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2026年7月23日 (木)

「はたちの時代 60年代と私」を読んで

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 重信房子さんの著作の2冊目は「はたちの時代 60年代と私」(重信房子・著・太田出版・2023年刊)を読みました。1冊目の「リンゴの木の下であなたを産もうと決めた」(重信房子・著・2001年・幻冬舎刊)を読みました。1冊目は重信さんが日本へ30年ぶりに帰国され逮捕され、懲役20年が確定し、当時はパレスティナに置いていた娘さんのメグさんあてに書かれたものでした。

 2冊目の「はたちの時代 60年代と私」は20年の刑期を終えて出版されたものでした。
本の中で重信さんが言われていましたが、最初の10年は裁判の手続きや制度のことに忙しく、後の10年はじっくりと自分の生い立ちから、活動履歴を振り返り、過去を思い出しながら丹念に記述されています。
重信房子がいた時代
 素晴らしいのはかつての重信房子さんの学生時代のお仲間(明治大学2部学生たち)が「土曜会」というグループをつくりなにかと重信房子さんを支えてきたことですね。「出所したら文句を言わないといけないから、みんなお互いにいきていこうぜ!」という趣旨はすばらしいです。暗さのみじんもない。素晴らしい人間関係です。

 たぶん「土曜会」の人達の支援があったので、出版が出来たのではないかとおもいました。重信房子さんの家庭環境や生い立ちの個所と、キッコーマンに勤務しながら明治大学2部学生時代に体験された文学研究会、学生集会や、自治会活動、学費値上げ闘争、などが詳細に丁寧に記述されています。

 対話や討論、意見交換を続けながら、可能なら合意形成する地道な努力を当時の重信房子さんは孤軍奮闘してやっておられました。サークルや自治会や、学費値上げ反対闘争などの真摯な重信房子さんを知っている学生時代の仲間が「土曜会」の人達がベースになっているのではないかと想像します。

 1965年に入学し、」67年ごろになると60年安保闘争で解体した全学連の再建が始まり、67年ごろにはセクト(党派)の影響も出てきて。3派全学連(社学同・中核派・社青同解放派)がはびこってきた時代でもありました。

 第3部の実力闘争の時代(P100)から、社学同への加盟(P115)、激動の戦線(P155)は、羽田闘争や三里塚闘争や、神田カルチェラタン闘争など。世界中の学生運動が高揚し、aある意味1番楽し気な時代のように思います。
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 1969年を過ぎたあたりから、第二次ブント(共産同)も分裂基調になり、そのなかから、「前段階武装蜂起」を唱える赤軍派が関西方面から現れ、勢力を拡大していったようでした。

「赤軍派は大きな構想を描きつつも、その始まりで、出発の方向性を誤ったのです。今からとらえれば、ブント自身が「党」といいながらも、学生運動の大衆闘争機関の指導部でしかなかったと思います。
 そして中核派など、新左翼党派と競合しながら、それがブント内に反映し、路線も組織論も近視眼的な矛盾に規定され対立にと思います。やり方が違っても、共同する条件と方法はあったと思いますが、当時の未熟さでは、分裂は必然だったとも言えます。

 だとしても、党内に自分たちの要求を通すために暴力をふるうというやり方は、中大グループもそうですが、赤軍派がブントに持ち込んだ誤りであったこと、後のブントの分解の原因となったこと、また「連合赤軍事件」にも影響を与えたことは事実です。
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 7月6日の赤軍派の振る舞いを、使命感で正当化したことは、以降の赤軍派の自身の戦い方の傲慢、未熟な英雄主義を伴う闘いの出発点となってしまったのです。「7・6事件」という事実を直視し、もはや半世紀前近い前の事件ではありますが、まず戦ったかつての友人たちに、当時の赤軍派の一員として謝罪しておきたいと思います。」(P236「過ちからの出発」)

