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2011年11月

2011年11月30日 (水)

弟4回防災ひとづくり塾を受講しました

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 第4回「防災人づくり塾」(高知市危機管理室主催)の講師は、片田敏幸氏(群馬大学教授)でした。二葉町自主防災会メンバー5人で揃い受講しました。

 3月11日の東日本大震災は。死者が15840人。」行方不明が3607人。合計19447人の大災害でした。
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 片田敏幸氏は防災教育の実践者。地域に入り込み子供たち主体の「防災教育」を実践し、今回の東日本大震災でも、顧問をしている岩手県釜石市で成果を上げられました。3000人の小中学生が殆ど助かり、なくなったのは5人でした。
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 中学生たちは保育園児や高齢者まで救助し、一緒に小学生たちと逃げて、高台へ逃れきりました。避難の途中で亡くなった人は皆無でした。
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 片田氏は「現在のやりかたの防災教育では駄目だ。大人相手ですと毎回同じ熱心なメンバーばかりが受講する。1番聞いていただきたい子育て世代がこない。そのために子供たちへ20年計画で、10年刻みの防災教育をすることにしました。」
 
 片田氏の信念は「当たり前の地域の文化として、津波からの避難誘導をしなければならない。

 海溝型地震はとにかく揺れるのが長い。揺れが長ければ長いほど大津波が来る。高知県は地形的に「最悪」津波が沿岸で跳ね返され、後から来る津波と重なり、大きな津波になりやすい。津波警報が解除になるまでは、高台を離れてはいけない。

 とくに増幅して「ピンポイント」で津波が想像以上に高くなる。

 片田氏のキーワードを講演から拾い出します。

「日本は災害大国。地震。津波、台風、大雨、大雪で年中災害が起きている日本。狭い国土に1億3000万人が生活しています。

「過去(100年来)津波が来なかった地域での死亡者が多かった。」

「今回の大震災は想定にとらわれすぎた地震でした。」

「災害だけは老人の言うことを聞いてはいけない。」

 こうも言っていました。

「大いなる自然の営みに畏敬の念をもち、行政に頼ることなく、自らの命を守ることに主体的になれ」
 「避難の3原則

①想定にとらわれない。ハザード・マップを信じきるな。

②最善をつくせ。津波では1メートルでも高いところへ逃げること。

③率先避難者たれ。(人には正常化の偏見がある。自分の命を守ることは、みんなの家を守ることに繋がる。

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 そしてこういわれました。

「冷静に自分と向かい合い。自然の恵みを得る。災害をやり過ごす知恵を持つことは、豊かな自然の中で生活するための条件」であると。

 「災害ごときで人を死なせないこと。」帰宅困難や避難生活、避難所運営、復旧。復興は生き残ったひとのための防災は、その次だ。
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 これからの防災に求められること

 災害時にやるべきことは、想定にとらわれることなく、平時のうちにできる最善の行動をとるだけ。平時の時にできることを積み重ねること。

 「誰がやるべきか」から、「誰ならできるのか」という視点をもった地域防災。
  大いなる自然の猛威に対して「誰がやるべきか」の議論は不毛である。

 最善を尽くした結果、命が守られる為の避難計画。段階的避難所計画。

 立地場所などに応じて雛所に安全度を設定。最善を尽くして。できうる限りの安全度の高い避難施策をつくること。

 住民の最善の努力を前提に、その結果得られる安全度を高める為の避難施策をこしらえる。 実行すること。

 実際の体験に基づき、成果をあげられた人だけに、説得力がありました。

2011年11月23日 (水)

