「はたちの時代 60年代と私」を読んで

重信房子さんの著作の2冊目は「はたちの時代 60年代と私」(重信房子・著・太田出版・2023年刊)を読みました。1冊目の「リンゴの木の下であなたを産もうと決めた」(重信房子・著・2001年・幻冬舎刊)を読みました。1冊目は重信さんが日本へ30年ぶりに帰国され逮捕され、懲役20年が確定し、当時はパレスティナに置いていた娘さんのメグさんあてに書かれたものでした。
2冊目の「はたちの時代 60年代と私」は20年の刑期を終えて出版されたものでした。
本の中で重信さんが言われていましたが、最初の10年は裁判の手続きや制度のことに忙しく、後の10年はじっくりと自分の生い立ちから、活動履歴を振り返り、過去を思い出しながら丹念に記述されています。

素晴らしいのはかつての重信房子さんの学生時代のお仲間(明治大学2部学生たち)が「土曜会」というグループをつくりなにかと重信房子さんを支えてきたことですね。「出所したら文句を言わないといけないから、みんなお互いにいきていこうぜ!」という趣旨はすばらしいです。暗さのみじんもない。素晴らしい人間関係です。
たぶん「土曜会」の人達の支援があったので、出版が出来たのではないかとおもいました。重信房子さんの家庭環境や生い立ちの個所と、キッコーマンに勤務しながら明治大学2部学生時代に体験された文学研究会、学生集会や、自治会活動、学費値上げ闘争、などが詳細に丁寧に記述されています。
対話や討論、意見交換を続けながら、可能なら合意形成する地道な努力を当時の重信房子さんは孤軍奮闘してやっておられました。サークルや自治会や、学費値上げ反対闘争などの真摯な重信房子さんを知っている学生時代の仲間が「土曜会」の人達がベースになっているのではないかと想像します。
1965年に入学し、」67年ごろになると60年安保闘争で解体した全学連の再建が始まり、67年ごろにはセクト(党派)の影響も出てきて。3派全学連(社学同・中核派・社青同解放派)がはびこってきた時代でもありました。
第3部の実力闘争の時代(P100)から、社学同への加盟(P115)、激動の戦線(P155)は、羽田闘争や三里塚闘争や、神田カルチェラタン闘争など。世界中の学生運動が高揚し、aある意味1番楽し気な時代のように思います。

1969年を過ぎたあたりから、第二次ブント(共産同)も分裂基調になり、そのなかから、「前段階武装蜂起」を唱える赤軍派が関西方面から現れ、勢力を拡大していったようでした。
「赤軍派は大きな構想を描きつつも、その始まりで、出発の方向性を誤ったのです。今からとらえれば、ブント自身が「党」といいながらも、学生運動の大衆闘争機関の指導部でしかなかったと思います。
そして中核派など、新左翼党派と競合しながら、それがブント内に反映し、路線も組織論も近視眼的な矛盾に規定され対立にと思います。やり方が違っても、共同する条件と方法はあったと思いますが、当時の未熟さでは、分裂は必然だったとも言えます。
だとしても、党内に自分たちの要求を通すために暴力をふるうというやり方は、中大グループもそうですが、赤軍派がブントに持ち込んだ誤りであったこと、後のブントの分解の原因となったこと、また「連合赤軍事件」にも影響を与えたことは事実です。

7月6日の赤軍派の振る舞いを、使命感で正当化したことは、以降の赤軍派の自身の戦い方の傲慢、未熟な英雄主義を伴う闘いの出発点となってしまったのです。「7・6事件」という事実を直視し、もはや半世紀前近い前の事件ではありますが、まず戦ったかつての友人たちに、当時の赤軍派の一員として謝罪しておきたいと思います。」(P236「過ちからの出発」)
確かに重信さんが当時の赤軍派の理論というかスローガンが「前段階蜂起」と「国内外根拠地論」もスローガン先行で、モデルにしていたロシアの「革命前夜」の状況名など日本にはまるでなく、赤軍派は小人数の精鋭部隊で混乱を引き起こすとかでしたが、ほとんど未遂に終わり、逮捕者だけが増えていきました。

特に大菩薩峠の福ちゃん荘での大量逮捕、赤軍派幹部の逮捕は大打撃でした。その残党が「よど号ハイジャック」で北朝鮮へ行った田宮グループ。後の国内残留組は連合赤軍事件をひき起こし同じ活動家仲間の惨殺に向かいました。重信房子さんの少数のグループが1971年にレバノンに向かい、パレスティナの人たちと連携していきました。
偏狭で狭小な「革命史観」ですべてを解釈し説明することなど到底不可能。連合赤軍は、ロシア革命のカリスマ独裁者レーニンの「民主集中制」という組織原理から派生しているだけに、構成員は逆らうことが出来ず、仲間の殺害と絶望的な武装闘争に加担し破滅してしまいました。


当時一時的に興隆した新左翼系の社会運動も道連れにして滅亡してしまいました。連合赤軍事件前後の新左翼党派間の「内ゲバ」抗争も重なり、絶望感もあり、国民各位が政治に対して失望感を抱きました。以来「政治のしらけ」「社会運動の停滞」が日本社会に続いています。
重信房子さんは、30年間アラブ社会・パレスティナで、日本赤軍のリーダー的な存在となり生活し、子育てされていました。20001年に日本へ帰国し逮捕され、20年間拘留生活を体験されました。20年の刑期を終え社会復帰された後の2023年に振り返られています。
運動の渦中、渦の真ん中におられた人の社会体験、生活体験だけに貴重な記録です。私は70年代初頭は田舎の高校生でした。毛沢東思想を崇拝し、声をかけてきた人が後の連合赤軍に合流したようです。私は臆病者であり、坂本龍馬のように「脱藩」して参加することなどよう考えませんでした。合流しなくて良かったです。
結局高校を留年して、翌年大学へ入りました。そこは「内ゲバ戦争」の最中でした。革命思想を唱える党派の構成員が殺し合いをしていました。重信房子さんが体験された1968年の「神田カルチェラタン」のような楽し気な風景などまるでありませんでした。
連合赤軍事件と内ゲバ殺人現象の「ブラックホール」にお吸い込まれ、日本の社会運動は壊滅してしまいました。その挙句ヘンテコな政治状況になりました。私は50年間の「暗黒」からは脱しましたが、「何をどうしていいのか」はわかりません。18歳の若者は気が付けば72歳の老人になりました。残りの人生で懸命に考え生きていきたいと思います。
重信房子さんの2冊の著書は、大変参考になりました。



















もこのペースで行くと延長・PK戦までいく可能性はあります。22年大会決勝はPK戦までいきました。母をその最中に自宅で見取りましたので思い出します。



は優勝を前提だけにモチベーションの維持が難しい。さてどうなるのか?




足が攣りました、伸ばしても治りません。それでディンギーヨットの上で立ち上がりました。すると痙攣がおさまりました。風が弱ければよい対処法でした。














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