 確かに重信さんが当時の赤軍派の理論というかスローガンが「前段階蜂起」と「国内外根拠地論」もスローガン先行で、モデルにしていたロシアの「革命前夜」の状況名など日本にはまるでなく、赤軍派は小人数の精鋭部隊で混乱を引き起こすとかでしたが、ほとんど未遂に終わり、逮捕者だけが増えていきました。
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 特に大菩薩峠の福ちゃん荘での大量逮捕、赤軍派幹部の逮捕は大打撃でした。その残党が「よど号ハイジャック」で北朝鮮へ行った田宮グループ。後の国内残留組は連合赤軍事件をひき起こし同じ活動家仲間の惨殺に向かいました。重信房子さんの少数のグループが1971年にレバノンに向かい、パレスティナの人たちと連携していきました。

 偏狭で狭小な「革命史観」ですべてを解釈し説明することなど到底不可能。連合赤軍は、ロシア革命のカリスマ独裁者レーニンの「民主集中制」という組織原理から派生しているだけに、構成員は逆らうことが出来ず、仲間の殺害と絶望的な武装闘争に加担し破滅してしまいました。
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 当時一時的に興隆した新左翼系の社会運動も道連れにして滅亡してしまいました。連合赤軍事件前後の新左翼党派間の「内ゲバ」抗争も重なり、絶望感もあり、国民各位が政治に対して失望感を抱きました。以来「政治のしらけ」「社会運動の停滞」が日本社会に続いています。

 重信房子さんは、30年間アラブ社会・パレスティナで、日本赤軍のリーダー的な存在となり生活し、子育てされていました。20001年に日本へ帰国し逮捕され、20年間拘留生活を体験されました。20年の刑期を終え社会復帰された後の2023年に振り返られています。

 運動の渦中、渦の真ん中におられた人の社会体験、生活体験だけに貴重な記録です。私は70年代初頭は田舎の高校生でした。毛沢東思想を崇拝し、声をかけてきた人が後の連合赤軍に合流したようです。私は臆病者であり、坂本龍馬のように「脱藩」して参加することなどよう考えませんでした。合流しなくて良かったです。

 結局高校を留年して、翌年大学へ入りました。そこは「内ゲバ戦争」の最中でした。革命思想を唱える党派の構成員が殺し合いをしていました。重信房子さんが体験された1968年の「神田カルチェラタン」のような楽し気な風景などまるでありませんでした。

 連合赤軍事件と内ゲバ殺人現象の「ブラックホール」にお吸い込まれ、日本の社会運動は壊滅してしまいました。その挙句ヘンテコな政治状況になりました。私は50年間の「暗黒」からは脱しましたが、「何をどうしていいのか」はわかりません。18歳の若者は気が付けば72歳の老人になりました。残りの人生で懸命に考え生きていきたいと思います。

 重信房子さんの2冊の著書は、大変参考になりました。

2026年7月22日 (水)

「りんごの木の下であなたを産もうと決めた」を読んで

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 以前今は絶版になっていいる 「重信房子がいた時代」(油井りょう子・著・世界書院刊)を読みました。2024年のことで、友人が貸してくれました。著者の油井涼子さんは、明治大学2部で重信房子さんの同級生。1967年から68年頃の2年ぐらいの付き合いでしたが、明治大学での学園闘争や文学サークルでの付き合いや、「神田カルチェラタン」で一緒に道路に机を一緒に出して一時的に封鎖したとか、楽し気に重信房子さんとの行動を書かれていました。

 一読して。重信房子さんは、「普通の生活者感覚のある人」「1960年代後半から1970年代初頭の激動の時代の渦の中にいた人ですし、著者の油井さんは、重信房子さんの生い立ちから家庭環境、学生生活も丹念に描いていますので、人物像がわかりました。