第2回仁淀川町ー二葉町交流会が仁淀川町で開催されました。

 2011年11月23日。今年2回目の「仁淀川町二葉町交流会」が実施されました。仁淀川町への訪問です。バスでの参加者は33名でした。内訳は二葉町が26名。中宝永町が4名。稲荷町が1名。坂本茂雄県議と講師の西田政雄氏(防災寺小屋塾頭・仁淀川町池川地区出身)です。
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西森俊一二葉町町内会長の挨拶です。
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 森宏二葉町自主防災会会長の挨拶です。
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 集合時間の8時には青空が見えていました。ところが途中休憩したJAいの駅からは雲ゆきが怪しくなり、佐川付近で小雨が降りだしました。
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 バスのなかでは西田政雄氏による「防災講演会」が開催されました。往路では新潟県旧山古志村の住民の絆の証である手堀のトンネル掘削の物語「掘るまいか」がDVD上映されていました。公的支援の殆どない中での住民相互の団結の証のトンネル建設の物語でした。
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 午前10時前に仁淀川町の439市に到着しました。ここでは仁淀川町の特産品である池川こんにゃくやいたどりキムチ、いりもちやお茶などが販売されています。今回の研修会へ参加された人たちも439市で買い物をされていました。
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 近くの土居の集落の説明を地元の井上光夫さん(によど自然素材活用研究会会長)がされていました。昭和50年の台風災害では土居川が氾濫し大きな被害をだしたとの説明がありました。
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 高知大学の「防災お助け隊」のメンバーも駆けつけていただきました。
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 井上光夫さんによれば安の河原には2つの歴史的な逸話があるそうです。「江戸時代の天保時代のこと。この地域は特産の土佐和紙の産地でした。当時は大きな工場はなく、各家庭で手すき和紙を漉いていました。藩財政も逼迫したので土佐藩は上納している土佐和紙を一方的に易く買い上げようとしました。しかも税を高率に上げました。それでは生活できないと周辺の住民701名が安の河原に腰に弁当を巻きつけ終結し、隣の伊予藩に集団で逃散したそうです。
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 土佐藩は貴重な土佐和紙の担い手がいなくなったら困りました。3ヶ月以上伊予に滞在しましたが、土佐藩側が折れ、お咎めなしになり住民は罰を受けずに戻って来たそうです。」

 もう1つは放浪の歌人山頭火の話です。遍路姿で遍歴をしていた山頭火。ぼろぼろの衣服であったがゆえに、警戒され、どこの地域でも冷たくあしらわれていたようです。しかし仁淀川町では親切にされ、家屋に泊めていただき食事もふるまわれたとか。
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 山頭火は地元の人たちに感謝し、歌を詠んだという碑が立っています。
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 旧池川町商店街を散策しました。
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 NHK仁淀川特集で「鮎釣り名人」として紹介された青木氏の理容店です。
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 商店街にある居酒屋「渓谷へ出張中」とありました。安居渓谷でご商売をされておられるのでしょうか?

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 昭和50年の大水害ではこの橋の欄干に流木がひっかかり、濁流がせき止められ商店街へ流入したそうです。
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 それで仁淀川町役場池川総合支所の講習会会場へ行きました。4階のコミュニティセンターです。立派な施設です。地元関係者から講演がありました。
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 まず最初に土居の集落を案内いただいた井上光夫氏より{仁淀川町の暮らし、椿山の焼畑と昭和50年代の大災害」についての説明がありました。

 仁淀川町の椿山地区では場所を決めて焼畑をしていました。山を類焼防止の処置をしてから、山を焼き、その後。ひえや粟、そばや小豆、とうもろこしを連作することなく数年間栽培します。その後別の場所へ移動。30年後にまた焼畑をする。というサイクルで焼畑をしてたという説明がありました。

 昭和50年の大雨災害では、地域が甚大な被害を受けました。山の崩落や土石流などがおき、家屋は流され浸水し甚大な被害を出しました。

 続いて高知県の地域支援企画員「仁淀川町担当)の西森文明氏から「仁淀川町の防災」というテーマでの説明がありました。
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 昭和50年の災害では、池川支所(当時は池川町役場)近くの北浦橋に流木が大量に引っかかり、濁流がせき止められ、集落に流れ込み大きな被害を出しました。また広範な地域での崩落、道路の被害、がおきました。
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 仁淀川町は広域ですが、地域に自主防災会をこしらえる活動のサポートをされているということを説明されました。

