょうぶ祭りが、6月10日から17日にかけて開催されます。地場産品の販売などが予定されています。二葉町の町民有志にも参加を呼びかけたいとは思いました。
近くの長者小学校の生徒たちの課外授業にもだんだん畑や棚田が活用されています。
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