 そんなことで、とにかく私が高校を留年した1971年2月に引き起こされた「連合赤軍・あさま山荘事件」と1972年11月に「早稲田大学構内で革マル派による一般学生川口大三郎さんへのリンチ殺人事件」から連なる際限のない内ゲバ殺人抗争が激化し、日本社会から「社会運動」「政治闘争」が、2つの「ブラックホール」に吸い込まれ消滅しました。

 私個人は「連合赤軍」や「内ゲバセクト」の渦の渦中にいたわけではなく、大きな影響(悪影響)を受けた渦の外周に居ただけの人間です。ですが渦巻は渦の外周ほど高速で回転します。強い悪影響を受けながら、鬱鬱とこだわり続け、貧弱な頭脳で1972年から52年間考え続けてきました。

 考えたことは、「なぜ日本の新左翼セクトは仲間殺しをし、セクト同士で連携することなく、殺し合いを際限なくするのだろうか?

 個人ブログで「連合赤軍と新自由主義の総括」なるタイトルをつけ、20年以上前から考え続けてきました。なかなか解決しませんでした。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat21222778/index.html
(連合赤軍と新自由主義の総括)

 それで今回重信房子さんの著作を直接読んでみることにしました。
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「リンゴの木の下であなたを産もうと決めた」(重信房子・著・2001年・幻冬舎刊)その1を読んでの読書感想文を書いていました。

 最終ページにこう書いてありました。

「本書は重信房子本人が、娘メイの国籍取得のために出生届を提出した2000年12月26日から、法務局戸籍係が警視庁に真実出生の有無を確認するための接見をに赴いた2001年3月1日までの間、警視庁留置場で書き続けた法務局宛の上申書である。」とのことです。
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 昭和20年生まれの重信房子さん。ご自身の生い立ち、家庭環境、家族関係や高校卒業後キッコーマンに入社し、明治大学2部学生になり、学年集会に参加し、学生運動に参加。街頭闘争にも参加しますが、持ち場は常に「救対」。でもで傷ついた学生たちを病院へ運ぶ役割。

 ご自身の生い立ちから、成人し学生運動し、党派ともかかわり、赤軍派内部の分裂から、パレスティナに渡り、独自の活動を展開、最大の展開は「リッダ空港襲撃事件」でした。ペレスティナアラブ社会での英雄になりましたが、日本ほかの諸国では「テロリスト(人殺し)」の評価でした。

 「リンゴの木の下であなたを産もうと決めた」という本は、娘のメイさんに対して、ご自身の生い立ち、社会運動へのかかわり、パレスティナとのかかわりを語っています。

「アメリカのベトナムでの侵略に反対し、社会正義を求め、」公正な市民社会を求め闘ったことです。日本の私たちの失敗は、当時ごくわずかな人しか、社会運動に-人民の中に帰らなかったことです。
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そして”軍事”や”武装”による解決策を万能薬として求めるという焦りや、稚拙さから現実に立ち向かう術(すべ)を、物や技術に求めたのです。武装蜂起することがすべての目的になってしまいました。戦術が目的になって、人々の心を縛りました。  

その結果”武装”とか”軍事”とか言わないことは日和見主義だとされる時代をつくります。これらは、ブント(第二次)という組織自体が内包し、赤軍派によって拡大した間違った「攻撃型階級闘争論」によって、日本の左翼運動全体に影響を与えました。連合赤軍の誤りも、赤軍派のこうした誤りの結果と言えます。」と虚心坦懐に振り返ってろられます。

 わたしは社会運動の外周にいただけですが、重信房子さんは、結果的に運動の渦の中心におられた人の言葉故に説得力があります。

「30年以上前に、私たちは敗北したのです。
でもその敗北が、元気のない日本をつくっているように思います。”68年世代”が復権し、あなたたちと、歴史を楽しく語れる時が来ると信じています。
 母さんたちの世代は、運動の高揚に図に乗りすぎ、人々の社会を変えようという力に真実を求めず、自分たちがどう戦うかに夢中でした。
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 そして常に社会を変えようと言いながら、対象・他者を批判するだけで、自己を祈願みる視座をもっていませんでした。外因のせいにしながら、敗北と失敗を、それと認めずに,想いだけが水膨れのように膨れていきました。
 そうしたことを、当時を振り返りながら反省し、70年代後半に闘いを転換しました。
「自分を変えることなしに、世の中を変え得ない!」
 この言葉が私たち自身の70年代の教訓になって、今も私たちに“粋がり”を戒めさせます。」(P71日本では運動の高揚に図に乗りすぎた)