 説明後は昼食の時間となりました。地元の食材をふんだんにとりいれた「平家弁当」を参加者で食べました。地元の弁当店「おしおか」が考案されたそうです。
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 昼食後仁淀川町役場総務課奥田氏による「仁淀川町の防災対策」の説明を聞きました。
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 仁淀川町は集落数は156地区あり、川沿いや急傾斜地に多くあります。集落を結ぶ道路は1路線のみで迂回路がない集落が殆ど。台風や南海地震により災害が起きれば孤立する集落がほとんどです。その一方で過疎高齢化が進展していて、{限界集落」も多く見られ、地域防災力の低下が懸念されている。

 平成22年度において仁淀川町の自主防災会組織率は56%。これを100%にすべく、自主防災会結成時には60万円の補助金を出している。仁淀川町の備蓄は非常食2000食。備蓄毛布は600枚である。今後の備蓄計画を立てるために、福祉部局と防災部局の協議を行なっている。

 説明会後、仁淀川町土居地区の住民の指定避難所になっている池川小学校と池川中学校を見学しました。池川中学体育館は」近く耐震補強工事をされると下久保課長補佐は言われていました。
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 池川中学近くにあるアート工房も見学しました。個性的な彫刻や木工彫刻も数々並んでいました。
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 近くにある池川神社に移動。400年の伝統がある池川神楽を見学しました。場面がそれぞれ変化し、二天の舞、児勤の舞、天磐戸開舞、四天の舞が披露されていました。池川神社は大勢の観光客が見学しておりました。
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 餅撒きもありました。参加者各位は餅をひらっていました。
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 集合場所のJA支所前で仁淀川町役場の下久保企画課課長補佐、中田氏とお別れしました。大変お世話になりました。
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 最後の訪問地は池川茶園です。ここでは参加者各位が名物の茶畑プリンやスイーツを買い込んでいました。お茶の栽培農家の主婦の方々が研究され、お茶を素材としてプリンやお菓子を開発され、販売されています。
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 現地での日程は無事に終了。帰りのバスの中で意見交換が行なわれました。参加者各位から西田講師への質問もありました。そのうちのいくつかです。
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「二葉町の近くでは掘川をはさんですぐに中ノ島に石油施設がある。東日本大震災でも津波で火災が起きていました。心配です。」との意見。

「県のほうでも東日本大震災の教訓があり、火災での二次被害を防ぐ方策を従来以上にたてています。」

「津波は東日本大震災のようにどんと来るのでしょうか?」

「たぶんどんとは来ないでしょう。浦戸湾は、中ほどが狭まっていて、そこで一時的に波が重なりとめられる。じわじわと水位があがり浸水すると思われます。」

 今日は各地で秋の大祭が開催されています。帰路でいの町を通過しましたが、いの大国さま秋の大祭をしていました。

 バスは午後5時すぐに出発地の二葉町の下知図書館前に到着。交流会は無事に終了いたしました。

2011年11月19日 (土)

第3回防災人づくり塾へ参加

11月18日の第3回防災人づくり塾は「気象・地震・津波災害から荷を守る」(講師。高知地方気象台 山神政司次長)でした。

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 警報や注意報の意味を、台風、津波、地震などの災害事例を引き合いにていねいに講習いただきました。参考になりました。

 つなみに山神氏の19日の高知市の天気予報は。「大雨で南風が強い。気圧配置によっては竜巻が起こる以下脳性もあるので注意してください。」とのことです。

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 予報どうり19日に高知市は朝から大雨。車で出かけましましたが、前が見えない大雨になることもありました。
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 さて今日は23日の「仁淀川町ー二葉町交流会」の締め切りの日。はたして何人の参加者がいることでしょうか?夕方数を集計しないといけませんね。


2011年11月11日 (金)

23日の「仁淀川町ー二葉町交流会」の打ち合わせと会場の下見

 11月10日の午前中は、荒木二葉町自主防災会副会長と一緒に11月23日に予定されている「仁淀川町ー二葉町交流会」の打ち合わせと下見に仁淀川町役場と現地の旧池川町中心街へ行きました。

 仁淀川町役場前にある巨木。なんの木でしょうか?元吾川村村長さんの名前が表示されていました。
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 役場での打ち合わせは仁淀川町企画課の竹本課長、中田氏、井上光夫氏(によど自然素材活用研究会会長と5人で打ち合わせをしました。井上さんが当日のスケジュール表を作成していただいていました。(以下スケジュール表)
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 役場での打ち合わせが終り、現地確認にいきました。まずは最初は439市です。ここは良心市の集積地でありましたが、近くに模様替えを行なう予定です。野菜や地元の食材を販売していました。
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 まずここで買い物をして、トイレ休憩も。それから少し歩きます。土居川の歩道橋を渡るようにします。
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 井上光夫さんによれば、江戸時代に飢饉のとき、藩の圧制に耐えかねこの付近の住民が川原に集まり握り飯を食べ、一気に伊予国境を目指し逃散したという歴史があるそうです。また昔山頭火が全国を放浪していた時、こじきのような格好をして仁淀川町へ来られたとか。親切に家へ招き、食事をふるまい泊めてあげた人がいたとか。けっしてお金持ちの方ではなかったが、親切な人が当時の仁淀川町にいたと井上さんは言われていました。
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 それで池川の街中を散策して池川神社のふもとへきます。看板もあります。
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 健脚者は250段の階段を登ります。登る自信のない人は車を用意します。
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階段ではない道路では500メートル程度の迂回です。立派な民家が2棟池川神社の近くにあります。
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 そして池川総合支所四階のコミュニティセンターへ行きます。こちらで仁淀川町の暮らしや、生活、防災対策についての説明を受けます。

 昼食は地元産品を使用した平家弁当を食べます。

 防災の話しを傾聴し、防災施設の見学をします。

 そして池川神社に移動し、池川神楽を見学します。
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 池川茶畑工房を見学します。
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2011年11月 4日 (金)

連動型巨大南海地震・想定外にしないために

 平成23年度防災ひとづくり塾(高知市危機管理室主催)の第2回目講師は、高知大学理学部岡村眞教授でした。岡村教授の話は、今までも何度も聞いています。でも東日本大震災前後では話の内容が変わりました。
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 前半は今回の地震で疑問に思っていましたのは、地震後津波が来ることがわかっていながら、逃げなくて亡くなった人が実に多かったということです。と岡村教授は言います。それはなぜか?

 高齢者は地震・津波の経験者が多かったこと。また父母や祖父母からの言い伝えでは、ここまでは津波が来なかったという「思い込み」があった。「津波てんでんこ」の教訓があるのに、海側の保育園に子供がいるので迎えに行った。親が1人住まいで心配で迎えに行かれた。その人たちは皆津波にのまれ亡くなりました。
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(地震で倒れた防災行政無線。いざと言う時には役に立ちませんでした)

 あるいは「スーパー堤防」を信じて安心しきっていた。あるいは防災ハザードマップが、「安心マップ」になり、津波到達点予想園より内側の人たちはいち早く逃げて助かったが、外側の人たちは逃げ遅れて亡くなりました。

 過去に津波の経験がたくさんあり、防災訓練をしているはずの東北3県で2万人を越える人たちが亡くなられました。九死に一生を得た人たちからの聞き取り調査が進行中であるとのことです。

1)地震の異常な揺れを感じて、すぐに高台に逃げた人。全体の56%だったそうですが、100%助かっています。

2)海の近くで,潮が沖合いに引き始め異常を感じた人たち。この人たちも100%助かりました。

3)海の方向に白い者が見えたと言う人。85%が助かりました。

4)建物が津波で壊れる大きな音。埃を見て逃げた人。75%は助かりました。

 聞き取り調査をしていくうちに人々はなかなか逃げないことがわかりました。生活体験上逃げたくないのです。勝手に理由をつけて逃げたくなかった。1度の経験だけで判断し逃げなかった人も多い

 津波襲来地区では、家屋の倒壊でなくなった人は居ませんでした。92%が水死でした。津波に流されたのです。

 また「上司が地震発生後仕事を止めないので、そのまま津波が来て流されて亡くなった人たちもいました。」上司が逃げろと言わなければ逃げない人たちも多かったそうです。

 現在3000人を目標に国が聞き取り調査をしています。結果報告は来年なるでしょう。

 後半は高知の話になりました。南海地震は「100年周期」で起きるのですから、「覚悟」が必要です。忘れてはいけないのは、南海地震震源域は高知市の真下まで来ていることです。
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 現在南海地震がいつ来るか、どれくらいの規模で起こるかは予想できません。