 重信房子さんは1971年に少数の仲間と一緒にレバノンに行きます。はじめは義勇兵としてパレスティナ解放戦線(PFLP)として活動を始めました。そして1972年5月30日、イスラエルのテレアビブで空港襲撃を3人の日本人が参加(奥平・安田・岡本)しました。

 パレスティナ・アラブ世界では「英雄」になりましたが、イスラエルからは暗殺の対象になりました。連れ合いとなった奥平剛士さんは銃撃戦で亡くなり、翌年メイさんが生まれました。

 1982年にイスラエル軍がベイルートに侵攻し、レバノンに住めなくなり、パレスティナに移動し、子育てしていたそうです。1990年にソ連と東欧諸国が崩壊し、アラブ社会への支援が細りました。2020年に日本に潜伏していた重信房子さんは逮捕され、懲役20年が確定しました。

 獄中に収監され始めた当初に書籍を書かれたようです。当時はメイさんはパレスティナにおられました。懲役20年ですから20年間は社会に出られません。メイさんが知らない日本社会のことを重信房子さんは語られています。どうしてパレスティナに行ったのか。30ね乗られてどうしておられなくなったのか。日本でどうして20年間牢獄にいなくてはいけないのかを自分の言葉で語られています。

 失敗事例や、信じていた理論の間違いも認めています。「歴史の証人」としての貴重な発言であると思いました。

2026年7月21日 (火)

週刊読書人の重信房子さん特集記事

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 県外在住の友人から久しぶりに手紙と、「週刊読書人 2026年6月12日号」を郵送してくれました。昨年緊急性の高い重篤な症状から完全回復し、健康状態を維持しているという嬉しい連絡もありました。

 

 お互い70歳を超えますと、「若くもなく」死に至る病が忍び寄ります。若い時代の3倍努力しないと「現状維持の体力」が維持できない現実を思い知る毎日です。
重信房子がいた時代
 2年ほど前も、絶版になった「重信房子がいた時代」を貸していただき、2回熟読し、お陰様で「50年間暗いトンネルでうじうじしていた」精神状態から脱出できました。

 

 

 http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2024/06/post-b83a12.html (「重信房子がいた時代」を読んで)

 

 今回の「週刊読書人の重信房子さん特集記事」は、重信房子さんと、明治大学教授丸川哲史さんとの対談記事でした。

 

 書籍の紹介があり「獄に暮らせば(作品社)」の刊行に関する対談でした。重信房子さんは1971年に日本を出国し、パレスティナ解放闘争に参加していました。2000年11月に日本国内で逮捕され、2022年5月に刑期満了で出所するまで20年間獄中にいました。その獄中でつづった日誌をもとに出版されたということです。
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 友人によれば、「重信さんの20年の獄中生活を支えたのは、「土曜会」というノンセクトの当時の明治大学2部の元学生たちでした。当局は20年ももたず獄死してくれることを狙っていましたが、自己批判を果たし20年の刑を満期出獄できたのは、昔のノンセクトの仲間が大きい。」「彼女の裁判や、入獄中の支援には、法学部教授の宮崎繁樹先生(のちの明治大学総長)がこの本で知りました。1暴力過激派学生の女性であれば、彼女の母校、明大の総長がここまで支援することはありません。とのことでした。いかに重信=過激派のレッテル貼りが作為的に作られて者であるかとわかります。」と言われていました。
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 また重信さんは対談の中で、活動の反省をこめてこうも言われています。