 高知市の場合は津波以前に地盤沈下が起きて,市街地が水没することのほうが心配ですね。

「天国と地獄を分けるのは、高さだけです、」ということです。

 とにかく皆さん地震の揺れで怪我しないことです。寝室に靴を置いてください。家具も必ず固定してください。部屋から出られなければ危険です。
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 毎度の事ながら岡村教授の話は迫力があります。考え込んでしまいました。

2011年11月 3日 (木)

仁淀川町・二葉町交流サロンで昭和秋の感謝祭に出店

  11月3日は朝7時40分には、昭和小学校へ「出勤」しました。「昭和秋の感謝祭」で会場になる高知市立昭和小学校運動場へ出向き、テントを立て、会場の設営を手伝いました。

 二葉町町内会と二葉町自主防災会は、仁淀川町まちおこしグループと提携し、「二葉町・仁淀川町交流サロン」として共同出店しています。仁淀川町の皆様は8時にこちらへ来るには、朝は6時半に出発されたそうですので。大変でした。

 朝はあろうことか、霧状の雨が降っていました。絶対に上がるであると思い、傘も持たずに7時40分には昭和小学校運動場へ到着しました。
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 早速所定の位置にテントを建てます。足を4本出し、4人で運びます。そして所定の位置に並べます。机と椅子を配置します。

 「二葉町ー仁淀川町交流サロン」は北西角です。昭和小校区にある人気製パン・製菓店舗のこみベーカリーさんの隣に位置しました。出入り口にもあたります。
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 準備作業をして品物を並べます。二葉町は西森町内会長(西森酒店・米店)は今年の新米。契約農家で栽培し精米したものです。森自主防災会長(森食料品店)はちらし寿司を出しました。
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 テント建てや準備作業が終りましたので、街宣活動をお願いしました。四国銀行下知支店のコンビが、西田政雄さんにお借りした街宣マイクで昭和校区内を街宣告知していただきました。
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 仁淀川町の産品は、野菜(ミズナ、トマト、チャーテーなど)や池川こんにゃく、いりもち、いたどりキムチ、白いもチップスなどでした。11時の始まる前から人気で、次々と売れていました。
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 こみべーかりーさんはやはり人気です。しかもお買い上げになったお客さんが社長さんとじゃんけんをして、お客さんが勝てば一品100円になるというサービスが大人気でした。
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 ツバメガスさんは、非常用プロパンガス発電機を展示されていました。ガソリン用は今までにもありますが、プロパン用は今まで知りませんでした。実に合理的であると思いました。
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 なかなかの人が来てくれました。テーブル席の飲食ブースは常に埋まっていました。子供たち、その親御さん、さらに祖父母の世代など、多方面の年齢層が昭和秋の感謝祭へ来てくれました。
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 また愛宕町の小松正幸さんが、わざわざ来てくれました。東日本大震災の東北現地(宮城・岩手]8月に訪問され、写真を撮影されたDVDをいただきました。吉村光司さんと懇談されています。
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 もい1つの「会場である体育館では、ダンボール工作やフラワーアレッジメントなどがありました。
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 よさ来い踊りも披露されていました。
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 消防分団も来られ、プールの水の放水をされていました。
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 餅撒きもされました。これはやはり人気があります。
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 出店者やスタッフ総出て片付けをしました。机椅子の撤収。テントの折りたたみ等です。
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 片付け終了後、残ったスタッフ一堂で記念撮影です。皆様ご苦労様でした。
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 仁淀川町から来られました井上光夫さん、中山琢夫さん、竹本仁淀川町企画課長様、遠いところありがとうございました。お手伝いいただきました田内宏之さん、西森文明さんありがとうございました。

 二葉町自主防災会としましては、11月23日の「第2回仁淀川町ー二葉町交流会」への参加者を募集しています。

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