 

「当時は自分たちで何でもできると思っていて、夢に燃えていた。あの時は武装闘争だったけれど、そうではなく、自分たちのことを1番知っているひとが故郷に帰って、合法性を生かして合法的に闘う。
 それを私たちはやってこなかった。ヨーロッパの人達を見ていると、もちろん法律の違いはありますが、合法性をぎりぎり利用して抵抗を続けている。私たちも、みんなが自分の持ち場で対抗社会的に活動をしていたら、日本をこんなに悪くすることはなかったんじゃないか。」
「連合赤軍事件を大きな契機にして、左翼は社会の中で発言しにくくなって落ち込んでしまった。でも落ち込んで黙っていること自体が、社会総体の中では権力を利していることになる。まだまだ頑張らないといけないよ、と今はもう一つの自分が励ましてくれている感じです。」(週刊読書人 3P)
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 また重信房子さんは、娘のメイさんに「あなたは異議なしと言ってくれる友達にまもられてきた。外へ出たら厳しいことがたくさんあるから。」との。ご本人もまだまだ「外の世界に」な慣れていないともいわれています。

 

 「階段を降りることが怖い」とか、パソコンも携帯もわからないからゼロからやり直し」だとのことでした。
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 YouTubeで重信房子さんが「中東情勢」の解説をされています。聞いていて的確な情報提供であり、30年間パレスティナで生活されてこられたので、アメリカ経緯の情報提供に依存する現在のテレビや新聞では知られない、パレスティナの現実をかたられています。それはきちんと聞いてみたいと思います。

 

 3年ぐらい前「あさま山荘事件50年特集」をテレビでやっていて、私と同い年の(当時高校生)だった連合赤軍のメンバーが「50年経過したけど、自分がどうしyてこんあことしたのかわからない」と語っていました。

 

 重信房子さんには、明治大学2部の元学生たちの「土曜会」のメンバーに支えられているので明るいし、」前向きです。パレスティナで30年。獄中で20年の経験を活用して、現在の日本社会を体験されて、いろいろ話していただきたいと思いました。

 

 図書館で「はたちの時代」と「リンゴの木の下であなたを産もうと決めた」を借りてきました。読んでいます。
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2026年7月20日 (月)

W杯はスペインがアルゼンチンを破り優勝しました。

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 W杯決勝スペインVSアルゼンチン前半

 欧州王者と南米王者の対決、FIFAランク2位と1位の対決。まさに世界1を決める試合です。
 試合前のセレモニーも歌唱あり、ワールドカップのお披露目あり、トムクルーズのスピーチまでありました。
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 やはり両チームパスワーク個人技が上手く、中盤のつぶしあいが激しい。なかなかシュートまでいけない。お互いの良さをつぶしいあいをしています。
メッシやヤマルもフリーでボーㇽが持てない。さて今後はどうなるのか?
前半はさしたるチャンスはなく終了。

異様なハーフタイムショー

 史上初のハーフタイムショーまでありました。
マドンナやBTSも短時間出てくる豪華さ。ジャスティン・フィーバーまで現れました。アメリカンフットボールの乗り。アメリカらしい。
あまりハーフタイムの時間が長いと選手の体調維持が難しい。賛否が分かれますね。
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W杯決勝スペインVSアルゼンチン 後半
前半はお互いの良さを消すゲーム展開。メッシやヤマルもマークされていてボールが触れない。0-0の展開でした。

 後半s-747930132_2561335164314485_8134163669274964770_nもこのペースで行くと延長・PK戦までいく可能性はあります。22年大会決勝はPK戦までいきました。母をその最中に自宅で見取りましたので思い出します。
アルゼンチンは3人、スペインは2人選手交代に。スペインが押し込んでいますが、ゴールが割れない。アルゼンチンはまだシュートがない。帰って不気味です。一瞬の爆発力はありますから。飲水タイムでアルゼンチンは2人選手交代。5人変えました。

 スペインは2人交代。後半40分ごろアルゼンチンDFがファール。退場処分になりました。終了間際スペインはゴール前のフリーキック。ヤマルのキックはゴールを捉えていましたがGKが書きだしました。
 スペインが押し込み18本のシュート。アルゼンチンは1本もありません。延長戦になりました。

 W杯決勝スペインVSアルゼンチン 延長戦
 0-0で延長戦になりました。
延長後半1分にスペインがついにゴールをこじ開けました。アルゼンチンDFのシメオネが戻れず、シュートを打たれました。
 アルゼンチンも10人になりましたが、メッシがゴール前にボールを上げ、迫ります。ボールがシメオネの前に転がりますが、シュートはゴールを上に外しました。

 タラネバの話ですが足を攣っていなければ、シュートも防げたし、シュートも決められたと思います。勝負は紙一重です。
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 メッシからヤマルの時代に世代交代を象徴するW杯決勝戦でした。いい試合でした。

2026年W杯はスペインが2回目の優勝
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 表彰式も見ました。なんとトランプ大統領まで現れ、嫌っているはずのスペイン代表選手たちに優勝メダルまで授与していました。厚かましいというか厚顔ですね。政治家は。サッカー愛好者を敵に回したくないだけのことでしょう。
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 スペイン選手たちと記念撮影までしていました。アルゼンチンのメッシの連覇はなりませんでした。紙一重の差でした。スペインは準決勝でフランスを撃破したことが大きい。安定して強かったですね。

2026年7月19日 (日)

イングランドが6-4でフランスを撃破

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 3位決定戦は、お互いのチームは決勝に行くつもりだっただけに、モチベーションの維持が難しい。特にフランスは「大本命」と言われてきただけに、スペインに攻撃を抑え込まれ、2-0と完封負けしたショックが響いているようです。イングランドも延長でアルゼンチンに堅守が崩され逆転負けしただけに、ショックは同じです。

 イングランドは中2日、フランスは中3日での試合です。

W杯フランスVSイングランド前半

 W杯3位決定戦。両チームs-750443822_2560544641060204_960003660800299891_nは優勝を前提だけにモチベーションの維持が難しい。さてどうなるのか?
 前半3分にイングランドがミドルシュートが決まり先制ゴール。1-0になりました。やはり最終戦なのでがちがちのプレスはない。W杯終了後は各国のリーグが再開されるのでケガを恐れて守備は甘くなるでしょう。
 18分にイングランドがゴール前でヘッドで2点目を決めました。オープンな展開にフランスがイングランドゴールの迫るが、イングランドがカウンター。2人で攻めて3点目がきまる。3-0になりました。
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 前半終了間際もイングランドが追加点。4-0になりました
 フランスは準決勝の敗北からまだ立ち直れてはいないようです。守備ラインがフランスは緩すぎます。

 W杯フランスVSイングランド後半

 4-0とイングランドがリードした前半。後半はどうなるのか。ハーフタイムで監督が気合を入れたようです。

 後半3分フランスはエムバムが得点し、4-1になりました。フランス大攻勢をかけることができるのか。8分にフランスがカウンターから2点目。4-2になりました。
 20分過ぎにエムバべが3点目を決めました。4-3になりました。勝負はわかりません。高知も暑いですが試合会場のマイアミも暑いようで、選手も足を攣っています。
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 ところがイングランドはPKを決めて5-3.狩猟間際のロスタイムにイングランドが4点目。イングランドが6点目を決めました。
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 打ち合いの乱打戦。6-4でイングランドが勝ちました。3大会連続で優勝を狙ったフランスと、60年ぶりの優勝を狙っていたイングランドのとの気持の差がでました。

猛暑の中の海の散帆

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 2026年7月18日ですが、いつもよりも早く8時前に自宅を出て夜須のハーバーに向かいました。

 早くもヤッシーパークは賑わっていました。何やら芝生広場前ではイベントをやっているとか。「餃子祭り」とからしいです。予定にしていないので参加はしませんでした。
 また今日はハーバーにはだれもいません。大学生は試験で来れないとか。1人で独占。ワンマンハーバーでした。
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 風も微風で心地よい。年寄りにやさしい夜須の海でした。しかし猛暑でした、氷結したスポーツドリンクを4本飲みました。(500CC)です。それとOS-1(経口補水液)のゼリーを、行き帰りに飲みました。
 それでも洋上で左
s-749355815_2559985904449411_4279175114327659017_n足が攣りました、伸ばしても治りません。それでディンギーヨットの上で立ち上がりました。すると痙攣がおさまりました。風が弱ければよい対処法でした。
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 15時過ぎに高校生時代の兄・妹が、千葉県と名古屋から来るとのことで半日限定の海の散帆でした。帰り際右手が攣り、ハンドル操作に苦労しました。渋滞していたので、ゆっくり走行している時にもみほぐしました。いろいろあります。
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2026年7月18日 (土)

心身のバランスは、毎日の散歩、読書と海の散帆から


 このところの猛暑とW杯の早朝放映の連続で体調が今一つ。梅雨の間は「海の散帆」も行っていませんから。やはりネットでSNSとかニュースなどをだらだら見てると疲れますね。
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 やはり紙媒体の書籍をじっくりと読み、ノートに印象に残った表現などを書き写し、読書感想文を書いて、はじめて「本を読んだ」ということになります。めんどうくさいアナログ人間です。

 早朝の散歩は6月からサッカーワールドカップ北中米大会2026が始まると、早朝に試合があるので、早寝早起きしてみていました。そうなると散歩する時間が少なくなります。調子が悪くなりますね。

 それも7月20日の決勝戦でお終いですので、4年に1度の行事ですから。
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 私にすれば2018年ロシア大会前の5月に父(享年99歳)が亡くなり、2022年カタール大会の決勝戦の時に母(享年97歳)が亡くなりました。
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 来週からは朝の散歩は可能になります。夜も就寝時が暑くて慣れないので寝苦しい。とはいえ、年寄りなので無理はしません。エアコンも使用するし、ウインドウファンも稼働させます。
 暑熱順化で体もそこそこなれるだろうし、エアコンも使用できるようなら使用して夏をのりきります。梅雨明けしたので海の散帆にも行ってみたい。暑いので半日コースでお試しから再スタートです。

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2026年7月17日 (金)

W杯観戦記・感想文(準決勝2試合)

 昨日と今日は早起きして、2026W杯北中米大会ベスト4(準決勝)の2試合をテレビ観戦しました。
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 まずは15日(日本時間午前4時)のスペインVSフランス戦。大本命はフランスであり、エムバぺのゴール前での突進力はだれも止められない。スペインはパス回してうろうろするだけで、フランスの攻撃力には対抗できない。と思われていました。

 ところがスペインの守備陣は、フランスのエースのエムバぺを2人がかり、3人がかりで取り囲み、パスを出させない。シュートもさせない完ぺきな守備をしました。取り囲んで守備するだけでなくエムバぺからボールを奪い、カウンターでフランスゴールを脅かしました。
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 またスペインは終盤も交代選手も活用し、運動量が落ちず、フランス攻撃陣を抑え込みました。完璧な勝利でした。スペインは2022年のW杯で日本戦で負けた以来,無敗であるとのこと。あの当時は世代交代期であったかもしれないですね。
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 16日のアルゼンチンVSイングランド戦は対照的な試合でした。前半は中盤でのせめぎあいとつぶしあいが続き、0-0に。シュート本数も少ない有様でした。
 後半は前がかりのアルゼンチンにカウンターから10分にイングランドが先制。1-0になりました。その後イングランドはノールウェイのハーランドを抑え込んだ守備力強化に選手交代に動きます。逃げ切り作戦でした。
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 アルゼンチンは攻勢に出ますが、守備ラインをなかなか崩せません。交代枠も元気な攻撃の選手を複数投入してきました。後半40分にメッシが起点になり、アシストのパス。ミドルシュートが決まり同点に。終了間際にもメッシのクロスに交代選手がヘッドで押し込みそのままゴール。逆転しました。堅実堅守のイングランドが敗れました。終了間際の7分間で2点取れるアルゼンチンは規格外でした。
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 準決勝はFIFAランク1位から4位までが揃った準決勝。やはり実力が違います。今回大会日本はブラジル相手に前半45分は1-0とリードしました。後半押し込まれ2点取られ敗れました。
 世界水準はスペインのように終盤まで運動量が落ちないことです。アルゼンチンのように諦めず元気な攻撃的な選手を投入できる選手層の厚さが必要であるということです。
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 やはりリーグ戦と決勝トーナメントとは違います。やはり今大会日本はFIFAランク17位でしたから、ベスト16になれませんでした。

 ノルウェーは31位で6大会ぶりのW杯出場でしたが、ブラジルを撃破する実力者でした。やはり欧州は地力が違います。

 日本が「世界1」になるためには、まだまだ越えなければいけない壁がまだまだあることを思い知らされました。

2026年7月16日 (木)

やはり欧州と南米の壁は厚い

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 今回のW杯2026年北中米大会ですが、48に出場国が増え、アジアからは9国が参加しましたが、リーグを突破し32枠にまで行ったのは、日本とオーストラリアのみ。イラン、サウジアラビア、韓国、はリーグ戦突破すらできませんでした。ウズベキスタン、カタール、イラク・ヨルダンは期待外れでした。
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 やはり欧州や南米は「勝率5割」ですから。また歴代W杯優勝国も、南米3国(ブラジル・ウルグアイ・アルゼンチン)、欧州が5国(ドイツ・イタリア・フランス・スペイン・イングランド)となっています。今回ベスト4に残った、フランス・スペイン・イングランド・アルゼンチンは過去のW杯優勝国です。
s-W杯2026決勝トーナメント表
 日本は今回大会に監督も選手も「W杯優勝」と目標を掲げ、公言しましたが、ベスト8にすら届かず「印象に残る試合」はしましたが、勝ち進めませんでした。壁は厚いが、突破できる可能性もあるでしょう。でも今のままと意識では欧州や南米にはだまだま勝てません。
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 臆せず戦うことです。またアジアもレベルアップしませんと。そのためには日本が次回大会で勝ち進むことが1番のアジア諸国への支援になります。アフリカのモロッコを見習い、独自のサッカーで境地を開いてほしい。オールドサッカーファンの願いです。生存しているうちに日本のW杯の優勝を見たいです。

2026年7月15日 (水)

エアコンの効用と弊害

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 2026年7月14日の13時過ぎですが、事務所の気温が33・6度になったので、エアコンを稼働させました。その後エアコンを稼働させていない2階の茶の間は34度を超えていました。

 テレビ番組は「エアコンをつけてください。」「熱中症対策にエアコンをつけてください」と叫んでいるようです。でもうちの町内の同じ班内には、エアコンを設置していない家が2軒あります。どのようにして暑さを凌いでいるのでしょうか?

 私ら夫婦も、もはや老人ですので、電気代を気にしつつエアコンを使用しています。でも家に設置している人も何とか暑さを凌いで耐えているようです。局所冷房したら、排熱は屋外へ出るので余計に暑い。まして事務所は東西南北の西北南が空き地と道路になり、空き地は駐車場になりました。熱気が周囲から押し寄せてきます。昨年までとは状況が変わりました。それでエアコンが稼働しています。

«遂に事務所のエアコンが稼働しました。